カピタン・セルジ、過去と将来を語る
(2001/8/7)

セルジ・バルファン、バルサ1部で8シーズンプレー。356試合に出場し11ゴールを決めている。21歳でデビュー。1999年バルサとは終身契約(1年ごとの延長契約)を結んでいる。グアルディオーラが抜けた今シーズンからキャプテン。ちなみにキャプテン構成は2番目がルイス・エンリケ、そしてアベラルド、デブー、最後にコクーと決まっている。

昨シーズンのバルサは試合内容といい、試合結果といい、すべて惨めでしたが、お元気ですか?

俺が誰だか知っている? 俺は生まれついてのバルセロニスタだよ。俺の周りに、前回のシーズンで満足して元気にしているヤツなんか一人もいるわけがない。今は現役のバルサ選手としてやっているけれど、俺にとってバルサというクラブはすべての上に存在しているんだ。選手としても、一ファンとしても地獄のような1年だった。本当だよ。でも元気だけどね。ハッハッハッハ。

それはよかった。でもひどいシーズンでした。

ひどい? ひどいなんてもんじゃないね。最悪だよ。ファンから見れば結果そのものにショックを受けるだけだろうけれど、俺は選手として、またバルセロニスタとして2倍のショックだよね。何たって、俺はフットボール選手になる前からバルセロニスタだったんだから。

じゃあ、この夏は冴えない夏だったんでしょうか。

そう思う? それがそうじゃないんだな。だって俺は結婚したんだもの。すごい美人の奥さんと。二人でカリブ海にも行ったし、何もかも忘れて体を休めることもできたし。そう、そういう意味では楽しい夏だったなあ。

カリブの海にまで、移籍選手に関するコミッションがどうのこうのという否定的なニュースも入ってきましたか?

コミッション? ああ、ジェオバンニがどうのこうのっつうヤツね。聞いてるよ、その話しは。だけど細かくは知らないから、コメントすることはできない。ただ唯一言えることは、クラブそのものがうまくいってないときはそういうウワサがでてもおかしくないんだよね。チームの成績が良かったり、首脳陣内部が安定していさえすれば、そういう話しは一切メディアにでない。

首脳陣内部が安定していれば、ということで思いだしましたが、グアルディオーラがいつだったか「バルサはデカイ、でかすぎるクラブだと思うことがある。そのでかさを証明しているのが、バルサが負ける事を望んでるファンもいるということだよ」と言ったことがあるんですが。それだけ内部に敵も多いということですか?

敵が多い? 俺はそうは思わないけれど、もしそうペップが言うんだったらそうなのかも知れない。ペップはいつも正しいことを言うからね。でも俺が思うに「負ける事を望んでる」というんじゃなくて「負けてもどうでもいいや」という昨シーズンの後半みたいな雰囲気のことじゃないのかな、言いたいことは。もしそうだとすれば、それは俺たち選手の責任さ。そういう状況を作ってしまったのは俺たちなんだからね。クラブがどうのこうの、首脳陣内部がどうのこうのという話しとはちょっと違う。俺は生まれついてのバルセロニスタだからね。

生まれついてのバルセロニスタとして昨シーズンの、いわゆるクラブを取り巻く環境というのはどうだったんでしょう?

それはもちろんクラブを取り巻くすべての関係者は、バルサがうまくいくことを望んでいたんだと信じている。内部から批判があったとしても、それはうまくいっていないことを改善するための提案であったり、こうしちゃあいけないという提案であったと思うんだ。ただ監督に関しては可愛そうな環境だった。シーズンが始まった瞬間から、交代要員の監督は誰々だとか、そういう話しがメディアに出過ぎていたことは事実だと思う。もしこんな状況が今年も生まれたら、どうしようもない。バルセロニスタの俺が思うに、クラブにはもっと冷静さが必要だし、つまるところバルサはすべてのバルセロニスタのものであるし、すべてのバルセロニスタがバルサをさらにでかくしていかなければならないんだよね。

レシャックを信じますか?

信じる? 選手にとって監督はすべてを超えたところにあるんだ。レシャックは俺の監督だし、彼の言うことにはすべて服従する。ファン・ハールが監督だったときでもそうしたようにね。この関係に関しては例外はないんだ。俺はバルサの選手であり、プロの選手であり、おまけにバルセロニスタでもある。監督が「お前は今日は観客席だ」と言えば、俺は観客席にいく。

観客席と言えば、昨シーズンはセルジに対してブーイングが目立った年でもありましたが。

ブーイング? そりゃあ、当たり前だろう。俺は調子が良くなかったし、へまもやった試合もいくつかあった。いいかい、俺はバルセロニスタなんだ。彼らの主張はいつも正しい。俺が観客席にいてもブーイングしたかも知れない。バルセロニスタはいつも正しいんだ。だけどね、俺が生まれつきバルセロニスタというのはウソなんだ。本当は、生まれる前からバルセロニスタなんだ。知ってた?

93年3月20日
ヨハンがバレンシア戦を前にして初めてベンチ入りをさしてくれた日。移動のバスの中ではペップにくっついて離れなかった。

93年11月24日
忘れられない日。いきなりのデビューがチャンピオンズ戦のガラタサライだった。みんな暖かく迎えたくれたことをよく覚えている。

94年1月8日
マドリに勝ったこと、そしてそれが5−0だったこと。ロマリオのゴールが忘れられない。
94年3月19日
アテネで起きたことは一生忘れられないだろう。自分たちが自分たちでないようだった。観客席にいたバルサファンが泣いていたのが今でも目に焼き付いている。

96年5月18日
ガスパーが我々のいたジムにやって来たんだ。「クライフが解任になった」。俺は信じられなかった。だって彼は俺の生涯の監督だと思っていたから。