ボージャンの父親がユーゴスラビアからレイダにやって来たのは1980年代のこと。ユーゴのエストレージャ・ロッハというクラブのエストレーモとして活躍した彼はスペインのクラブに移籍するためにレイダにやって来た。だが、ほとんど活躍する時間もないうちに、現役生活に終止符を打たなければならないほどの大怪我をして入院する。その入院生活のおかげで仲のよくなった看護婦さんと結婚することにより、ボージャンの父親は最終的にレイダにに残って生活することになった。フットボールスクールを作り、そして一児をもうける。ボージャン・ケルキック、バルサインフェリオールカテゴリーの記録を毎シーズン塗り替えている少年だ。
“マシア編”でたびたび登場してきていたバルサの伝説のスカウトマン、オリオル・トルト氏がレイダの小さいフットボールクラブでプレーしているのを見たのがボージャン7歳の時。さっそくバルサのテストを受けさせることを両親に説得、翌年にはバルサベンジャミンカテゴリーの選手となっている。両親はいまだにレイダに残ったままだから、週末には必ずバルセロナを訪れている。そのボージャン少年、今年の夏が過ぎればもう14歳。今シーズンはカデッテカテゴリーでプレーすることになる。ベンジャミンカテゴリーで226ゴール、アレビンBで69、アレビンAでは92、インファンティルBでは「不調なシーズンだった」としながらも36ゴール、そして昨シーズン、インファンティルAでは80近いゴールを決めて、これまでのベンジャミン、アレビン、インファンティールカテゴリーでのバルサの記録をすべて塗り替えてしまった。
アモール、グアルディオラ、アルテッタ、チャビ、イニエスタと、4番あるいはセントロカンピスタの優秀な選手を生み出してきたバルサインフェリオールカテゴリー。チャッピー、セルジ、プジョー、オラゲール、レイナ、バルデスというポルテロやデフェンス選手も育ててきたバルサ。だが、デランテロと言えば、いまのところ一部チームで活躍する選手を輩出していない。リエラが大型デランテロとして育ち、その後にラウルタイプのデランテロとしてボージャンが育ってくれば、こりゃもう最高だ。でも、まだ小さい。(04年10月)
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