Pedro Rodriguez Ledesma
ペドロ

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08 - 09

今シーズン選手評価(下)
(09/05/24)

ペドロ・ロドリゲス イエェー!

ビクトル・サンチェスと同じように、シーズンを通じてほぼ出番が回ってこなかった選手ではあるが、サンチェスとは違い、彼の場合はまだプロ新契約を結んでいないようだ。果たして、ペップバルサでやっていく資質がある選手かどうか、それさえもこの少ない試合出場時間では判断できない。プレー特徴としては、スペースを作ったり、あるいは空いたスペースを利用してゴールを狙ったりするタイプであるから、現在のバルサ選手の中では貴重と言えば貴重な存在。だが、その武器を磨くには、やはりレベルの高いところで経験を積むのがいいのではないか。それはルーチョバルサではないし、ペップバルサ招集外組員が座る観客席でもない。できれば一部リーグの手頃なチーム。そう、彼の出身地であるテネリフェが来シーズンは一部リーグ復帰しそうな気配ではないか。是非ともテネリフェへ、そうだ、ペドロをテネリフェ送りにしよう。最終的にバルサに戻ってくることができるかどうか、それは神のみぞ知るところ。それでも、行った方がいい。
スエルテ、ペドロ!

「こちらカピタン」より


救世主ペドロ・ロドリゲス
(08/10/04)

7つの島から構成される、スペイン最南端に位置するカナリア諸島。その一つの島サンタ・クルス・テネリフェというのは、そのカナリア諸島の中でも最大の面積を有するだけではなく、観光拠点としても重要な島だ。と、今日のコーナーはスペイン観光局風にスタート。大瀧詠一だったかハッピーエンドだったか、彼の(あるいは彼らの)歌うそのカナリア諸島にはいまだに行ったことがない。なんせ遠いのだよ。バルセロナから2千キロ以上離れているというから、日本で言えば北海道の真北から九州の真南に行くようなものだ。とても自転車では行けない。

このサンタ・クルス・テネリフェという島の中にサン・イシドロという、人口約1万4千人程度の街があるという。ここにあるフットボールチームの名はフットボール・デポルティーボ・ラキ・サン・イシドロ、通称ラキと呼ばれるクラブだ。1970年創立というからかなり新しいクラブであり、これまでの最高カテゴリーが2005ー06シーズン在籍した二部Bカテゴリーだという。そして今シーズンは三部リーグはおろか、地方リーグにまでと落ち込んでしまっている。二部Bカテゴリーに昇格した際に、大金をはたいてカナリア諸島が生んだ“クラック”選手を何人か獲得してしまったため、現在は借金で苦しんでいるともいう。いや、それどころか、クラブの延命自体が難しい状況となっているらしい。彼らが抱えるその経済的問題を解決し、彼らが生き延びる方法、それは一つしかない。このクラブのカンテラ組織で育ったペドロ・ロドリゲス救世主に、果たして後光がさすかどうか、それのみにかかっている。

我らが27番ペドロ・ロドリゲスは、ラキから2004年夏に移籍してきている。フベニルカテゴリーでゴレアドールとなった彼に、バルサスパイ団の1人が目を付けての入団だった。バルサでもフベニルカテゴリーでスタートし、毎シーズン確実に成長し続けてきた彼は今シーズンからペップバルサでもプレーするようになった。

いかにラキのクラブ首脳陣が彼を救世主と拝めたてようが、ブスケやサンチェスと同じような3万ユーロの年俸しかとっていない彼だから、クラブ借金返済の手助けをしようと財布の中身を見ても助けにはならない。いかに頑張って貯金通帳を眺めて見ても、とてもとても40万ユーロというクラブ借金の数字を越えるものは見つからない(と、勝手に想像)。だが、彼が救世主となる由縁は、ラキとバルサが結んだ契約書の中にある。

6000ユーロというほぼタダ同然の形でバルサに移籍してきたペドロながら、契約書の中にはいくつかのオプション条項があるらしい。まず、フィリアルに上がって10試合以上プレーした場合、2万4000ユーロのオプション料がラキの懐に入る。だが、これは大した金額ではない。ラキの経済状態を救うのは次のオプションだ。もし彼が(奇跡的に)バルサAチームで10試合以上(1試合45分以上の出場が条件)の公式試合に出場した場合、バルサはラキに30万ユーロの支払いをしなければならないというもの。オラゲールに同じような条件を付けてバルサに移籍させたグラマネの例を見るまでもなく、奇跡がおきるのを信じて一応はオプションを付けてみるもんだ。

そのペドロ選手。昨シーズンはムルシア戦とバジャドリ戦に出場しているが、両試合とも公式試合とはいえ、数分間のプレー時間だったためこれらは計算外。今シーズンは第二節ラーシング戦に90分間出場し、チャンピオンズ予備選ビスワとの試合でも64分間プレーしているから、オプション条件としては2試合出場したことになる。そして3試合目となることが大いに期待されたシャクター戦。だが、大方の予想を裏切ってベンチにも入れてもらえず、観客席に90分間。う〜ん、10試合出場達成というのは、かなり高いハードルだ。それを越えることを可能にしてくれるのは、やはり国王杯次第となるのだろう。もし順調に準決勝まで進めるとすれば、この大会だけで6試合の出場が可能となる。

ラキというクラブの延命はペドロ・ロドリゲスの試合出場回数にかかっており、同時に監督のペップの選手起用法にも関連してくる。毎週末のバルサの試合を今日は出場するだろうかどうだろうか、とテレビの前に座って待ち続けるサン・イシドロの人々。彼らにとってはバルサが勝利すること以上に、救世主ペドロがプレーするかどうかの方が大事に違いない。それでも、メッシーの怪我を期待しちゃあいけないよ。それだけはダメ。

「こちらカピタン」より


俺はペドロ
(08/08/18)

ペドロ・ロドリゲス、2004−05シーズンにバルサフベニルAチームへと加入してきている。翌シーズンはバルサC,そしてその翌シーズンもバルサCチーム居残り組の1人となっている。この2006−07シーズン、バルサCに22歳のデランテロ選手であるペドロ・ガルシアという選手が加入してきた。したがって、ペドロという名の選手が2人同じチームに、それもデランテロという同じポジションでプレーするようになり、それではと、年下のペドロ・ロドリゲス君が“ペドリート”という縮小辞つきで呼ばれることになった。だが、22歳ペドロ選手は入団後半年してレンタル移籍させられてしまう。再びペドロ名は1人となり、ペドロ・ロドリゲスはかつてのようにペドロに戻ることになった。両親にとってはいくつになっても子供時代からの愛称であるペドリートではあったが、少なくともフットボール界ではペドロ・ロドリゲスとなった。

それから1年後の2008年1月12日、ムルシアを迎えてのカンプノウでの試合。エスケロが負傷していたこともあり、バルサBから急きょこのペドロが招集されることになった。そして88分、エトーと交代にペドロがカンプノウに登場。ここで何を勘違いしたか、選手交代を告げるスピーカーから、“ペドリート!!!!"という紹介アナウンスが流れてしまった。そしてこの日から、バルサBの選手のことなどには興味がないのか無知なのか、多くのメディアが彼のことを“ペドリート”と呼ぶようになってしまった。
「ペドリートではなくペドロと呼んで欲しい。
8月の最初にこうメディアに要求し、やっとペドロはペドロに戻ることができた。

1987年7月28日テネリフェ生まれ。いわゆるメッシーやピケ、セスクと同じ1987年世代となるが、17歳になってからのバルサ入団なので、バルサインフェリオールカテゴリー時代に彼らと一緒にプレーしたことはない。しかもこれまで、エリートチームに上がって来たすべてのカンテラ育ち選手が、オリオル・トルト氏やビジャセカ氏の手によってバルサ入団してきたという経過を持つのに比べ、彼はラポルタ政権誕生時のカンテラ責任者ジョアン・コロメル氏によって発掘された最初の選手となる。

フベニルAチームからスタートし、翌年はバルサCチームに上がるものの、決してスポットライトを浴びてきた選手ではない。いや、それどころか、もし現在のようにバルサCカテゴリーというものがなかったら、2年目にしてすでにクラブを去ることを運命づけられていたかも知れない。2004−05シーズン、フベニルチームにはすでにセスクやピケなどはいないものの、まだ優れた選手が残っていたシーズンだ。特にペドロのポジションとなるデランテロには何人かの将来を期待された選手が残っていた。左エストレーモとしてソンゴー・ジュニア、右エストレーモにはトニー・カルボやホセ・クラウス、そしてプンタにはシト・リエラやV.バスケスなどがおり、新人ペドロにはほとんど出番がなかったシーズンのように記憶している。そしてバルサCに昇進した翌シーズンも、ほぼ同じような状況下でプレーしている。その彼が徐々にスポットライトが当てられるようになったのが、バルサC2年目のことだ。

バルサCチームのデランテロを務めていた多くの選手がバルサBに昇進したり、あるいはクラブを離れる運命となったものの、ペドロはバルサC居残り組となった。そしてクラブを去った選手の代わりに加入してきた選手たちのほとんどが、この1シーズンでクラブを離れることになったことからわかるように、クラブが画策した加入作戦は見事に失敗の巻きとなるシーズンだ。この2006−07シーズン、ペドロはほぼすべての試合にスタメン出場し、右エストレーモ選手としての自信を少しずつ勝ち取っていく。そしてその才能を更に開花させることに成功した最大の“犯人”は、昨シーズンバルサBの監督をしたペップ・グアルディオラだろう。バルサB絶対スタメン選手のひとりとして監督から大いなる信頼を得た彼は、まるで一皮剥けたような感じで成長していった。

運動量の多さ、90分間における100%の集中力、そして誰もが否定できない絶対的なプロ精神、それらをすべて認めた上で、だがしかし、個人的にはまだバルサエリートチームの選手ではない気がする。かと言って、ルーチョバルサでは容れ物が小さすぎる。したがって、1シーズンだけでも良いから、二部Aチーム、あるいは弱小一部チームで経験を積むのが理想的だ。レンタルすべし!第二のゴイコを目指すべし!

「こちらカピタン」より