60 さらなる勝利を目指して(91−92)

カタルーニャ州庁舎のバルコニーに姿をあらわしたジョセップ・グアルディオーラ。これまでいつも広場から憧れのバルサ選手を眺めていた彼にとって、選手の一人としてこのバルコニーからファンの人々に挨拶することは夢のまた夢のことだった。今それが現実となっている。そしてこのバルコニーからの彼の最初の挨拶の言葉はすでに決められていた。1975年にフランコが死亡し、タラデーラス・カタルーニャ首相が20年間にわたる亡命生活を終えバルセロナに戻ってきたときに語った言葉を彼は愛していた。

「バルセロナ市民のみなさん! ついに我々は戻ってきた!」

これが広場を埋めるバルセロニスタに対してのグアルディオーラ挨拶だった。そして彼の後に現れたバケーロはバルセロニスタに問いかける。
「我々はヨーロッパチャンピオンになった。この他にいったい何を望む?」
そしてバルセロニスタは答える。
「リーガ!」「リーガ!」「リーグ優勝!」

そう、この祝勝会の3日後に控えたバジャドリ戦を含め、リーグ戦はまだ3試合残っていた。そして首位を走る続けるレアル・マドリを追いつめようとしているバルサだった。

バルサはこの1991−92のシーズンにも何人かの補強選手を加入させている。クライフのたっての要望でアヤックスからリチャード・ビチケ、セラ・フェレール率いるマジョルカからミゲランヘル・ナダール、At.マドリからフアン・カルロス、そしてカンテラからジョセップ・グアルディオーラが本格的に一部に上がってくる。

シーズン開始直後にバルサはいきなり危機を迎える。5試合消化したところで2勝3敗という成績だった。この時点で首位を走るレアル・マドリとAt.マドリにすでに6ポイント差とされていた。だがシーズン6試合目に当たったベルナベウでのクラシコで引きわけ、次のAt.マドリにはかろうじて勝利をおさめる。この勝利をきっかけとしてバルサは1敗もしないで折り返し地点を曲がる。だが常に首位を走るレアル・マドリも負けてはいない。13試合を消化したところで、バルサとの引き分け以外の試合はすべて勝利するという大進撃をおこなっていた。そしてリーガ残り3試合(つまりヨーロッパチャンピオンを決めてからの残りの試合)となったところでバルサは首位のレアル・マドリに2ポイント差とつけていた。

バルサはバジャドリでの試合で0−6と圧勝をおさめる。一方、マドリはオサスーナと引き分け、両チーム間の差はわずか1ポイントとなった。そして残り2試合となったところでバルサは再びアウエーの試合を戦う。相手はエスパニョールだ。ウエンブリーでの勝利以来、モラルが非常に高くなっているバルサはここでも0−4と圧勝する。だが今回はマドリも地元で勝利をおさめ、1ポイント差のまま最終戦を迎えることになる。バルサにとって唯一の明るい材料、それはゴール得失点差でマドリを上まわっていることだった。したがってもし最終戦でマドリと同ポイントとなった場合、優勝の女神はバルサに微笑むことになる。最終戦、バルサは地元でビルバオと、マドリはバルダーノ率いるテネリフェでの試合となっていた。

1992年6月7日、バルサにとってもマドリにとっても「決戦」の日がやって来た。

1992年6月7日
リーグ最終戦
バルサービルバオ
この年のマドリの監督はやはりオランダ人のベンハッケルが務めている。シーズン開始当初はアンティックが監督を務め、13試合を消化した段階で12勝1分けという素晴らしい成績をおさめていた。試合内容自体は「スペクタクルのかけら」もなく「退屈」なものではあったが、それでも確実に勝利の2ポイントを獲得していくマドリ。2位を大きく引き離して独走態勢に入ろうとしていた。だがマドリディスタの受けは良くない。
「もっと魅力的な試合を!」
クライフバルサが展開するスペクタクルなフットボールの影響がマドリディスタにも及んでいた。

マドリ会長のラモン・メンドーサは突如としてアンティック解任を発表する。前代未聞の出来事だった。2位を大きく離しているチームの監督を解任する、こんなことはかつてあり得なかった。だがアンティックは解任される。そしてベンハッケルが新監督に就任。ちなみにルイス・エンリケはこの年にヒホンからマドリに移籍している。

さて最終戦、マドリとバルサは同時刻に始められることになっていた。テネリフェでのマドリは快調に試合を進めている。前半30分ですでにイエロとハジのゴールにより0−2でテネリフェをおさえていた。だが後半に入り様子がガラッと変わってくる。マドリのディフェンスであるロッチャのオウンゴールに始まり、キーパーのブーヨのミスなどによりあっという間に逆転されてしまう。シーズン開始から最終戦の後半が始まるまで首位を走っていたマドリが、最後の最後になってバルサに逆転されてしまう瞬間を迎えていた。

一方カンプノウでは、淡々とした静かな試合が続いていた。とても優勝を争っている試合とは思えないほどの静かな試合だった。観衆は10万人集まっている。だがほとんどの観衆は目はグランドにあるものの、心はラジオから伝わってくるテネリフェ・マドリ戦の実況中継にあった。誰もストイチコフのゴールに席を立って興奮したりしない。大歓声が上がったのは3回限りだ。1回目はテネリフェが同点に追いついた時、2回目は逆転ゴールを決めたとき、そして3回目はテネリフェの試合が終了した時だった。バルサは2−0でビルバオを敗り、シーズン最終戦の残り20分から初めて首位に立ち、それまで首位を走り続けていたマドリを抜いて2年連続リーグ優勝を決めた。

バルサとしては32年ぶりの2年連続リーグ優勝だった。だがそんな事実より、シーズンの最後の最後に宿敵マドリを抜いての逆転優勝。これほど劇的なシーズンがかつてあっただろうか。そしてこれほど愉快な嬉しい優勝があっただろうか。ウエンブリーでの饗宴からわずかな日しかたっていないこの夜、カタルーニャのあらゆる村で、町で、都市で、再び終わりのないフィエスタが続いたことは言うまでもない。