Sergio Busquets
ブスケ

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08 - 09

今シーズン選手評価(下)
(09/05/24)

セルヒオ・ブスケ イエェー!

ブスケの思わぬ活躍は、バルサフィリアルチームのあり方に関していろいろと考えさせてくれる。彼は昨シーズン、フベニルチームから上がってきて三部リーグでプレーした選手。二部Aカテゴリーはもちろん二部Bカテゴリーも経験していない。もし、ブスケという選手が突然変異によって誕生してきた選手でないとするなら、果たしてフィリアルチームはカテゴリーを上げるためにメベテラン選手モを獲得する必要があるのだろうか。それはさておき、ブスケはヤバイ香りのする選手ではある。必要とあらば、審判を欺そうとピスシーナ行為を平気な顔をしてやるし、ヤバイと感じたときには強烈なタックルを笑顔でやってしまう。おまけに、ピボッテというポジションでも、相手をかわそうとしてかわされてしまう、見ていてヤバイ感じのする選手だ。でも、考えてみれば、まだ21歳。やることなすこと若きベテラン選手と言って良い。

「こちらカピタン」より


セルヒオ・ブスケ逸話
(08/12/19)

まだエリートチームにデビューして半年のセルヒオ・ブスケは、まったくの新人選手と言っていい。だが、親父が元バルサ選手ということもあるのか、ちまたに流れる逸話の多い選手でもある。ここで紹介するいくつかの彼にまつわる逸話は、すべて親父がらみ。ブスケ息子の逸話と言うよりは親父のそれとすべきかも知れない。あるいは熱血親父とその血をひく息子の逸話としたほうがいいかも知れない。

●まず一つめ。これは8月のこのコーナーで触れたもの。
もうかなり昔のことなので、いつのシーズンだったかは忘れた。カルロス・ブスケというポルテロが、スビサレッタの控えとしてベンチに入っていた時代だから、1995年のアテネ決勝戦で大敗する少し前のことだろう。ある日、その控えポルテロブスケが右手に派手な包帯を巻いてメディアの前に出てきたことがある。彼曰く、家庭内でのアクシデントによる負傷だという。なんでも、アイロンをかけていたら、手からアイロンがすべって落としそうになったとか。アイロン台の下では彼の息子が遊んでいたので、これはいけないと思い、手から離れたアイロンを無意識のうちにつかんでしまったのだそうな。もちろん、こんな話は誰も信じない。彼は夜の帝王として知られていたし、しかも喧嘩っ早いことでも知られていたから、どうせどこかの飲み屋で喧嘩でもしたのだろう、という噂がそれらしく流れた。まあ、この“アイロン事件”はどうでも良いとして、なんでこんなことを思い出したかというと、彼の言うアイロン台の下で遊んでいた息子というのが、セルヒオ・ブスケとなるからだ。

●二つめ
カルロス・ブスケは現役時代、よく息子のセルヒオを練習に連れてきたという。ある日、ラ・マシアでおこなわれた練習が終わり、カルロスは7歳になったセルヒオの手をつないで、コーチのレシャックの前にあらわれた。子供好きで知られるレシャックはこの7歳の坊やとボール遊びを始める。レシャックが蹴ったボールをセルヒオが返し、そのボールを再びレシャックが蹴り返す。そしてレシャックがセルヒオ坊やに要求する。
「いいかい、自分の足下にボールを置いて、思いっきり蹴ってごらん。」
セルヒオは言われたとおりにボールを足下に置き、5m程度離れたレシャックに向かってボールを蹴る。そのボールはすごい勢いでレシャックの顔面にぶつかり、思わず倒れてしまうレシャック。
「カルロス、この子は将来間違いなくバルサの選手になるよ。」
今から17年前のこと。

●三つめ
ミニエスタディでおこなわれていたバルサBの試合にセルヒオが出場し、親父のカルロスも観戦席に陣取っている。この試合、セルヒオにはあまり良いところがなかったようだ。パルコ席の近くに座っていた年輩のバルセロニスタから、セルヒオに向かってとぎれることなく野次が飛んでいた。そして、審判の笛が吹かれ試合が終了したその瞬間、その年輩バルセロニスタから、次のような罵声がセルヒオに向かった投げられた。
「お前はコネ入団か!」
それを聞いたカルロスはそのバルセロニスタに向かって弾丸のように走り寄った。
「試合中のプレーにかんして野次を飛ばすのは良いだろう。それはファンの自由というものだ。だが、コネということで批判するなら、それは息子ではなくて親父の私に直接文句を言え。もしコネ入団だとするなら息子に罪はなく、親父のほうに罪があるのだから。」
そう言いながら、右手で相手の胸を軽く叩くカルロス。この年配バルセロニスタは暴力行為を受けたとしてクラブに訴えたという。その結末は誰も知らない。

●四つめ
すでにエリートチームの一員として練習に参加するようになったセルヒオ・ブスケ。ルーチョバルサチームのポルテロコーチであるカルロスも、エリートチームの練習にはウンスエのサブとして参加してきている。ラ・マシアではお決まりのロンドがおこなわれていた。ボールがセルヒオのところに転がり込んできたとき、トゥレ・ヤヤが激しいタックルをセルヒオの右足に見舞う。倒れている彼を取り囲むように、ヤヤを含めた何人かの選手が心配そうに見つめていた。そして無事に起きあがるセルヒオ。それから間もなく、この輪になっておこなうロンドに飛び込んできた人物がいた。カルロスだった。大勢の人がヤヤに対して詰め寄るのではないかと心配しているところ、カルロスはセルヒオを呼びつけた。
「彼は謝ったか?」
「うん。」
「それなら良し。恨みなんか持つんじゃないぞ!」
そう言い残して何事もなかったかのように、ポルテロたちが練習している場所に戻っていった親父でありました。

「こちらカピタン」より


セルヒオ・ブスケ
(08/10/08)

リーグ戦開幕まで1週間となった8月24日、このコーナーでセルヒオ・ブスケに関して次のように触れている。

グラウンドの外のことは知らないが、グラウンド内ではタチの悪い選手だ。彼をマークしている選手が少しでも接触してくると、大声を上げておおげさに倒れるピスシーナの天才。相手選手のファールで一度痛い目に遭うと、三倍にしてそのお返しをしてしまう復讐魔でもある。壁パスのお返しパスが弱く、相手選手にボールをとられてカウンタアタックをされる元凶選手となることも多い。だが、それでも、優れたテクニックを持った選手であり、フットボールセンスの良さが伝わってくる選手でもある。そして何よりも実践的な選手だ。おとなしい選手を送り出すことが多いラ・マシア出身選手ながら、肉弾戦には欠かせない熱い血を持った20歳になったばかりのブスケ。今回はすぐにエリートチームに上がってこないとしても、そのうち常連選手となるナンバーワン候補だと思う。

かつてのモッタのように、選手同士が揉めた時の“力強い切り込み隊長”としての頼もしさを示す場面には、未だ遭遇してはいない。ブスケの息子だから、いずれそういう楽しい場面を見せてくれるだろう。カンテラ組織から彼のようなキャラクターを持った選手が登場してくるのは希なことであり、是非とも暴れ回って欲しい。それにしても予想外だったのは、これほど早く常連選手の1人となったことと、新人のわりには非常に冷静にプレーしていること。そしてもう一つ、それはピボッテというポジションでの起用法だ。てっきり、インテリオール選手として起用されるとばかり思っていた。

今から3年前にバルサに入団してきたブスケだが、最初のシーズンはフベニルBとフベニルAをかけもちでプレーしていた。だが、いずれのチームでもポジションはインテリオール。左側でプレーする時もあれば、右側でプレーすることもあったが、常にインテリオールの選手。そして2年目。フベニルA固定選手となってからも、やはり左右のインテリオール選手としてシーズンを通して起用されている。そして3年目となった昨シーズン、ペップバルサ入りした彼のポジションに変化が見始められる。シーズン開始当初は負傷していたため、彼がペップバルサに招集されるようになるのは11月のこと。そして11月14日にペップバルサデビューをすることになるが、ポジションはなんと9番だった。このデランテロというポジションは次の試合でも試され、ようやく彼の本来のポジションであるインテリオールに戻ったのは3試合目。そしてそれ以降、カード制裁を喰らっている試合(ジェフレンと共につまらないことで退場させられた翌週、この2人はバルサBの練習が終わった後、1週間にわたってフベニルAチーム練習の球拾い役を命じられている)をのぞいて、ほとんどスタメン出場する幸運に恵まれている彼だが、ポジションはいろいろと変化を見せる。ある時はメディアプンタ、ある時は再びデランテロ、そしてある時は左右どちらかのインテリオール選手。その彼がピボッテとしてプレーするようになるのは、シーズンが終了する間際のことだ。

そして今シーズン。
第1節ヌマンシア戦・・・不出場
第2節ラーシング戦・・・スタメン出場90分間プレー
第3節ヒホン戦・・・・・スタメン出場78分間プレー
第4節ベティス戦・・・・途中出場20分間プレー
第5節エスパニョール戦・スタメン出場65分間プレー
第6節 At.マドリ戦 ・・・スタメン出場90分間プレー

いまだにチャンピオンズの試合には出場していないものの、リーグ戦に限って言えば多くの試合でスタメン選手となっている。そして驚くのは、と勝手に1人で驚いているだけかも知れないが、ペップ監督はブスケをピボッテとして起用することが多く見られることだ。そしてそれが見事に機能している。してみると、ペップ監督は以前から彼のピボッテとしての才能を評価していたのかも知れない。クロッサスやバリエンテを計算外としたのはそのせいかも知れない。そこらへんのことは外野席に座っている者には前もってわからないことだから、単純に彼らの放出を批判することが、結果的に的を射ていないことになってしまう。何年間もフットボール界の中に住んでいる人間と、外野席から眺めている人間との違い。そして毎日の練習風景を観察している人物と、週1回の試合だけを見ている人たちの違い。この相違は天と地の差ぐらいあるかも。

スペインU21代表に選出されたブスケはまだ20歳。スペイン代表と名が付くチームへの初登場だ。そしてこれからが、彼の勝負時となる。彼の存在を知った相手チームが徹底的に厳しいマークを付けてきた時に、どのような対応を見せるか。チョンボが多い選手だけに、それが課題となるだろう。もっとも、そんなことは誰もが経験する“越えなければならないハードル”の一つだ。さて、年俸3万ユーロ・ブスケとバルサとの契約は2009年6月30日まで。つまり、今年の12月を過ぎれば彼の獲得に興味を持ったクラブは大手を振って彼と交渉できることになる。ノンビリ屋さんチキはゴルフばっかりしている場合ではないぞ。

「こちらカピタン」より


ブスケとV.サンチェス
(08/08/24)

コルコレス、アブラン、ビクトル・サンチェス(以降V.サンチェス)、ブスケ、ビクトル・バスケス(以降V.バスケス)、ジェフレン、ペドロという、昨シーズンバルサBに在籍していた選手がスコットランド遠征に招集され、いったん帰国した後におこなわれたアメリカ遠征にも、コルコレスとアブランをのぞいた5人の選手が参加している。この中から果たして誰がペップバルサに残るのか、そういうキニエラがあったなら3人の名をあげていただろう。ブスケ、V.サンチェス、そしてペドロ。だが、どうやらそのキニエラは外れてしまったようだ。後者の2人はペップバルサに登録されるようだが、ブスケはとりあえずルーチョ組員となっている。これは少々意外なり。

ペドロのことは以前に触れているので今回は割愛。どこかにレンタルさせて、プレー時間を可能な限り多くするのが彼のためであり、そして将来のバルサのためであると今でも思っている。だが、最終的に残ることになるのであれば、ペップバルサで出番がないときは、できる限りルーチョバルサでプレーさせるべきだろう。エリートチームのベンチに置いておくだけで成長する選手など一人もいないだろうが、彼らとの練習で成長していくタイプの選手はいる。だがペドロは実践を通して大きくなっていく典型的な選手と見た。

●セルヒオ・ブスケ
もうかなり昔のことなので、いつのシーズンだったかは忘れた。カルロス・ブスケというポルテロがスビサレッタの控えとしてベンチに入っていた時代だから、1995年のアテネ決勝戦で大敗する少し前のことだろう。ある日、その控えポルテロブスケが右手に派手な包帯を巻いてメディアの前に出てきたことがある。彼曰く、家庭内でのアクシデントによる負傷だという。なんでも、アイロンをかけていたら、手からアイロンがすべって落としそうになったとか。アイロン台の下では彼の息子が遊んでいたので、これはいけないと思い、手から離れたアイロンをとっさに無意識のうちにつかんでしまったのだそうな。もちろん、こんな話は誰も信じない。彼は夜の帝王として知られていたし、しかも喧嘩っ早いことでも知られていたから、どうせどこかの飲み屋で喧嘩でもしたのだろう、という噂がそれらしく流れた。まあ、この“アイロン事件”はどうでも良いとして、なんでこんなことを思い出したかというと、彼の言うアイロン台の下で遊んでいた息子というのがセルヒオ・ブスケとなるからだ。あれから十数年たち、今では身長191センチ、大きくなったもんだわい。ちなみに彼はブスケという呼び名では親の七光りという感じがするので、セルヒオと呼んで欲しいと言っているらしいが、ここではセルヒオというありふれた名では呼ばない。彼はブスケだ。

グラウンドの外のことは知らないが、グラウンド内ではタチの悪い選手だ。彼をマークしている選手が少しでも接触してくると、大声を上げておおげさに倒れるピスシーナの天才。相手選手のファールで一度痛い目に遭うと、三倍にしてそのお返しをしてしまう復讐魔でもある。壁パスのお返しパスが弱く、相手選手にボールをとられてカウンタアタックをされる元凶選手となることも多い。だが、それでも、優れたテクニックを持った選手であり、フットボールセンスの良さが伝わってくる選手でもある。そして何よりも実践的な選手だ。おとなしい選手を送り出すことが多いラ・マシア出身選手ながら、肉弾戦には欠かせない熱い血を持った20歳になったばかりのブスケ。今回はすぐにエリートチームに上がってこないとしても、そのうち常連選手となるナンバーワン候補だと思う。

  ーー 後略 ーー

「こちらカピタン」より