カマッチョ政権は、怒鳴りあいで終わった
(2002/7/17)

ワールドカップ関係、あるいは代表関係の話題はカタルーニャメディアではそれほど記事にはならない。したがって代表関係で面白い話題を探そうと思ったら、中央メディアの中から探り出さなければならない。奇しくも先週スペインメディアを騒がした、それも大騒ぎさせたスペイン代表関係の話題があった。そこで初めてかも知れない代表の話題を、からかいついでに一つ。

「ラウールのケガをどう思っているんだ! ケガしている選手までを引きずり出しても名誉が欲しいのか! えー、どう思っているんだ! 何とか言ったらどうだ!」
顔をまっ赤に充血させ怒鳴りちらすイエロ。彼の右手からつき出された指とともに、その言葉は選手控え室の隅に向けられていた。そこには何人かの選手が座っていた。そしてスペイン代表監督のホセ・アントニオ・カマッチョもその隅に座っていた。

アイルランドとの戦いが終わったばかりの選手控え室で起きた事件だった。ラウールは試合途中ですでに負傷し交代していた。スペイン代表のキーパー・カシージャスの活躍でベストフォー進出を決め、スペイン全土が興奮に包まれている頃だ。だが試合終了後に選手たちが集まっている控え室では、お祭り騒ぎは一切なかった。いや、それどころかまるで葬式に集まっている人々のようだった。多くの選手が緊張感をみなぎらせ、この予想されなかった事態を当惑顔で見守っていた。そしてカマッチョは、ひたすら沈黙を守っている。

スペイン代表のキャプテンであるイエロは、呆気にとられている同僚たちを無視して怒鳴り続けていた。ラウールの交代が遅れたことに怒り狂っているイエロ。レアル・マドリでの同僚であり、もちろん代表での同僚でもあるラウール。イエロの怒りの根拠を探すとすれば、この試合での交代の遅れだけではなく、南アフリカ戦で多くの控え選手でスタートしながらラウールだけは外さなかったことも原因にあげられるだろう。しかもどんな試合であろうとラウールは常に、彼の健康状態がどうであれ、スタメンで使われてきたことがイエロの脳裏にあったのだろう。怒鳴り声は執拗に続く。

「体調が万全ではないことを前もって知っていただろう! それなのに何で無理してでも使おうとするんだ。ラウールだって人間なんだぞ!」
カマッチョの反論を誘うかのように怒鳴り声は続く。だがカマッチョは黙ったままだ。まるで芝居の主人公となったかのごとく、イエロはカマッチョに対する攻撃の手を緩めない。控え室に集まっている呆然とした選手たち、そしてコーチングスタッフを前に最後の捨てぜりふを吐くイエロ。
「もし次の試合で無理してでもラウールを使おうとするなら、オレ達は試合を放棄する。いいか、俺はキャプテンだということを忘れるな!」

翌日の定例記者会見で代表の医師団はラウールの負傷状態について語った。負傷の状態は大したものではないこと。したがって次の韓国戦での出場に関しては非常に楽観的であること。負傷したのは日曜日で、韓国戦は次の土曜日であるから時間はじゅうぶんにあること。しかも負傷した選手はラウールであり、これまで何回も同じような状況で試合に出場した経験を持っていること。そして最後にラウール自身がどうしても試合に出場したいという意思表示をおこなっていること、などであった。

だがカマッチョにとっては楽観的な問題でも簡単な問題でもなかった。レアル・マドリでのリーダーであり、同時に代表でのリーダーでもあるラウール。彼は健康状態がどうであれ、いかなる試合であれ、常に試合に出ることを望んできた選手だ。だが無理をすれば負傷箇所が悪化する可能性もあった。韓国戦などより、準決勝で体調万全となったラウールが必要でもあった。一方、カマッチョは代表の監督であるという威厳も示さなければならない。いかにチームキャプテンであるとはいえ、その脅しに負けるわけにはいかない。

イエロとカマッチョの確執はこれが初めてではない。最近ではこのワールドカップが始まる直前の「事件」を思い出せばいい。韓国での合宿の最中、あまりにもスペインメディアによる代表選手への接近が頻繁におこなわれたため、カマッチョがメディア批判をした。その翌日イエロが記者会見で、そんなことは何にも気にしていないという発言をしている。この発言後の「事件」も多くの代表選手によって目撃されている。カマッチョはイエロを前にして次のように語ったのだ。
「いいか、俺が代表の監督だということを忘れるな。」
それに答えるイエロ。
「OK、あんたが確かに監督だ、だが俺がチームのキャプテンだということも忘れないでくれ。」

スペイン代表がカシージャスの奇跡的な活躍でアイルランドを敗った日、同時にカマッチョ政権のサイクルの終わりでもあった。多くの証人を前にしておこなわれたイエロのカマッチョ攻撃。その後、彼らがどのような会話をし(していればの話しだが)、どのような終わりを見たのか我々にはわからない。だがその後におこった3つの事実が何かを証明しているかも知れない。

1.「事件」からわずか2日後、フェルナンド・イエロは多くの同僚たちの驚きを前に代表引退の記者会見を召集した。

2.代表医師団の許可があったにも関わらず、そして当人の試合出場意欲があったにも関わらず、ラウールは韓国戦をベンチで観戦することになる。

3.韓国から帰ってきて1週間後、続行がほぼ決定的と見られていたカマッチョが代表監督辞任を申しでた。


EL PAIS 2002.7
MADRID/JUAN JOSE PARADINAS
訳・カピタン