ジェラール・デウロフェウ少年の名が全国的に知られるようになったのは、2006年5月のことだ。カタルーニャU12代表チームの一員としてスペイン各州代表戦を戦い、カタルーニャ代表を優勝に導く活躍をし、大会最優秀選手に選ばれたのがきっかけだ。4ゴール、7アシスト、それが左エストレーモ選手として記録した輝かしい成績。そして、この活躍が決して偶然のものでなかったことを、半年後におこなわれた大会で再び証明することになる。それは2006年12月末、テネリフェで開かれた“アレビンカテゴリー・クラブ国際大会”。レアル・マドリやエスパニョール、そしてインテルやミラン、アヤックスなどのクラブを退け、バルサ優勝の立役者となったのが、やはりジェラールだった。そしてこの大会でも再び最優秀選手として選ばれることになる。
バルセロナから北に約90キロ行ったところにあるジローナという町で生まれ育っている。両親が住む実家から毎日ラ・マシアの練習場に通うジェラール。往復180キロともなる行き帰りは、クラブが用意したタクシーを利用している。したがってラ・マシア寮には入寮した経験を持たない。
ジェラール少年のアイドルはロナルディーニョ。そしてポジションも同じ左サイドのデランテロだ。スピードを武器にして空いたスペースを走り抜けるエストレーモタイプの選手ではない。同年齢の少年たちに比べると、非常に高度なテクニックを持つ彼は、相手デフェンサのとの一対一の勝負が好きなようだ。そして左サイドから斜めにゴールに向かい、アシストパスを出すか自らゴールを決めるのが、監督から言われている彼の仕事。そしてその役目を見事に果たしている。だが、テクニック的に優れたこの年代の少年によくあらわれる“個人技に走ってしまう”傾向が見られるのはしかたがない。まだまだ、これから学んでいくことは星の数ほどある。
“フットボール教室”というテレビ番組の中でジオとベレッティを先生とし、彼は生徒役を演じたことがある。その際、ベレッティに次のように言われたことを忘れないジェラール。
「今は好きなフットボールを思いっきり楽しめばいい。」
カーニョ、ビシクレッタ、ソンブレロ、エラスティカ、バセリーナ、インファンティルカテゴリー70分の試合中、ジェラールの足下からいろいろなテクニックが飛び出す。うまくいくときもあれば、見事に失敗することもある。だが、彼の好きなフットボールスタイルを曲げる必要はない。今はただ、好きなフットボールを楽しめばいい。
ジェラール・デウロフェウ、いかにも生意気そうで気の強そうな13歳の少年、ただいまキラキラ星選手としてメキメキと成長中。(07年03月)
|