フィーゴの真実 [ゲッゲッ!]
(2001/4/29)

フロレンティーノは、この爆弾「契約」を発表する時期を慎重に選んでいた。最大のインパクトを与えるためには、投票日直前がいいだろう。その方が、この爆弾を早く日の目に当てるより効果がある。しかも時期を間違えれば、バルサの対応も心配しなければならない。

・7月5日
どこからもれたのか、契約を交わしてからわずか4日後にこの爆弾が日の目を見ることになってしまう。マドリの一般紙「ラ・ラソン」がこの契約についての暴露記事を発表する。この日のラジオ、テレビ番組はそろってこのニュースを紹介する。もちろん翌日のスポーツ新聞の一面記事は、この爆弾についてであった。

ヌニェスは腰を抜かしていた。「そんなことが本当にあり得るのか?フィーゴの移籍料は100億ペセタではないか!」。彼が最初にしたことはベイガに電話したことだった。
「あの報道を否定する、公式表明をして欲しい」
だがベイガは否定するどころか、フロレンティーノとの交渉を認める。ビックリしたのはヌニェスだけではない。2人の有力な会長候補、ガスパーとバサットも腰を抜かしていた。「キャプテンマークまで付けているが男が・・・」「一体フィーゴはどこまで行くのか?」「なぜバルサの会長が決まるまで待てないのか?」だが逡巡している場合ではない。

バサットはチキ・ベルギンスタインを使者としてフィーゴのもとに送っている。チキは弁護士を同伴していた。目的は単にフィーゴの説明を聞くだけではなく、バサットの用意した契約書にサインさせるためであった。その契約書には「バサットが会長選挙に勝った場合」において「契約期間を5年」とし「初年の年俸をネットで8億ペセタ、最後の年は12億ペセタとする」というものであった。フィーゴはこの内容に納得したという。だが彼の連絡で駆けつけてきたベイガが「お前はサインすべきではない」として契約には至らなかった。だが最後に「我々はフロレンティーノとの約束を無効にするための努力をする」と結んだ。チキはベイガ、フィーゴと別れる際、「フィーゴは間違いなくマドリに行くだろう」と思ったという。

一方ガスパーが最初にしたことは、ベイガにファックスを送ったことであった。それには、フロレンティーノが提示する同じ金額を我々も提供するというものだ。だがベイガは正式な書類を提出して欲しいという。そんなおり、「エスポーツ」の記者でありフィーゴの親友でもあるトニー・フリエットスが、フィーゴの独占インタビュー取材のため彼に会いに行くということを聞き、トニーに密かにその書類が入っている封筒を渡した。実はその封筒の中には、もう一枚のガスパー署名の手紙が入っていた。それには「フロレンティーノと交わした契約書によって生じるトラブルに関し、あらゆる努力を払って対処することを約束する」というものであった。なぜならガスパーはあの契約書にフィーゴのサインがないということを知っていたからだ。当事者のサインがない契約書は無効であるという確かな読みがあったと思われる。フィーゴは今でもこの手紙を持っているという。ある週刊誌がこの手紙を2千万ペセタで買収しようとしたが、彼は売らなかったという。

ベイガとフィーゴはついに欲しいものを手に入れた。ガスパーが勝とうがバサットが勝とうが、同じものを得られる。フロレンティーノが勝ったら? いや選挙に勝つわけがない。ロレンソ・サンツは会長就任中、2回もチャンピオンズリーグで優勝しているではないか。しかしバルセロナで早くも広がりつつある、アンチ・フィーゴの影響が心配ではある。フィーゴとしては何としてもフロレンティーノとの約束を公的に否定しておかなければならない。

・7月9日
フィーゴ独占インタビューが「エスポーツ」紙に掲載された。
「すべてのソシオ、シンパ、そしてバルサファンのみなさん、私ルイス・フィーゴは、新シーズンの始まる7月24日、カンプノウにいるでしょう。そしてどんなウワサが流れていようとも、私はバルサとの契約をまっとうするでしょう」

こんど腰を抜かしたのはフロレンティーノだった。「フィーゴは何を考えているのか?」そんな思いだったのだろう。フロレンティーノはベイガとの間で交わされた契約書の合法性に関して、彼の法律顧問と何回か検討している。結論は「非常に弱い」ものだった。やはり当事者のサインがどうしても必要だ。そして同時に、フィーゴとバルサにプレッシャーをかけるための行動が、選挙日が近づいた今、どうしても必要だと思った。

・7月12日
フロレンティーノは記者会見を招集する。
「もし私が会長に選ばれ、そしてフィーゴがマドリに来なかったら、すべてのマドリソシオの1年間の会費を、私が支払いましょう」
なぜ彼はこんなことが言えたのか。それは簡単なことだ。もしベイガ側が約束を反故すれば、違約金として50億払わなければならない。その資金でソシオ年会費がまかなえる。もちろんベイガには50億の支払い能力はないだろう。そうするとバルサが肩代わりすることになり、バルサの資金でソシオ年会費がまかなえることになる。それはそれで痛快なことではないか。そしてそれは、フィーゴのサインがあれば完璧になる。フロレンティーノはフトレを通じてフィーゴにプレッシャーをかけることにした。

フトレと会合した後、ベイガはフィーゴがバケーションを送っているセルダーニャにいる。
「いいかフィーゴ、サインしなきゃならないんだ君は。そうじゃないと俺は刑務所に行かなければならない」
フィーゴはこの時ガスパーに電話して相談している。
「ガスパー、俺はどうすればいい?」
「決してサインするな! サインがない契約書だったらどうにかなるんだから!」

・7月14日
マドリの会長選挙まであと2日というところで、フィーゴは再びカメレオンぶりを発揮する。「エスポーツ」紙の記事が語る。
「フロレンティーノが勝とうが負けようが僕はマドリには行かない。これが僕の現在、そして将来のユニフォームだ」と言って、着ていたアスールグラーナを指した。

・7月16日
フロレンティーノがレアル・マドリの会長に選出された。

・7月18日
この日、フィーゴ初めてが契約書にサインすることになる。

彼がなぜサインしてしまったのか。この本では触れていない。多分、読者が勝手に思うままに想像しろということなのか、あるいは著者にも理解しかねることだったからかも知れない。フロレンティーノやベイガによる想像を超えるプレッシャーがあったのか、はたまた彼の予定の行動であったのか。いずれにしても「悪魔に魂を売った」男のことだ、具体的な資料がでてこない限りわからない。ちなみにフロレンティーノは9月5日のマドリ系ラジオ番組で次のように「フィーゴ作戦」を説明している。
「フィーゴには5億ペセタの特別報償が渡された。また、彼の代理人ベイガには6億5千万、そしてフトレを始めとする何人かの協力者に約2億ペセタが必要だった」

・7月23日
バルサの会長にガスパーが選ばれた。この日の夜中の3時、フィーゴからの電話がガスパーにかかってきた。
「今、僕はマドリ行きの航空券とバルセロナ行きのと両方持っている。もし、バルサが50億の違約金を保証してくれるなら、僕はフロレンティーノとの約束を反故する用意があるんだが・・・」
「バルサはマドリソシオのために払う金は一銭もない」

ルイス・フィーゴがレアル・マドリの新たな選手として記者会見がおこなわれた。
「マドリから話しがあった最初の瞬間から、来シーズンはマドリでプレーするという確信がありました。私は今、本当に幸せです」

お・わ・り

MUND DEPORTIVO紙発行 「TODA LA VERDAD DEL CASO FIGO」から適当に抜粋し、訳しています