ドクトール・アンティックの診断書
(2003/02/21)

カンプノウ施設内にあるラドミール・アンティックのオフィス。彼の机の上には3台の携帯電話が置かれている。テクノロジー関係が好きな彼が所有する携帯電話はもちろん最新式のものだ。そのうちの一つに着信の音楽が流れると同時に孫の写真が画面に映しだされるものがある。彼の最も弱いところ、それは孫たちに関する話し。人生の中で最も大事なものは家族をおいて他にないと語るセルビア生まれのラドミール・アンティック。インテルの試合の翌日、カタルーニャを拠点とするスペインで最も古い歴史を誇るラ・バンガルディア紙のインタビューに答える。

これまで方向性を失っていたミュージシャンを生き返らせたオーケストラ指揮者という感じがしますが。

そういう表現の仕方もあるかも知れないが、どのように具体的に説明していいかはわからないというのが正直なところ。言葉ではうまく説明がつかない感じだ。でも例えば、これまで意思統一がなされていなかったファミリーがここ2週間でかなりのパーセンテージで“固いファミリー”となりつつあるとでも言うといいかも知れない。これまですきま風が吹きまくっていた“家”が本来の意味での“家”、つまり家族全員を物理的にも精神的にも守る“家”として変化しつつあるとも言える。家族全員で一緒に暖かいコーヒーを楽しみ、誰一人例外なく全員で話し合いができる家族。そういう家族になりつつある印象を受けている。家族というのは世界の中で最も強い最小単位の集団だと私は思っている。そういう意味において家族というのは困難な問題を乗り切るのに最も適した場所なんだ。

エスパニョール戦、インテル戦の2試合でバルサがバルサとして復活したと言えるでしょうか。

一つだけ言えることは、これまで我々に起きていることは奇跡といってもいいかも知れないということだ。非常に暗い状況を抱えていた選手たちが、ここ2試合を経過することで彼ららしさを取り戻すことに成功した。とてつもなく否定的な状況があったうえに、そこから来る多くのプレッシャー、それにも関わらずすべての選手がそれらの否定的な要素に負けることなく、驚くほどのパワーで立ち上がってきている。2試合で5得点、しかも無失点。抱えている状況が肯定的なものであったらバルサとしては別に不思議な結果ではないだろう。むしろ自然な結果であると言える。だがとてつもなく否定的な状況でありながらこれだけの結果を残すことができたのは奇跡と言ってもいいと思う。インテル戦は歴史的な勝利と言ってもおかしくない試合だった。私は試合前に選手にこう言っておいた。
「この試合は歴史に残るものとしなければならない。バルサというクラブがチャンピオンズ11連勝を記録する歴史的な試合としなければならない。したがって選手たちはこの試合に遭遇することを誇りに感じなければならないし、バルサのユニフォームを着れることに対し感謝しなければならない」
この記録はこれから百年は破られることがないと思っている。私個人にしてもこの11連勝目に遭遇できたことを非常に誇りに感じている。

あなたのフィロソフィーで最も重要なことは何でしょうか。

私の戦いのシステムは、決まった数字では表されない。なぜならフットボールの試合というのは生き物だからだ。最も重要なこと、それはグランドで戦いを展開する選手たちが常に同僚たちとコミュニケーションをはかること。そしてすべての選手がグループのために犠牲になる覚悟をもってプレーすること。もっとも、これは非常に難しいことではある。

精神的に落ち込んでいた選手たちに明るさが戻ってきました。まだあなたが監督となってから2週間という時間しか経過していないのに。

私は基本的にすべてのことに関して楽観主義者であろうとしている。何かを達成するためには、まずその可能性を信じることからはじめなければならない。可能性を信じることは同時に楽観主義を生むことになるだろう。それは一人一人の選手たちに関しても言えることだ。バルサに限らずビッグクラブに在籍する選手はこれまでフットボール界でエリートコースを歩いてきた人たちだ。まず彼らの可能性を信じることからはじめなければならないと思う。私の好きな一つのフィロソフィー、それはロス・アンヘル・レイカーズの監督であったフィル・ジャクソンの言葉だ。フリースローを苦手とするシャッキー・オニールの問題に関して彼はこう言っている。
「彼が誰かの助けを借りようと思わない限りフリースローの技術は改善されないだろう。もし助言を必要としない精神状態であるにも関わらず監督である私が何か言ったとしても、それは彼をさらに不振に落ち込ませる結果となる。エリート選手というのはそういうものだ」
これが私のしてきた仕事の基本でもある。多くのキャラクターの違う選手がいて、ほぼすべての選手が違う文化のもとで育ってきている。“強要”という手段は彼らには何の解決も与えられない。だから話し合いを可能とする雰囲気がある“家”が必要なんだ。

話し合いがすべての基本だと。

フットボール選手は長くても2時間の練習時間で1日が終わる。したがって我々が話し合う時間は大量にあるだろう。だが話し合いの重要性はその長さにあるわけではなく、その内容になければならない。2時間も3時間も話し合いをおこなって、ここが悪いあそこが悪いという内容ではそれこそ時間の無駄というものだ。実際にグランドを走り回る選手同士が話し合わなければ何にもならない。そういう雰囲気を作るのが監督である私の役目だと思っている。インテルの試合前に彼らだけが集まって話し合いをしたことはあまり知られていない。私にとっては非常に重要な事実だった。誰が主導権をとって話し合いをしたかというのは問題ではない。重要なことはそれが実際におこなわれるかどうかということだ。

バルサというのは難しいクラブだと言われていますが

それはビッグクラブなら常にそういう問題はあるだろう。だが同時にビッグクラブならではの易しさもあると思う。フットボール選手として優れた選手が集まるビッグクラブならではの易しさ、それはエリート同士としての会話がスムーズに進むことだ。どのようにスペースを獲得していくか、相手がこう攻めて来たら我々はどのように守らなければならないか、ほとんどが代表選手なのだからそれぞれ答えを持っている。そして個人的にはバルサというビッグクラブの監督に就任したことで再び自分が監督であるということを認識できたことにとても喜びを感じている。自分の可能性を世界中に示すことができる鏡のようなクラブに入れたことを感謝している。

ユーゴスラビアのスポーツチームはなにゆえ精神的に強いのでしょうか。

私の国のスポーツ文化というのが生活の基本となっているのに比べ、例えばスペインだとかイタリアあたりではビジネスとなっている。そこに一つの違いがあると思う。ごくありふれたユーゴスラビア人の一般生活の中にあらゆるスポーツが存在するんだ。そしてそのスポーツを伴った生活の中で人生を学んでいく。我々が子供の頃、すでに学校教育の中で1日に2時間も3時間も好きなスポーツに専念する時間が与えられていた。ユーゴスラビア代表が各種のスポーツで活躍するたびに、それはユーゴ系人種の特性だと言われてきたが私はそうは思わない。あくまでも教育的な問題であり、政治的な問題でもあると思っている。

大学では生理学を学んでいたと聞いていますが。

生理学、教育学、心理学、解剖学、スポーツ医学、これらのことをベルグラード大学にいる間に基本的な部分だけだが勉強する機会があった。自然科学に非常に興味があったんだ。もちろんこれらの基本的な知識は今でも役にたっている。毎日の練習で選手たちの身体にどのような変化が生まれるか、どのような生理的な特徴を持っているか、それらのことを知ることができる。オーベルマルスが右サイドでプレーできると思ったのもこれらの知識のおかげかも知れない。身体の持つ自然な特徴を活かした場所でのプレー、それはもっとも自然であり選手にとって快適なものとなるはずだ。例えばデ・ボエルとプジョーとではまったくといっていいほど生理的にも肉体的にも異なったものを持っている。だがそれぞれの特徴を活かして一つのペアーとして組ませると最高のものとなるいい見本だと思う。

プジョー・フランク、チャビ・コクー、サビオラ・クルイベル、彼らも一つのペアーですね

そう、でもお互いに違う目的で一つのペアーを作成している。インテルとの試合でプジョーがビエリに抜かれたのは1回だけだったというのを覚えているかな。なぜ1回だけだったか、それはプジョーの能力の高さを示していることなんだ。もし我々にプジョーという選手がいなかったら、ディフェンスラインはペナルティーラインまで下げなければならない。だが彼がいるおかげでもっと高い位置にラインを置くことができる。その結果生まれる一つの現象、それはチャビの位置がよりゴールに近いところになるということだ。そして私が監督に就任した時に語ったように我々には“9番”の補強の必要性はない。なぜならサビオラとクルイベルという素晴らしい選手がいるからだ。彼らにはスペースさえ生まれれば世界的なデランテロとしての仕事ができる選手たち。そしてそのスペースを周りの選手が作り出せばいい。誰もが好きになるオーベルマルスという選手は縦に走り込むオーベルマルスであり、一対一の勝負に挑むオーベルマルスだろうし、勝負に勝利した後に瞬時にセンターリングをあげるオーベルマルスだと思う。これまでの彼はせっかくディフェンス相手の勝負に勝ちながら、わざわざ利き足の右足にボールを寄せてからのセンターリングだった。これでは一瞬センターリングが遅れることになる。

デ・ボエルの復活は精神的なものか、あるいはアンデルソンの復帰がいいプレッシャーとなっているのか。

誰もが知っているように彼はもともと高い能力のある選手だ。単に調子が戻ってきたと考えるべきだろう。もちろん精神的な部分での助けもあると思う。ポジション的に具体的に語るならば、コクーの位置が彼にとって非常に役立っていると思う。精神的にも物理的にもだ。ディフェンスラインを少し上げたことで、彼に何か問題が起きたときにはコクーが助けに来てくれる。そういうこともあって彼にとっては以前より安心してプレーできるという精神面も大きいかも知れない。あたりにも強くなったような気がする。私が監督に就任したときに“体力増強目的”として走り込みの練習を基本にしてメニューを消化していったといわれているが、それはメディアが勝手に考えたことであり事実ではない。私が走り込みで強調したかったこと、それは相手選手の強いあたりにも負けない精神力を養うためのものだ。

もうリケルメの話題もでてこなくなりましたが

彼については明らかにしておかなければならないことがある。練習態度がどうこうと言われることが多いようだが私はそんなことは思ってもいない。皆と同じように彼もまた一生懸命やっているよ。そして彼もまた他の選手と同じようにチャンスさえ生まれればスタメンで出場することになるだろう。だが理解しなければならないのは誰よりもプレッシャーがかかっている選手だということだ。バルセロニスタに絶対の人気を持っているからね。しかもアルゼンチンメディアも必要以上に彼の動きに注目している。そのことに無関心でいられる選手をこれまで私は一人として知らない。彼だって人間であることを忘れてはならない。多くのプレッシャーが生むもの、それは彼にとってすべてのボールが絶妙なラストパスとならなければならないという脅迫観念なんだ。4回のパスのうち、3回はごく自然なパス、一つが誰もが予想できないようなパスとなれば理想的なのに、彼は4回のボールをすべて想像外のものとしてしまう傾向がある。彼は誰にも何も証明する必要のない選手であるにも関わらずだ。なぜなら彼は偉大な選手だということは誰もが知っていることだ。テクニック的に優れ、選手のキャラクターとしても非常に特異なものを持っている。だから今すぐグランドに常時出場しないからといって決して彼が期待されていないということではない。私が今しなければならないこと、それは彼に覆いかかっているプレッシャーを弱めると同時に、ヨーロッパの水に合うように時間をかけて彼を起用していくということだ。彼は間違いなく大成功をおさめる選手となると思う。


JUAN BAUTISTA MARTINEZ記者
LA VANGUARDIA紙
訳・カピタン