バンガール、オランダにおける前例
(2002/5/10)

Gerrit Jan Hoek というオランダ人ジャーナリストがいる。彼はDe Telegraaf という社のスペイン特派員として長いことバルセロナに住んでいる人だ。カステジャーノはもちろんカタランも理解するほどの人物で、バルサに関する情報をオランダを中心に各国に送っている。バンガールがバルサにいたころ、記者会見席で不愉快な質問をしたということで「お前はオランダへ帰れ!」とバンガールに怒鳴られたことは有名な話し。その彼が再びバルサに戻ってくることになるであろうバンガールについて興味深いことを書いている。

忙しい日常生活に追われる人々にとって、過去の嫌な思い出や苦々しい時期を送った頃のことは時間の経過と共に自然と忘れ去られていく。したがって、そう、多くのメディアが伝えるバンガールの復帰の可能性が見られる今こそ、彼にまつわる過去のことを思い出してみるのもいいかも知れない。バルサを追われてから、彼の夢だったオランダ代表監督での決して成功とはいえなかった頃までのことを思い出すのも悪いことではないだろう。

ここ何日かのカタルーニャにおけるスポーツジャーナリズムは異様とも思えるほどの「バンガール復帰の可能性」を列挙し、しかもそれを正当化しようとしている。わずか2、3年前に裏口からこそこそと出ていくように去っていったバンガールのバルサへの復帰を正当化しようとしているのだ。もっとも裏口から出ていったと思っているのはバルセロニスタだけで、当人は勝利の凱旋気分で表玄関から去っていったと思っているのだろうが。

カタルーニャメディアが伝えるもの、それは彼の最初の2年間の大成功を根拠とし、スター選手たちを統制するその能力を評価し、彼の1日24時間にわたっての精力的な仕事への打ち込み態度を評価し、バルサ内に事情に詳しいことを評価し、そして何よりも毎試合カンプノウに足を運ぶ熱心なバルセロニスタの一人として評価していることがあげられる。またバンガールは、クラブ予算が許す限りの補強選手獲得しか要求していないと伝えられるところから、クラブ首脳陣にとっても大きな経済的損失が避けられる可能性があるという。しかしそれは当然のことであろう。現在のバルサの選手を見てみれば、いまだに多くのバンガール時代の選手が残っているのだ。しかもリバルドやクライハート、セルジ、アベラルドなどを移籍させることにより、新たな補強選手獲得資金にまわすこともできる。そして多くのメディアが同時に伝える彼の復帰の危険性、それは言わずもがなの彼の持つ強烈な個性、つまり具体的に言えば、誰に対してもとる高慢な態度や自信過剰からくる横柄な態度、そしてもちろんジャーナリストとの対立問題だ。いまさら多くのバルセロニスタとの対立問題は言うに及ぶまい。

だがそんな問題は今回は不要な心配になるだろうと語るコメンタリスタも登場してきている。あれから2年以上もたち、バンガールもオランダ代表での失敗を経験し性格的にも丸くなっているだろうし、ガスパー会長との話し合いで「もう少し人当たりをよくするように」という忠告さえあったという。だがそんなことが本当に現実的に可能かどうか、思わず疑問を抱いてしまうのは私だけではないだろう。

すでにアヤックス時代やバルサ時代のバンガールのおこないに通じていたオランダフットボール協会。その協会の責任者が彼を代表監督に任命するときにいくつかの条件をバンガールに要求している。その中の一つに、かつて個人的な衝突があったジャーナリストに対しても公平に接すること。なぜならオランダ代表監督という職は言ってみてば国の使節みたいなものであるから、どこに行こうがそれらしく振る舞わなければならないというもっともな理由からであった。もちろんバンガールはこの条件を「問題ない」という一言で約束した。私を含め多くのジャーナリストや、もちろんオランダフットボール協会の人々もこの言葉を信じた。だが、彼はやはりバンガールだったのだ。

オランダ代表監督辞任発表記者会見がおこなわれた。各国ジャーナリストやカメラマン総計150人というオランダフットボール史上初めてといっていいほどの人数を収容した記者会見場。彼はこの場で壮絶な批判をおこなう。批判対象となったのは、NOSというオランダテレビ局の関係者だった。彼の今回の辞任騒ぎはいっさい彼らの責任にあると執拗に彼らを非難した。その場に同席したオランダフットボール協会会長が「もう少し冷静に!」と小さい声で忠告するほどの、常軌を逸した記者会見となった。これは何も2年も3年も前のことではない。つい半年前ぐらいに起こったことだ。だから私は考えてしまう。カタルーニャメディアの中に登場するコメンタリスタが考えるように、本当に彼が変わることなど可能なのかと。

このことばかりではない。彼の変化の可能性を疑いたくなる基本的な要素がある。人がそれまでやってきたことを訂正するためには、過去おこなってきたことに対する深い検討能力と、自己批判の精神が必要なのは言うまでもないだろう。残念ながら、それはバンガールにとってもっとも欠けている能力の一つとなっている。

Voetbal International というオランダの週刊誌に掲載された彼のコメントを覗いてみればそれは一目瞭然だ。彼がバルサを出たときの事情を語っている。そこで彼が語っていることは、彼の辞任は「陰謀」によるものだったと言っているのだ。試合結果が悪かったからの辞任ではなく、ましてカンプノウでの度重なる白ハンカチのせいでもなく、そして彼に嫌気をさしていた選手たちのせいでもなく、彼の辞任の原因となったのはバルセロナに送られている二人のオランダ人特派員のせいだと語る。名誉なことにその二人のうちの一人は私であった。
「この二人によってバルセロナで書かれた私に関する記事がそのままオランダメディアへと流れる仕組みになっていた。彼らはもちろん私の友人ではない。それどころか敵でさえある。彼らの悪意に満ちたコメントから私は自分や家族を守らなければならなかった。」

オランダ国内で「惨事」と呼ばれた出来事、つまりオランダ代表がワールドカップ参加を不可能にしたときにも同じようなことが起きている。彼はそのいっさいの責任を「選手たちの精神的なもろさ」として語っているのだ。ここでは彼の自慢する「フィロソフィー」の敗北についてはいっさい触れられてもいないし失敗の原因ともされていない。監督の命令のもとにロボットのように動きまわらなければならない選手たち。才能ある各選手たちの創造性も喜びもここでは無視される。もしインテリジェンスにあふれる監督であるならば各選手の持ち味と才能とを事前に把握した上で、自分のフィロソフィーに合わせた作戦を駆使していかなければならない。もちろんすべての選手を同じように扱うことも忘れてはいけない。

だがバンガールの選手に対する態度は、かつてのバルサ時代の選手に対してと他の選手とでは明らかに違うものだった。それが表面化したのはワールドカップ参加が不可能となった後のデンマーク代表との親善試合だった。

マンチェスターで活躍するバン・ニーステルロイは、バンガールがおこなう練習内容が気に入らなかった。1mも離れていないところから大声で怒鳴るその態度も気にくわなかった。デンマーク戦を前にして彼はバンガールと対立してしまう。結局彼はベンチに座らせられることになる。その彼の代わりにプレーした選手はクライハートだった。試合前からデンマーク女性とのスキャンダルでメディアを騒がせていたクライハート(このスキャンダルはその後デンマーク女性たちとのパーティなど存在しなかったことが証明されるが、彼は合宿中に行くことを禁止されていたディスコに行っていた)がスタメンで起用された。

バン・ニーステルロイだけではなく多くの選手がこのことをきっかけにバンガールと対立することになる。これまでの彼に対する不満が一挙に爆発してしまった。このデンマーク戦により、バンガールと選手たちの決裂がはっきりした。バンガール辞任の直接のきっかけとなったのはこのデンマーク戦だった。

わずか2年前にバルサを去るときにおこなった記者会見。今では歴史的な記者会見としてバルサというクラブに残ることになるその場で彼は有名なコメントを残している。もちろんなぜバルサを去るかという理由に関してだ。
「スペインは住む場所としては最高の国だ。だが働く場所ではない」
その言葉を2年前に残したバンガールが再びバルセロナに戻ってくる。


EL PAIS 2002/5/9
GERRIT JAN HOEK
(訳・カピタン 写真・ムンドデポルティーボ)