Gerard Pique
ピケ

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08 - 09

今シーズン選手評価(上)
(09/05/23)

ジェラール・ピケ イエェー!

本来であるなら、プジョー、マルケス、カセレスに続く4番目のセントラルとしてバルサに戻ってきているはずだった。だが才能は別として、彼にはバリエンテには欠けているものを持っていたようだ。それは幸運。マルケスやプジョーの短いながらも負傷期間をキッチリと有効にいかし、自らをアピールすることに成功している。しかもプジョーと同じように、あるいは彼以上に、学習能力が高かったのかも知れない。試合ごとに確実な成長を見せてくれているからだ。そして個人的にこれまで多くのカンテラ選手を見てきたが、彼ほどバルセロニスタである選手を知らない。グラウンド内でのキャプテンシーといい、グラウンド外でのアホさ加減といい、次期カピタン候補であることは間違いないだろう。

「こちらカピタン」より


ジェラール・ピケ
(09/06/17)

土曜日におこなわれるビジャレアルとマドリの試合結果次第で、その日の深夜にもバルサのリーグ優勝が決定してしまう。リーグ戦3試合残したところでリーグが終わってしまうことになるが、その前にどうしてもジェラール・ピケの活躍を褒め称えておきたい。彼の入団が決まったときに、出番はそう簡単にはやって来ないだろうし、彼が一丁前の選手になるには、かなりの時間がかかるのではないか、そんな印象を持った記憶がある。だが、リーグ戦の試合が進んで行くに従い、与えられたチャンスを確実にものにして、セントラルのポジションを勝ち取っていった。はっきり言って、これは少々計算外のことだったと思っている。

しかし、考えてみれば、マンチェスター時代の彼も、サラゴサ時代の彼のプレーもそれほど見ているわけではなかった。ジェラール・ピケという選手の個人的な印象は、カデッテとフベニル時代に見続けたそれに止まってしまっていたのかも知れない。彼は他のカテゴリーの試合なども必ず見に来ていた熱心な“バルセロニスタ”の1人だったが、試合を見ながら何回か、あの選手はウンタラカンタラ、あっちの選手はウンタラカンタラと、解説してくれる変なヤツでもあった。カンテラ時代からポジションはセントラル。攻撃参加が多かった選手だったから、カデッテ時代だったか、あるいはフベニル時代だったか忘れたが、すでに観戦者の間からピケバウアーというあだ名がつけられている。

スタンフォード・ブリッジでのチェルシー戦を前にしての彼へのインタビューがおこなわれているが、それをとっておいたので賞味期限が切れる前に紹介。

少年の頃から学校成績は良く、しかもエリートスポーツ選手。さらに都会人であるうえに男前。おまけにマドリ戦ではゴールまで決めてしまった。これ以上なにか望むものがあるだろうか?

もしあったとしたら、それは犯罪行為だろうね。でも、まあ、次のチェルシー戦には勝ちたい。確かに学校の成績は良かったんだけど、どうも学校というのは自分に向いていなかったな。それでも母親が教育者だったから、その息子がみっともない成績を残すことだけは許されなかった。だから、勉強はよくしたさ、テストの何日か前だけだけど。バルセロナ生まれのバルセロナ育ちではあるけれど、男前かどうかは知らん。でも知り合いの人たちは自分は母親似だと言うし、そうだとしたら男前かも知れない。うちの母親は超美人だからね。

そしてマドリ戦ではゴールまで決めてしまった。ところで、6点目のゴールだというのに、派手なゴールパフォーマンスをしたのは、マドリファンを侮辱する行為ではないかと、中央メディアが批判していたが?

6点目だろうが10点目だろうが、マドリ相手にゴールを決めたことで最高の気分になっているというのに、いったいどういうゴールパフォーマンスをすれば良いというのだろう?まさか、観客席に向かって両手でゴメンナサイをしろってか?そういう批判をする人は、試合の翌日にだされたブートラゲーニョのコメントを聞くべきだ。
「クラシコの試合でゴールを決めるということがどういうことなのか、それはマドリやバルサのユニフォームを着てプレーし、ゴールを決めた人にしかわからない特別なものなんだ。」
まさに、そのとおりさ。しかも試合前にプジョーと約束してたんだ。もし彼がゴールを決めたら、俺も決めてやるってね。

バルサというあなたの家に戻ってきたときに、こんなにうまく物事が運ぶと予想できたか?

それは不可能な予想さ。チーム状況が今のように快調にいくということは予想できたけれど、個人的な意味ではまったく予想不可能なことだった。もし、プレーの継続性が与えられれば、それなりに満足できる結果をだせる自信はあったし、自分が納得できるプレーをし続ければ、いずれ定位置を確保する自信はあった。だが、これほど継続性が与えられるとは予想できなかった。バルサに戻れることができたことさえ信じられないことなのに、これほど早く継続性が与えられるなんてまったく信じられないことさ。しかも、このチームはクラブ史上最高のチームの一つでもあるというのに。

しかも、あなたは1年目の選手。

いやいや、自分は1年目の選手なんて思ったこともないし、事実そうじゃないと思っている。新人ではあるけれど、バルサ1年目の選手ではない。なぜなら8年間もカンテラ組織にいたんだからね。自分の体にはバルサのフィロソフィーが染みこんでいる。その意味ではフレブやケイタのように、1年目だからということで苦労することはない。

バルサでのセントラルというポジションは難しいとよく聞くが?

決して簡単じゃないことは明らかさ。例えば、他のクラブであれば、セントラルの選手に要求されることは、ボールを奪うことと高さに強いこと。だが、バルサというクラブでセントラル選手に必要なことはそれだけじゃない。攻撃の起点となったり、攻撃参加することまで要求されるからさ。

カピタンからは他の選手以上に“監視”されているらしいが?

プジと一緒にプレーしていると、それこそ息をする暇もないぐらいああだこうだと怒鳴られている。ある試合なんかは、相手の選手が負傷してタンカで運ばれようとしてる時に、俺の方を見ながら叫ぶんだ。
「ジェリ!ジェリ!気を抜くんじゃないぞ!集中力、集中力!気を抜くな!」
そう言ったって、選手が運ばれていて試合がストップしているんだぜ。でも、まあ、プジの言うことはよくわかる。自分はまだ若いからね。余計なことに気をとられるなということだろう。母親も同じさ。あんたはフットボールに集中すべきで、今はまだ彼女を作っている場合じゃないってね。もっとも、自分はなかなか女の子に惚れないから、今のところ彼女はいないんだけれど。

ペップとファーガソンの違いは?

ペップは一日中フットボール漬けになっている監督。すべての選手たちに同じことを要求するわけじゃないけれど、自分に対してはフットボール漬けになれと要求してくる。自分はまだ若いし、生まれ故郷に住んでいるから友達も多いし、誘惑も多いからという理由だろうね。そういう意味ではプジや母親と同じさ。ファーガソンは、自分にとっては父親みたいなもので、一度として監督と感じたことはなかった。好きなようにクラブを動かす権力を持っているし、そういう意味ではクラブのオーナーのような感じだったな。練習はケイロスに任せていたから、自分にとっての監督はケイロスだった。いずれにしても、ローマの決勝戦に進出できて、しかも相手がマンチェスターだったら、自分にとっては超特別な試合となるだろうね。

「こちらカピタン」より


Gerard Pique
ピケ

(08/8/09)

ビジェラール・ピケ、1987年2月2日バルセロナ生まれ。彼がこの世に誕生してきたその日からバルサソシオとして登録されており、2008年の番号は4万8212番となっている“ベテラン”ソシオだ。これもすべてアマドル・ベルナベウという祖父を持ったことに由来する。22年間続いたヌニェス政権内で重要な役割を演じたベルナベウ氏。その彼の手に引かれ、孫のピケがバルサの入団テストを受けにテスト場に姿をあらわしたのが1997年夏のこと。すでに身長も高かったし、テクニック的にも面白いものを持っていたこともあるし、しかもコネもピカピカ光っていたから当然ながら無事合格。バンガールがバルサのベンチに座ることになった1997−98シーズン、ジェラール・ピケは、アレビンBチームをスタートしてバルサカンテラ選手となった。
“黄金の1987年世代チーム”がスタートするのは翌年からだ。ジェラール・ピケに加え、トニー・カルボ(現アリス・サロニカ)、セスク・ファブレガス(現アーセナル)、ビクトル・バスケス(現バルサ)、マーク・バリエンテ(現セビージャ)などの1987年世代によって構成されたチームが、アレビンカテゴリ・インファンティルカテゴリーで可能な限りのタイトルを獲得していく。そしてカデッテカテゴリーに入るとレオ・メッシー(現バルサ)が加入し、“黄金のカデッテチーム”ができあがる。バルサカンテラ史においてもゴシック文字で記録されることになる、この1987年世代チーム。だが、フベニルカテゴリーに突入していくと共に、セスクがアーセナルに、そしてその後ピケはマンチェスターへとそれぞれ移籍していく。それから4年後、ピケは再びバルサに戻ってきた。移籍料は500万ユーロ、そしてオプションボーナスとして200万ユーロ。まあまあ手頃な値段と言えるだろう。
2008年7月3日、ジェラール・ピケのバルサ入団記者会見が開かれた。記者席の後方には、彼の弟のマーク、両親のジョアンとモンセ、そして祖父のベルナベウが座っている。家族の一人が“我が家”に帰ってきたのだ。
「バルサに戻るチャンスを与えてくれたすべての人々に感謝したいと思っている。17歳という若さで我が家を去ることになったのは、当時の自分に一つの大きな目標があったからだ。それはプロの選手として1日も早く独立すること、幸いにもそれが可能となり、そして今、子供の頃からの夢であったバルサでプレーすることも実現したことになる。まだ21歳の自分が言うのもなんだが、もしバルサで現役生活を終えることができれば、これ以上幸せなことはない。」
将来を大いに期待されたかつてのカンテラ選手が、心のクラブに戻ることが実現し、当人、家族、クラブ、バルセロニスタにとってすべてが丸く収まったイメージでメディアが持ち上げる。だが、現実はそれほど甘いものではないことは、バレンシアから出戻りしてきた元カンテラ選手ジェラール・ロペスが証明してくれている。
「バルサというクラブは歴史的に見て、クラブ首脳陣にしてもファンにしても、カンテラ出身選手に対して厳しいところがある。そういう意味で言えば、自分も毎試合毎試合厳しいチェックを受けることになると思う。でも、プレッシャーには負けない自信があるし、ひたすたチームが勝利するためにプレーするだけさ。」
そうなのです。彼が語るように、カンテラ選手に対する地元ファンの見方は、非常に厳しいものがある。しかも彼の場合は単なるカンテラ育ち選手ではなく、10代半ばにしてすでに他のクラブのオファーを受け、一度バルサを去っていった選手だ。その“事件”をいまだに忘れず、ピケ獲得に批判の意見を持つバルセロニスタも多い。さらに、彼の獲得を誰が望んだのかもはっきりしていない。ペップの希望ではないようだし、勝手に出て行った選手を買い戻すことなどしないと公言していたチキの要望でもないだろう。一時的にレンタルされていたサラゴサで活躍したわけでもないし、ましてマンチェスターで光り輝やいた存在となっていたわけでもない。
「彼の将来性を大いに期待している。」
こう語るラポルタの言葉が、ジェラール・ピケの現実を如実に表しているような気がする。そう、この選手には時間が必要だ。2年ぐらいかけて、徐々に徐々にスタメンを勝ち取っていけばよい。彼の持ち味は何と言っても長身をいかして高いボールに強いこと、そしてバルサカンテラ育ちならではのボール出しのセンスの良さ。だが、反面、器用にいくつかのポジションをこなすセンスはない。カデッテ、フベニル時代に右ラテラルやピボッテを務めたことがあるが、セントラルというポジションと比べるとそれほど効率良いプレーはしていないし、サラゴサ時代にもそれは見せてくれていない。いずれにしても、ボール出しのセンスを武器として、とりあえずはマルケスの控えとして出発することになるのだろう。もし、マルケスが負傷という不運に見舞われないシーズンをおくることができれば、ピケの出番が限られたものとなるのは仕方がない。あらゆる意味で彼には時間が必要だ。そしてラポルタではないが、個人的にもピケの将来は大いに期待できるものだと思う。
これまでのプレステージでの練習試合を見る限り、マルケスの控え選手として順調に調整ができているようだ。ペップ監督の彼に対する信頼感も試合ごとに増しているような気がする。バルサとの契約は2012年までの4年間。違約金は5000万ユーロと設定された。
スエルテ!ピケ!
ブエナ・スエルテ!

「こちらカピタン」より