明後日の星 アンドレス・イニエスタ(2001/5/12)

今年の始め、セラ・フェレールに呼ばれ初めて練習に参加してきた彼をグアルディオラはしばらく観察していた。そして練習後、ある同僚にこう言ったという。
「今日練習に参加してきた子はすごいよ。俺の16歳の頃とは比較にならない。自分のおかれたポジションの役目を完全にこなしていたよ。ポジションが同じだから良く分かるんだ。そして何よりもボールのさばきが抜群に速かったなあ」

グアルディオラに「彼」と呼ばれた少年の名は、アンドレス・イニエスタという。1984年5月11日生まれだから、つい昨日17歳になったばかりである。アルバセテの近くにあるフエンテアルビージャという小さい村で生まれている。

バルサのスカウトマン、ジョアン・マルティネス・ビジャセカがこの少年を見たのは1996年、今から5年前のことだ。さっそく両親を説得し、LA MASIA に連れてきている。イニエスタ少年、まだ12歳の時だった。その後、この少年は順調にカテゴリーを上り詰め、現在バルサBの重要なメンバーとなっている。
1996-97 INFANTIL B
1997-98 INFANTIL A
1998-99 CADETE B
1999-00 CADETE A
2000-01 バルサ B
カテゴリーの内容については、『フェレール編』を参照していただくと解るが、彼は「JUVENIL B」「JUVENIL A」そして「バルサ C」を通過せず、いきなり「CADATE A 」から「バルサ B」に上がってきている。

イニエスタは、身長は172cm、体重67kg. と比較的小柄なうえに、色がとてつもなく白いのできゃしゃな感じを受ける。だが見た目とは逆に、彼は同年代の若者の平均を遙かに上回る体力と、強靱な精神の持ち主だ。肺活量はバルサB のどの選手よりも多い。もちろん、みんな年上の選手である。そしてグランドに立ち、ボールが彼の足に触れると一瞬にして屈強のフットボール選手に変貌する。足でボールをコントロールしながら、すべての状況を把握しようとする。ボールが自分の所にない時はボールを要求し続け、グランドの端から端まで90分走りまくる。まさに、エネルギーの固まりだ。

左官屋を営み、フエンテアルビージャに住み続ける彼の父ホセ・アントニオは、一人っ子のイニエスタについてこう語る。
「ヤツはね、なかなか難しいガキなんだ。見かけはすごく良いんだ、誰に対してもね。親の俺が言うのもなんだが、行儀はいいしおとなしいし、子供の割には家の中にいるのが好きなんだ。性格的に慎重なところがあるから、友達も選んでつき合っているみたいだな。ところが、フットボールをやらせると性格がガラッとかわっちゃうんだ、ヤツは。みんな、あの見かけにだまされちゃう。おとなしそうで、やさしそうなガキに見えちゃうんだな、きっと。ヤツの中には勝負に対する、何て言うのか、そう、すごい執念みたいなものが人一倍あるんだな。もし試合に勝つためには、水も相手にやっちゃなんねえ(スペインのいいまわしで「敵には水一滴でもやるな」というのがある)と言ったら、絶対やらねえな、あのガキは。普段はおとなしい子なのにね、わかんねえもんだなあ」

ビクトル・ムニョス(元バルサ選手、現ビジャレアール監督)が、CADETEのカテゴリーの試合で偶然イニエスタを見ている。ビジャレアール対バルサの試合だった。この試合、イニエスタは非常に運動量の多い試合をしていた。93分まで0−0でもつれこんだ試合だったが、最後の笛が鳴る直前、彼は相手ゴールまでの70mを一人でボールを持ち込み、勝利につながるゴールを決めている。「あのプレーはね、バルサで一緒だったマラドーナを思いだしたよ」
この試合後、彼は救急患者として病院に運ばれている。両足で立てるほどの余力も残していなかった。

2001年の4月最後の週、イニエスタはイギリスにいた。ここで行われているアンダー16のヨーロッパ大会に参加するためだ。ところがドイツ選抜相手の試合で、途中負傷退場という思いもかけない事態に見舞われる。最初の印象では、かなりの重傷という可能性も考えられた。試合後、スペインナショナルチームのドクターの勧めと、バルサ側ドクターの意向もあり直ちにバルセロナへ戻ることになる。「エル・プラット」バルセロナ空港には彼の両親と、バルサのドクターが待ち受け、そのまま病院へ直行した。だが幸いなことに、彼のケガは予想されたものより遙かに軽いものだった。

だがイニエスタは沈んでいる。涙は枯れていたが、笑顔は戻ってきていない。ケガの具合がどうであれ、決勝戦には出られるわけがない。5月6日のスペイン対フランスの決勝戦は、テレビ観戦というイライラするものだった。イニエスタは言う。
「僕の夢は、この決勝戦に勝つことだったんだ。アンダー16というカテゴリーでプレーできる最初で最後のチャンスだったし、まして決勝戦だからね。この試合に勝ち、UEFAの偉い人たちから優勝メダルをもらい、カップを頭上に掲げる。この大会が始まるずーと前から夢に見ていたシーンなんだ。」イニエスタが30歳になり、グアルディオーラと同じようにバルサの道を歩んだとしよう。「あなたにとって『LA MASIA』時代、何が一番悲しかったですか?」と聞かれたら、多分こう答えるだろう。「それはあの日曜日に、テレビの前に座って決勝戦を見なければならなかったことです」


イニエスタ、まだ17歳を迎えたばかり。全ての可能性がこの若者にある。君の将来はこれから始まる。元気を出すんだ、アンドレス・イニエスタ!