オーベルマルスの記録
(2003/10/01)

オーベルマルスの記録、それは100mを走り抜くスピードの記録でもなく、もちろんエストレーモ選手としてフットボール史上に残る何らかの記録ではない。彼が持つ誰もが破れないであろう記録、それは彼の記録でもあり同時にバルサというクラブの記録となるもの、そう、彼が入団してきたときの想像を絶する違約金の額だ。

2000年7月にバルサがアーセナルに支払うことになったオーベルマルスの移籍の際に必要となる違約金の額は、バルサ103年の歴史に残るものとなる。それは、当時の会長であったジョアン・ガスパーを筆頭とするバルサ理事会の無方針で無責任なクラブ運営を象徴するような出来事としても記録されることになるだろう。会長選挙に勝利し憧れの会長職を手にしたジョアン・ガスパー、そして彼の思いつきのままに勝手気ままにクラブ運営をすることを許してしまった副会長たちや多くの理事会員たち、彼らも決して“無罪”とはなならない。

ジョアン・ガスパーが会長に選ばれた選挙戦で最大の対抗馬となったのは、今回のラポルタ会長が生まれたときの選挙と同じようにルイス・バサット会長候補だった。奇しくも彼の協力者として、ジョアン・ラポルタがバサット陣営に控えている選挙だった。“バルサファミリーの結集”という美味しいスローガンを口実として、ガスパーは対抗場の人々に対して副会長職就任などの“裏工作”をしている。すでに選挙戦中にもバサットはおろか、ラポルタにまで副会長就任の美味しい提案をおこなっている。もちろんそれを断固として断るバサットやラポルタだが、ガスパーが会長に就任してからできたクラブ新理事会メンバーは、選挙を戦った多くの対抗馬メンバーが加わって構成されることになる。ガスパーの言う“バルサファミリーの結集”はこうして烏合の衆として完成される。現在のラポルタチームに誰一人として対抗馬のメンバーが加入していないのとは対照的なガスパー政権のスタートだ。

会長に就任したガスパーがまず最初にしたこと、それはロンドン行きの飛行機のチケットを予約することだった。今のバルサには考えられないことだが、わずか3年前のクラブ金庫にはどこのクラブも羨ましがるようなありあまるほどの資金が用意されていた。ただでさえ“裕福な家庭”であったバルサに、ルイス・フィーゴという親孝行な息子が6千万ユーロという大金をプレゼントしてくれていた。キチガイに刃物を持たしてはいけないように、ガスパーに大金を使える自由を与えてはいけない。だが彼はその大金を使える立場となっていた。ロンドンでの買い物に心をウキウキさせて出発を急ぐガスパー会長。

ガスパーの目指す買い物はアーセナルショップで販売されているマーク・オーベルマルスという選手だった。アーセナルでの買い物交渉がどのような形で進行したのか、それはいまだに明らかにされていない。あくまでもガスパー個人の買い物であったため、クラブ関係者は誰一人として同行していないからだ。だがこの買い物の値段は明らかになっている。4990万ユーロという価格で、オーベルマルスという商品にペティというおまけまでついてのグリコキャラメル値段だった。監督のセラ・フェレールによって作成された補強選手リストにも、そしてスポーツ・ディレクターのカルラス・レシャックのリストにも載っていないペティというおまけ付きの買い物となってしまったが、そんなことは問題ないと思うガスパー、なぜならクラブ念願のオーベルマルスを獲得できたからだ。いかに高い値段であろうと、とにかく目的の商品を買えたことに満足するガスパー会長。

彼を獲得する半年前、つまりまだクラブ会長がヌニェスであった時代のことだ。当時の監督であるルイス・バンガールの要請を受けてバルサ関係者とアーセナル関係者が何回となくオーベルマルスの移籍について話し合っている。両者間の話し合いが煮つまった段階で合意に達した移籍料が1800万ユーロというものだった。ヌニェスが辞任することになる半年前のことだ。だがヌニェス辞任を知ったアーセナルはこの合意を無効とし、ラッチオの要請を受けてオーベルマルスの移籍交渉をおこなっている。バルサの会長選挙がおこなわれている最中のことだ。ラッチオが示した移籍料は1800万ユーロよりも低い数字だった。だがそれでもアーセナルは良しとし、ラッチオの要求に応じたのだ。だが合意に達して1週間もたたないうちにラッチオ側から「ノー」の回答が返ってきた。ラッチオの抱えている財政的問題がメディアによって表面化したからだ。

わずか数週間前には1800万ユーロ以下の値段で売りにだされようとしていた矢先に、アーセナルオフィスに登場したガスパー会長。アーセナルにとってはまるで真夏にサンタクロースがやってきたようなものだ。前にも書いたように交渉内容は明らかにされていない。ガスパーもアーセナル側も沈黙を守っている。だがいずれにしても結果的にオーベルマルス+ペティ=4990万ユーロという、アーセナルにとっては笑いが止まらないほどの美味しい商売となった。

奇妙なことに、この時点ではオーベルマルスの移籍料がいくらでペティがいくらか、それは発表されていない。ワンセットで4990万ユーロとしか発表されていないからだ。それが明らかになるのは彼らが入団してきた1年後、つまりペティがチェルシーに売りにだされたときとなる。ペティの違約金をバルサが1280万ユーロと指定した時だ。クラブ側はこの数字が彼を買い取ったときのものであると発表。これにより逆算するとオーベルマルスの違約金が明らかになる。つまり3710万ユーロというものだ。

そしてそれから3年、すでに今はラポルタ政権となり副会長のサンドロ・ルセーがロンドンに来ている。バルサのカンテラ育ちのセスク・ファブレガスがアーセナルに突如として入団したことに関する話し合いをおこなうためだ。サンドロ・ルセーがバルセロナを発つ前のインタビューでは“セスク問題”に関しては多くの可能性を秘めていると語っている。つまり未成年フットボール選手を両親の住所変更という手段で獲得することのエチケット違反、アーセナルが話し合いに応じない場合はFIFAへの訴えも辞さない可能性、あるいはわずかな金額となるであろうが“違約金”の請求などだ。だがアーセナルとの話し合いが終わりバルセロナに戻ってきた彼の発言は、彼に似合わず歯に物がはさまったようなまさに歯切れの悪い感じだった。

アーセナルの事務所で彼を待っていたのはクラブ副会長のダビ・デインだ。彼はガスパーとオーベルマルスやペティの移籍にも関与していた人物でもある。サンドロ・ルセーはいくつかのアイデアを用意し、可能な限りの数字のユーロをもぎ取るためにこの事務所にやってきていた。だがいきなりジャブを喰らう。それもぶっ倒れそうになるぐらいの強烈なジャブだった。ダビ・ディンは彼に開口一番こう語った。
「セスク問題の話し合いをする前に、我々は交渉しなければならない問題が残っている。まずそれから片づけていこうじゃないか。実はオーベルマルスをバルサに移籍させたときに、違約金以外に“2試合の親善試合の売り上げ”を我々がもらうという条項があるんだ。ところがまだその試合は一試合しかおこなわれていない。もし年内までに残りの親善試合をしないとなると、あなた方は一試合想定売り上げの220万ユーロをキャッシュで支払わなければならないことになっているが、どっちを選ぶつもりでいるのかそれを聞きたいと思っているんだ。親善試合をするか、それともキャッシュで済ましてしまうかい?」

バルセロナに戻ってきたサンドロ・ルセーは他の理事会員と共にオーベルマルスの契約書を検討している。確かに“2試合の親善試合”という項目がある。売り上げはすべてアーセナルにいくという項目もある。ダビ・ディンの語ったことは嘘ではなかったのだ。セスク問題で少々のユーロ稼ぎに行ったサンドロ・ルセーは思いっ切りカウンターを喰らったことになる。現在、多くの理事会員がすべての選手の契約書を、もう埃まみれになった契約書を細かく検討し直しているとしても誰も不思議には思わない。江戸っ子ガスパー、どこまでも恐るべし。


■翻訳資料
EL MUNDO DEPORTIVO紙
SPORTS紙