Ivan De La Pen~a
イバン


1976年5月6日生まれ
1995−96シーズン、19歳でデビュー

1995年9月3日、バジャドリ相手の開幕戦にバケーロに代わって一人の若きスター選手がバルサAチームデビューしている。イバン・デ・ラ・ペーニャ、その名はすでにミニエスタディで多くのバルセロニスタに知られ、バルサBチームに在籍し将来有望と期待された選手だった。そして彼は間違いなくスター選手だった。当時、二部Aカテゴリーに在籍していたバルサBの試合を観戦に、毎試合1万人近いバルセロニスタが押し寄せていた。そして彼らの視線を釘付けにしたのがイバンのプレーだった。かつて同じスタディアムで見たグアルディオラとは明らかにタイプが異なるものの、スペクタクルを提供してくれる選手だった。バルサAチームデビュー以来、このシーズンはリーグ戦に31試合出場している。

クライフが去りロブソンが監督になり相変わらず絶対スタメン選手とはならないものの、それなりの数字を出して出場している。9番ロナルドとの絶妙なコンビが話題になった時期もあったし、何よりもバルセロニスタには絶対の人気を持っていた選手だった。そして1年で去っていったロブソンの代わりに監督就任してきたバンガールも、シーズンの最初の頃はイバンを起用し続けている。だがリーグ戦が折り返し地点を過ぎるあたりから急激に彼の出場が減少してくる。バンガール1年目のチーム作りにイバンははみ出す格好となっていた。

11人の選手に絶対の犠牲的な精神を要求するバンガールフットボールは、それまで自由に動き回っていたイバンにはどこかぎこちないシステムとなったことは疑問の余地はない。カンプノウのスペースをすべて使って動き回っていた彼に要求されたことは、10?範囲内での動きの縮小だったし、縦パスよりも横パスを要求された。これまで以上に相手のボールを奪うことも要求された。イバンは試合ごとにかつてのイバンではなくなっていった。バンガール1年目のシーズン後半にはほとんど出番がなくなった彼は、翌年の1998年夏、ラッチオへ移籍していく。決して明るい“職場”変更ではなかった。カルッチオフットボールの水に合うほどの出番がなかったことや、数々の負傷もマイナス要因となった。

そして2000年の夏に1年だけバルサに戻ってきた。だがこの“復帰”は当時のクラブ理事会の政治的な発想からきたものだった。ほとんど活躍の場もなく、翌年再びラッチオへ戻され、そしてしばらくしてエスパニョールへと移籍し現在に至る。