Thiago Motta
モッタ


1982年8月28日生まれ
2001−02シーズン、19歳でデビュー

1999−00シーズン、バルサBに見慣れない選手が加わってきた。見慣れないのは新しくやって来た選手という意味だけではなく、バルサカンテラチームには珍しく身長があり、フィジカル的にも非常に強いイメージのある選手だったからだ。体そのものは細いにもかかわらず、あたりには誰よりも強い選手であり、ブラジルからやってきた青年だから、テクニック的にも優れていた。足も決して遅くはない。ロングシュートも強烈であり、何よりもフリーキックを得意とする選手だった。ティアゴ・モッタ、ラ・マシアに加入してきた久しぶりの大型選手。周りにはアルテッタ、ガブリ、そしてチャビなど、それほど大きくない選手がいたチームだけに、やたらと目立つ選手だった。

モッタが入団し来てから2年目、バルサAチームの監督に、カルラス・レシャックが就任している。そのレシャックが練習にモッタを呼び始めたのが2001年の秋頃。それから間もなくバルサAチームデビューを果たすことになる。2001年10月3日、リーグ戦第6節となるマジョルカ戦で、ルイス・エンリケに代わって出場しリーグデビュー。そしてシーズンが進んで行くに従い、徐々にではあるものの試合出場回数を増やしていき、大型セントロカンピスタとして期待されたモッタが順調に成長していく。

これほど多くの監督に信頼されたカンテラ選手も珍しい。レシャック、バンガール、アンティック、そしてフラン・ライカー。彼がバルサAチーム選手としてデビューして以来、すべての監督に期待され起用され続けてきた。だが、残念なことに負傷の多い選手であり、しかも私生活に色々と問題があることでも有名となってしまった選手だった。多くのバルセロニスタの期待を受けながらも、ついに期待通りの活躍を見せることができずクラブを後にしたのが2007年の夏、At.マドリへと移籍していく。

以下は、2007年8月8日“こちらカピタン”より一部抜粋。

ラ・マシアから誕生した他の選手と比べると、明らかに異彩を放っていた。アルテッタ、チャビ、ババンジーダというようなテクニックはありながらも小柄で、しかもファイトが外にでることのない選手が多かったバルサBチームにあって、19歳という若さで、すでに本格的なセントロカンピスタとしての素質を誰よりも持っている選手だった。アルテッタに負けないワンタッチフットボールを展開するテクニックを持ち、チャビにも劣らない状況判断の早さを可能にするインテリジェンスを持ち、ガブリにも負けないゴールに絡むプレー能力を持ち、そしてバルサBにあっては誰も可能としなかった高いボールを処理する能力と、ピンチと感じた状況では、容赦ないファールを試み相手の攻撃を止めるずるがしこさを持っていた。そう、モッタはセントロカンピスタとして必要とされるすべてのものを持っていた選手と言っても大げさではなかった。

長いあいだ見てきたファンにとっとは、まったくもってフラストレーションがたまる選手と言える。これほど素質に恵まれ、これほどチャンスを与えられ、これほどファンから期待され、そしてこれほど甘やかされ続けたたカンテラ育ちの選手は少ない。モッタは誰よりもクラブ関係者に感謝し、彼を指揮してきたすべてのコーチングスタッフに感謝し、彼を甘やかし続けてきたメディアに感謝し、そして彼を支持してきた多くのバルセロニスタに感謝しなければならない立場にある。チキがマヌケな発言をしたからと言って、それを批判してはいけない唯一のバルサ選手でもある。それにもかかわらず平然と批判するところが彼の甘さであり、モッタがモッタである由縁だ。いくら感謝してもしきれないクラブに対し、自由契約にしろ!と要求する発想そのものが、この選手の甘ったれ精神を象徴している。

バルサを去ってからすでに1年。負傷したという噂しか伝わってこないが、果たして今何をしているのだろう。