LA MASIA -ビクトル・バルデス編-(2003/11/16)

ビクトル・バルデス坊やを挟むような形で両親が座り、そして彼の前にはオリオル・トルト氏が座っている。言わずと知れたバルサスカウトの伝説の人物だ。
「君はどうしたいんだい?マシア寮に入ってバルサカンテラの一員となりたいのか、あるいは両親と一緒にカナリア諸島に行きたいのかな?」
オリオル・トルトは自分の子供に話しかけるような調子でビクトル坊やの意見を聞こうとしている。1992年夏のことだった。

ビクトル・バルデス・アリーバス、1982年1月14日にバルセロナから車で10分ほど地中海に沿って南下した所にある町、ガバで生まれている。この年、つまり1992年、バルデス一家は気候が1年中温暖なカナリア諸島に引っ越すことになっていた。それはビクトルの母の胸の手術をした医者の勧めがあったからだ。湿気のないところで、しかも1年中温暖な地域での療養が必要と言う医者の忠告に従い、父はすでにバルセロナでの仕事を辞めカナリア諸島での仕事と住居を確保していた。そして引っ越しの準備がすべて終了した夏のある日、突然バルサから一通の手紙が届く。なんと、それはバルサカンテラ組織に入らないかというオファーだった。ビクトル坊や、まだ10歳の時だ。

クラブの誘いに関して両親はいっさい口を挟んでいないし意見もしていない。あえてそれが意見だと言えるとすれば、自分の好きなようにしなさい、そういうことだけだった。したがってオリオル・トルト氏との対面ではあるものの、両親は同席しているだけで沈黙を守っている。ビクトル坊やが自ら決断を下さなければならなかった。
「はい、クラブに入り自分はマシアでお世話になります。」
もちろん両親は黙ったままだ。この瞬間、ビクトル・バルデス坊やのマシア寮入りが決まった。

両親はカナリア諸島に移住したものの、二人息子の末っ子であるビクトルには毎日のように電話をいれている。そして毎日のように電話の向こうからは泣き声が聞こえてきている。マシアに入ってから半年たってからも状況は変わらない。生まれて初めて両親と離れて暮らすことになった10歳のビクトルは寂しくてしょうがない。

ビクトルがマシア寮に引っ越してきた時、彼に一番近い年齢の少年でも3つも年上だった。この年代で3歳違うとということはそれはもう世代が違うといってもいい。そのため寮内に友達ができなかった。毎晩のようにベッドに入るなりシクシクと泣くことが日常となる生活は彼には耐えられないものだった。彼にはすでに大人に見える10代後半の先輩たち、例えばデ・ラ・ペーニャやセラーデスやハビ・モレーノなどが気を使って街に連れ出してくれるものの、寂しさは一時的に消滅するだけだった。そして半年たったある日、両親からいつものように電話が入ったとき、最終的な決断を告白する。マシアを出て両親の住むカナリア諸島に行きたい、それが彼の希望だった。

マシア寮長も少年部責任者も反対はしなかった。これまで多くの例を経験してきている彼らにとって、こういうことは初めてではなかったからだ。一度両親と一緒に生活し直すのも悪くない、いつかこれを乗り越え完全な形で戻ってくることの方が大事だ、そう考えた首脳陣。
「戻って来たくなったらいつでも連絡しなさい」
はい、と返事をするビクトル坊やはカナリア諸島へと向かう。

両親と一緒に生活するようになってビクトル坊やはかつての明るさを取り戻してきたようだ。カナリア諸島では珍しいカタラン人であったためカタランからきた“カタ”という相性で同年代の友人たちとフットボールに明け暮れるビクトル。イバーラという、彼が住んでいる地元のクラブに入った彼だが、バルサ関係者はまったく彼の行方を失っていたわけではない。いや、それどころか、毎週のようにイバーラのクラブ関係者と密かに電話連絡をとり、ビクトルの成長を遠いバルセロナの地から見守っていた。そして2年立ったある日、ビクトルからクラブ関係者に連絡が入る。
「もう大丈夫です。マシアに戻れると思います。」
そういう電話だった。ビクトル、12歳になっていた。

マシア寮に戻ってきたものの、12歳の彼は相変わらず最年少者だった。でも今回は非常に近い年齢の友達ができた。しかも彼と同じポジションを目指す少年だった。マドリッドからやって来たその少年はホセ・マヌエル・レイナ、通称ぺぺと呼ばれる13歳の少年だった。
「ぺぺとの友情は忘れられないものさ。年齢的には一つ違いだったけれど同い年のように一緒に何でもしてくれた。彼の助けが大きかったのは確かなことだけれど、でもそれ以上に2年間のカナリア諸島での両親との生活で少しだけ大人になっていたんだと思う。2度目にマシア寮に入ってから一度も枕を濡らしたことがなかったのは、今度こそはここで成功したい、そういう強い意志があったからだと思う。部屋の窓から見えるカンプノウをボーと眺めて、いつかあのスタディアムでプレーすること、それだけを考えて毎日生活していた。」

再び両親と別々となった生活により寂しさは当然ながらあったものの、“出戻り”ビクトルにとっては勉強とフットボールに打ち込む毎日となる。親友レイナが常に一つ上のカテゴリーで活躍していたが、ビクトルも負けていなかった。13歳から19歳になるまで、つまり彼の母がこれ以上の療養生活を続ける必要がなくなりバルデス一家がガバに戻ってくることになる時までのマシア寮生活7年間、彼もまた多くのフットボール的な成功をおさめている。カデッテカテゴリーでスペインチャンピオンになり、フベニールカテゴリーでも2回リーグ制覇を経験しているし、国王杯の勝者にもなった。もちろんスペインのアンダーカテゴリーでは、すべてのカテゴリーで代表選手となっている。

10歳でマシア寮に入寮してきたビクトル坊やはすでに21歳の将来あふれる若者になっている。2003年10月24日、彼にとって本格的なプロ契約をバルサと結ぶことになった。すでにこのシーズンの開始当初から、多くの予想を裏切ってトルコの英雄ルストゥをベンチに追いやりスタメン選手として活躍している彼は、2008年までバルサのポルテロとして活躍する場が与えらえたことになる。