Gerard Pique
ピケ

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04 - 05
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バルサインフェリオールカテゴリー
(04/08/17)

  ----- 前略 ----
昨シーズンの初めにはセスク・ファブレガスがアーセナルに移籍し、シーズンの終わりにはジェラール・ピケがマンチェスターに持って行かれていてしまった。二人とも10年近くバルサインフェリオールカテゴリーに所属していた選手で、バルサを去る際にはフベニルカテゴリーでプレーしていた。セスク・ファブレガスの移籍にはアーセナルは最終的に200万ユーロをバルサに支払っている。いわゆる移籍料というよりは“養育費”という感じのもの。ここまで大きく育ててくれてありがとう、と言うか、とにかく一丁前近い選手に育てたことに対する支払い。

“ピケ騒動”は今年の2月頃から始まっている。アーセナルが彼にオファーを出しているというニュースが伝わったのがその頃。そしてすぐさまバルサはピケの契約見直し交渉をしている。年俸はアーセナルが出しているものには及ばないものの、それでもフベニルカテゴリーの選手としては美味しいもので契約期間は7年間とした。2か月間にわたって、そこにどのような理由があったかわからないが、ピケは試合出場から干される状態となった。
「よく頭を冷やして考えなさい」
ということかも知れない。いずれにしてもマンチェスター入団後に彼が語ったことによれば、バルサの示してきた年俸そのものはまあまあ納得いくものだったものの、契約期間でお互いに合意ができなかったという。彼の望んだのは5年間で7年では長すぎるとも語っている。

ピケは「クラブ首脳陣とはうまくいっていなかったし、彼らの考えも理解できない。こういうクラブではメッシーの将来も難しいと思う。」と余計なことを口走り、サンドロ・ルセーは「単純に考えて彼らはペセテロに過ぎない。」とまで言っちゃっている。でもまあ、バルサがバルサなりの判断で一つのオファーを提出し、それらのオファーよりアーセナルとかマンチェスターの方が魅力的だからアディオスしたということに過ぎない。センチメンタリズムが、目の前にある魅力的なオファーの前につぶされたと言い換えても良いかも知れない。年俸的にも、そしてフットボール選手としての将来の方針に関しても、バルサのオファーより両クラブのそれの方が魅力的だったのだろう。バルサ一部選手としてカンプノウでのデビューという子供の頃から夢見てきたことより、フットボール選手としての成功を優先する。ファンはひたすらクラブや選手に対してセンチメンタリズムを持つが、選手は、それがカンテラ選手であろうと、そうはなかなかいかない。

  ------ 後略 -------

「カンテラ明日のキラキラ星」より