Calres Puyol
プジョー


1978年4月13日生まれ
1999−00シーズン、21歳でデビュー

バルサインフェリオールカテゴリーを経てバルサAチームに上がってくる選手のほとんどは、バルサCというカテゴリーをパスしてやって来ている。チャビ、イニエスタ、メッシー、バルデス、彼らはバルサCチームの“助っ人部隊”の一員として出場したことがあっても、1シーズンにわたってバルサCに在籍したことはない。ただ、もちろん例外となる選手もいる。現在のライカーバルサチームの中にあって、ジョルケラとこのプジョーだけがバルサCカテゴリーで1年以上プレーしている。それは何を示すのか、そう、彼らはあまり将来を期待されていなかった選手と想像できる。

17歳でバルサフベニルチームにやって来たカルラス・プジョー。このフベニルチームでも、バルサCでも、そしてバルサBでも、光り輝くような活躍は見せていない。バルサBカテゴリーに上がってくるまでは右インテリオールというポジションが多かった彼だが、非常に優れたセントロカンピスタという印象もなかった。それではカルラス・プジョーの持ち味は何だったのか。クラブ関係者の一人であり、彼を最もよく知る一人でもあるドクター・プルーナ氏が語る。
「己の可能性を誰よりも強く信じた選手。」
もちろん、己を信じるだけでは今のカピタン・プジョーは誕生してこない。持って生まれた才能に加え、一日24時間フットボール漬けの生活や、学習能力の高さもまた特記しなければならないだろう。

右ラテラル選手レイジゲルが負傷し、出場不可能となったバジャドリ戦。1999年10月3日のことだ。当時監督バンガールはバルサBからプジョーを招集し、出場させている。己の可能性を信じた男がついにデビューを飾ることになる。デビューした翌年、バルサ監督はセラ・フェレールに交代。その彼がプジョーの移籍をプランニングするものの、プジョーは応じなかった。
「例えバルサBでプレーすることになろうと僕はここから動かない。」
有名なセリフだ。

2000年10月22日、カンプノウでのクラシコ戦。ペセテロをピッタリとマークし見事に押さえきった瞬間から、カルラス・プジョーの存在は多くのバルセロニスタの間で絶対のものとなった。