サビオラ、20歳の回想(上)
(2002/7/1)

今年(2002年)の4月23日、サンジョルディの日をを記念してエスポーツ社が発行した「サビオラ・小さな巨人」という本があります。約150ページ程度の本ですが、サビオラのこれまでの回想をエスポーツ記者が代筆して書かいたものです。その中から抜粋して(ということは若干編集して)漢字ひらがなにしてみました。上・中・下というように3回にわかれています。

そう、あれは1996年の出来事。リーベルはモヌメンタル・スタディアムでコパ・デ・リベルタドーレス(ヨーロッパでいうチャンピオンズリーグ)の決勝戦を戦っていた。僕はまだ14歳だったから、リーベルのカンテラとして少年部でプレーしているときだった。モヌメンタルにリーベルの選手が出てきたときはとにかく凄かった。これ以上は入りきれないというぐらいに満員になっている観客席、そこの至るところから黒い煙いが立ち上がったんだ。もう1メートル先も見えないぐらいだった。

この試合、僕は観客席じゃなくてゴール裏にいた。なぜかというとクラブからボール拾いに選ばれるという幸運に恵まれたから。しかもクレスポがゴールを入れたゴール裏にいたんだ。試合が始まって間もなくして、オルテガからのセンターリングをクレスポがヘッディングでいきなりゴールを決めた。リーベルにとってこれ以上はないラッキーはスタートだった。そして2点めもクレスポが入れて、アメリカ・デ・カリに2−0で勝利する本当に感動的な試合だった。

審判の試合終了の笛が吹かれたとき、気が付いたら僕は選手たちのいるセンターライン付近まで走っていた。もちろん選手たちと喜びを分かち合うためにね。もう自分が試合でプレーして優勝したような気分だった。選手一人一人と抱き合って優勝を祝いあったんだ。そしたらいつの間にかスタンドからもファンの人たちがグランドに流れ込んできて、アッという間にグランドは人の渦、渦、渦。選手たちは控え室に向かって全力疾走だし、それを追いかけるファンの人たち。もう最高の雰囲気。でもそのおかげで、優勝トロフィーの授賞式も中止になってしまったんだけど。後で聞いた話だけれど、フランチェスコリーに与えられた優勝記念メダルもファンの人に奪われてしまったらしい。

この年はリーベルにとって素晴らしい年だった。前期のリーグ戦でも優勝したんだからね。幸運なことにその優勝を決めた試合でもボール拾いに選ばれていたんだ。

あれは12月のベレスとの試合。マルセロ・サラスが2点を決めて優勝を決めた試合だった。グランドはやはり盛大なフィエスタ状態。この日はゴール裏ではなくてサイドにいたんだけれど、試合終了後は誰よりも早くグランドに突入したんだ。センターライン付近ではキーパーのブルゴスやクレスポ、アルメイダ、そしてオルテガとフランチェスコリなどが抱き合って喜んでいる。僕もその輪の中に入っていって大騒ぎさ。アイドル選手の中に入って一緒に優勝を祝えるなんてもう最高!

リーベルのカンテラにいる頃は、毎試合こうしてモヌメンタルに行っていた。運がいいときはボール拾いになれるし、そうじゃないときはスタンドで観戦。でもいつもすることは、アイドル選手の名前を叫び続けることさ。「エンゾー(フランチェスコリ)!」とか「オルーテーガー!」とかね。でもその時にはわずか2年後に「サービーオーラー!」なんて自分の名前が連呼されるなんて想像もできなかった。

僕のアイドルの一人だったフランチェスコリが引退試合をすることになったのが忘れもしない1999年8月1日。僕は1年前の8月にデビューしていた。

フランチェスコリは1983年にリーベルに来ている。僕がまだ2歳の頃。彼はまさにリーベルファンにとって超アイドルといっていい選手だ。クラブそのものと言っても言い過ぎではないと思う。その彼がついに引退することになった。モヌメンタルでおこなわれる試合はかつてリーベルに所属したことのある選手チームと、彼の母国であるウルグアイの代表的なクラブであるペニャロールとの試合。そして何と、僕もこの試合に招待されたんだ。しかも彼じきじきのご指名でね。このことは一生忘れないと思う。

感動的なステージだった。たくさんの花が飾られ生演奏用の楽隊が並び、貴賓席にはウルグアイとアルゼンチンの大統領、そしてもちろん観客席には大勢のフランチェスコリファンが陣取っている。マルセロ・サラスもギリギリになってヨーロッパから駆けつけてきた。リーベル側には30人近い選手が呼ばれこの試合に出場することになるんだけれど、僕は17歳で一番若い選手だった。ベンチスタートだったけれど後半には少しだけプレーチャンスを与えられた。

憧れのフランチェスコリと一緒にプレーができる!

そう思っただけで鳥肌が立ちそうだった。僕がもっとも尊敬してやまない選手フランチェスコリ。ワールドカップのポーランド戦でのオーバーヘッドキックのゴールはそれまで見たゴールの中でもっとも美しいものだった。彼のしゃべり方、歩き方、ジェスチャーの仕方、そしてもちろんプレーの仕方を知らないうちに真似しようとしている自分に気づいたのはいつ頃だっただろうか。そしてボール拾いをしている頃に、彼と一緒に写真をとってもらったことが何回あっただろうか。フランチェスコリ、オルテガと並んで僕にとっては忘れることのできない選手だ。

僕もリーベルの中で一丁前の選手として認められてきているとわかったのが、この引退試合の何か月後かの出来事だった。アルゼンチンの「オレー」という代表的なスポーツ新聞が、僕とフランチェスコリの対談記事を用意したんだ。あのフランチェスコリと対談! 僕は約束の時間に少し遅れるという失礼なことをしてしまった。英語の授業が長引いてしまってどうしても時間通りに新聞社に行けなかったんだ。彼はそれでもニコニコして僕を迎えてくれた。でもこの企画ははっきり言って失敗だったと思う。緊張してしまって何もしゃべらないうちに終わってしまったんだから。気を使ってくれたフランチェスコリが一人で語り続けて、僕は終始聞き役となった「対談」だった。


SAVIORA/Un Petit Gegant
Javier Saviora
Albert Masnou
COLECCION/SPORT
訳・カピタン