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カタルーニャ州庁舎のバルコニーに姿をあらわしたジョセップ・グアルディオーラ。これまでいつも広場から憧れのバルサ選手を眺めていた彼にとって、選手の一人としてこのバルコニーからファンの人々に挨拶することは夢のまた夢のことだった。今それが現実となっている。そしてこのバルコニーからの彼の最初の挨拶の言葉はすでに決められていた。1975年にフランコが死亡し、タラデーラス・カタルーニャ首相が20年間にわたる亡命生活を終えバルセロナに戻ってきたときに語った言葉を彼は愛していた。
「バルセロナ市民のみなさん! ついに我々は戻ってきた!」 これが広場を埋めるバルセロニスタに対してのグアルディオーラ挨拶だった。そして彼の後に現れたバケーロはバルセロニスタに問いかける。 そう、この祝勝会の3日後に控えたバジャドリ戦を含め、リーグ戦はまだ3試合残っていた。そして首位を走る続けるレアル・マドリを追いつめようとしているバルサだった。 バルサはこの1991−92のシーズンにも何人かの補強選手を加入させている。クライフのたっての要望でアヤックスからリチャード・ビチケ、セラ・フェレール率いるマジョルカからミゲランヘル・ナダール、At.マドリからフアン・カルロス、そしてカンテラからジョセップ・グアルディオーラが本格的に一部に上がってくる。 シーズン開始直後にバルサはいきなり危機を迎える。5試合消化したところで2勝3敗という成績だった。この時点で首位を走るレアル・マドリとAt.マドリにすでに6ポイント差とされていた。だがシーズン6試合目に当たったベルナベウでのクラシコで引きわけ、次のAt.マドリにはかろうじて勝利をおさめる。この勝利をきっかけとしてバルサは1敗もしないで折り返し地点を曲がる。だが常に首位を走るレアル・マドリも負けてはいない。13試合を消化したところで、バルサとの引き分け以外の試合はすべて勝利するという大進撃をおこなっていた。そしてリーガ残り3試合(つまりヨーロッパチャンピオンを決めてからの残りの試合)となったところでバルサは首位のレアル・マドリに2ポイント差とつけていた。 バルサはバジャドリでの試合で0−6と圧勝をおさめる。一方、マドリはオサスーナと引き分け、両チーム間の差はわずか1ポイントとなった。そして残り2試合となったところでバルサは再びアウエーの試合を戦う。相手はエスパニョールだ。ウエンブリーでの勝利以来、モラルが非常に高くなっているバルサはここでも0−4と圧勝する。だが今回はマドリも地元で勝利をおさめ、1ポイント差のまま最終戦を迎えることになる。バルサにとって唯一の明るい材料、それはゴール得失点差でマドリを上まわっていることだった。したがってもし最終戦でマドリと同ポイントとなった場合、優勝の女神はバルサに微笑むことになる。最終戦、バルサは地元でビルバオと、マドリはバルダーノ率いるテネリフェでの試合となっていた。 1992年6月7日、バルサにとってもマドリにとっても「決戦」の日がやって来た。
「もっと魅力的な試合を!」 クライフバルサが展開するスペクタクルなフットボールの影響がマドリディスタにも及んでいた。 マドリ会長のラモン・メンドーサは突如としてアンティック解任を発表する。前代未聞の出来事だった。2位を大きく離しているチームの監督を解任する、こんなことはかつてあり得なかった。だがアンティックは解任される。そしてベンハッケルが新監督に就任。ちなみにルイス・エンリケはこの年にヒホンからマドリに移籍している。 さて最終戦、マドリとバルサは同時刻に始められることになっていた。テネリフェでのマドリは快調に試合を進めている。前半30分ですでにイエロとハジのゴールにより0−2でテネリフェをおさえていた。だが後半に入り様子がガラッと変わってくる。マドリのディフェンスであるロッチャのオウンゴールに始まり、キーパーのブーヨのミスなどによりあっという間に逆転されてしまう。シーズン開始から最終戦の後半が始まるまで首位を走っていたマドリが、最後の最後になってバルサに逆転されてしまう瞬間を迎えていた。
バルサとしては32年ぶりの2年連続リーグ優勝だった。だがそんな事実より、シーズンの最後の最後に宿敵マドリを抜いての逆転優勝。これほど劇的なシーズンがかつてあっただろうか。そしてこれほど愉快な嬉しい優勝があっただろうか。ウエンブリーでの饗宴からわずかな日しかたっていないこの夜、カタルーニャのあらゆる村で、町で、都市で、再び終わりのないフィエスタが続いたことは言うまでもない。 |
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