サビオラ、20歳の回想(下)
(2002/7/11)

今年(2002年)の4月23日、サンジョルディの日をを記念してエスポーツ社が発行した「サビオラ・小さな巨人」という本があります。約150ページ程度の本ですが、サビオラのこれまでの回想をエスポーツ記者が代筆して書かいたものです。その中から抜粋して(ということは若干編集して)漢字ひらがなにしてみました。上・中・下というように3回にわかれています。

やっとバルセロナに向かう日が来た。僕たち、そう、僕と僕のことをいろいろ面倒を見てくれるディエゴと二人でブエノスアイレスから飛行機に乗り込んだ。長い旅だったけれど一睡もできなかった。いろんなことを考えてしまう。バルセロナはどんな街だろう? クラブはどんな感じだろうか? 選手たちは? そうだ、リバルドってどんな感じの人だろうか? クライハート選手は? ファンの人たちは僕のことを知っているだろうか? 7番て誰がつけているんだろうか? そうだ、アイマールには会えるだろうか? バレンシアとバルセロナというのは遠いいのだろうか? 考えれば考えるほど答えの見つからない疑問が頭をよぎる。

それにしても驚いたことがある。クラブの人がイベリア航空のブエノスアイレス発マドリッド経由バルセロナのチケットを最初に送ってきた。ところがすぐに連絡してきて「そのチケットは誤りだから違うのを送り直す」ということだった。ディエゴに何が間違いだったのか聞いたんだ。そしたら何と言ったと思う?
「バルサの人たちは我々が降りる最初のスペインの街はバルセロナでなければならない、と考えているそうだ。マドリ経由なんかではダメで、他の航空会社のチケットを送ってくるそうだ。そしてチケットの名義もメディアに気づかれないように、母方の第二名字にしてあるそうだ。」

その瞬間、バルサというクラブはどこにでもあるクラブじゃないと思った。そして普通の常識では考えられないクラブだとも思った。ライバルのクラブがあるマドリッド経由を避けるなんて、ボカとリーベルの対抗意識は知っている自分にも理解できないことだった。そしてサビオラという名前のないチケット。いずれにしても僕たちは、ブリティッシュ航空を利用してロンドン経由バルセロナ行きということになった。

驚きはまだまだ続く。ロンドンからバルセロナに向かう飛行機を乗り換える待合室に、バルサの関係者がすでに我々を待ち受けていたんだ。チェミさんというクラブのメディア対策顧問の人だという。しかし、こんなことをすべての入団選手にするのだろうか? 間違いなくバルサというのはどでかいクラブなんだろうと思った。

バルセロナのエル・プラット空港に着いたら驚きはさらに大きいものとなる。大勢のカメラマンや飛行場出口にいる多くの人々はいったい誰を待っているのかしばらく理解できなかった。でも僕の代理人のアルフレッドがその中にいることを発見してから気が付いた。僕たちの到着を待っていたんだ!

クラブが用意してくれたホテルについてニュース画面を見てさらに驚いた。空港では緊張していたからわからなかったけれど、とにかく凄い人たちが僕らの到着をまっていたようだ。画面に写っているサビオラはファンにグシャグシャにされながら自動車に向かっている。そしてその脇にいるアルフレッドはニコニコしながら人混みを通って行っている。彼はもう何日か前からバルセロナに来ているから、人々がどういう反応を起こすか知っていたんだと思う。自分の顔が写っている画面を見ると、引きつっているのがよくわかった。

驚きはさらに続く。バルサの選手たちとついに会うことができる日だった。リバルドさんやクライハートさん、そして有名人ばかりの選手たち。彼らは絶対アルマーニとかベルサッチを着てくるのかと思っていた。ところが驚いたことにクライハートさんなんか半ズボンだよ! そしてサンダル履いてる! クライハートさんが目の前にいたんで挨拶しようと思ったんだけれど、スペイン語わかるだろうか? でも勇気を出して握手だけはしてみようと思ったんだ。そしたら彼の方から僕に抱きついてきて「オラー、コネッホ!」だって! 参ったな、参ったな、でもこれで緊張感がとれたんだ。凄いぞ、このクラブは!

”タハマタ”という愛称で選手たちに親しまれ、道具係をしているホセ・アントニオ・アバルスという人がいる。無口な人ですごい仕事熱心という感じの人。彼はもう長いことクラブにいてクラブの歴史の生き証人のようだ。カンプノウでの最初の練習の日に選手控え室に入ったとき、彼が僕を待っていてくれた。僕のロッカー場所を教えてくれるためだ。僕のロッカーはチャビの隣だという。そして僕のロッカーはグアルディオラが先シーズンまで使っていたものだという。そしてさらにマラドーナがバルサにいるときにも使っていたロッカーだと聞いて、思わず身体が硬直してしまったのを覚えている。あのマラドーナが使っていたロッカーを今自分が使うことになる。信じられない、信じられないことだった。アルゼンチンの英雄が使ったロッカーを今また同じアルゼンチン人の僕が使うことになるなんて。

バルセロナでの生活に慣れると共に、同時にアルゼンチンとの違いもはっきりしてきた。その変化は良い意味でも悪い意味でも非常に大きいものがあると思う。当然ながら、ここは僕たちにとっては初めての土地だ。慣れるのには当然ながら時間がかかる。もし父が生きていたならば、もっと簡単に順応できただろうと思う。それでも今ではカタルーニャという土地や、バルサというクラブにうまく順応できていると思っている。そしてこのような素晴らしい土地とクラブにいられることを本当に誇りに思う。

母とアルベルト、そしてディエゴと住んでいるサンクガットというところは本当に静かなところだ。アルゼンチンの我が家とは比べものにならないぐらい静かで落ち着いたところ。このバルセロナの我が家にしょっちゅうアルゼンチンから友達がやって来るようになった。カッチョがいない我が家にとって、僕と母にとってこれほど嬉しいことはない。そして今ではアルゼンチンの僕の部屋にあった多くの宝物も、このサンクガットの部屋に到着している。多くの宝物、それはマラドーナと一緒にとった写真やフランチェスコリーとの写真。そしてワールドカップアンダー20で優勝したときの思い出の品。でもそれだけじゃない、今では新たな宝物が生まれつつある。リバルドやクライハートと一緒の写真なんかそうだ。こうして多くの宝物が我が家に増えてくることを祈っている。


SAVIORA/Un Petit Gegant
Javier Saviora
Albert Masnou
COLECCION/SPORT
訳・カピタン