もしクライフが監督だったら
(2003/11/04)

1988年、ヨハン・クライフがバルサの監督となりカンプノウで展開されるフットボールを見ることによってフットボールそのものを理解してきた多くのバルセロニスタにとって、バルサの現状を分析する彼の発言はいってみれば神の声でもある。水戸黄門と変身してバルサというクラブ機構の現状分析をしたりするときの彼の発言は非常に政治的な姿勢でのものであり、必ずしも的を得ているものとは言えない。だが彼がフットボールそのものを語るとき、それはとてつもなく興味深いものへと変身する。1996年に突如として監督を更迭されてから、これまで一度としてバルサの“フットボール的なこと”に関しては公式発言として語ってこなかった。つまりロブソン、バンガール、セラ・フェレール、レシャックと監督が交代していくなか、彼は一切の沈黙を守ってきた。だが今、彼の友人であるラポルタが会長となり以前とは比べようもないほどクラブに近い存在となったクライフは、ラ・バンガルディア紙に「もし私が監督だったら」というバルセロニスタにはヨダレのでそうなコメントを寄せている。

フットボールを観戦するのは楽しいことだ。だがすべての試合を楽しく観戦できるわけではない。特に最近のフットボールシステムの特徴と言っていい、あるいは流行のスタイルと言っていいドブレ・ピボッテ(二人のピボッテ)システムはどうも納得いかないものだ。ここ何年かのフットボールスタイルを見ていると、最も重要なポジションは中盤であることは誰でも理解できることだろう。多くのチームが中盤を支配することで試合そのものをコントロールしようとする傾向があるからだ。そしてそのような傾向がある中で、ドブレ・ピボッテを起用してのコントロール・フットボールを試みようとする発想は間違いだと信じている。

例えば、ボールが自陣にある時はドブレ・ピボッテもいきてくることを認めよう。だが、そのボールを相手に奪われた瞬間に問題がやって来る。なぜならその瞬間にドブレ・ピボッテが存在するチームは真っ二つに割れてしまうからだ。そしてこの割れた空間にできる隙間を二人のピボッテでカバーし埋めるのは容易なことではないだろう。

だから私が理想と考えるのは4−3−3システムだ。中盤を二人ではなく三人の選手を起用して支配することが可能となる4−3−3システム、これが現状のフットボール傾向に対応する最適のシステムだと考える。多くのフットボール通の人は反論するだろう、中盤を構成しているのはドブレ・ピボッテの二人だけではなく四人であると。だが私はその反論を受け付けない。なぜならそれは真実ではないからだ。ドブレ・ピボッテを起用しているほとんどのチームの中盤構成は彼らピボッテだけで成立している。

今ではクラシコとなった“4番”の存在を復活させることは、すでに不可能ではないだろうかと思う人もいるだろう。もし私が監督になっていればその疑問に関しては簡単に答がでることになる。そう、私のチームには今のようなフットボール現状でも“4番”の存在は可能となる。グアルディオーラ、あるいはチャビのような“4番”の存在が私のチームの基本となるだろう。だが彼の存在を助けることになる二人の選手が必要となることも付け加えておこう。一人のピボッテを助ける二人の中盤の選手、そして彼らの後ろには一人の、例えばクーマンのようにボールを前に出せる能力を持った選手を中心に四人のディフェンスを置くのがいいだろう。なぜなら、中盤がつまったり相手のプレッシャーが強いとき、この選手からのロングパスによる直線的な攻撃がいきることになるからだ。だが横のラインを基本とするドブレ・ピボッテシステムでは単なる前線への放り込みとなってしまう。トリアングルではなく横のラインを基本とするからパスはどうしても平行パスとなる傾向が強い4−2−3−1システム、このシステムが現在流行となっているからといってモダンなシステムと思っては間違いだ。なぜならイングランドでは30年前に流行ったシステムなのだから。

四人のディフェンスを置くということからもわかるように、かつての“ドリームチーム”時代の3−4−3システムは起用しないだろうと思う。試合経過次第でそういう状況が生まれることはあっても、基本的システムとしてはあまり有効なものとは言えないだろうからだ。多くのチームが4−2−3−1というシステムを起用している今、4−3−3というシステムは平行なパスをできるだけ少なくし、トリアングルによる相手にとって“危険”なパスが可能となる。そしてもちろん攻撃は後ろから開始されることになり、厚い中盤をトリアングルで経過していくことになるだろう。

“9番”についても触れておかなければならない。多くのビッグチームが必ずと言っていいほど抱えるクラックとしての“9番”選手。果たしてバルサに毎シーズン25ゴール以上を約束してくれる“9番”の選手が必要かどうか。私は特別な選手、例えばロマリオとかバン・バステンのような選手であれば獲得するべきだとは思う。だがそのような選手が見つからないのであれば、あるいは存在しないのであれば、そういう一人のクラック“9番”選手に依存するのではなくて、多くの選手がゴールをきめる可能性が生じるシステムを起用すべきだと信じている。それが可能となるのが4−3−3システムだと思う。なぜならフットボールはトリアングルと同義語だと信じる私にとって、このシステムがそれを実現可能とするものになるからだ。

別に新しいことを言っているわけではなく、何か発明したものを自慢げに語っているわけでもない。なぜなら私の現役選手時代にはそう信じてプレーしていたわけだし、事実フットボールそのものがそうだったからだ。私が“9番”の選手と言われてバルサに入団した時、チームにはソティルとかマルシアルやアセンシ、レシャックというゴールを決める能力を持つ選手が多くいた。それぞれの選手の能力は別として、なぜ彼らは多くのゴールを決めることができたのか、それは常に相手ゴールを背にしてではなくゴールに向かってのプレーをしていたからだ。相手ゴールを背にしてプレーすることを要求されている今の多くのデランテロと違い、彼らの顔は常にゴールと向き合ってのプレーだった。

“ドリームチーム”の時代、もし中盤を必要以上に厚くする必要に迫られた時、その手助けをするのは左右のエストレーモ選手ではなく“9番”の選手だった。そして同時に、左右のエストレーモが“9番”よりも高い位置でプレーするスタイルをとることになる。それはなぜか、相手ディフェンスを不安にさせるためなんだ。

相手の“9番”をマークする一人のセントラル選手は中盤に下がった“9番”を追いかけることになる。そこは当然ながら彼の安心してプレーできる“場所”ではない。ラテラルの選手はできるだけ自陣ゴールから離れたところでエストレーモをマークしたいと思うのが自然だ。したがってより上に上がってきているエストレーモをゴール近くでマークするのは彼らの気持ちよく働ける“場所”でもない。多くのチームが四人ディフェンスをとっているが、こういう状況になるとポルテロの前には一人のセントラルしかいなくなる。常に二人でゴール前を守っているセントラルが一人になり、不安な状態になっても不思議ではないだろう。結局彼のいるところもまた、自分の安心して働ける“場所”ではなくなるわけだ。一人で埋めるには不可能なほどのスペースが生まれてしまうわけだからね。

本格的なエストレーモシステムを起用するか、あるいは左右のインテリオールシステムを起用するか、この議論も終わりを見ないものとなっている。だがそれ自体を議論の対象とするのは空論と言っていい。なぜなら多くの検討材料を抜きにしてそれだけでは語れない問題だからだ。グランド自体を広く使ってプレーしたいのかどうか、サイドからの攻撃を最大の武器として攻撃態勢を作りたいのかどうか、現状のフットボール世界では非常に少なくなった本格的なエストレーモ選手を擁しているのかどうか、さらに言ってしまえばそのチームのソシオはそのスタイルを望んでいるのかどうか。検討材料は山とあるだろうが、基本的にはそのクラブの持つ歴史的な戦い方のカラーが重要な問題となるだろうし、もう一つ重要な検討材料となるのは対戦する相手チームを分析して生まれる戦術だ。

戦術とは相手チームの分析をして初めて成り立つものだ。どこの部分に弱点を持ち、どこの部分が強いか。それを分析して初めていつエストレーモスタイルで攻めていくか、いつエストレーモ選手をベンチに下げて違うキャラクターの選手を起用していくか、それが戦術となる。つまり私にとっての戦術とは相手の弱点をいかに攻めるかのものであって、決して良いとされる部分を崩そうとするものではない。


■資料
LA VANGUARDIA紙