バルサとオランダ代表の関係
(2002/12/04)

これまで何回ともなく敗北の口実とされてきたこと、それは“選手たちの疲労”“集中力の欠如”“精神力の弱さ”“間抜けな守備による贈り物の失点”、そして“審判のミス”。だがサン・セバスチャンでの試合後に聞かれたLouis Van Gaalの敗北の理由はこれまでと違う内容で、しかも注目を引くものだった。“選手たちの実力不足”、少なくとも現在のバルサの選手たちの実力を再検討しなければならない、そういう内容だった。次の敗北で用意されるであろう敗北の総括、それは多分次のようなものだろう。もともと各選手に実力がないのであるから、これ以上の要求はできない。したがってタイトルを要求したりするのは愚かなことである、と。

現実を直視しての深い考察による現状分析ではなく、宿命論的な意味のない分析。それは彼のこれまでコメントの特徴の一つでもある。バルサの選手たち、例えばプジョー、デ・ボエル、コクー、サビオラ、リケルメ、メンディエタ、クルイベル、ルイス・エンリケ、チャビ、彼らが常にタイトルを狙うバルサの選手として力が不足しているとでもいうのだろうか?

一般的に、物事を単純に比較するのは愚かなことだといわれている。だが物事には常に例外はつきものだ。現在のバルサの現状と1年前のオランダ代表の状況を比較してみるのは価値あることだと思う。なぜなら状況があまりにも似ているからだ。そして、その比較から出される結論がある意味では明るいものであり、ある意味では限りなく暗いものとなるのも興味深いところだ。

1998年ワールドカップフランス大会、オランダ代表はこの大会で素晴らしい活躍を見せる。監督はGuus Hiddink、彼に率いられたオランダ代表はブラジル代表相手のセミファイナルでのペナルティー合戦で惜しくも大会を後にすることになる。だが多くのフットボールファンが、オランダ代表が繰り広げたファンタジーでありながらも規律のとれた戦いを賞賛した。そしてFrank Rijkaardにバトンタッチされたオランダ代表は、2000年のユーロコパでもワールドカップでの試合内容と同じように魅力的なフットボールを展開した。皮肉なことにここでもイタリアとのセミファイナルでやはりペナルティー合戦で大会を去ることになった。それでもオランダファンは、この一連の代表の戦いで2002年におこなわれる韓国・日本ワールドカップに大いなる希望を抱くことになる。しかも新たに代表の監督に就任したLouis Van Gaalがその挨拶で語った内容がさらに彼らに希望をあたえることになる。
「我々は初めてのワールドカップ優勝という、大きな夢を実現させることになるだろう」

だがその後に彼らが抱くことになる失望感は、当初持っていた期待感よりさらに大きなものとなってやって来る。なぜならオランダ代表は1986年以来初めてワールドカップ本戦に出場できないことが決定するからだ。そう、キプロス代表やアンドラ代表などと同じように、オランダ代表は予選で敗退することになる。

Louis Van Gaalが引き継いだオランダ代表選手たちは、Guus HiddinkFrank Rijkaardの時代とほぼ同じ選手たちであった。わずか1、2年前に世界中から賞賛の声を浴びた、同じ代表選手による同じ代表チームであった。だがワールドカップ予選で見せたオランダ代表のプレーは、非常に面白みがなくファンタジーも感じられない、つまるところ非常に退屈なものと変化していた。創造的でテクニック的に優れたオランダ代表が呼び起こした激しい嵐は、いつの間にか穏やかで実体を感じられないそよ風となってしまっていたのだ。

前へ前へと激しく攻めることを信条としていたそれまでのオランダ代表によるフットボール傾向が、あの有名な、世間に知らない人はいないといわれるLouis Van Gaalシステムへと引き継がれていった。彼のシステムを支える最大のコンセプトである“ボール支配”、その強迫観念が皮肉にも創造的なフットボールを葬る形となる。彼が信じる“ボール支配”が具体的にグランドで表現されたのは相手ゴールに遠く離れた場所での、いたずらにパスを回していく退屈きわまりないスタイルだった。ゴールの意欲も可能性も感じられない“ボール支配”がLouis Van Gaalのフットボールだった。

Louis Van Gaalがすべての信用を失ったのは、ダブリンでおこなわれた北アイルランド戦だった。それまでわずかな望みを彼に抱いていたオランダファンが、最終的にこの監督に別れを告げることになる試合だ。試合終了までまだ30分残した時点でのショッキングな出来事、それはエストレーモとしてプレーしていた二人の選手、オーベルマルスとゼンデンを引っ込め、4人のデランテロセントロを起用し、右エストレーモにハッセルバインを配置したことだ。ダブリンまで駆けつけた多くのオランダファンは己の目を疑ったに違いない。Louis Van Gaalに対するほんのわずかに残っていた信頼度が完全に失われた瞬間であった。

オランダファンの絶望感は想像以上のものがあっただろう。1974年、1978年と連続して敗北の味を噛みしめることになったワールドカップ決勝戦。それ以来のオランダ代表が迎えた最大にして唯一と思われるチャンスが今回のワールドカップだった。かつてない“黄金の時代”のスター選手を抱えるオランダ代表、その代表が本戦にも出場できないことは“オレンジ・メカニック”の完全な終焉とさえ評価する人々も現れる結果となった。
「選手たちの精神力の弱さ」
これが、Louis Van Gaalがオランダを追われるように去っていった際に残した言葉であった。

そしていま我々はユーロコパ2004の予選を戦っている。オランダ代表ベンチにはLouis Van Gaalに代わってAdvocaat-Van Hanegemの二人が監督として就任した。これまで2試合の予選と何試合かの親善試合をおこなってきている。ビエロルシア代表、オーストリア代表にそれぞれ3−0で勝利を飾っているオランダ代表は、わずかな期間の間にかつてのオランダ代表としてのアイデンティティーを取り戻している。つい最近ドイツへわたっての親善試合でも1−3で勝利したことは記憶に新しい。

オランダ代表は生き返ったと言っていいだろう。見ていて楽しいフットボール、ファンタスティックで攻撃的でスピードがあり、それでいてしっかりと組織された戦いをするかつてのオランダ代表が戻ってきている。興味深いところは選手たちに変化はほとんど見られないことだ。革命的で斬新なジェネレーション変化をしたわけではない。そこにはクルイベルがいて、バンデルサルがいて、スタムがいて、コクーがいて、デ・ボエルがいて、シードルフがいて、ハッセルバインがいて、そしてその他にも同じような選手たちがいる。唯一の新しい選手、それは右ラテラルに起用されているグラスゴー・レンジャース所属のリックセンだけだ。アヤックスのラファエルも徐々にチームにとけ込もうとしている。それだけで、他のいっさいの変化は見られない。

Advocaat-Van Hanegemという元フットボール選手である二人の功績、それは非常に単純なことのようだ。それは一般的な常識をもってチーム作りをしたこと、それだけだ。資料を詰め込んだコンピュータからはじき出されてくる答えをもとに作成されたノートを否定し、不自然さから自然さに思考を戻したに過ぎない。選手に自由を与えることは短期的に見ればいいことだが、長い目で見れば機能しないとしたバンガールのフィロソフィーをうち破り、各選手の長所を生かすシステムを優先した彼ら。それはAdvocaatの言葉を聞くことによって理解できる。
「各選手にそれぞれの責任を与えることが重要だ。彼らは代表選手なんだから。」
複雑怪奇なシステムに縛り付けられた選手たちが自由を取り戻したいま、彼らには一人一人に別の意味での責任が与えられている。それは己が知っていることをグランドで表現することだ。

我々が見てきたこのオランダ代表の変化をいまのバルサの状態に重ねるとき、一つの疑問が浮かんでくる。Louis Van Gaalが自ら変化の道を見つけるか、あるいは2004年まで残っている契約をいまのままの状態で続けるのか。すべては時間が答えを与えてくれるだろう。同時に、彼が語るように選手たちの実力に問題があるのか、あるいは監督としての才能に問題があるのか、それも時間が答えを与えてくれるだろう。監督の才能を評価する唯一の基準、それは選手たちの持っている才能を最大限に利用できるかどうか、この一点で良い監督にも悪い監督にもなる。クラブの中の一職員として、どれだけ他の職員よりも労働時間が多いとか、あるいはこれまでの履歴書がいかに光り輝いているかということはまったく無関係な問題だ。

このオランダ代表が経てきた軌跡を、一つの事実としてバルサソシオに贈りたい。献身的でどこのソシオよりもクラブに愛情を注ぎ込んでいるバルサソシオに贈りたい。そして、いまのバルサの状態に苦しみ抜いている世界各地に散らばる愛しきバルセロニスタに贈りたい。あなたがたのアイドル選手があなたがたが期待する本来の実力通りのアイドル選手として活躍できるように、そしていつの日かバルサがバルサとして復活する日が来るために。


GERRIT JAN HOEK (De Telegraaf 通信社記者)
訳・カピタン