クライフ「もはや私やヌニェスの時代ではない」
(2003/07/14)

ラポルタのこれほどの圧勝を予想していましたか?

これまでの悪い試合結果だけではなく、クラブ総体を覆う否定的な雰囲気があったのは誰しもが認めるところだろう。そういう状況の中で突然のように現れた新たなグループ、それも非常に若い人たちによって構成されている新鮮なグループが登場してきた。ソシオの中にも世代交代という状況が生まれるように、クラブ理事会の中にも世代交代が生まれる要素はじゅうぶん考えられたことだと思う。フランコ以前のジェネレーションとそれ以降のジェネレーション、その違いはあらゆる観点から見ても大きいと思う。そして今、時代がそれを要求して新たな理事会が生まれたのだろう。

歴史的な出来事となった“エスペリアの反乱”があって、そしてその後あなたがバルサの新監督に就任してきました。その結果、あらゆる意味での大掃除がおこなわれましたが、状況は似ていると思いますか?

今は選手を大幅に入れ替えるというのは不可能に近いことだろう。時代の違いということをのぞいても、今の状況ではそれは非常に難しいことだ。まず、どんな人々によって構成されているクラブ理事会であろうが時間が必要なこと。したがって会長選挙は3月におこなわれなければならないと私は何回も繰り返して訴えてきた。だが選挙がおこなわれたのは6月、選手市場は夏前にオープンするのが常識だ。ただでさえハンディーがあるのに、新理事会を構成している人々はまだ経験が不足している若い人々。どんなに慎重に選手補強をおこなっても必ずミスはつきものとなる。だがもっとも評価しなければならないことは、ソシオが彼らを信頼しきっているという事実だろう。少しぐらいのミスは問題にならないと思う。

それでもシーズンの真っ最中の会長選挙は、選手やチーム成績に悪い影響を与えるという声が多かったですが?

そんなことはウソッパチということは誰もが知っていることさ。選手や監督だけではなく、多くのソシオだってわかっていることだ。それを如実に示しているのが選挙中のチーム成績だ。選挙戦が煮つまった段階でもバルサは連勝してどうにかこうにかUEFA戦にでられるようになったじゃないか。プロの監督や選手たちがそんなことに影響されるわけがないんだ。

新加入選手問題や放出選手問題でバルサを取り巻く環境に神経質になっていると思いますか?

そんなことはないだろう。すべてのソシオが知っていること、それは新理事会は遅れてやって来たということだ。つまり時間があまりないことを理解している。そして新理事会の人々にとって幸運なことに、多くのソシオがバルサには資金が不足していること、そして選手市場にもそれほどいい選手がいないことを理解していることだ。皮肉なことだけれどね。

そのせいかどうか、メディアの間では来シーズンはバルサにとって“過渡期”となると予想している人が多いですが。

それは勘違いもいいところだ。これまでのバルサの歴史において“過渡期”などというのが許された時期があると思うかい?そんな時期は一度足りとして存在しないクラブなんだ。常に勝利を義務づけられ、何らかのタイトル獲得を要求されてきたクラブなんだ。それがバルサというクラブなんだよ。確かにシーズンが終了した段階で、色々と言い訳が出てくるだろう。やれ新しいチームだとか、若いチームだとか、将来的なチームだとかね。だが少なくてもシーズンが始まる前に“過渡期”などという想定は許されない。しかも現在のバルサのメンバーを見る限り、あらゆることを期待できる内容を持っていると思っている。例えば非常に悪かった昨シーズンだって、あと2勝していればチャンピオンズ圏内に入れていたんだ。しかも今回新たに加入してくる選手はバルサに入団することに誇りを感じている人たちだと聞く。金だけが目的ではなく、バルサというクラブでプレーすることを誇りに感じている選手、今の時代にもっとも大事なことじゃないかな。

新たなジェネレーションという言葉がでましたが、その新しい人々の裏であなたが糸を引いていると言う人々もいますが。

そういう風に考える人々は何も知らない人々だ。論理的に考えればわかることだからね。いいかい、誰しもが幼少期があるように、その幼少期には憧れの人というのがある。青春時代を迎えたときにもアイドル的な人物というのが必ず登場する。今の理事会構成メンバーの年齢を考えれば、彼らの幼少期や青春時代に私がアイドルであっても何の不思議でもないんだ。私は70年代に選手としてバルサに、そして80年代終わりに監督としてそれなりの成績を残してきた。だから彼らにとって私がバルサそのものであっても不思議なことではないだろう。今から10年後に理事会を構成している若いメンバーのアイドルはマラドーナかも知れない。ようするに時代の問題なんだ。彼らが私をアイドルとして見ることと、私が彼らを裏で指揮することとは何の関係もない話しだし、それを一緒に考える人々は病気と言っていい。

でもあなたが理事会に助言をしているのは事実でしょう?

もちろんさ、でも最終的な判断をするのはラポルタであって私ではない。彼らが助言を求めるのは私がフットボールに関して、そう少なくてもフットボールに関しては何らかのアイデアを持っているということを知っているからだ。だが、そのアイデアを提供することとクラブを指揮することとは何の関係もないこと。クラブを指揮しなければならないのはラポルタでありクラブ理事会でなくては。私は何の決断も最終的な判断をする立場ではないんだ。

それではライカーに助言を一つ。

彼はイタリアで長い経験を持っている人物。だがバルサに来たからにはここの文化を理解しないといけない。彼のスタイルにバルサが合わせるのでなく、彼がバルサに、ソシオに、カタルーニャの文化に合わせようとしなくてはならない。すべての地域で違いがあることを知ることからスタートしないといけないだろうね。バスコは、カタランとは違う、アンダルシア人とも違う、メキシコ人とも違うという発想を持たないといけない。

アリゴ・サッキは彼のことを非常に誉めていました。

当然だろうね、彼のミランでの活躍ぶりや、その後のオランダ代表監督としての彼の真剣さや真面目さを知っているからね。だがバルサは特殊なクラブだということを知らないといけない。ここ何年間、バルサの監督に就任してきた人々は敵を多く作りすぎたと思っている。バルサの監督になった限り、クラブ内部だけではなくソシオが住むクラブ外の世界にも良い印象を与えないといけない。人生というのは敵を作るためのものではなく、味方を作っていくものだと理解している。まだプレシーズンも始まっていない段階だけれど、ラポルタにしてもライカーにしても外部から好感をもって迎えられていると思う。新たなバルサの建設、それは同時にこれまで失われていたものを取り戻すことでもあるんだ。バルサであること、バルセロニスタであること、バルサシンパであること、そのことに再び誇りを感じること。それは試合に負けようが勝とうが、そんな一時的なものを超越したところにある誇りでなければならないだろう。それがラポルタやライカーには可能だと思っている。

“敵”という話題がでましたが、バルセロニスタは“ヌニスタ”と“クラフィスタ”という対立の壁を越えたと思いますか?

バルセロニスタは常に前を見て歩いていかなければいけないし、今さら過去を振り返ってみるなんてことはあまり意味のないことだ。しかもヌニェスにしても私にしても、現在のバルサにはまったく必要ない“素材”だ。ラポルタはゼロからの出発を期待されて誕生した新政権。彼らが現在の、そして将来のバルサとならなければ。

その彼らが最初におこなおうとしていることが年俸の引き下げ交渉です。

それはこれまでバルサを指揮して人々に混乱があったり、あるいは一貫性がなかったからだ。ラポルタたちがしなければいけないことは、まずクラブを“普通”の状態に戻すこと、常識的なアイデアから物事を始めることさ。もし一人の選手がシーズンを通して素晴らしい活躍を見せたのなら、それなりの年俸をとらなければならない。それは常識というやつだ。ところが現在のフットボール界の問題は、もちろんバルサだけではなく多くのクラブでという意味だが、活躍しなくても高給をとれる環境に置かれてしまったということだ。これはフットボール界のガンと言っていい。外部の人間には理解できないことだろうが、選手というのは周りの選手がいくら稼いでいるか具体的に知っているもんなんだ。それもかなり正確に知っていると思っていい。その彼らが試合にもでていない同僚が何で毎試合出場している自分より多くの年俸をとっているか、それを疑問に思うのは普通だろう。違約金なしに入団したからなどという理由で年俸がバカ高くなるのは非常識なことだと思う。現在の選手の中で具体的に言えばエンケ(違約金ゼロで入団)がどうして毎試合プレーしている選手より多く年俸をとっているか、それに不満をもったとしても不思議なことではないだろう。選手の年俸は監督やセクレタリオ・テクニコが決めなければいけないんだ。つまり現場の人間が決めなければいけないと思っている。私が監督を務めていた頃には選手の年俸は活躍次第というシステムにしていた。つまり基本年俸そのものは低く、活躍ぶりとかタイトル獲得という観点からボーナスを支給するシステムだ。それがライカーとチキというコンビによって復活されれば理想的だと思う。つまり好成績をあげればあげるほど年俸が上がる、そういうシステムが復活すればいいと思う。

ロナルディーニョというメディア的な選手の獲得が必要だと思いますか?

バルサというクラブで、そう、少なくてもバルサというクラブが必要としている選手、それはこのクラブでプレーすることを誇りに思う選手だ。もし金が優先するというのなら、より年俸を支払うクラブへ行けばいい。バルサに在籍している今のバルサの選手は、もちろんお金も大事だが、それ以上にこのクラブでプレーすることを誇りに思っている選手だと思っている。だが、もしどうしても違いを見せる“クラック”選手が必要だとするなら、それはどんなことをしても獲得しなければならない。だが残念ながら、今の選手市場にそんな選手は存在しないだろう。ベッカムにしても同じことが言える。彼は確かにいい選手だが、バルサには必要ない。いや、必要ないどころか大きな問題を発生することになっただろうと思っている。たぶん、レアル・マドリではそれなりにやっていくだろうと思うが、バルサではプレッシャーに負けるだろうと思う。スペイン人の感性とカタラン人の感性を考えれば容易に想像がつくことだろう。カタルーニャ文化はああいう選手を受け入れないだろうね。

ところで最近のフットボール界の傾向として“体力勝負”というイメージが強いですが。

“体力”を強靱にすることや、より長い時間“走れる”選手の育成そのものは決して悪い傾向ではないと思う。もっとも個人的にはとても好きにはなれないけれどね。だが問題はそれらを重要視し過ぎてテクニックがお粗末になってきていることだ。今の監督の傾向を見てみればいい。非常に研究熱心でコンピューターを駆使してデーターを集めて、それをもとに選手を選択したり排除したりする傾向がある。だが残念ながら彼らの研究材料の中には、そしてコンピューターの中にも、グランドの中で起きうる“偶然性”とか自然発生的に起きうる事柄は含まれないし、選手のテクニックもそれほど重要視されない。子供たちに聞いてみるといい、君のアイドルは誰かってね。決して体力勝負の選手ではないだろうし、誰よりも走りまくる選手でもないだろう。もちろん年俸が一番多い選手でもない。グランドの中で“非常識”的なことを見せてくれる選手、自分には決してできないだろうと思わせるテクニックを見せる選手、そしてユニフォームについているエスクドを肌に染みこませている選手、そういう選手が子供たちのアイドルなんだ。もしライカーが「チームに喜びを取り戻したい」と語るのなら、それは意味もなく走り回ることではなく、ボールを自分の身体の一つとするようなプレー、フットボールの基本はボールタッチだということを示してくれるようなプレーを心がけるべきだろう。それが勝利につながるかどうかは別問題だが、勝利に近づく最善の手段であり、同時にカンプノウにソシオが戻ってくる近道でもあるはずだ。


■翻訳資料
LA VANGUALDIA紙