フィーゴの真実 [チュウ]
(2001/4/25)

ベイガとミランのマネージャー、アリエド・ブライダとの間でリスボンで何回かの密会が行われた。そして1997年3月18日、バルセロナのエル・プラット空港で、アリエド・ブライダとベイガの間で仮契約書がかわされる。「一種独特の道徳観」をもつ彼らは、ここでもミランとの契約書にサインするのだ。フィーゴの条件は税抜きの年俸2億2千万ペセタで、4年契約。ベイガとフィーゴのサインがなされている。フィーゴがバルサに色々な問題を抱えて入団してから、まだ2年弱しか経っていない。

バルサの会長ホセ・ルイス・ヌニェスが、この事実を知るのに時間はかからなかった。一つにバルサとミランの関係が良好であったため、ミラン側から情報を得ることができたこと。もう一つは、ベイガ側も決してこの事実を隠すようなふりをしなかったことがあげられる。
ヌニェスはフィーゴがミランと契約書を交わした一か月後の4月18日、ベイガを呼んで話し合いをもっている。ベイガはミランとの仮契約書まで持参し「こういうオファーがあるけれど、フィーゴ本人はバルサに残りたいという。もちろん、バルサ側の新しいオファー次第ではあるが」という、彼らの常套手段(他のクラブからのオファーを示し、クラブへのプレッシャーをかける)を使って、話し合いにのぞんでいる。

フィーゴ・ベイガコンビの悪運の強さが発揮される。バルサはロナルドとの難しい交渉に入っていた。インテルからの強烈なオファーと、ロナルドの代理人マルティンの「政治」により、来シーズンの彼の残留はほぼ絶望的な状態となっていた。そしてグアルディオーラにもパルマからのオファーが届き、毎日プレスをにぎやかす騒ぎになっていた。バルサにとって、そしてもちろん会長のヌニェスにとって、同時に2人や3人ものスター選手の移籍はどうしても避けなければならない。こういう状況下で、ヌニェスは自身の会長の椅子を守るための、フィーゴ、グアルディオーラ、引き止め工作に全力を上げることになる。

ヌニェスとベイガによって始められた新たな交渉は、仮契約書を所有しているミランをいかに傷つけず、穏やかな形で引かせるかということに集中された。なぜならベイガとしては、彼らの要求通りにバルサが年俸を設定するという条件の下に、この会談そのものが成立していたからだ。
彼らは誰もが思いつかなかった一つのでっち上げを作る。それはフィーゴの移籍料の12億というのはあくまで国内のクラブへのものであって、外国のクラブへの移籍の場合は37億ペセタである、というものであった。実際、フィーゴとバルサとに交わされた最初の契約書にこのような条項があったかどうか知る由もないが、大方の専門家の見方としては、「あり得ない」ものだという。しかもそれが、法律的に合法かどうかということも「検討されるべきもの」と判断する法律家が多い。いずれにしても、ミランはあきなければならないハメとなる。

結局は、フィーゴ・ベイガコンビの思い通りにことが運んだ。バルサはミランが提示してきた年俸に20%を乗せた、2億7千5百万ペセタをフィーゴの新たな年俸とし、契約期限は5年間(2002年まで)、移籍料を50億ペセタとする。この契約書にサインした後、フィーゴはメディアに次のように語っている。
「マドリに行くなんて考えもしなかった。だって、僕は世界最高のクラブとファンの前でプレーしているんだからね」

スーパースター・ロナルドが抜けた後、同じブラジル人のリバルドが入団する。だが人気という点に関しては、フィーゴはリバルドを圧倒的に抜いていた。グアルディオーラが欠場している時はキャプテンマークを付け、ゴールするごとにバルサのエスクードに唇を持っていく。ファンから見れば、彼はまるでバルサのカンテラ出身のような存在であった。どんなに名が売れようと「決してマドリには行かない」選手でもあった。その様な状況を背景にベイガが再び動き出すのは1999年の5月であった。

このシーズン、バルサはファン・ハール監督のもと、2年連続リーグ優勝に近づいていた。そしてヌニェス会長の机の上には、ベイガが持参したラッチオのオファーが載せられたいた(ここでもカッペロの名が登場する。翌シーズン彼はラッチオで指揮をとるとのウワサがイタリアでは一般的であった)。そしてベイガの思惑の中には、シーズン途中から入ってきたデブー兄弟の高額な年俸のことがあった。彼らの年俸は今ではほとんどフィーゴと同じかそれ以上のものであったようだ。したがって、バランスを大切にするヌニェスにとっても、今回の「年俸値上げ要求」は(ラッチオへの移籍話しなどほとんど信じていなかった)少しは納得のいくものであったといえる。

リーグ優勝を決めた翌日、フィーゴは非常に満足した顔でカンプノウの会長室を後にした。彼の年俸はネットで4億5千万ペセタ、契約期限は2004年まで、移籍料は100億であった。これは事実上彼にとって「バルサで引退」という契約であった。2004年には32歳、しかも移籍料が100億。「バルサが僕を追い出すまで、ここにいるだろう」という彼の発言が本心からのものだったかどうかは誰も知らない。ただ唯一明らかなことは「永遠のバルサ・フィーゴ」がこれからたった1年後に崩壊することだ。

2000年5月21日、マドリのスポーツ紙ASが「ルイス・フィーゴ、レアル・マドリへ!」というスクープを載せる。


MUND DEPORTIVO紙発行 「TODA LA VERDAD DEL CASO FIGO」から適当に抜粋し、訳しています