Bojan Krikic Perez
ボージャン


ボージャン衝撃のデビュー!
(06/05/07)

それはまさに衝撃のデビューと言える。15歳にしてスペインU17代表選手となったボージャン・ケルキック、彼はルクセンブルグ相手の初戦後半から出場し、何とハットトリックを決めてしまった。

前半後半とも40分で戦われるこの大会、スペイン代表は前半に3点をもぎ取り楽な試合展開となっていた。そして後半のスタートからボージャンが登場。前半に2ゴールを決めているバレンシアのカンテラ選手アアロン・ニゲスに代わっての出場だ。後半7分、ボージャンはゴールエリア外からのロングシュートを決め、U17代表選手としての初ゴールを獲得。29分にもこの試合2つめのゴールを決めた彼は、試合終了4分前にドリブルで相手ゴールまで走り込み、すべてのデフェンサを抜き去ってのゴラッソを決めてハットトリック。最終的に1−7でスペイン代表の圧勝という試合となった。

アーセナル、チェルシー、マンチェスターなどのイングランドのクラブからのオファーが来ていることはすでに父親のボージャン・ケルキックやバルサカンテラ関係者が認めている。だが、セスクやピケ、あるいはフランなどという選手と違うところは、魅力的なオファーをすべて丁重ににお断りしているところだ。なぜならボージャン家を構成するすべての人々の願い、それは息子をバルサの選手として成功させることしかないからだ。したがってどのようなクラブが高額なオファーを出してこようが、ボージャンはバルサを離れない。クラブ側がいつの日か、彼を計算外選手と通告したときのみ彼らボージャン家の人々はオファーを検討することになるだろう。
「いつかスペイン代表選手としてゴールを決める日を夢見ていたけれど、まさかデビュー戦でハットトリックを決めることまでは夢見なかった。そして自分のデビュー日に奇しくもバルサがリーグ優勝を決めたこともあるし、一生忘れられない日となるだろうと思う。自分のデビュー、そして自分の愛するクラブの優勝、まるで盆と正月がいっぺんにやって来たみたいだ。」
そう語りながらU17代表のすべての選手のサインが入っているデビュー戦のボールを大事に抱えるボージャン。

スペイン代表の第二戦はこの大会参加チームの中で最もフィジカル的に強いと前評判のロシア代表。第一戦ではハンガリー相手に1−0で勝利しているチームだ。前半は0−0で終了し、この試合でもボージャンは後半から登場してきた。そしてスペイン代表は後半に3点獲得することになるが、このすべての得点にボージャンが絡んでいる。先制点は彼のアシスト、2点目は彼のゴール、そして3点目は彼のフリーキックから生まれた得点。これでグループ戦2試合を消化した段階でボージャンは4ゴール、この大会のピチッチとなっている。これは、凄いことだぞ。

「La Masia ニュース」より


ボージャン、7シーズン889ゴール
(06/04/27)

ボージャン・ケルキック、ポジションはデランテロで身長169センチ体重62キロ、1990年8月28日生まれだから今のところ15歳。今シーズンはカデッテA所属選手としてスタートし、クリスマスあたりのシーズン途中でフベニルBでの試合に出場する機会が多くなり、そしてシーズンが終了する時点ではフベニルAチームでプレーしている。今シーズンが終了した段階で彼にとってバルサの選手としての7シーズン目が終了し、ベンジャミンカテゴリーから始まった彼のゴール記録数は何と889ゴールに達している。単純計算でいけば1シーズン127ゴールを決めていることになる。もちろんバルサインフェリオールカテゴリー史に残る数字だ。

彼にとっての889ゴール目、それはフベニルAチーム選手として初めて獲得したゴールであり、このリーグ最終戦での劇的なゴールによりフベニルAチームをリーグ優勝に導くことができた貴重なゴールでもあった。カデッテA選手からフベニルB,そしてフベニルAチームへと1シーズンで移っていった経験について次のように語るボージャン。
「正直言ってあまり違いを感じることもなかった。確かにカテゴリーが上に行くほど相手選手の当たりが強い感じがした。でも、自分のプレースタイルというのは相手選手との接触で勝つと言うよりは、接触する前に抜き去ることだからあまり気にならなかった。来シーズンはどこのカテゴリーでプレーしたいかって?自分としてはどこでも良いんだ、本当に。バルサのユニを着てプレーできればどこでも良いんだ。だって、そのことが自分にとって一番好きなことであり大事なことなんだから。」

  ---中略----

優勝候補の名が高いバルサとレアル・マドリが同グループに入っている。まず5月1日にマドリ対ラス・パルマス戦がおこなわれ、バルサの初戦はその敗者チームとの試合だ。そして5日にレアル・マドリとラス・パルマス勝者との試合をバルサがおこなう。グループBも同じようなスタイルで試合をおこない、それぞれのグループ首位チームが7日に決勝戦を戦うことになる。だが、残念ながらボージャンはこの大会に参加できない。なぜなら彼はスペインアンダー17代表に招集されてしまっているからだ。弱冠15歳という、代表チーム選手の中にあって最年少で参加が決まったボージャン。この大会については開催が近づいてきたら触れてみよう。

「La Masia ニュース」より


セルビア代表ボージャン?
(06/03/05)

カデッテA所属のボージャン・ケルキック家に、つい最近、父の母国であるセルビアのフットボール協会から一通の手紙が届いている。
「セルビア・アンダー17の代表選手としてプレーする気があるかどうか?」
今年の5月にどこかの国でユーロ・アンダー17の大会が開かれるらしい。その大会にセルビア代表選手として出場する意志があるかどうかという問い合わせだが、ボージャンはまだそれに対する返答はしていないという。スペインはレイダで生まれた彼だが、父の国セルビアを選ぶか、あるいは母の国スペインを選ぶか、それはまだ決めていない。いずれにしても近いうちの意思表示をしないとならない。

カデッテAカテゴリーに所属はしているものの、ボージャンの現在のプレー場所はフベニルBだ。少なくても一つ年上、あるいは二つ年上の選手もいるチームでデランテロとしてプレーしている。これまで4試合に出場し、2ゴールを決めている。彼としては少ない数字だが、出場時間を考慮に入れればそれほど悪いものでもない。先週末ようやく負傷から戻ってきて現場に復帰してきたばかりだが、彼の目標は来シーズンにはフベニルAチームでプレーし、2年後にミニエスタディ進出を狙うというもの。つまり16歳か17歳でバルサC,あるいはバルサBでプレーすることだ。すでに14歳でスペインアンダー16、カタルーニャアンダー16に招集された経験を持つ。ちなみに、レッド・スターでプレーしていた彼の父ボージャン・ケルキックは、ユーゴスラビアのすべてのカテゴリーで代表選手となった経験を持つ人で、現在はバルサのスカウトマンをしている。したがって、セスクやピケの場合のように他のクラブからいかに美味しいオファーが来ようと、まずこの家族が引っ越しすることはあり得ないだろう。

ところで、3月8日に予定されているスペイン代表アンダー17の親善試合にバルサフベニルBチームから4人の選手が招集されている。ポルテロのマシップ、セントロカンピスタのクリスティアン、デランテロのワルテルとイエッペス。だが今のところボージャンの名前はない。もし次回の親善試合にもボージャンの名前がない場合、彼の決断は簡単なものとなる。セルビアアンダー17代表選手となることだ。

「La Masia ニュース」より


デランテロ少年、ボージャン・ケルキック
(05/11/11)

ボージャンがバルサインフェリオールカテゴリーに入団してきたのは今から6年前の1999年の夏。当時8歳の彼はベンジャミンAカテゴリーからスタート。バルサ生活7シーズン目を迎える今シーズンはカデッテAカテゴリーでプレーしている。そしてこれまでに彼が残してきた記録は驚くべきものがある。

6シーズン目となった昨シーズンは何回かの負傷に見舞われ約半分の試合しか出場していない。それでもバルサカテゴリー(ベンジャミンからバルサAチームまで含めたすべてのカテゴリー)において例年通り最高数のゴールを決めている。36ゴール、この数字がリーグ戦で獲得したゴール数だ。そして今シーズンは第8節を消化した段階ですでに15ゴールを決めている。しかもこの8試合で彼が最後までプレーした試合は1試合もない。これまでのすべての試合で後半に入ってからベンチに下げられているボージャン、だが、それでもこの数字を残しチーム内ではもちろんこのカテゴリーでの最高ゴール記録保持者となっている。更に驚くべき数字が残っている。バルサインフェリオールカテゴリーに入団してきてから7シーズン目に入ったばかりだが、これまで彼が獲得してきたすべてのゴール数(親善試合と公式試合)、それは何と692ゴール数と記録されている。

まだ15歳だから将来どうなるか、それは誰にもわからないものの“可能性”として考えれば、そしてこれまで通り順調に成長してくれば、バルサカンテラが生んだ超大物選手として、2年後にはミニエスタディで、そして3年後にはカンプノウで少し身長が伸びたボージャン・ケルキックが見られるかも知れない。う〜ん、楽しみだのう。

「La Masia ニュース」より


ボージャンとメッシー
(05/11/06)

ボージャン・ケルキック、カデッテAカテゴリーに在籍する15歳のキラキラ星選手、だがここで触れるボージャン・ケルキックは彼の父親の方だ。親の名をそのまま息子に持ってきてしまうのはヨーロッパ社会ではそれほど珍しいことではないが、そういう風習を持たない環境で生まれ育った者としては、なんと面倒くさがり屋の親なのかとか、「ボージャンお願いします」という電話がかかってきたらどうするのかとか余計な想像してしまうが、それはどうでもいいとして、とにかくケルキック家にはボージャン父とボージャン息子がいることになる。

レイダという街でフットボールスクールをやっていた彼がバルサのスカウトマンとなったのはラポルタが会長に選出されてからだ。つまり3年前からバルサの職員として働いているボージャン父。そしてカデッテ・フベニル時代からレオ・メッシーに常に注目していた人物でもある。もっとも、一番注目している選手は今でもボージャン息子であるが、それでも誰よりもメッシーの可能性を信じていた人であることには変わりがない。
「どこのカテゴリーでプレーしようと常に最年少の選手だったが、それでも他の選手との違いは明らかに見て取れた。スピード、テクニック、状況判断、それらのすべてをとってみてもピカイチ光る選手だった。幸運なことに、つまずくこともなく順調に育って来ているのをこの目で見ているから、今の彼の活躍はそれほど驚くことでもないと思っている。」

デビューしたばかりだし出場時間も少ないからメッシーのゴール数はまだ少ない。“メッシーは素晴らしい選手だがゴール能力がイマイチ”と思う人はいないと思うが、もしいたとしたらそれはとんでもない勘違いだ。個人的には、今シーズンは少なくても10ゴール、来シーズン順調に試合に出場するようになれば20ゴール近くを獲得する選手となると思っている。そして2年後、あるいは3年後、今度はボージャン父ではなくボージャン息子の方がグランドに登場し、イニエスタのパスを受けてシュートするメッシー、そしてポルテロがはじいたボールをボージャン息子がポコッと決めてしまうシーンが登場することになります。そのボージャンは第7節を終了した段階で得点王と例年並みの活躍をしており、彼もまた順調に成長中。

「La Masia ニュース」より