サビオラの手紙
(2001/6/21)

リーベルファンへのサビオラからの公開状


ファンの皆様へ

今年の5月3日(注・5月31日の間違えでは?)アトレティコ・リーベル・プレートとバルサの間で私の移籍に関する交渉がもたれました。その交渉にはリーベルからダビッ・ピンタード、アルフレッド・ダビセ、アリアス、そしてクラブの弁護士であるエヅアルド・ガレアーノ、バルサ側からはクラブ副会長フランシスコ・クロッサ、クラブ弁護士レオパルド・インフォス・ガルシアが出席しました。また私の代理人であるデアルアルフレッド・カブレラ・ブリズエラも同席しました。

交渉の目的は、私サビオラが歴史的に権威のあるバルセロナのクラブへの移籍を実現させたいという趣旨の下に、両クラブが経済的な同意を得るためのものでした。そしてこの交渉で決められた事は、6月18日まではあくまでも「秘密の合意」とし、決して外部には発表しないという、条件付きのものでありました。それはひとえにリーベルのファンの気持ちを逆なでしないという意味と、アンダー20のワールドカップが控えていたからです。

ファンの皆様にどうしても理解して欲しい事があります。実は、私の家族はいま重要な問題を抱えています。というのは、父の健康状態が非常に悪いということです。私の一番の希望は、父に世界最高の医師の下で治療を与えてやりたいということです。父の病気をほおっておいて、なにゆえプレーに専念することができるでしょうか。私には不可能なことです。

私は9才の時からリーベルでプレーしてきました。今までの自分の人生の半分以上をクラブのために、そして自分のために費やしてきました。そして2年半前から私はリーベルの一部でプレーすることができました。120試合プレーし、幸運にも58ゴールを決めることができました。しかし、もしファンの方々が自分のプレーに満足できなかった試合があったとしたら、この場を借りて謝りたいと思います。

バルサのオファーは、移籍料としてリーベルに2千2百万ドル。コミッション、税金などを含めると2千7百万ドルという、アルゼンチンフットボール史上類をみない金額となります。そしてもちろん、私の家族にとっても重要なものであることは間違いありません。

私はすべてのリーベルファンの方に感謝しています。いつも暖かく声援してくれたからこそ、自分の持っているすべての力をだせてきました。

1998年12月10日、私が16才の時にクラブとの初めてプロ契約を結びました。契約期間は3年でした。つまり1999年1月1日から2002年6月30日までの3年契約です。

バルサが私に提供してくれる年俸は2百万ドルです。

ファンの皆に知って欲しいことがあります。リーベルはこの2年半の間、1シーズンに決められた私への報奨金である25万ドルさえ、未だに支払いをしてくれていないということです。ただし、私はクラブの経済事情を考え、今まで一度としてクラブ会長に請求したことはありませんでした。

今、私に人生最大のチャンスがきています。このチャンスを逃すようなことは何としてもしたくありません。自分の夢が叶う絶好のチャンスだからです。

今までクラブは今回の私の場合を除いて、すべての選手に対し移籍に反対してきたことはありませんでした。そしてクラブが私に提供してくる経済的保証というものは、バルサのそれとは比べものにならないほど低いものでした。私は、今クラブに要求したいと思います。私の移籍問題を、決してクラブ会長選挙などという政治問題として扱わないで欲しい。ファンを騙さないで欲しい。そして私の人間的要求を認めて欲しい、ということです。

サビオラさえいれば来シーズン優勝できるというデマゴギーは、毎試合一生懸命試合にのぞんでいる私のすべての同僚に対する侮辱行為だと思います。私はどこにでもある家族の一員であり、たんなるフットボール選手の一人にすぎません。唯一の望みは、家族と共に幸せな日々を過ごすことです。もしクラブが私の移籍に同意しないのであれば、私に対する経済的な問題の解決をまずするべきだと思います。

今まで書いてきたこととは別に一つお知らせすることがあります。私の移籍が実現するかしないかに関わらず、私の両親は近いうちにバルセロナへ向かいます。父の治療をバルセロナでおこなうためです。
「自分の両親が遠く離れた国で治療を受けているというのに、プレーに集中することが可能だろうか?」私は自分自身に問いかけています。

完全な幸せなど存在しないことは十分知っているつもりです。でも幸せへの希望と努力は常に存在しています。
クラブの責任者の方、そしてすべてのリーベルファンの方におねがいします。私の夢と希望を壊さないで欲しい、と。

       2001年6月20日

       ハビエル・ペドロ・サビオラ


チキートコーナー 01-02