ソニー・アンダーソン選手の巻

1997−98シーズンにバルサに入団してきて2シーズン在籍したソニー・アンダーソン。若くしてブラジルから単身フランスにわたりプレースタイルがヨーロッパナイズされてからバルサにやって来た。バン・ガールバルサ監督のもと、リバルド・ジオバンニ・アンダーソンというブラジル三羽がらすが揃った時期でもある。バルサを出たあと再びピレネー山脈をわたり、しばらくしてからビジャレアルに入団。2年前のシーズンにはバルサ相手にバズーカー砲をぶっ放してくれたりもした。そのアンダーソンが再び旅に出る。シーズン途中での旅、行く先はカタール。フットボール選手として最後の儲け場所となっているカタールへの旅路は今すぐにでもおこなわれる。

カタール行きのもう一つの重要な理由、それはバルセロナ時代は仲の良い夫婦として知れられていた彼らにも離婚騒動というやっかいな、特にアンダーソンにとってやっかいな問題を抱えることになってしまったからだ。クルービーやロベルト・カルロスと同じように莫大な慰謝料の支払いを命じられている。したがって、必死になって稼がないといけないアンダーソン。

彼がビジャレアルでもらっていた年俸は100万ユーロにも満たない。そこに突然あらわれたとてつもなく美味しいオファー。それは半年で250万ユーロというもの。しかも契約期間の半年が過ぎたら、状況次第ではさらに1年のオファー付きだ。すでに34歳となっているソニー・アンダーソンにとって、これは断れません。フットボール選手として最後となるであろう最高のオファー、こんなもんは断れません。慰謝料を払うためにも断れません。というわけで、プロ選手として最後の働き場所となるカタールへと旅立つことになりました。(2004/10/21


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