ロナルディーニョ物語・1(アシス家)
(2004/08/18)

時代は1930年代。ブラジルのポルト・アレグレから北の方に200キロほど行ったところにサンタ・クルス・ド・スルという、ほぼ20万人ぐらいの人々が住む町がある。決して裕福な人々が住む町ではなく、また時代が時代であったが故に、多くの人々が日の出から日没まで毎日のように汗を流して働かなければ生きていけない肉体労働者が多い町。このロナルディーニョ物語で最初の登場人物となるエバ・マリア・ダ・シルバという女性と、エルビノ・デ・アシスという男性もこの町で生まれ育っている。そして彼らは子供のころから、他の多くの人々がそうであったように、労働に汗流す毎日をこの町でおくっていた。手にマメをつくり、毎日の仕事から解放されるころには背中にギシギシと痛みを感じる、そういう多くの典型的な肉体労働に従事する人々だった。

ソウサ・クルス、それが彼らが子供のころから働いているタバコ精製会社の名前だ。タバコの葉がなる木を植え付けることから始まり、季節がやってくれば葉を刈り取り、そして乾燥させてからタバコ製造までの工程に汗を流す毎日。エバとエルビノ、彼らはいつの間にかごく自然と恋人同士という関係になり、そして将来一つの家庭を築くようになっていく。これまでの仕事仲間がいつの間にか一つの家庭を築いていったのと同じように、同じ会社に長く働く男女にとってごく自然な成り行きでもあった。そして当時のブラジル人家庭の多くがそうであったように、彼らもまた“大家族”を構成させていくことになる。

ニルダ、ダウリリア、エリシア、テレッサ、ルシア、ブルニルド、ネルシンダ、デルシ、ミゲリーナ、コンセイサン、カルメン、ナタリーナ、ジョアン。彼らがこの世に誕生させた13人の子供たち。そして彼ら夫婦はこの世を去るまでに、なんと50人の孫たちと43人の曾孫たちに“遭遇”している。まさに想像を超える大家族と言っていい。

1949年10月10日にこの世に誕生してきたミゲリーナと名付けられた女の子は、彼らにとって9人目の子供であり、同時に8番目の娘として生まれている。そして彼女が7歳になったとき、つまり1956年、エバとエルビノの両親は都会に引っ越すことを決意する。サンタ・クルス・ド・スルという生まれ育った町しか知らない彼らにとって、それは大冒険に等しいことであったものの、ポルト・アレグレという都会に住むことにより生活状況をできる限り向上させようという願いが彼らに引っ越しという決意をさせる。リオ・グランデ・ド・スル州の中心都市であるポルト・アレグレ、そこが彼らの住むことになる町。ちなみに己の出身地に並々ならぬ誇りを感じると言われるブラジル人には、出身州によって、つまり東京生まれの人を江戸っ子と呼ぶように、いろいろな呼び方がされている。例えば、リオ・デ・ジャネイロの出身者はカリオカ、サン・パウロ出身者はパウリスタ、そしてリオ・グランデ・ド・スル出身者をガウチョ(ガウショ)と呼んでいる。

ポルト・アレグレに引っ越しを済ませてから徐々に徐々に生活を安定させていくエバとエルビノ。この時代のブラジルでは貧しい家庭内の多くの若い女性たちがそうであったように、彼らの娘たちも10歳を過ぎた頃から“家政婦”として裕福な家庭に住み込みで働きに出される。多くの子供を抱える家庭にとって、住み込み家政婦として娘たちを働かせることは経済的な負担をへらすためには非常に重要なことだった。食費や養育費がかからないだけではなく、子供たちからの仕送りも期待できるからだ。12歳になったミゲリーナも姉たちと同じように住み込み家政婦として働きにでている。昼間は義務教育を受け午後からいろいろな仕事をこなすミゲリーナ。部屋や庭の掃除、アイロンがけ、料理、買い物、午後にしなければならないことは山のようにある。そして夜寝る前には学校の宿題が彼女を待っていた。だがミゲリーナには不満というほどのものはなかったようだ。他の多くの娘たちがそうであったように、他人の家庭に住み込み働くことによって自分の家庭では教わらなかったことを学んでいく。それを楽しいと思うミゲリーナ。

住み込みを始めて3年たった。彼女はすでに15歳になっている。そんな彼女に彼氏ができた。ジョアン・ダ・シルバ・モレイラというカッコいい若者だった。両親ともポルト・アレグレで生まれており都会的な雰囲気を持つ家庭で育っているモレイラ少年。昼間は造船職人として、そして仕事から解放されている間はガウチョリーグ二部カテゴリーに所属するクルセイロというクラブの選手として練習に励む少年でもあった。そういう彼れらが結婚をすることになるのは1970年の1月10日。モレイラが兵役から戻ってきてからしばらくしてからのことだった。サン・ホセ・デ・ビラノバという教会で両家族の多くの親戚と、これまた多くの友人たちが集まっておこなわれれている。アシス・モレイラ家の誕生、この世にロナルディーニョ・ガウチョという一人の天才フットボール選手を生み出す家庭が誕生した。

将来には、長男ロベルト、長女デイシ、次男ロナルディーニョという3人の子供も含めて構成されることになるアシス・モレイラ家だが、息子のロベルトやロナルディーニョのことに触れる前にミゲリーナとモレイラという両親のことに関してもう少し書いておこう。なぜなら非常に興味深い人物たちだからだ。

結婚したミゲリーナは家政婦業を辞めてエイボンという化粧品会社で働くことになる。アメリカ企業の化粧品会社であるエイボンはブラジルや中南米に進出し大評判を得ていた時代だった。化粧品関係のパンフレットをカバンに詰め、各家庭を訪ねては商品を販売する毎日をおくることになる。歩合制の仕事であったため、販売すればするほど収入が増えるこの仕事を彼女は気に入っていた。たがこの仕事のベテランになればなるほど何か物足りなさを感じてくるミゲリーナでもあった。何か自分が納得できる仕事をしてみたい、そう常々思っていた彼女が大決心をするのは化粧品の販売仕事を始めてから14年後のことだった。子供たちも手のかからないぐらいに成長していたこともあり、タイミング的にはいい頃だ。彼女はある日新聞広告に載っていた“公務員募集”に挑戦することにした。だがどこの国でも同じように、公務員採用試験にはある程度の学歴を要求する。彼女は当然ながらその学歴が不足していた。それでも彼女はめげない。学歴が必要ならその学歴を取得すればいい、そう前向きに考えるミゲリーナ。彼女は役所が紹介してくれた大人向けの特別教室に入学し、学歴不足というハンディーを乗り越えることに成功する。1987年12月12日、38歳になっていたミゲリーナは見事に試験に合格した。

ロナルディーニョの父となるモレイラの子供の頃からの夢はプロのフットボール選手になること。残念ながら大人になってもこの夢は実現できないままこの世を去っている。だが彼が持っていたもう一つの大きな夢、それはアシス家のメンバーだけで構成されるチームによるフットボールの大会をおこなうことだった。プロの選手にはなれなかった彼だがこの夢は実現させている。アマチュアであろうがプロであろうが、かつて一度はクラブチームに所属した経験を持つアシス家親族メンバーのみによって構成されるフットボール大会。彼の呼びかけに応じた兄弟や従兄弟、甥っ子たち。ペドレイラ、アス・デ・オウロ、ウルグアイアーナ、ミスト、ラボウラ、アリアード、グレミオ、インテル、インテル・デ・ラゲス、カシアス、アミサーデ、シオン、サオ・ルイス、アルモウール、サン・パウロ・デ・リオ・グランデ、キカ・キカ、ティメ・デベト、ペリキート、モンテ・クリスト、フィエスタ、そしてオットーというようなクラブに在籍していた多くの親戚が集まってきた。彼らはいくつかのチームを編成し、アシス・モレイラ家の近くにあるペリキートというスタディアムを使って夏休みを利用して今でも毎年大会をおこなっている。

1989年1月10日、アシス・モレイラ家は結婚19周年を祝おうとしていた。例年おこなわれる結婚記念祝賀会と違うこと、それはグアルッハというところに建てた新居祝いも兼ねていたことだ。だが18歳になっていた彼らの長男であるロベルトがユースワールドカップ出場のために不在していたため、彼が戻ってくる25日まで祝賀会を延期することになる。

その25日がやってきた。アシス・モレイラ家の新居には午後の5時には大勢の招待客でいっぱいになっていた。親戚の人々、近所の人々、そしてロベルトが在籍するグレミオの関係者や選手たち。欠けているものは一つもなかったと言っていい。食べ物や飲み物は所狭しと並べられていたし、どこにいてもサンバのリズムの曲が聞こえてくる。だがパーティーが始まって何時間か経過したとき、誰かがモレイラの不在をミゲリーナに問いだした。
「モレイラはどこにいったんだろう?」
サンバの曲とともに踊り続けていた人々、サラダや各種料理をつまんでいた人々、ビールやワインに酔いしれていた人々、誰一人としてモレイラの不在に気がついていなかった。
「モレイラがいない、モレイラがいない・・・・」
パーティー出席者たちが騒ぎ出した。

新居の庭に作られたプールにモレイラが浮いているのを見つけたのはロベルトだった。緊急に運ばれた病院で3日間危篤状態を続けたあと死亡することになるモレイラを診察した医者は、彼の死因を心臓発作としている。暑い日だったので夕涼み気分でプールに入った瞬間に心臓発作を起こし、プール内から動けないまま窒息状態になったという。念願の新居に引っ越し19年目の結婚記念祝賀会という大きな幸せの日が誰しもが予想できない大惨事となったのは、ロナルディーニョがもうじき9歳を迎える頃だった。


資料
「RONALDINHO la magia de un crack」
著者・TONI FRIEROS
出版・COLECCION SPORT