フラン・メリダ問題
(07/10/17)

“フラン・メリダ逃走事件”がいまだに裁判沙汰となっていたとは知らなんだ。もう2年以上前のドタバタ事件だが、過去ログを探してもらえばどういう事件だったかわかると思う。でも探すのが面倒くさい人のために簡単にまとめてみよう。

2004−05シーズン、バルサカデッテBチームでプレーしていたフラン・メリダがシーズン終了後、9歳の時から6年間在籍したバルサを離れる。もう2年以上たっている“事件”なので、当時よりはその理由がだいぶ明らかになっている。フランはクラブ側にボージャンやヤゴと同じような待遇、つまり簡単に言えば、同じような年俸を要求したという。このカテゴリーでは“絶対”の選手であったボージャンとヤゴであるから、彼らには他の選手とは比べようもならない待遇がされていたらしい。同じようなものを望んだフラン・メリダだが、クラブ側はなかなか首をたてに振らない。そうこうしているうちに、彼はクラブはもとより、バルセロナの街からも消えてしまう。両親の住むバルセロナの自宅から離れ、まるで行方不明のように消えてしまった。それから4か月たち、セスクの代理人にしてフランの代理人でもあるホセバ・ディアスが、彼の居所を明らかにする。彼の親戚の家だかフランの親戚の家だか忘れたが、ビトリアというバスク地方の町にいることが判明。その町にあるアリスナバーラという小さいクラブで、毎日のように練習しているとも伝えられた。そして、16歳の誕生日を迎えたフラン・メリダはロンドンに向かう。アーセナルからのオファーを受け、入団契約をするためだ。とりあえず二部カテゴリーの一員となった彼だが、しばらくしてアーセナルとのプロ契約を結んだ。契約期間は4年間だった。

あまりにもやり方がまずかった。クラブ会長選挙の際の空白期間を利用してドーバー海峡をわたってしまったセスクのやり方も褒められたものではないが、フランのケースはそれよりも薄汚い印象を受けるものだった。彼らに共通する代理人ホセバ・ディアスのやり方だと言ってしまえばそれまでだが、代理人を決めるのは彼ら選手であり、彼らの両親だ。したがって、代理人だけの責任とはならない。いつものように、両親の引っ越しという伝家の宝刀のもとに、アーセナルは1ユーロもバルサに支払うことなくフランを手に入れた。そしてこの忘れかけられた事件が、再びメディアの前に登場する。

バルサはアーセナルというクラブをUEFAに訴え、同時にフラン・メリダという選手の行為をバルセロナ民事裁判所に訴えていたようだ。そして今月、フラン・メリダ家はバルサに対して320万ユーロの支払いをすべしという、バルセロナ民事裁判所の判決が下りた。この民事裁判所の判決はあくまでもメリダ家に対してのものだが、もちろん現実的にはアーセナルが支払うことになる。

だが、フラン代理人ホセバ・ディアスは黙ってはいない。この判決が下りてからすぐに反撃に出ている。
「この納得しかねる判決に対して、我々は最後の最後まであらゆる手段を通じて戦う覚悟だ。バルセロナ民事裁判所が下した判決は、あくまでもこの戦いのスタートにしか過ぎない。この判決に対して控訴をするのはもちろん、次の裁判でも納得がいかない判決が下されたなら、再び控訴するつもりだ。最終的に最高裁判所まで行き着かなければならないのなら、それも良いだろう。」

この先どう転ぶかわからないものの、イングランドのロリコンクラブにはいい脅しとなっただろう。アーセナルだけではなく、アブナイおじさんベニテスがいるリバプールにも脅しが効いて欲しいものだ。スパニッシュ・リバプールと化したこのクラブには、彼らが言うところのカンテラ組織に、16歳から19歳までの“引っ越し手続き”によってタダでドーバー海峡をわたった選手が6人もいる。セビージャからダニエル・アヤラ、ビルバオからミケル・サン・ホセ、マドリからヘラルド・ブルーナ、マラガからフランシスコ・ドゥラン、レイダからミキ・ルーケ、そして我らがバルサから恐れ多くもパチェコ。

それにしても、メッシーではなくセスクを、ボージャンではなくフランを持って行かれたのは、不幸中の大大大幸いとしておこう。