帰ってきたアベラルド
(2001/10/23)

「どうですかって? うん、どうですかっていわれてもなあ・・・」

10月8日、アベラルドはカンプノウの記者会見席に座っていた。8か月ぶりの練習に参加したこの日は、彼にとってやっと長いトンネルから抜け出ることができた記念すべき日であった。バルサ守備陣の要であったアベラルド、31歳。久しぶりに記者達に囲まれての午後のひととき。

彼は頭に手を伸ばしながら、その挨拶とも質問ともとれる「どうですか?」に答えようとしていた。
「そうね、見ての通り髪の毛がますます少なくなってきたというとこかな」
彼一流のジョークが久しぶりに聞かれた。さらに「記者会見場がどこにあるかさえ忘れてしまって、職員の人たちに教わってやっとここにたどり着いたんだ」

アベラルドは今年の2月28日にバーミンガムでおこなわれた、セレクションの試合で負傷する。それはフットボール選手に予想される最悪のタイプの負傷だった。彼はこの試合の2週間前にも同じ箇所の負傷をしていた。そしてこの日に同じ箇所への痛みを感じる。自分で自分の足をコントロールできないことを悟ったアベラルドは、ベンチに向かって交代を要請していた。彼はほとんどパニック状態に陥っていたという。
「これはやばいんじゃないか?」

それから2週間後、8か月間続くことになる長いトンネルの入り口に入ろうとしていた。左ヒザの大手術であった。この日から、今まで過ごしてきたフットボール世界の日常生活から離れた、非日常生活に入ることになる。

手術から2週間後、彼は松葉杖を使う身になったいた。それはがまんできる。辛いのは3週間にわたって毎日続く、ある作業だった。それは手術した箇所に10時間近くもの間、機械を利用して刺激を与える作業であった。1日10時間、3週間にわたっておこなわれた作業である。

「リハビリは何をしても辛い作業だった。回復の状態が一日一日良くなってくるというものではないし、ゆっくりゆっくりという感じだからね。ひたすら忍耐の世界だよ。それも退屈きわまりない毎日。いつも一人での作業だし、仲間は誰もいないんだから。」

このリハビリの最中、カンプノウでの試合は更衣室のテレビを通して観戦していたという。
「試合の日ぐらいは家から離れてグランドに来たいよね。俺はフットボール選手なんだから、こう見えても。なぜ観客席に行かないかって? 俺はガスパー会長よりも、さらに興奮しやすいたちだからね。きっと周りの人に迷惑かけてしまうだろうから。」

彼がリハビリに励んでいた期間中、バルサには大きな変化がいくつか起きていた。セラ・フェレールからレシャック監督への移行。グアルディオーラがいつの間にかバルサを去り、彼は第二番目のキャプテンとして存在していた。そして同じポジションに2人の加入選手、クリスタンバールとアンデルソンが来ていた。また、セレクションはワールドカップへの参加を決めていた。

3か月間にわたって毎日つづいたジム通いが辛かったり退屈であったりということはあっても、焦りはなかったという。午前と午後を利用してのジム内での6時間のリハビリ。それでも、いつかはグランドに戻れるという希望が心の支えとなってリハビリに耐える。
「女房のグラシエラや、娘のアイターナがいつも心の支えとなっていた。チームの移動にもついていかないし、まるでサラリーマンみたいに決まった時間には家に帰る。そうすると女房と娘が家で待っててくれる。こんな生活はほとんどしたことなかったから不思議な感じだったけれど、そのうち慣れてくるもんだ」

アベラルドは、実は8月の末にすでにカンプノウで走り込みの練習を始めていた。彼は多くは語らないが、コーチの用意した練習プログラムがリハビリ状態のそれに合わなかったようだ。健康だった右足に負担がかかりすぎて、その負担をとるために1か月以上のリハビリが再び必要になってしまった。でもそんなことは、もう過ぎたことだという。トンネルの出口がやっと見えてきたのだ。フットボールさえできるようになれば、過去や将来のこともそれほど重要な問題とは思えなくなった。

現在バルサでプレーしている選手の中では、クライフ時代に来た最後の選手となっているアベラルド。もう8年間もバルサに在籍していることになる。だが、彼は来年の6月に契約切れとなる。ワールドカップに呼ばれるかどうかもわからない。しかしそんなことは彼にとって、遙か彼方にある将来のことに思える。

「来年のことは神のみぞ知るってとこだな。もちろん延長契約がうまくいって、ワールドカップに呼ばれたら最高だけど」

そんなアベラルドが、トンネルの出口から密かに狙いを定めているものがある。それは11月4日のマドリ戦だ。この試合までには少なくても間に合うように着々と準備を進めて来たと言う。今から2週間足らずでおこなわれるクラシコ戦。ベルナベウでのマドリ戦でプレーすること。このことによって自分がフットボール選手であったということを再認識する場となればいい。そしてもし試合に勝つようなことがあれば、8か月間にわたったリハビリの苦労を忘れることのできる最高のご褒美だ。


EL PAIS 2001.10.20
ANGELS PINOL(訳・カピタン)