ガスパーの苦悩日記75日
(2003/01/22)

バルサの会長という、ソシオにとって夢のような座を獲得したガスパー。だが彼はあくまでも“ソシオの一人”であるという認識を誰よりも強く持っている珍しい会長であった。だから会長に就任した日に“Presidente(会長)”と呼ばれるより“amigo-Joan(友達ジョアン)”と呼ばれることを何よりも喜んだ会長でもある。その彼が最初に信頼を与えた監督はセラ・フェレール、次がカルラス・レシャック、そして今がバンガール。だが彼が会長となった2000年7月23日から3年近く経過しようとしている今、これらの誰一人としてガスパーの信頼に応えることが不可能な状態となっている。それどころかガスパーを船長とするバルサ船は時間の経過と共に行き先を失った放浪船となりつつある。前会長のヌニェスが22年間にわたって会長と務め、ようやく最後の6、7年につかんだ“経済的にも社会的にも、そして何よりもフットボールクラブとしての成功”という勲章をわずか3年弱で捨て去る危機を迎えているガスパー会長。これが彼の75日間の日記だ。

1日.嬉しい会長の就任、悲しいフィーゴの裏切り
会長に選ばれてから数時間後にフィーゴがあのマドリで白いユニを着て撮影会を。この100億ペセタ何に使おうか。(2000.7.30)
2日.最初の落ち込み
リーグ2節目に早くもビルバオの負けてしまった。思ったより良いチームじゃないかも知れん。(2000.9.16)
3日.再び落ち込み
チャンピオンズでベシクタスなんていうチームに負けてしまった。アレッアレ〜。(2000.9.19)
4日.最初の危険
カンプノウでミランごときに敗れるなんて・・・(2000.9.26)
5日.リバルドの反乱
「もし自分のプレーに満足していないのなら、金はいっさいいらないからブラジルへ帰る」と言うリバルド。そう言うなよ〜。(2000.10.8)
6日.どうにか100日
まだ会長になって100日だ。自分の輝かしい功績は2年後に評価してもらおう。(2000.10.30)
7日.ああ、がっかり
チャンピオンズ第一次リーグでバルサが消えてしまった。私のバルサが消えてしまった。(2000.11.8)
8日.バスケ選手まで
NBAから高い金だして買ったセイカリーが我が儘を言いだした。首にしてしまえ。(2000.11.10)
9日.あのビジャレアルまで
あんなチームに地元で負けるなんて。セラも首にしてやろうか。(2000.11.12)
10日.ヌニェスもか?
会長スポーツ施設の上棟式に呼んだヌニェスが来てくれなかった。悲しい。(2000.12.11)
11日.ペップも?
「ペップがバルサに残るようにできる限りのことをしたい」そうはっきり言ってやった。(2000.12.18)
12日.キッパリと
我がバルサは永遠です。そうキッパリ言ってやった。(2001.1.30)
13日.バスケ部門もダメ
ヨーロッパリーグで決勝に進めなかった。今年もダメだ。な〜に、フットボールがあるさ。(2001.2.7)
14日.サヨナラ・タイトル
カンプノウでコルーニャに負けるとは・・・。タイトルは不可能となりました。(2001.2.17)
15日.最初の反省
もし時間があったのなら、もっと良い選手を獲得してたのになあ、と記者会見で一人ブツブツ。(2001.2,21)
16日.世紀の盗人
ベルナベウでのリバルドの3点目はゴールだ、ゴールだ、ゴールだ!盗人め!(2001.3.3)
17日.サヨナラ・ペップ
ペップが記者会見を召集。「これまで自分の人生そのものだったバルサを離れようと思う。」なんで?なんで?(2001.4.11)
18日.UEFAもダメです
リバプールに敗戦したためUEFAカップの決勝戦進出ならず。(2001.4.19)
19日.最初のウソ
オサスナ戦に惨めな敗戦を喫したバルサ。わずか3日前にセラフェレールの続投を確認したけれど試合後セラフェレールを更迭。首だ!(2001.4..22)
20日.代わりを見っけ
レシャックがいるじゃないか。ヨハンの名コーチが。(2001.4.23)
21日.ハンドボールも落ち目
コパ・デ・ヨーロッパ決勝戦でバルサハンドボールが敗戦。5年連続ヨーロッパチャンピオンだったバルサが・・・(2001.4.28)
22日.陽性デ・ボエル
光栄あるバルサの選手として歴史上初めての陽性選手登場。その名はデ・ボエル。(2001.5.8)
23日.フロレンティーノ1勝
マドリ、リーグ優勝を決める。ふんっ。(2001.5.26)
24日.レシャックなら大丈夫
来シーズンこそ大丈夫。レシャックが監督だから。2年契約だ。(2001.6.11)
25日.カタルーニャ杯なんか、クソッ
カタルーニャカップ決勝戦で3部リーグ所属のバラゲールに敗戦。(2001.6.13)
26日.リバルド大聖人
リバルドのゴールでやっと4位に入ることができた。まるでチャンピオンズの決勝戦に勝ったように喜んでしまった私。(2001.6.24)
27日.マッチロな1年目
会長に就任して1年経過。リーグ戦、国王杯、チャンピオンズ、カタルーニャカップ、すべて負けた。でもまだ任期は4年も残っている。(2001.6.24)
28日.去る者は追わず
副会長のジャウラドがお辞めになられました。(2001.6.26)
29日.内輪モメ
元バルサの選手、現在は選手代理人見習いのペレーダがジェオの獲得問題を追及。(2001.6.27)
30日.ガソール、アメリカへ
バルサに残ることを必死になって説得したにも関わらずガソールはNBAへと旅だっていった。(2001.6.28)
31日.再び・去る者は追わず
副会長のロビラがお辞めになられました。(2001.7.3)
32日.欲しくなんかないやい
マドリに行ったジダーンなんかもともと欲しかった選手ではない。(2001.7.4)
33日.クソッタレ敗戦
新たなシーズンでの最初の悔しい試合。ベルナベウでマドリに敗戦。(2001.11.4)
34日.フィゲーラスはダリ美術館だけではなかった
再び国王杯に敗れる。今度はフィゲーラスだと。(2001.11.7)
35日.アミーゴ・フロレンティーノ
フロレンティーノが国王杯敗戦で慰めてくれた。(2001.11.9)
36日.どうもいけません
アラベスなんていうチームにも敗戦。どうしたのレシャックく〜ん。(2001.12.1)
37日.夢
レシャクが言ってくれた。「リーグ優勝できる」と。非常に嬉しい。(2001.12.10)
38日.寒いクリスマス
カタラン人なのに我々に2点も入れやがったタムード。(2001.12.20)
39日.これだからブラジル人は・・・
ジェオとロッケンの二人がクリスマス休暇から帰ってこない。(2002.1.3)
40日.まったく
副会長のフェルナンデスが言っていた。「我々のチームにはリーダーが欠けている」(2002.1.13)
41日.でました、白いハンカチ
カンプノウでのオサスナ戦で惨めに敗北。白いハンカチが咲きました。アア、きれいだ。(2002.1.27)
42日.勝ったぞ、レイダに
念願のカタルーニャカップで決勝戦に進出。レシャックの首もつながった。(2002.1.29)
43日.再び・再び・去る者は追わず
理事会のジョベラースとアギラールの二人がお辞めになられました。(2002.1.30)
44日.カタルーニャ首相の名言
「バルサは今シーズン終了後に私のところに優勝カップをもってくることはないだろう」とカタルーニャ首相。(2002.1.30)
45日.荒れるクラシコ
自分で手錠を用意してゴールポストに自首したヤツが2名。クラシコをしらけさせてくれやがった。(2002.3.16)
46日.充実した1日
リーグ戦サヨナラ、バスケ国王杯サヨナラ、一瞬の週末。(2002.3.17)
47日.苦々しいサンジョルディの日
カンプノウで、我が家に等しいカンプノウで、マドリがチャンピオンズ準決勝で我々に勝ちやがった。(2002.4.23)
48日.負けないぞ
「まだ私には3年間の会長就任期間が残っている」、記者会見での堂々たる発言。(2002.4.24)
49日.ナニがなんでもクソマドリ
「マドリの最初の頃のチャンピオンズ優勝というのはモノクロの時代のもの。あまり価値はない。」こういったらディステファノが怒り狂っていた。(2002.4.25)
50日.アディオス・ヨーロッパ
ベルナベウでのチャンピオンズ準決勝戦に敗北。再びサヨナラ・ヨーロッパっか。(2002.4.25))
51日.敵は我が家の中に
「我々の敵は外部ではなくバルサ内部にいる」そうレシャックが言っていた。(2002.5.1)
52日.こんなものイラン
カタルーニャカップ決勝戦でテラッサというチームに負けてしまった。(2002.5.7)
53日.フロレンティーノ2勝目
バレンシアがリーグを制覇し、マドリがチャンピオンズを制覇。バルサと私には何もなし。(2002.5.15)
54日.コソコソしちゃいました
バンガールに誰にも見つからないように陸路でバルセロナに入れと忠告しておいた。バルセロナ空港には何百人というバルセロニスタが。(2002.5.16)
55日.バスケ監督も首にしちゃえ
もうみんな首だ。まずバスケの監督であるアイトから。(2002.6.6)
56日.再び・再び・再び・去る者は追わず
副会長のフェルナンデスがクラブを去られました。(2002.6.21)
57日.リケルメ?誰それ?
リケルメの獲得を発表したとたん、バンガールが彼はレンタルされるかも知れないと発言。(2002.7.10)
58日.サヨナラ・リバルド
バンガールはリバルドはいらないそうだ。リバルドはいらないのか。リバルドはタダだそうだ。(2002.7.21)
59日.観客席で失礼
プレゼンテーションにグランドに登場しない初めての会長になってやる。そしてなった。本当はリバルド放出問題でブーイングされるのが怖かったから。(2002.7.22)
60日.サヨナラ・セラフェレール
「ガスパーとレシャックが不振のバルサの原因」と捨てぜりふを吐いてセラ・フェレールが退団。(2002.8.1)
61日.アディオス・ロナルド
バンガールはロナルドもいらないそうだ。(2002.8.31)
62日.そんなに使ったかな?
1億8千万ユーロの赤字という噂が流れる。(2002.9.8)
63日.ノベルダ
ノベルダというチームに国王杯敗退。まだリーグ戦とチャンピオンズが残っているさ。(2002.9.11)
64日.うちのが一番
「我がバルサの有するデランテロとマドリのそれと交換する気はない」(2002.10.29)
65日.バルデスの反乱
バルサBでのプレーを拒否しようとしたバルデス。(2002.11.12)
66日.どうもリーグ戦は・・・
チャンピオンズはいいんだが、どうもリーグ戦がイマイチ。コルーニャにも負けてしまった。(2002.11.16)
67日.子豚の首の登場
「我が家に挑発に来る10番をつけた輩は許せん!」(2002.11.25)
68日.カンプノウ閉鎖
フットボール競技委員会がカンプノウ閉鎖を指示。2試合の閉鎖措置は現在裁判中。(2002.12.4)
69日.ファンクラブまでが
レイダにあるバルサファンクラブが会長の辞任を要求。だが私は辞めない。(2002.12.14)
70日.セビージャの夜
カンプノウでのセビージャ戦で大敗。再び白いハンカチが観客席を埋める。もうきれいなどとは言っていられない。(2002.12.15)
71日.誰の後も追わないよ〜
副会長のマスフロール、カステルスがクラブを去られました。限りなく孤独感。だが私は辞めない。(2002.12.19)
72日.やっとフェリス・ナビダー
マジョルカ戦に勝ってしまった。奇跡的に勝ってしまった。ビアンチに電話をいれないと。(2002.12.21)
73日.ドリームチームへの批判
「クライフのドリームチームがチャンピオンズ決勝戦で対戦した相手は現在2部リーグに所属するチーム」。いったい私は何が言いたかったんだろうか。(2002.12.22)
74日.自転車操業屋会長
ジェオをベンフィカにレンタル。買い取りオプションとして600万ユーロ。(2003.1.8)
75日.歴史は繰り返す
バレンシア戦後、再び“ディミッション、ディミッション”の嵐を喰ってしまった。だが大丈夫、私は辞めない。(2003.1.18)


事実経過参考資料
Sergi Lopez-Egea (El Periodico)