続・クライフ「フットボールが好き」
(2002/4/6)

若くて才能があり、いきのいい選手は必ずチームに貢献する。そして同時に若さからくる天真爛漫さや素直さ、大胆さ、想像力、生意気さ、これらの要素が他の選手たちにもいい影響を与えるものなんだ。


一般的に言って、監督を職業としている数多くの人たちの過ちのなかに、若い才能ある選手をいつまでも下のカテゴリーでプレーさせるということがある。選手を評価する際に大事なことは、その才能であって決して年齢ではないんだ。

例えばある12才の少年が、同じ年齢の少年たちのカテゴリーに属しているとしよう。だがその少年は、他の少年たちを非常に上まわっているテクニックを持っている。もしそうならば、この少年は年齢にこだわらず、上のカテゴリーに上げるべきだ。そのことによって、さらにテクニック的に改良されるだけではなくフットボールに対しての刺激にもなる。今まで好き勝手にやってこれたのが、上のカテゴリーにいくことによってそれができなくなる。そうすると向上心がでてくる。つまるところ彼にとって他の選手から学ぶことが再び登場することになる。

私の少年時代の経験から言っても、これは確かなことだと思う。私ももちろん同じ年代の少年たちのカテゴリーでプレーしていた頃がある。自分の好き勝手なことがやれるので有頂天になっていた私は、ボールが自分のところにくると一人抜き、二人抜き、あげくの果てには五人六人も抜いてシュートしていたんだ。すると監督がよってきて忠告を始める。
「いいか、ヨハン、ドリブルで抜いていくだけではなく、パスすることを学ばなければならない」
でも私にしてみれば、ドリブルで抜いていくことができて得点できるのだから、なにゆえパスしなければいけないのか理解できない。だがある日、突然上のカテゴリーに上げられた。私はいつものように、ドリブルで一人抜き二人抜き、そして三人抜こうとしたら見事にボールをとられてしまった。そういうことが何回も続いたんだ。そこで初めて気がついた。そうか、とられそうになったらパスを出せばいいのか。前の監督が言ったのはこういうことだったのか。

残念ながら今の時代では少年ペレがワールドカップに初出場したような、彼と同じような若さでデビューするのは不可能なことだろう。才能があり実力があるのなら、年齢に関わらずフットボール界の最前戦でプレーすべきだと思う。だが現実はいろいろなことが障害となって、そういうことができないでいる。特にスペインなどのように外国人選手が多くプレーするところでは年々難しくなってきている。若い選手を一線の舞台に登場させることによる「結果」や「責任」を誰もとりたくないということもあるだろう。それはクラブ首脳陣やコーチ陣、ファンやマスコミも決して無縁とはいえない。

個人的に言わせてもらえば、若い新鮮な選手がグランドに登場してくるのを見るのが好きだ。新しい選手がどういうことをするかということに興味があると共に、若くて才能があり、いきのいい選手は必ずチームに貢献する。そして同時に天真爛漫さや素直さ、大胆さ、想像力、生意気さ、これらの要素が他の選手たちにもいい影響を与えるものなんだ。経験のなさから若い選手の起用を渋る監督がいる。だが経験は試合に出場しない限りできないものだという、単純なことを忘れている。

もしあなたが勇気ある監督で、才能ある若手を試合にデビューさせたとしよう。だが決してその若者に試合のプレッシャーを感じさせてはならない。試合の重要性からくる重圧感はすべてベテラン選手が引き受けなければならない。デビューしたばかりの彼らには、できることを好きなようにやらせればいい。だが同時に肝心なことを忘れてはならないだろう。それは決して急がずに、時間を徐々に徐々に与えて雰囲気に慣らせていくことを。

私がバルサの監督をしているときにイバン・デ・ラ・ペーニャという素晴らしい若者がいた。私は彼をバルサBから1部のチームにあげたんだが、継続して使うことはしなかった。私はイバンが「すり切れ」てしまうことを恐れたからだ。それをマスコミが取り上げて、私のことをもっとイバンにチャンスをあげるべきだという批判があった。その批判は私が監督を辞める最後の年まで続くことになる。

イバンは並外れた例外的な選手だった。見た目に派手な、スペクタクルなパスを出す選手だったがゆえ、マスコミを筆頭に、クラブ首脳陣、バルセロニスタ、すべてのカタルーニャのバルサに関心を示す部分が彼に異常なほどの期待をしてしまった。彼がボールに触るすべての瞬間、パスをだすすべての瞬間、彼の並外れたプレーを期待した。彼もその期待に応えようと、自分の可能性以上のことをやろうとしていた。だがいかに並外れた例外的な選手とはいえ、1試合で10本のスペクタクルなパスを出すことは不可能だ。せいぜい3回か4回の素晴らしいパスが出せれば合格というものだろう。

我々が彼にしようとしたことは、彼を保護することだった。マスコミから、クラブ首脳陣から、バルセロニスタから、すべてから保護することだった。そして同時に、他の部分での才能を磨いていくこと。したがって我々は、ある時はバルサBで、ある時はベンチで、そしてある時はスタメンで出場させるようにした。時間をかけて少しずつ雰囲気に慣れさせようとしたのだ。だが彼の悲劇は、デビューと共に多くの人々が不可能な事を期待してしまったことだろう。すべてのアクション、すべてのパスがまるで「歴史に残る」ものであるようなものを期待してしまった。イバンにはその期待感がもちろん伝わっている。その期待感の応えようという気持ちが、やがてイバンの多くのミスを誘うことになる。

その後のことは想像すれば理解できるものだ。人々は期待通りにいかない選手にやがて批判を加えることになる。選手間にも亀裂が生じてくる。彼にはボールをわたさないようにした選手がでてきたとしても不思議ではない。そして監督が変わるに従い、いつのまにやら彼を使わなくなりベンチに置く。そして何試合か後には試合にも召集しなくなる。悲しい話だ。実に悲しい話だと思う。イバンはデビューした時はまだ18才だったのだ。

イバンの話しがでたので同じぐらいの年にデビューしているサビオラのことも触れておこう。誰もが知っているように彼は素晴らしい選手だと思う。だがまだ19才ということも忘れないでおこう。それの意味することは何か。つまりまだ勉強中だということだ。私は普通の選手は26才ぐらいまでが勉強期間だと思っている。だがサビオラは普通の選手ではない。23才ぐらいまでにほぼ完成されそうな選手だ。だがそれでも、まだ彼には4年も残っている。サビオラがすべての試合にスタメン出場し、もしバルサが3試合続けて負けるようなことがあったら彼に対するプレッシャーは非常に大きいものになる。「すり切れる」ことだって起こりかねない。私は、多くの若き才能ある選手がプレッシャーでつぶれさるのを目の当たりにしてきた。だから大事に使って欲しいと思う。

彼はかなり早い時期にリーベルというプレッシャーの大きいクラブでデビューを飾っているためか、精神的な準備はかなりされている印象がある。それは彼にとって大きな財産だ。若くて才能にあふれていて、やがてクラックと呼ばれる選手になるための大きな財産だ。私はサビオラとアイマールに、将来の大きなクラックを見る。


JOHAN CRUYFF
[ ME GUSUTA EL FUTBOL ]