Mariano Angoy
アンゴイ


1966年5月22日生まれ
1994−95シーズン、28歳でデビュー

バルサインフェリオールの各カテゴリーを経てバルサBに上がってきたのが1990年の夏。すでに24歳となっていたマリアノ・アンゴイ、今ではあり得ない年齢でのバルサBへのカテゴリー昇格だ。しかも彼はこのカテゴリーで4年間もプレーすることになる。1995年、もう28歳となっているアンゴイがやっとバルサAチームでデビューすることができたのは4月16日におこなわれたオビエド戦だった。

すでにスビサレッタはいない。アテネでおこなわれたミラン相手のコパ・デ・ヨーロッパ決勝戦に負けた帰り道、クライフはスビサレッタにサヨウナラを言い渡している。そして彼がいなくなってからの最初のシーズンとなった1994−95からバルサポルテロの戦国時代が訪れる。まず正ポルテロに選ばれたのはカルロス・ブスケ、だが彼の控えにはスペイン代表ポルテロであり、このシーズンにログローニェスからやって来たロペテギがいた。したがってバルサBの正ポルテロを務めるアンゴイは3番目のポルテロだった。その彼が突如としてデビューしてきたときには、当然ながら多くの人々が驚くことになる。ブスケが負傷していたとはいえ、ロペテギは元気ピンピンだったからだ。いずれにしてもこのデビュー年、彼はバルサBで17試合、Aチームで5試合出場。翌シーズンは7試合出場しシーズン終了と共にバルサを去っている。義理の父親にあたるヨハン・クライフと義理の弟にあたるジョルディと共に。そう、アンゴイはクライフの娘といつの間にか結婚し、クライフファミリーの一員となっていた。

1996−97シーズンに入りロブソンが監督としてやって来た。もうコネはきかない。彼は二部Bカテゴリーに在籍するコルドバというクラブへと移籍していった。その後、何年かして彼がメディアの前に登場したのはバルセロナドラゴンというアメフト選手に変身してからだった。現在はバルセロナでビジネスマンをやっている。