ラポルタはバルサの“ケネディー”になれるか
(2003/07/01)

ジョアン・ガンペル30歳、アグスティ・モンタル35歳、ジョセップ・スニョール37歳、そして今、クラブ創立以来4番目に若い会長が誕生した。40歳になるジョアン・ラポルタ、彼は同時にクラブ創立以来最高数のソシオ投票によって選ばれた会長でもある。

選挙日の1か月前にジャン(多くの友人は彼をこう呼ぶ)を当選可能と予想するジャーナリストは一人としていなかったと言っていいだろう。だがそれから2週間とたたないうちに“ひょっとしたら善戦”を予想する事情通があらわれ始めた。だが選挙がおこなわれるわずか2日前、ジャンの会長当選は多くの人々にとって暗黙の了解事項とまでなってしまう。まったくもって信じられない話だが“事実は小説よりも奇なり”を地でいく会長選挙となった。

ソシオ番号2万7869のジョアン・ラポルタ・エスツルック、彼がバルセロニスタの前に登場したのは5年前のことだ。ホセ・ルイス・ヌニェスがクラブ会長として再選されてからわずか半年後、クラブ理事会の解散を要求する“不信任投票”を要求したのが彼のデビューとなった。“エレファント・ブラウ”という反ヌニェス派を結成し、創造的な批判を展開するというよりはバルセロニズムを困惑させるような“消耗戦”を繰り広げようとした決していい評判を持たない組織だった。彼らの提起した不信任投票はソシオによって否決されることになるが、この若き弁護士の名前はこの事件をもってソシオの知るところとなる。したがって今回の選挙が開始された当初、多くのソシオにとってジョアン・ラポルタ会長候補は“あの”エレファント・ブラウのジョアンに過ぎなかった。

だが、戦う前から勝利したように思えたバサットが見事なまでに完敗を喫する。アレマニー、ロカ、グアルディオラなどバルセロニスタの間で大きな尊敬の念をもって迎えられる何人かの人を自陣に控えながら、なにゆえバサットは敗れたのか。ベッカム効果?あるいはクライフ効果?あるいは・・・?

彼が会長に選ばれてからわずか2日後、レアル・マドリへのベッカム移籍ニュースが流れた。その時のメディアやソシオの反応を見る限り、ベッカム効果はそれほどでもないことが証明されたと言える。ラポルタの後ろにクライフの影が見られるからというのも正しい分析ではないだろう。クライフにしてみればバサットが勝利しようがラポルタが勝利しようが、いずれにしても彼の勝利となる会長選挙だったのだ。クライフとバサットの密接な関係、それはバサットがクライフ財団の副会長を務めていることを見るだけでも明らかだろう。ベッカム効果だけでもなく、クライフ効果だけでもないラポルタの勝利。

選挙事務所開設費、選挙運動員費用、テレビスポット代、新聞広告代、ポスター・垂れ幕制作費用、イベント費用、ファンとの食事会、選挙戦には多くの資金が必要となる。ラポルタが準備した選挙費用は彼のライバルの比ではなかった。ラポルタは何と300万ユーロ(約4億円)も選挙戦で消費している。すでに勝利を確信していた“広告王”であるバサットは100万ユーロのみ、ロビーラは60万ユーロ、ミンゲージャは35万ユーロ、マジョーは12万ユーロ。だがこれらの選挙戦費用の大小が勝利への直接の原因となったかというとそうでもないようだ。投票数最下位に位置したジャウラドは何と250万ユーロも消費しながら大敗北を喫した。確かにラポルタの“顔”と“メッセージ”は多くの選挙費用を駆使することによって他のどの候補よりもソシオに伝わる結果を生みだした。それはジャウラドとて同じことだ。だがこの二人の間で決定的に異なること、それは彼らから伝わってくる“空気”の違いだった。

バサットから伝わってくる“空気”や、他のどの会長候補から伝わってくる“空気”との違い、その違いをラポルタは持っていた。これまでにない斬新なアイデア、ラポルタと共に彼の協力者も含めた若さ、エネルギッシュな行動力。過去のヌニィズムとクライフィズムと絶縁したところからの出発をバサットが語るときと、同じことをラポルタが語るときでは“空気”の違いが感じられた。ソシオは時間の経過と共に徐々に“エレファント・ブラウ”のラポルタのイメージを捨て去っていくことになる。そして彼の持つ“空気”を具体的に説明しようとした一人のアメリカ人ジャーナリストがあらわれた。彼はベッカム獲得の噂を聞きつけてバルセロナに派遣されてきていたジャーナリストだ。その彼がラポルタに関して次のように語る。
「当時のアメリカの混沌とした政治状況がケネディー大統領を生み出したように、現在のバルサの状況がラポルタを生みだしたと言っていい。そう、彼はバルサの“ケネディー”として誕生してきたに違いない。」

リチャード・ニクソンを敗って登場したアメリカ大統領ケネディーは当時まだ43歳だった。彼はアメリカ国民を前に次のようなスローガンを送った。
「アメリカ国家があなたに何ができるかということよりも、あなた方がアメリカ国家に何ができるのかを考えて欲しい。」

フットボールの世界が経済的な大打撃を被っている現在、決してバルサもその状況とは無縁ではいられない。カンプノウを包む現実はニューヨーク・ツインタワー跡の“ゼロ地点”のようだ。破産、経済的にもスポーツ的にも破産を迎えているバルサ。多くのソシオはユベントス戦以降カンプノウに足を運ぶことをやめた。己のクラブ状況にウンザリという感じのソシオ。彼らにとって4年間続けて無冠で終わることは初めての経験だ。失うものはもう何もない、したがって原点からの変革、すべて根源からの変革、そして“一つのクラブ以上の存在”としてのバルサの復活。ソシオは考える。我らがクラブであるバルサに我々は何ができるか。その答えがラポルタの選出だった。

スペイン人ジャーナリストの何人かはラポルタをフェリッペ・ゴンサレスの再来と表現している。フランコ独裁政権が崩壊し、突如としてあらわれた若き社会党党首フェリッペ・ゴンサレス。彼もまた40歳にしてスペイン政府首相に選出されている。彼のスローガン、それは“すべての変革”、社会構造の根本的な変革を謳った彼に対して変革を夢みた1千万スペイン人が彼を後押しした。

ケネディーあるいはゴンサレスとなれるかどうかは別として、彼らと共通している点は同じように若い人々を集めてメンバー構成しているところだろう。ラポルタを筆頭とするバルサ理事会メンバーはほとんどが40歳前後だ。ラポルタはどのようにこれらの若きエリートたちを選出したのか、それは次回で。


■翻訳資料
EL PERIODICO DE CATALUNYA紙
EL MUNDO DEPORTIVO紙