ロナルディーニョ物語・6(マンチェスターの勝利?)
(2004/09/13)

サンドロ・ルセーの一つの武器、それはナイキコネクションだった。スペイン・ポルトガルのナイキ・マーケティング最高責任者という経験や中南米進出作戦のボスでもあった彼であるからして、ナイキのコネだけは誰にも負けない自信があった。彼はロナルディーニョ獲得作戦を遂行するにあたってこのナイキコネクションを最大限に駆使するつもりでいた。

ロナルディーニョが在籍するPSGへの最初のコンタクトもナイキ・フランス責任者であるオリベル・ジャウベルを通して可能となった。それは5月の最初の週のことであり、ジョアン・ラポルタはまだ正式な会長候補とさえ認定されていない。PSG会長のフランシス・グライレとの最初の接触は電話でおこなわれている。ロナルディーニョ移籍の可能性を探るサンドロ・ルセー。
「申し訳ないが、我々はどこのクラブにも売る気はない。すでにマンチェスター、レアル・マドリ、インテルなどが接触してきたが、すべてのクラブに同じことを言っている。我々はロナルディーニョを手放す気はない。」
バルサというクラブの関係者でもなく、またナイキの関係者でもなく、まして次期会長選の正式立候補予定者でもないサンドロ・ルセー。予想通りのつれない返事だったとはいえ何の肩書きもない彼がPSG会長と接触できたことに満足していた。まだロナルディーニョ獲得作戦は始まったばかりだ。

5月14日、ついにジョアン・ラポルタが会長選挙立候補進出をメディアに発表した。一定の数のソシオの推薦サインが必要となるバルサの会長選挙であるからして、まだ正式な会長候補ではないものの、一応のところ会長選に打ってでようとするメンバーの一人として公認された。この翌日、サンドロ・ルセーはパリに飛んでいる。今回はクラブ会長候補スタッフメンバーの一人として直接にPSG会長と接触するためだ。もちろんこの会合を実現させるためにもナイキ・フランス責任者であるオリベル・ジャウベルの力が必要だった。
「電話であなたに言ったように我々はロナルディーニョを売る気はない。だが机の上に山のように積まれているオファー書類の中に非常に興味深いものがあるのも事実だ。その一つはレアル・マドリからのもであり、もう一つはマンチェスターからのもだ。どちらも3000万ユーロ近くの違約金を用意している。」
レアル・マドリとマンチェスター、それも3000万ユーロ。始まったばかりのロナルディーニョ獲得作戦とはいえ、サンドロ・ルセーの頭の中はガンガンと強烈な音がし始めた。

6月15日の会長選挙でソシオによる圧倒的多数の投票により会長に選出されるジョアン・ラポルタだが、サンドロ・ルセーはそれまでの間、何回もロナルディーニョとロベルトに接触している。まず第一に彼らを抱き込むことが最優先と考えたからだ。だが個人としてはバルサに行きたいというロナルディーニョの思いや、サンドロと彼らの間に生まれている友情だけでは簡単に片づかない問題でもあった。ロナルディーニョはサンドロに繰り返し語る。
「サンドロ、自分がバルサに行きたいということは知っているだろう?でもすべてのオファーを検討しているのはロベルトなんだ。」
そしてロベルトはサンドロに語る。
「弟はバルサに行きたがっているし、兄の自分としてもそうなることを願っている。でもな、サンドロ、これはビジネスなんだ、わかるだろ。俺のところにきている他のクラブのオファーはバルサのそれと比べようもないぐらい美味しいものなんだ。だからさ、あんたたちのグループの親分が会長に選ばれたら、もっとオファー額を増やさなければダメだよ。」

ジョアン・ラポルタが会長に選出されてから数日後にベッカムのレアル・マドリ入団が発表された。ジョアン・ラポルタチームは選挙戦を戦うにあたりベッカム獲得の可能性を臭わせており、そのアドバルーンは彼の会長選勝利の一つの重要なファクターであったことは間違いない。選挙運動中にはベッカム移籍に関するマンチェスターとの合意達成という発言までされていた。だがベッカム個人との合意を得ていたレアル・マドリが最終的には彼の獲得に成功。新会長が臭わせていた最大のアドバルーンがすぐにパンクしたことにより多くのソシオが苦虫をかみつぶすことになる。だがこのニュースを一人喜んだ人物がいた。もちろんそれはサンドロ・ルセーだ。ベッカムがバルサに来ないことが決定したことにより、バルサはロナルディーニョ獲得に最大のエネルギーを注ぎ込む必要性に追い込まれたからだ。そして彼の獲得作戦を秘密裏におこなってきた彼にとって、ここが腕の見せ所となった。

ロナルディーニョ獲得の噂がボチボチとメディアに流れるようになってきている。そんな折、サンドロ・ルセーに思わぬ人物からの電話が入ってきた。
「サンドロ、あたしマネルよ。なんか最近よくPSGの会長と接触しているというニュースを見るんだけれど、もしあたしの力が必要ならいつでも助けにいくわよ。」
マネル・アロージョ、彼女はスペインでのバイクロードレース世界選手権(WGP)を主催するドルナという会社の最高責任者であるカルメロ・エスペレッタの右手となって働くやり手女性だ。そして彼女はPSG会長のフランシス・グライレを誰よりもよく知る人物でもあった。フランスWGPのテレビ放映権を所有しているのはフランシス・グライレが会長を務める会社であり、彼女とフランシス・グライレは長年一緒に仕事をしてきた仲でもあった。カタルーニャ州のビックという街で生まれ育った彼女は父親の影響を受けて子供の頃からバルセロニスタであり、サンドロ・ルセーとも何回か一緒に仕事をしてきた関係で家族ぐるみでつきあっている仲だった。そんな彼女が一肌脱いでくれる、サンドロ・ルセーにとっては大きな味方を得たことになる。

マネル・アロージョは早速フランシス・グライレに連絡をとっている。7月のはじめのことだ。親友のサンドロも含めて一緒に食事をしようという提案だった。その食事会はフランシス・グライレの自宅があるリヨンの高級ホテルのレストランでおこなわれた。“PSG”側からはフランシス・グライレと奥さん、“バルサ”側からはサンドロとマネルが出席している。この食事会と銘打った“交渉”では次の三つのことが明らかになっている。一つ、それはクラブとしては依然としてロナルディーニョを移籍させる意志はないこと。二つ、バルサ側は2500万ユーロの違約金を用意していること。そして三つめ、1週間以内に再び食事会、あるいは話し合いをおこなおうということだった。すでに具体的な数字まで出したサンドロ・ルセーにとって、2回目の交渉はロナルディーニョ獲得作戦が成功するか失敗するかの天王山と思われた。勝負、いざ勝負。

7月15日火曜日、2回目の交渉がおこなわれた。場所はリヨンにあるビージャ・フロレンティーナ・ホテル内の会議場。出席者はフランシス・グライレ、サンドロ・ルセー、マネル・アロージョ、そしてロベルト・アシス。彼らは簡単な挨拶をすませた後、オファーとして出されている2500万ユーロの再確認や支払い方法などの、一人の選手が移籍する際に当たって最低限必要な確認をおこなっている。そして1時間経過した時、いきなりフランシス・グライレが彼らに語る。
「申し訳ないが、ほんのちょっと席を外さしてください。」

このホテルから歩いて3分とかからないところにあるホテルで、もう一人の人物がフランシス・グライレとの会合を約束していた。前日にプライベート飛行機でリヨン入りしていたピーター・ケニオン、そう、マンチェスターのスポーツ・ディレクターであるピーター・ケニオン、その人だった。彼らの話し合いも1時間程度かかっている。そして再びサンドロたちが待つホテルに向かうフランシス・グライレ。
「サンドロ、2500万ユーロのオファーでは我々は満足できない。もっとオファー額を上げないと話し合いを続けることはできない。2700万ユーロではどうだ?」

実際には3秒程度のものであったにも関わらず、サンドロ・ルセーにとっては1時間ぐらいに思えるほどの長さで頭の中にある電卓がガチャガチャとフル回転。
「OK、それで決まりだ!」
両耳を真っ赤にしながらも笑顔いっぱいのサンドロ・ルセーは、そう言いながら右手を差し出して商談成立の握手を求める。マネルやロベルトもホッとした表情で関係者同士の握手するシーンを見守ろうとしている。だが、不思議なことに、フランシス・グライレの右手はついにサンドロの右手に触れられるじまいだった。
「サンドロ、申し訳ないが、もう一度だけ席を外すことを許してくれ。」

今回の不在は1時間というものではなかった。ジリジリとながら待ち続けるサンドロ・ルセー。彼の腕時計はすでに20時を指していた。かれこれ3時間も待たされていることになる。そしてついにフランシス・グライレがあらわれた。
「サンドロ、3000万ユーロだ。もしそれが不可能なら話し合いはこれで終わりだ。」
今回はサンドロ・ルセーの頭の中の電卓の必要性はなかった。
「我々は2700万ユーロ以上出す意志はない。1ユーロとてそれ以上出す意志はない。」
その言葉を聞いたフランシス・グライレはいきなり立ち上がり、困惑気味の表情を隠せない3人に向かって一人一人握手を求めた。商談成立の握手ではもちろんなく、商談不成立の握手だ。マンチェスターは違約金として3000万ユーロ、タイトル獲得ごとに300万ユーロのボーナスをPSGに支払うオファーを用意していた。

翌日におこなわれるPSGとマンチェスターとの最終交渉によって、ロナルディーニョはドーバー海峡を渡ったところで何年間かプレーすることが決定されるはずだった。だが、サンドロにも、マネルにも、ロベルトにも、そしてPSG会長のフランシス・グライレにも、誰一人として予想できない展開が待っていた。


資料
「RONALDINHO la magia de un crack」
著者・TONI FRIEROS
出版・COLECCION SPORT