そして今、ペップ・グアルディオーラは
(2003/08/14)

バルサ100年史に登場しているペップ・グアルディオーラ。あれは1995年12月にエル・パイス紙の記者によっておこなわわれたインタビューだった。そしていつかはバルサを出ていくことがあるかも知れないと思索したインタビューから数年後、彼はその通りに生まれ“故郷”のバルサから離れイタリアへの冒険旅行にでることになる。ブレッシア、ローマ、そしてブレッシアとの短い冒険旅行とはなったものの、今彼は再びバルセロナに戻ってきている。その彼が考えることは・・・、やはり同じエル・パイス紙の記者に心境を語っている。

いつだったかあなたは語っていましたね。
『いつか自分はクラブを出ていくだろう。すると同時に新しい選手が下から上がってきたり外から入ってきたりする。そして時間の経過と共に自分は忘れられる存在となる。』
もう忘れられた存在となっていると思いますか?あるいはあなたがバルサのことを忘れた?

バルサを忘れることは少なくても自分にとっては不可能なことだ。バルサは自分にとってこれまで受けてきた教育機関の一つであり、何をさし置いても感謝すべき対象の一つであるから。これから何十年たっても返しきれないほどの恩があるクラブ、それが自分にとってのバルサだ。まだ子供以外何ものでもない13歳でマシアに入り、そして一人の父親となってクラブを出ていった。自分にとって一つの時代を歩いてきたクラブを忘れるわけがない。だが人々にとってのペップはまた別の存在だ。一人の選手であったペップがクラブをあとにし、そしていつかは彼のことを忘れていく。それが自然というものだろう。

あなたにとってバルサの選手として最後のものとなった試合、あなたは普段以上に神経質で審判に対する抗議も多い試合となりましたね。あれが本来のあなたの姿だったのか、あるいは特別な何かがあったのか?

あの試合に関しては自分はあなたとは違うイメージを持っている。試合一つ一つがそれぞれの歴史を作るように、あの試合も自分にとっては一つの試合であり一つの歴史に過ぎなかった。それもまったくと言っていいぐらい個人的にはひどい内容の試合の一つに過ぎなかった。もし経験がすべての試合でものを言うのであれば、400試合以上バルサの選手としてプレーしてきた自分にとって素晴らしい試合にならなければならなかった。だが、フットボールの試合に関して言えば経験はものを言わないんだ。経験を必要とする芝居役者と違ってフットボールでは経験はものを言わない。しかも経験というのは試合数からくるものではなく、経験してきた時間をどのように総括することから来るものだと思う。いずれにしてもあの試合でイライラしているペップという感じをあなたが受けたのは、それはきっとうまくプレーできていなかった自分にイライラしていたからだろう。

あなたは自分を分析したり反省することが好きなようですね。

そんなことはないさ。ただ自分を疑ってみることは多いかも知れない。常に自分を疑ってみる。それは一つの考えに固まって、そしてそのことによって自信を持っている人が自分には信じられないからかも知れない。簡単に言ってしまえば自分は疑い深い人間なんだろう。人を疑うよりも、まず自分を疑うところからいつもスタートするんだ。

バルサを離れてからの時間の中で、何に関して疑問を感じましたか?

疑問を感じることより学んだことの方が圧倒的に多い時間だったと思う。それまで知らなかった国に住み、そして一つの新しい文化を知ること。大きなクラブでプレーする幸せだけではなく、小さいクラブでプレーすることの喜びを知ったこと。つまるところ、どこで生きようが最終的に見つけようと思うものは個人的な幸福感なんだということ。

フットボール選手として具体的にイタリアで学んだことは?

フットボールに関しては学んだというよりは、再確認の場だったということかも知れない。ローマでは自分にできないことを要求された。監督の要求は自分の肉体的な限界を考えれば、個人的には不可能な仕事だったと今でも思っている。そして2年間という契約期間と莫大な年俸を無駄にしてでも自分のキャラクターにあった場所へ戻らなければならない、それがブレッシアに戻った理由だ。自分の可能性から考えればできないことを要求される場所とか、そのことによって退屈感を覚えてしまう場所にはいることができなかった。幸いにも自分のキャラクターにあったクラブが見つけることができたけれど、もしそれが可能でなかったら自宅からゴルフ場に通う方がどれほど有意義だったかしれないと思う。

なぜ、バルサを離れたのですか?

もう個人的に限界だと思ったからさ、すべてのことにね。クラブを取り巻く環境、いつも見る同じ人々、そういうものに新鮮さが感じられなくなってしまったんだ。ガスパー会長は自分には見合わないほどの高額な年俸のオファーを提供してくれた。そのことには非常に感謝している。でも自分の頭がもう機能せず、モチベーションも以前のものとは比べようがないほど低くなってしまっている状態でそのオファーは受けることはできなかった。自分にとって可能なすべてのエネルギーを発揮できる状態ではないのに、それを受けたら自分を騙すことになるからね。本当にそれだけの理由さ。何か自分を奮い立たせるワクワクするものが必要だったんだ。それを見つけるためにはクラブをでること、そうすることだけがそれを可能とすることだと思った。

もう我慢できない、そういう具体的な問題があったんでしょうか?

そうじゃない、そういう何か具体的な一つの問題がネックになったということじゃあない。新しいシーズンを何回も繰り返していくうちに自然と貯まってしまうものが積もり積もってそういう結論に達したという方が正しいと思う。13歳からいつも同じ場所にいて、いつも同じ場所で練習して、そしてある日ふと練習場に通じる階段を登っていくときに思ったことはいつかは違う階段を登って見たい、そういうことだったんだ。まったく説明がつかない思いではあるけれど、子供の頃に憧れたこの練習場に飽きが来ている自分はもうバルサの選手として相応しくないのではないか、そういう結論にまで到達してしまったんだ。自分にとってもっとも名誉なこと、それは何回もリーグ優勝したことやコパ・デ・ヨーロッパに勝利したことでもない。自分にとってもっとも名誉なこと、それは子供の頃から憧れていたバルサの選手であるというその事実なんだ。そしてある日、自分がバルサの選手として飽きるというか疲れてきたというか、何か説明がつかない思いが生まれてきたということは、それ自体バルサという憧れのクラブに失礼なことになる。そして同時に自分に対する裏切りにもなる。うまく、説明できただろうか?

もちろんあなたの言うことはわかります。それでも一つの疑問が浮かんできます。例えばフィーゴの問題などが嫌気がさすきっかけとはならなかったのか、そういう疑問です。

ノスタルジーと語り尽くせないほどの悲しみ、簡単に言ってしまうとこんな感じかな。彼とは非常に馬が合う関係だった。人間的にも、そして何よりも同じバルセロニスタとしてね。あのニュースを知った瞬間、一人のバルセロニスタとしてなぜ彼がマドリに入ったのかまったく理解できなかった。そして時間が一つの結論を与えてくれた。彼にはバルセロニスタとして行動する必要も、そしてバルセロニスタとして生きる必要もないことが理解できたからさ。彼がバルセロニスタである必要はないんだ。なぜならバルセロニスタではないんだから。わかるかな?でもそのことは理解できても悲しみは消えることはなかった。それはスビサレッタがクラブを離れていった時に一人隠れて大泣きしたときと同じように悲しい出来事だった。

今となってはフィーゴのマドリ行きに納得していますか?

自分が納得するかどうかは大した問題ではないだろう。彼が納得しているかどうか、そう、当事者だけが処理しなければいけない問題さ。今でも思い出すのはそのニュースを知ったときに彼と何回も連絡をとってクラブに残るように説得したことだ。そしてそれからしばらくして気がついたんだけれど、それは誤りだったということをね。自分がしなければならないことは彼を説得することではなく、自分の、つまりバルセロニスタとしての考えを彼に伝えることだけでじゅうぶんだったんだ。聞くところによれば、彼はマドリッドで幸せに暮らしているらしい。そう、彼は彼の人生を生きているんだ。そして我々バルセロニスタがしなければならないことは彼の存在を忘れることさ。確かに難しいことかも知れない。彼を愛していたからこそ、それもとてつもなく愛していたからこそ、カンプノウでおこったいろいろな事件があるわけだし、もし彼に無関心でいられるなら年輩の女性が子豚の首を投げたりしないだろう。それでも我々は忘れることの努力をしなければいけないと思う。

前回のインタビューをおこなった時期と今ではフットボール界も変わったと思いますか?

それはすべての物事が時代と共に変わるように、フットボールの世界も当然ながら変化している。例えば、昔は素晴らしい選手に対して与えられた称号は“カリスマ性”があるという言葉だった。小さい子供から、そしてフットボールを何十年と見ている人までがアイドルとなる選手に対して“カリスマ性”という言葉を送った、だが今はもうその言葉は死語となっている。メディア的かどうか、すべてその言葉で処理されてしまうのが現在の傾向だろう。選手として成功すればユニフォームが売れることによって評価される時代だ。もし選手として不調なシーズンを送ったら、それはユニフォームの売れ行きが落ちた選手として認識される。これが悪い傾向かどうか、それは人々が判断すれば良いと思う。