Lionel Andres Messi
レオ・メッシー

1987/06/24
Santa Fe(Argentina)
170cm 63kg
Delantero
FC Barceona

星の観賞(映像)

星の軌跡
2000年、13歳で入団

2000 - 01 Infantil A
2001 - 02 Cadete B
2002 - 03 Cadete A
2003 - 04 Juvenil/FC Barceona C/FC Barceona B
2004 - 05 FC Barceona B
2005 - 06 FC Barceona
2006 - 07 FC Barceona
2007 - 08 FC Barceona

アンダー20アルゼンチン代表
アルゼンチン代表


星の輝き
2000年9月16日、レオ・メッシーはこの日にブエノス・アイレスから飛行機に乗りバルセロナへと向かっている。13歳になったばかりの少年の一人旅、長距離の飛行機に乗るのは初めてのことと、バルセロナへ到着してからおこなわなければならないことを考えてナーバスになっていたのか、機内食にはいっさい手をつけずじまいだったという。翌日の昼過ぎにバルセロナ空港に到着した彼をバルサ職員が待ち受け、そのままホテルに直行。そして夕方の5時からは入団テストが待っていた。

当時はまだ選手代理人業をしていた元バルサ会長候補者であるホセ・マリア・ミンゲージャがアルゼンチンで見つけてきた期待の星、そういう触れ込みでバルサ入団テストを受けることが許されたレオ・メッシーだが、彼のテストを見に来た多くのクラブ関係者はまずその背の低さに驚いたという。まだ143cmしかないメッシーだったからだ。しかもテストの印象も最悪だった。肉体的疲労と精神的疲労が重なり体が動かないままテストに突入していたメッシー。おまけにテスト中に捻挫して途中退場という羽目にもなってさんざんの一日だ。それでも気を取り直してホテルに帰り、負傷箇所に湿布をあてた上に包帯をグルグル巻き、さらに氷漬けにした上で翌日のテストに備える。翌日のテストには最高責任者の一人であるカルラス・レシャックも見に来るのだ。そして2日目のテスト、少々足を引きずりながらも、メッシーは本来の彼らしいプレーを見せ、フベニル相手のテスト試合に5ゴールを決めるという偉業を達成する。もちろん、テスト合格だ。

最初のシーズン、2000−01はインファンティルBからスタートし、シーズン終了時にはインファンティルAでプレーしていた。翌年の2001−02はカデッテB、2002−03はカデッテA、そして昨シーズンはフベニルBからスタートし、シーズン途中でフベニルA、バルサC、そしてバルサBへと上り詰めている。親善試合とはいえ、バルサ一部チームの選手としてオポルトのスタディアムでプレーするおまけ付きのシーズンとなった。そして今シーズンはバルサBの中心選手としてプレーすることになる。

2003年の9月、セスク獲得に味をしめたアーセナルが彼の代理人にニアミスしている。セスクの場合と同じように年俸はバルサで手にしているものより倍以上の美味しいオファーだ。そして翌月にはインテルのルイス・スアーレスがやはりメッシーとの話し合いを持っている。アーセナルにも負けない太っ腹なオファーだったようだ。だが、セスクともジェラール・ピケとも違うところ、それはメッシーのバルサで成功したいという思いがとてつもなく大きかったことだ。アーセナルもインテルも彼の代理人やメッシー当人を説得することができず、トボトボとバルセロナを後にしている。昨シーズンの途中でバルサとの新たな契約を結ぶことになったメッシーは、他の同僚の選手とは比べようがないほどの年俸をとっている。だが、それでも他のガッツキクラブが差し出してくるオファーよりは低い。レオ・メッシーとバルサの新契約、それは2012年6月30日までの契約期間で違約金は1億5千万ユーロとなっている。

バルサに入団してきた当時より27センチ身長が伸びて今では170センチと成長している。バルサドクターの見るところではまだ4、5センチは確実に伸びるだろうということだ。(04年09月)


チキート参照記事
「Aチーム