LA MASIA - アモール編 -(2000/11/22)

1979年の夏、Benidorm ( Alicante ) という小さな街で、少年フットボール大会が開かれた。そこには地元 Benidorm のクラブチームの少年部はもちろんのこと、スペイン各地方にあるクラブチームの少年達も参加していた。それと共に、各クラブから派遣されたスカウト達が、明日のスターを探すために眼を光らせて観客席の中にまぎれ込んでいた。R. Madrid, Valencia, などのスカウトに交じってバルサの人間も観客席の中で「ダイアモンドの原石」を探しにきていた。

翌日、バルサのスカウトは 、フートボール少年部の責任者 Oriol Tort と会っていた。彼は興奮気味に「すごい少年を見つけたんだ。ちっちゃいんだけど、テクニックも動きの良さもグンを抜いていた。彼を、是非うちの少年部に入れて育てるべきだ」。早速、Benidorm に電話がいれられた。Benidorm のクラブの会長はもとより、少年の両親に連絡がとられる。年少者の場合、両親の承諾を受けるというのは、絶対欠かせられないルールである。「ぜひ、うちの入団テストをう受けに来てくれませんか」。

こうして Guillermo Amor Martinez と名乗る少年は、父の車で Barcelona にやって来た。「あれは、10月の12日だった。Amor の学校に休みを届けて許可がでてから行ったんだが、10月だっていうのにとてつもなく寒い日だったのでよくおぼえているんだ」。と Amor の父は語る。テストは一週間にわたって、毎日試合形式でおこなわれた。その間、親子はクラブが用意してくれたペンションに寝泊まりすることとなった。そして LA MASIA の見学も許される。クラブ関係者が Amor のプレーに感嘆したように、親子はこの「寮」に感銘をうけることとなる。「環境に恵まれたここなら、自分の息子を預けることができる」、そういう思いを抱きながら、一週間後 Amor 親子は Bercelona を離れた。

バルサ少年部を担当しているコーチの間では、Amor 少年の入団には何の問題もなかった。いやそれどころか、彼の中に光る素材を見つけていたので、どうしても欲しい少年だった。ただクラブとしては、一つ問題があった。それは Amor 少年はまだ12才だったということだ。LA MASIA の規則に、「最年少14才からの入寮を許す」というものがあって、それが障害となっていた。クラブ関係者内で何回かの討論がおこなわれた。その結果、LA MASIA 開設一年目にして早くも、規則を曲げることになり、Guillermo Amor の「入寮」が決定される。

バルサからテスト合格の知らせがきたものの、Amor の両親は迷っている。 R. Madrid からもオファーが来ていたからではない。それは律儀な父によって、丁寧に断られていた。迷っているのはどこのクラブに息子を送るかということではなかった。それは最初に声をかけてくれたバルサに決まっていた。「ただ、現実の問題として、自分の息子を、それも12才の息子を、あんな大都会に一人で送り出して良いものなのだろうか」ということだった。家族意識が非常に強いスペイン人にとって、12才にしかならない息子を遠く離れた街に一人で住まわせるのは、限りなくつらいことだったに違いない。だが父に LA MASIA の面影が浮かぶ。「あそこだったら、大丈夫かもしれない」。

こうして、1980年1月13日、Amor 少年は LA MASIA に入寮する。

Amor 少年14才の年、1982年9月24日、忘れられない出来事が発生する。この日、Mini Estadi (バルサ二部のためのグランド)開設を祝って、記念試合がおこなわれた。試合形式はバルサ選手同士によるもので、ベテラン、若手、スター選手入り交じってのものだった。Amor は回想する。「コーチが突然僕を呼んだんだ。更衣室の方へ来なさいって。周りの人は笑っていて、誰も僕に理由を言ってくれなかったんだけど。でも、まさか僕がその試合に出ることになるなんて想像もできなかった。まして、マラドーナとの交代だなんて!!」そう、それはクラブ関係者が仕組んだ、印象的な風景だった。当時のスーパースター、マラドーナに代わって、将来カンテラのシンボルとなる Amor の登場だった。スタジオを埋めたバルサソシオは、何も言われなくてもその意味を理解していた。自分達の息子 Amor に精一杯の拍手を送った。

その Amor が、Mini Estadi から50m離れた Camp Nou でデビューするまであと6年 、LA MASIA での楽しくも「故郷に帰りたくて、何回も何回も枕を濡らす」生活を送ることになる。

1988年9月3日、8年前 LA MASIA の門をくぐった少年の夢がかなう日が訪れる。この日 Camp Nou は9万人の観衆で埋まっていた。相手は Espanyol, いわゆるダービー戦である。バルサの監督は Johan Cruyff 。試合途中、Eusebio に代わっての若干20才でのデビューである。

結局彼はこの日以来 Cruyff の指揮のもと、どの選手よりも多くの試合出場を記録することになる。1998年、悪魔 Van Gaal の決断により Fiorentina に移籍するまでの19年間にもわたりバルサのユニフォームにそでを通した Amor は、5回のリーグ優勝、3度の国王杯、4度のスペインスーパーカップ、1度のヨーロッパカップ、2度のカップウイナーズカップとヨーロッパスーパーカップ、計17のカップを手にすることになる。

2000年11月現在、 Villarreal に在籍する彼は過去を振り返って語る。「僕はバルサと LA MASIA の息子なんだ。だってあそこは、幼少時代の一部と青春時代の全てを過ごして来たところだし、一人前の大人として人間形成させてくれたところでもあるからね。僕はプロだからどこのチームにいっても全力をあげてプレイする。でもスペイン人がどこの国に行ってもスペイン人であるように、僕はどこに行っても Cule(バルサの人間)さ。」

この後、Amor に続けを合い言葉に LA MASIA から若手が何人も登場するようになる。その先頭をきったのが Josep Guardiola Sala, 通称 Pep である。

[ 参考資料 ] Fabrica de Campeones (Toni Frieros)
       Historia del F.C.Barcelona 1974/1993 (Jaume Sobreques i Callico)
       Del Genio al Malgenio (Ramon Besa)
[ 写真転載 ] Fabrica de Campeones (Toni Frieros)