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FC BARCELONA 2 - 1 ARSENAL 0-1(36分) SOL CAMPBELL [出場選手] |
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バモッ!バモッ!バモス!バルサ!
●バルデス ●ジオ ●プジョー ●マルケス ●オラゲール ●エドゥミルソン ●イニエスタ ●デコ ●ジュリー ●エトー ●ロナルディーニョ ●ライカー そしてスエルテ!バルサ! |
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決勝戦当日 あと12時間 | |||
フラン・ライカー監督
常にリラックスしていて冷静そのものであり、あらゆる状況を把握し自信に満ちている、そう表現できるであろうフラン・ライカー人物像。決勝戦を前にして少しのプレッシャーも感じていない、その理由はチームそのものを信じているからだと言う。もし決勝戦に勝利することができれば、バルサというクラブにとって2度目のヨーロッパチャンピオンということになるが、それでもクラブ歴史に残る監督になることには興味がないとも語る。彼に任された仕事を完璧にこなすこと、それだけが重要なことだと考えるからだ。 選手としては3回もチャンピオンズカップを手にしていますが、監督としては初めての経験。いかに冷静なあなたとはいえやはり緊張していますか? 選手時代でもそうであったけれど、特別な緊張感というものはない。決勝戦に備えての準備は昨日今日始まったものではないし、その事前の準備が順調に来てさえすれば緊張することもない。ただ、世界各国から集まってきたジャーナリストの数は普段とは比べものにならないほど多いし、テレビやラジオなどの特別番組に出席することが多いので普段より忙しいといえば忙しい。でも特別な緊張感はない。ソシオやクラブのためにもこの決勝戦に勝たなければいけないという思い、それだけだ。 バルサの監督就任3年目にしてすでに2年連続リーグ優勝、そしてチャンピオンズ決勝戦進出という輝かしい成績を残すことになりました。この成功の原因はなんだと思いますか? それは俗っぽい言い方になるが、やはりすべての意味で団結が生まれたことだ。監督に就任した時の状況は新しいクラブ理事会がスタートし、新しい選手が加入し、そしてソシオやファンの人々は大きな期待を抱いていた。新しく誕生したチームは、各個人としては素晴らしい選手によって構成されているものだったが、一つ欠けているものがあったんだ。選手間同士の団結、選手らと監督との団結、それらのものが欠けていた。それはなぜか。それは、一つの船に乗って目的を同じくして船を動かしていく際に必要な船員同士、あるいは船員とカピタン同士の間に必要な信頼感が欠けていたからさ。だがひとたび選手同士に助け合う態度が生まれたとき、同時に信頼感も発生してくる。そしてその信頼感がチーム内の団結を生むことになる。私にとって幸運だったのは、監督に就任して半年近くでそういう状況が生まれたことだ。 その信頼感というか団結というか、それらのものが生まれたのは監督としてのあなたの仕事が効を奏したということですね。 戦術的なことやテクニック的なことは我々コーチが教えることはできる。だがメンタル面のことは、言葉で説明しても当人たちの自覚が生まれなければどうしようもないことだ。例えば、世界中のどこのクラブでもスタメンで出場できる一人一人の偉大な選手が、一つのチームのためにそれぞれ犠牲的な精神を発揮して構成されるチーム、それが現在のバルサというチームだと思っている。偉大な選手一人、あるいは二人だけの力でチームは機能しないし、すべての選手の力が一つにまとまって初めて機能するものなんだ。いや、それだけでもない。クラブ理事会の人々、私を含めたコーチたち、医師団の人々、道具係の人々、私たちの影となって働き、決してスポットライトを浴びることもなければメディアに取り上げられることもない多くのスタッフたち、そして14万人のソシオたちや世界各国にいるバルサファンたち、クラブを構成するこのような人々によってクラブが成り立っているということを認識したとき、初めて選手間に責任感が生まれ、同時に信頼感と共に団結力が生まれる。繰り返すことになるが、私が監督としてやっていけるのはそういう自覚を持った選手たちがいるからさ。 ウエンブリーの決勝戦でクライフが選手に対し「さあ、決勝戦を楽しんできなさい!」と言って送り出していましたが・・・ フットボールは単にスポーツの一つにしか過ぎないとは言うものの、楽しむだけではなく真剣に取り組まなければならないものだと思っている。選手たちはフットボールが好きだからプロ選手となったわけであり、グランドにいるときが一番幸せだということは間違いないだろう。幸せな瞬間を過ごしているときには笑顔も生まれるだろうし、同時に相手のあるゲームをしているわけだから、勝負に対するパッションというものも存在する。11人しかプレーできないという条件内で選ばれた選手たちだから、当然ながら楽しめばいい。だが、決して忘れてならないこと、それは責任ある立場にもあるということだ。もし選手たちの笑顔ばかりが目立つチームだったら、監督として非常に不満に思うし不安にもなるだろう。フットボールの試合はシビアなものであり、特に決勝戦ともなれば多くのソシオを初め、クラブ関係者、クラブがある町の人々や町の関係者、そしてクラブを愛する世界中のファンにとてつもなく大きな期待が生まれる。我々の最終目標は彼らの期待に添う仕事をすること。もちろん試合に望む際に緊張感や責任感だけを持ってプレーして欲しくはないが、かといって彼らが楽しむだけのプレーでも不十分だ。それらをミックスしたすべてのものを持ってグランドに走っていってもらいたい。 正直なところ決勝戦をどのように予想していますか? 決勝戦の予想・・・実は私はノストラダムスの予言をすべて信じているんだ。だから自分の予想より彼の予言の方が正しいと思い、何回か携帯で連絡しているんだがいつも話し中なんだ。非常に残念ながらそういう状況だ。いや、これはジョークだよ、忘れてくれ。 |
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決勝戦当日 あと22時間 | |||
線審がオフサイド
ノルウェーの新聞にバルサのユニフォームを着込んではしゃいでいるところの写真を掲載されたことで一躍時の人となった線審は、UEFAの審判協議委員のおしかりをかって今日の仕事をとりあげられている。というわけで、時の人の代わりに他の線審が担当することになった。 |
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決勝戦当日 あと23時間 | |||
16日火曜日試合前日のバルサ
いよいよ試合を翌日にひかえた16日火曜日、バルサはチャンピオンズカップをバルセロナに持ち帰るためにパリに飛んでいる。ボーイング747に乗り込んだバルサ御一行(22人の選手、ほぼすべての理事会員、関係者家族・親戚・お隣さん・彼氏彼女・知り合い・コネ持ち、スポンサー関係者、そしてメディア関係者、その数なんと580人!)がバルセロナ・エル・プラット空港を飛び立ち、パリはドゴール空港に到着したのは13時頃。そしてそのまま宿泊予定のホテルに直行。 彼らの宿泊先はトリアノン・パレスと名の付いたホテル。もともと修道院だった建物を大幅に改築した、五つ星ホテルに任命されている最高級ホテルだ。パリ市内から30キロほど離れたところに位置するこのホテルは、かつてロナルディーニョが在籍していたPSGがよく利用するところでもある。ちなみにこのホテルはレアル・マドリも利用したことがある。2000年5月にバレンシア相手のチャンピオンズ決勝戦に進出してきた彼らが宿泊し、8回目のチャンピオンズ優勝を決めている。バルサにとって縁起が良いんだか悪いんだかよくわからないが、チャンピオンズ決勝戦は実力と幸運で勝ち取るものだから、宿泊先ホテルは、まあどうでも良しとしよう。 19時頃にはサン・ドニでの練習を開始。この練習の前にプジョーとバルデスが共同記者会見場に登場し、スペイン語、カタルーニャ語、そして英語で質問を受けていたが、もちろん彼らには英語が通じないため通訳が介入。だが、そのあとに出てきたフラン・ライカーは凄い。スペイン語、カタルーニャ語、英語はもちろんフランス語の質問にフランス語で応えていたのには驚いた。もちろんドイツ語も達者だろうから、いやいや、ライカーは言語インテリです。 |
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決勝戦当日 あと28時間 | |||
テン・カテ・コーチ
フラン・ライカーの右腕となって働くテン・カテ・コーチ。バルサにやって来てからすでに3年がたとうとしているが、監督ではなくコーチという仕事は初めての経験。だが、それも今シーズン限りで終わることになる可能性が大だ。彼の故国、オランダはアヤックスの監督となる公算が強いと見られている。だがチャンピオンズの決勝戦を前にしてその話題はメディアを騒がしていないし、決勝戦後少々話題となったとしてもテン・カテの耳や目には届いてこないだろう。パリでの決戦が終了すればシーズオフとなり、そして彼は例年のごとくマジョルカからヨットに乗り海上での長い旅に出てしまうからだ。 決勝戦を前にしての練習は、普段とは違う感じとなっていたのか? いいや、普段の練習メニューと同じもので特別に決勝戦用に準備したものはない。もちろん各選手の持つ緊張感とか集中力という意味で言えば、練習風景としては確かに普段とは違ったかも知れない。我々は22人の選手を擁し、スタメンで出場できる選手は11人、そしてベンチには7人しか入れない。誰もが決勝戦には出場したいと思うのは当然だし、そのために選手間に緊張感が生まれていたとしても不思議な話ではない。いや、むしろ当然のことだろう。プロの選手として、ワールドカップと並んでチャンピオンズ決勝戦という最高の舞台が待っているんだから。 監督やコーチとして、スタメン選手や控え選手、そして非招集選手を決めるのは難しい仕事か? いいや、個人的な感情を抜きにして、その瞬間で最高の選手を選べば良いだけだからそれほど難しい仕事ではない。だが、そうは言っても、招集されない選手のことを考えると辛くなることはしょっちゅうだ。もしその感情がなくなったときには、この仕事を捨てる時だとも思っている。それは人間として感情面が鈍くなっていることを示すことだからだ。もし人間としての感情面が鈍くなったら、選手たちとの接触も鈍くなる。そこで生まれるのは選手の不満であり、選手と監督の関係にヒビが入ってしまうことを意味する。だから常に自分に正直であり選手に対しても正直であれば、招集選手を選ぶことは仕事としては難しくない。そしてこれまで我々コーチ陣や選手との間に問題が発生してこなかったのは、お互いに尊敬し合い正直に接してきたからだと思う。 アーセナルはどんなスタイルで立ち向かってくるだろうか? 彼らは守備面も良いが攻撃面でも優れたチーム。だが彼らがどのようなスタイルで戦ってくるかということは興味もないし、それを考えるのも時間のムダというものだ。我々の目的はただひとつ、この決勝戦に勝利すること、彼らがどんな戦い方をしてこようと勝利すること、それしかない。我々のチームがスペクタクルな試合展開するかしないか、そのことにも興味はない。すでに我々はスペクタクルなプレーができるチームだということは誰もが知っていることだし、決勝戦で必要なことはひたすら勝利すること、それしかない。そしてクラブの歴史に二つめのチャンピオンズカップ獲得という記録を刻み込むことだ。 バルサというクラブがいまだにチャンピオンズカップを一つしか手に入れていないというのを不思議に思うか? 外部にいたときはそのことを知りもしなかった。知り合いの多くのオランダ人やヨーロッパのフットボールファンもそのことを知らないだろう。もう何回も優勝しているチームだと思っている人が多いはずだ。私個人に関して言えば、このバルサという壮大なクラブの中に入って初めてそのことを知ったし、それが何故なのかということもわかったような気がする。先日、アーセナルのセスクという選手のインタビューを聞いていたが、彼はアーセナルの選手であることでプレッシャーを感じたことは一度もないと言う。例えば、アーセナルでは練習後でもメディアが近づいてくるようなことはないのに比べ、バルサに在籍した時には、まだフベニル選手に過ぎない彼であるにもかかわらず、毎日のようにメディアと接触があったと言う。つまりバルサというクラブにはメディアも含めて日常的に多くのプレッシャーが存在するんだな。そのプレッシャーにつぶれる選手、メディアのべた褒め記事を勘違いして自分を凄い選手と思ってしまう若者たち、そういう歴史があるクラブなのだろうと思う。だが、幸いにも現在のバルサの選手たちはみんなインテリであり、己を知っている選手、だから余計、この決勝戦には勝てると信じている。 決勝戦を前にしてのライカーからはどんな印象を受けているか。 いつもの彼さ。つまり非常に冷静で落ち着いていて、そしてジョークばかり言っているいつものライカーだ。ひとシーズン通じて作り上げてきた仕事の成果が、チャンピオンズ優勝というご褒美で報われる日が目の前に来ているんだ。することはすべてやって来たという自信が我々にはある。しかもこれまで、つまりシーズンを通じて勝利した試合でも、そのことを喜び合う時間さえなかった。常に次の試合のことで頭がいっぱいになってしまうからだ。それは我々の仕事とはいえ寂しいことでもある。選手たちと一緒になって喜んだり、踊りまくったり、叫びあったりすることが許されなかったわけだから。だが、この決勝戦は最後の試合。もし勝利すれば選手たちと一緒になって大騒ぎすることができる唯一のチャンスだ。彼らと一緒に喜びを表現し、一緒に踊りまくり、そして一緒に叫びあえる、こんな楽しいことはないだろう。 決勝戦の予想は? こんなに素晴らしい選手が揃っているチームが負けるわけがない。特に決勝戦はどんなことがあろうと勝たなければならないと信じているし、そして我々はその目的を達成するだろう。 |
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2006年5月16日 あと35時間 | |||
バルサとアーセナル
チャンピオンズ決勝戦で対戦する二つのクラブ、バルサとアーセナル、ゴールという観点から見てみると、非常に対照的なクラブだということがわかる。2005−06シーズンのチャンピンズの戦いを通して最多のゴール数を記録しているバルサと、失点のゴールが最も少ないアーセナルというように。 攻撃力という観点から見ればバルサは12試合で22ゴールを決め、今回のチャンピオンズの大会に参加してきたチーム内では、最多のゴール数を記録している。2位のゴール数を誇るのがミランで20ゴール、3位がリオンの19ゴール、4位がユベントスで16ゴール、そして5位がインテルとアーセナルの記録した14ゴールとなっている。つまりゴール数においてはバルサがアーセナルを遙かに上回ることを数字が証明している。だが失点数という観点から見るとアーセナルがバルサをしのいでいる。12試合を消化し、グループ戦で決められた2ゴールのみが彼らの失点だ。つまりこのグループ戦以降、レアル・マドリにも、ユベントスにも、そしてビジャレアルにも1つのゴールも許していないという驚くべき守備ブロックの固さと言うか、とてつもなく幸運に恵まれていると言うか、とにかく失点数の少ないチームだ。ここ何年間かのアーセナルというチームは、イングランドのクラブとしてはスペクタクルな試合展開を好み、非常に攻撃的なチームとして認識されていたが、今シーズンのアーセナルは守備ブロックの固さが特徴となっているようだ。だが、バルサの方も決して捨てたものではない。彼らも12試合を通してわずか4ゴールしか許していないからだ。ビジャレアル、ベンフィカ、リヨンなどの7失点や8ゴールを許しているインテル、あるいは9失点のミランに比べればバルサの守備力もなかなかのものと言える。 バルサとアーセナルはこれまで2回対戦をしている。デービー・シーマンを讃える親善試合が2001年に両チームによって戦われているが、そして0−2でバルサが勝利しているが、これはあくまでも親善試合だからのぞくことにしよう。2回の対戦、それは両方ともチャンピオンズでの戦いだ。 クラブ創立百周年行事を目前にひかえた1999年9月29日、バンガール率いるバルサはグループ戦3試合目にアーセナルをカンプノウに迎えている。結果は1−1のスコアで引き分け、バルサのゴールはガッツ・エンリケが決めている。9万人近く集まった観衆から、かつてレアル・マドリに在籍していたダーボ・スーケルに対して嵐のようなブーイングが起きた試合でもあった。そして第二戦はバルセロニスタには思い出の深いウエンブリーで戦われている。ハイブリーは容れ物が小さすぎたため、急きょウエンブリーで開催された試合だった。1999年10月19日、7万3000人の大観衆を集めておこなわれたアーセナル・バルサ戦。この試合は2−4というバルサ勝利の結果で終わり、バンガールバルサとしてはとてつもなくスペクタクルなものだった。バルサ選手として現存チームの中でアーセナルと戦ったことがあるのはガブリ1人のみ。このウエンブリーの試合でガッツ・エンリケに代わり途中から試合出場している。だが、残念ながら彼にとって2回目の対戦は難しい状況だ。なぜなら試合招集メンバー18人の中に入ることが限りなく難しいこととなっているからだ。 バルサ・アーセナル3回目の公式試合、再びバルサの勝利となる、と後のバルサ歴史書に書かれることになるだろう。 |
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2006年5月16日 あと45時間 | |||
バルサ組豪華偵察部隊
彼らは単なる偵察部隊ではない。ましてや、次の重要な対戦相手となるチームの近況を分析するためだけに送られたスパイでもない。シーズンを通してアーセナルというチームを見続けてきた“豪華な偵察部隊”なのだ。プレミアに属するチームに在籍しているからこそそれが可能となった選手たちであり、同時にバルサにとってとても貴重な“豪華な偵察部隊”たちでもある。 ●ぺぺ・レイナ(リバプール) 「彼らのデフェンサは非常にアグレッシブであり、中盤はテクニック的にも優れた選手による強固なブロックが構成されている。そしてスピードのある攻撃、もちろんアンリが主役となっての攻めとなることは誰もが知っていることだ。」 ●アルベルト・リエラ(マンチェスター・シティー) 「アーセナルに比べてバルサは選手層が厚いし、しかも色々な攻め方をするテクニックを持ち合わせている。総体的な面から見れば圧倒的にバルサが優っていると思う。だが、それでもアンリに気をつけなければいけない。バルサと対戦した時に、ロナルディーニョやエトーの凄さを経験しているが、アンリはスピードのギアが誰よりも一つ多い感じがする。だから彼がボールを持ったときのスピードの変化に気をつけないとならない。」 ●デル・オルノ(チェルシー) 「個人的にはもちろんバルサの方が優勢だと思っている。しかもサン・ドニのグランドはカンプノウみたいに広いからバルサに利がある。だが、それは同時にポルテロとデフェンサ間に広大なスペースが生まれてしまうということも意味する。左右のエストレーモが攻め入ったときにマルケスとプジョー、そしてバルデスの間に大きなスペースが生まれたときがピンチとなるだろう。何と言ってもアーセナルにはアンリがいるからね。」 |
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2006年5月16日 あと49時間 | |||
15日月曜日のバルサ
15日月曜日の練習はパリに向けて旅たつ前の最後のものとなる。昨日と同じようにこの日もカンプノウを使用しての練習。違うことは練習の指揮をテン・カテではなくフラン・ライカーがとったこと、そして報道陣をシャットアウトしての非公開練習となったこと。したがって練習内容に関しては伝えられていない。 練習後の記者会見でフラン・ライカーが招集メンバーを発表している。それは誰もが予想した全員招集であり、最後まで相手に手の内を見せないため、というよりは最終的にベンチにも入れない選手も試合観戦だけはさせようという気持ちからだろう。招集された選手はバルデス、ジョルケラ、ベレッティ、オラゲール、プジョー、マルケス、ジオ、シルビーニョ、エドゥミルソン、モッタ、ボメル、デコ、チャビ、イニエスタ、ガブリ、ジュリー、ラルソン、ロナルディーニョ、エスケロ、エトー、マクシ、メッシーの22人。 16日午前中にカンプノウに集合し、そのままパリに向けて飛ぶことになるバルサだが、その日の午後にはサン・ドニでの練習をおこなうことになる。ちなみにアーセナルはサン・ドニでの練習はおこなわないとすでに発表している。どうやらこのチームは、チャンピオンズの試合前に一回としてプレースタディアムでの練習はおこなってきていないようだ。ベンゲル監督のアイデアらしいが、変わったチームだ。 |
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2006年5月16日 あと53時間 | |||
アンリの将来はかなりブラウグラーナ
サンドロ・ルセーのアイデアなのか、チキとライカーのアイデアなのか、あるいはまったくの偶然なのか、これまで彼らが獲得してきた補強選手たちは元カピタンという選手が多い。モナコのカピタン・マルケス、そのマルケスが抜けた後のモナコのカピタン・ジュリー、リオンのカピタン・エドゥミルソン、マジョルカのカピタン・エトー、PSVのカピタン・ボメル、オポルトの第二カピタン・デコ、そしてPSGの第二カピタン・ロナルディーニョというように。そしてバルサの強力な補強選手として来シーズン加入してくるであろうアンリもまたアーセナルのカピタンだ・・・った。 ここ何年かの選手移籍傾向として、その移籍を可能とするかどうかの鍵を握るのはクラブではなく、選手当人となっているのは明らかだ。クラブがいかにその選手の移籍料を高く定めようが、そして契約期間有効内として選手を引きとどめようとしようが、現在のフットボール世界では選手の“意思”とか“希望”とかの方が勝利することになっている。まだPSGとの契約が残っていたロナルディーニョをクラブは引きとどめることはできなかったし、ジダーン・ユーベ、ロナルド・インテル、ベッカム・マンU,マルケス・モナコ、それこそ数え切れないほどの例がある。 だが、その道のりは決して平坦でも真っ直ぐなものでもないから、非常に時間がかかるものとなると考えるのが普通だろう。選手の移籍希望意思表示がされた後には、クラブ間の厳しい交渉が待っている。アーセナルとしては可能な限りの移籍料を獲得することに務めるだろうし、バルサ首脳陣はできる限り低額なものを追求することになる。 それでも過去の例を見るまでもなく、移籍話は最終的に入団契約書にサインするまでは終わりを見ない。それまではあくまでも可能性の話であり、そういう意味で言えば噂話とかたづけられても仕方がない内容のものだ。マドリに在籍していたフェルナンド・イエロがそうであったように、マクマナマンもそうであったように、そしてルイ・コスタもそうであったように、最終的な交渉をするためにバルセロナまでやって来ながら入団が実現しなかった多くの例がある。そしてウリスト・ストイチコフみたいな例もあることを思い出す。 パルマだったかラッチオだったか忘れたが、シーズン終了間際にはそのクラブへの移籍が確実だと思われていたウリスト・ストイチコフ。監督のクライフや会長のヌニェスとの確執が表面化し、しかもイタリアのクラブはバルサのそれとは比べものにならない高額な年俸を提示していた。したがってほぼすべてのメディアはウリストのイタリア行きを暗黙の了解として認めていたし、当人も決してそれを否定しなかった。だが、そのシーズンの最終戦に劇的なリーグ優勝をとげたとき、彼の頭はグルグルと回転してしまい、試合直後のTV3の番組に出席した場で爆弾発言をしてしまうウリストであった。 もしアンリが何かの理由で“バルサ入団希望”を“アーセナル残留希望”に変えたとしたら、彼は当然ながらバルサには来ない。チャンピオンズ決勝戦に敗北したとき、彼の内部で何かしらの変化が生じる可能性だってあるし、あるいは神様のいたずらでアーセナルが勝利したときにも、決意の変化が生まれるかも知れない。いずれにしてもチャンピオンズの決勝戦が終了してからしばらくしてアンリの決意が語られることになるだろう。そしてそれがバルサ移籍希望だったら良い。 |
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2006年5月15日 あと60時間 | |||
バモス、デコ!
いったいデコに何が起きているのだろう。 シーズンを通してどんな選手にも好不調の波が襲ってくる。だが、今シーズンのデコに関してはそういう“波”の問題ではなく、シーズンを通してどこかおかしい。シーズンが開始されてから数週間もたたないベティス戦では、試合招集さえされないという異常な事態が起きたのは記憶に新しい。バルサの影の指導者ヨハン・クライフも、地元紙のコラムで彼の不調さを嘆いていた。そしてお節介好きなメディアから伝わってくる“家庭内問題”、それは新しい奥さんとの衝突事件としてヒソヒソと語られることになる。だが彼にとって、そしてバルサにとってラッキーだったのはイニエスタやモッタ、エドゥミルソン、ボメルなどの活躍によって中盤が機能し、デコの不調さがそれほどメディアを騒がせるに至らなかったことだろう。 家庭内問題がクラブ首脳陣内部から漏れたのを不満に思っているのかも知れない。アンリとランパーの獲得資金が必要なために放出候補選手ナンバーワンとなったのを知り、怒り狂っているからかも知れない。そしてそれらのことから、クラブ首脳陣たちやライカー監督との間に確執が生まれているのかもしれない。だが、これらのことはあくまでも噂にしか過ぎない。なぜならこれまで彼の口から首脳陣批判はおろか、ライカー監督批判も聞いたことがないし、ライカーをこれまで最高の監督として褒め称えているデコでもある。そう、したがって、これらの噂は単なる噂にしか過ぎない。家庭内問題はどこの家庭にもあることだし、彼を必要なしと考えた一人のアホな首脳陣が、それをメディアに漏らしたことは事実かも知れないが、その他の噂は信憑性を欠いたものだ。ただでさえ層が厚い中盤の位置に補強選手を獲得すること、例えそれがランパーという素晴らしい選手であったとしてもあり得ないだろうし、ライカーとの衝突も考えにくいことだ。 したがって彼の“不調さ”の原因を楽観的に、そして単純明快にこう結論づけよう。これまでの彼はすべてを決勝戦への準備期間としてきたのだと。ブラジル人のテクニックを持ち、ドイツ人のような体力を駆使し、イタリア人のような汚いファールを綺麗にカムフラージュしておこない、ダビッツのようにボールを奪い、グアルディオラのような全体を見渡せる目を持ち、そしてクーマンのように現場監督までしてしまうデコ、そういうデコが決勝戦で再登場するのだ。サン・ドニという大舞台でスタメン出場してくる22人の選手のうち、チャンピオンズ決勝戦を経験しているのはジュリと彼だけであり、そして優勝を経験しているのは彼だけなのだ。すべて計算どおりに決勝戦にたどり着いたデコ、大舞台に強い彼の活躍を期待しよう。 |
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2006年5月15日 あと71時間 | |||
セビージャとの試合を終えた決勝戦控え組は、試合終了後すぐに飛行機に乗り、深夜というか早朝というか、日曜日03時頃にバルセロナに戻ってきている。こんな時間の到着でありながら日曜日11時開始の練習に参加することが義務づけられているところはまさに肉体労働者、だが超超超高給取りの肉体労働者だ。そして決勝戦を3日後に控えた日曜日、練習可能なすべての選手が参加してきている。練習場所はラ・マシアではなくカンプノウ、指揮を執るのはライカーではなくテン・カテ。 練習可能なすべての選手、それは文字通りバルサAチーム在籍すべての選手となった。こんなことは久しくなかったことだろう。2か月以上リハビリが続いていたメッシー、ここ何日か走り込み練習だけだったマルケスとエドゥミルソン、そして練習嫌いのロナルディーニョもすべて合同練習に参加してきている。それでも、もちろん前日の試合に90分間出場した選手は別メニューでの練習。つまりジョルケラ、ベレッティ、モッタ、チャビ、ガブリ、エスケロ、マクシなどは他の選手とは別メニューとなっており練習時間も短くして早引き帰宅。元気な選手たちは1時間前後の練習となり、その内容はすべてロンド系練習。少人数のロンドから大人数によるロンドと続き、最後は8人対8人のチーム形式によるボール回し練習。ボールを持っているチームが仲間に回していき、そのボールを相手チームが奪ったら引き続き相手チームがボールを回していくというスタイルの練習。これはクライフの時代からよくおこなわれていた練習風景で、ワンタッチでボールを回し相手に奪われないことを目的とした練習だ。 この日は、メッシーも戻ってきての全員練習となったのがビッグニュースだったが、それでも彼が3日後の試合に出場する可能性はかなり低いだろう。ロンドには参加していたがチーム形式ロンドには不参加状態だったし、こんな状態のまま試合にでられるとは思えない。それでもベンチに座らせるためだけでもライカーが彼を招集するかどうか、そこらへんが非常にスリリング。 |
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2006年5月15日 あと76時間 | |||
バモス!カピタン・プジョー!
今から12年前の1994年5月18日、16歳になったばかりの1人の少年が電器屋のショーウインドーに常設されているテレビの前に釘付けになっていた。もう夜の9時、そのテレビではチャンピオンズ決勝バルサ・ミラン戦を中継していた。外出するときはいつも一緒の親友ハビ・ペレスももちろん彼の隣にいる。だが彼らの表情は暗い。ミランの選手マッサーノがゴールを決め、バルサ劣勢状態となっていたからだ。アイドルであるナダールのプレーを追いかける彼の目に、ミラン2点目のシーンが映し出された。試合が終わってみればバルサ完敗と言える0−4というスコア。彼らが住むラ・ポブラ・デ・セグールの村では“バルサインチャ”として知られる彼らだから、この年最悪の日となったのは想像がつくというものだ。 この16歳の少年の名はカルラス・プジョー、村のフットボールクラブで毎日練習に汗を流し“熱い少年’として知られている。決して“素晴らしい選手’としてではなく“熱い少年”として知られていたところがプジョーらしい。試合に負けようものなら試合後に泣きじゃくってしまう少年であり、多くの村の人々がそれを目撃していた。そしてこの“アテネの悲劇”から1年後、この少年がバルサインフェリオールカテゴリーに所属することを誰が予想しただろうか。入団テストがおこなわれる1か月前から毎日7時に起きて早朝ランニングをし、そしてそれがすみ次第学校に通っていることも村の人々は目撃している。彼はますます“熱い少年”と呼ばれることになる。 カルラス・プジョーにとって初のチャンピオンズ決勝戦がやって来る。いや、彼だけではなく、多くのバルサ選手にしても初の決勝戦となっている。電器屋さんの常設テレビでバルサが出場した決勝戦を見てからすでに12年、この少年は28歳となり、バルサの偉大なカピタンとして世界中の人々に知られるようになった。小さい頃からバルサに憧れ、一度で良いからカンプノウで試合観戦してみたいということが夢だった。そして、ほとんど不可能なことだろうけれど、でも、できることならラ・マシアに入りバルサインフェリオールカテゴリーでプレーしてみたい。それが実現してしまった17歳の時には、とてつもなく実現不可能なことだろうけれど、できることならバルサの選手としてカンプノウでプレーしてみたいと夢見ていたプジョー。ラ・マシア創設以来、最も熱心に練習メニューをこなしてきた選手として知られることになる彼は、カピタンマーをつけてサン・ドニのグランドに登場する。 少年時代の夢の中にも登場しなかった二つのこと、それはバルサのカピタンになること、そしてバルサカピタンとしてチャンピオンズ決勝戦に出場すること。だが、その夢以上の出来事が何十時間後に誕生する。夢にさえでてこなかったことが現実となっている今、彼が夢見ることはただ一つ、それはもちろん優勝カップを高々と持ち上げることだ。そのためにはアンリを徹底的にマークすること、だが彼は一度としてアンリと対戦したことがない。 |
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2006年5月14日 あと83時間 | |||
13日土曜日のバルサ
試合前日ではなく当日現地到着という特別スケジュールにしたため、12日の金曜日には普段どおりの練習をおこなっている。そして試合当日となった13日土曜日、セビージャに向かうサン・ドニ控え組チームは朝の9時にカンプノウに集合し9時15分にはバルセロナ・エル・プラット空港に移動。時折小雨が降り涼しい日となったバルセロナから、昼近くにはすでに26℃を記録しているセビージャに到着。外は熱いし昼間からすることもないのでそのままホテルに向かい全員休憩となっている。 さて、サン・ドニ控え組が旅行している間にサン・ドニスタメン組は午前の11時から練習開始。ロナルディーニョ、エトー、デコ、プジョー、マルケス、エドゥミルソン、ジオ、ジュリーというメンバーのみだが、これにバルサBからポルテロのハビ・ルイスが参加してきている。バルサB正ポルテロのルーベンは翌日に大事な試合が控えているので、この日の練習には顔をだせないからだ。練習を指揮するのはテン・カテ。来シーズンからはアヤックスの監督になりそうな雰囲気なので、バルサコーチとしては残り少ない日々となっている。彼の代わりにトニー・ブルインスが来るのではないという噂だが、これが実現すれば素晴らしい。クライフのコーチとして、そしてクーマンのコーチとして常に一緒だった彼だが、もし再びバルサに戻ってくることになれば嬉しいニュースとなる。彼は若手選手発掘の才を持ち、そして敵情視察の名手として知られる人物だ。是非、いらっしゃい。 1時間半のいつもどおりのメニューとは別に、決勝戦前ならではの特別練習風景が見られる。つい先日の練習でもPKに割く時間が多かったようだが、この日の練習でもエトーとジオ、そしてプジョーまでがPKの練習をしている。デコとロナルディーニョはフリーキックの練習。いずれの練習でも決勝戦で使われる新しいタイプのボールを使っている。まだ新しいボールに接したのは1日だけとはいえ、各選手の印象は良いようだ。セビージャまで連れて行かれた決勝戦控え組は3−2で負けたものの、チャビやオラゲールの調整に役立った。特にチャビのリズムがだいぶ戻ってきている。でも、やはりスタメンはイニエスタで決まりだろう。さて、いよいよ本番に向けてゴー。 |
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2006年5月14日 あと94時間 | |||
今から14年前・・・
バルサ博物館に置かれているコパ・デ・ヨーロッパのカップを獲得したのはウエンブリーでの決勝戦、1992年のことだから、あの試合を“目撃”してからすでに14年もたってしまったことになる。「あれから14歳も年をとってしまったのか・・・」とため息をつく人が多いかも知れないが、そんなこととは関係なくあの試合にスタメン出場した選手の中でいまだに現役としてプレーしている選手がいる。ペップ・グアルディオラだ。そして現役選手ではないもののフットボール世界の中に残っている人も数多い。 次のような選手がスタメンでチームを構成していた。スビサレッタ、フェレール、クーマン、ナンド、フアン・カルロス、エウセビオ、グアルディオラ、バケーロ、サリーナス、ラウドゥルップ、そしてウリスト。この中で現役監督なのが4人いる。クーマン、バケーロ、ウリスト、ラウドゥルップ。そしてコーチをしているのがエウセビオ。テレビやラジオの解説者として働いているのがサリーナスとフェレール。スビサレッタはビルバオのスポーツ・ディレクターをやめ実業家に変身中。ナンド、フラン・カルロスは何をしているか伝わってきていない。この試合に招集されなかったチキは今何をしているか誰もが知っているが、カード制裁で決勝戦に出場できなかったアモールや、後半から登場してきたアレサンコもバルサ関係者だ。 それではアーセナルとの決勝戦に出場する選手たちは何をしていたのだろうか。彼らも今より14歳若かったことだけは同じだが、していたことは各人もちろん違う。 |
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2006年5月14日 あと100時間 | |||
グラシアス、サンドロ!
バルセロナダービー戦を中継したテレビカメラは観客席にあった一つの垂れ幕を果たして写していただろうか。そこにはこう書かれていた。 フットボール部門の責任者であったわけだから、補強選手獲得という任務を受けて動き回っていたこと自体は役職柄当然のことであり、特別な評価の対象とはならない。これまでのバルサの歴史を見てもわかるように、そして他のクラブの歴史をのぞいてもわかるように、新たに来た選手がチームになじんで活躍するかどうか、それが失敗に終わったり成功したりするのは紙一重のところなのだ。そういう観点から見た場合、彼が獲得した選手は当たりの確率が非常に高いことがわかる。ロナルディーニョ、マルケス、ベレッティ、エドゥミルソン、デコ、シルビーニョ、ジュリ、これらの選手はすべてサンドロの意見でバルサに入団してきた選手であり、現在に至っても活躍中の選手となっている。もちろん彼の意見を取り入れたチキ・ベギリスタインやラポルタ会長の英断も無視することはできないし、彼らが成功するように起用し続けたフラン・ライカー監督も賞賛に値することも忘れてはいけないだろう。17日のチャンピオンズ決勝戦にはサンドロが連れてきた選手たちの何人かがスタメンとして登場するだろう。マルケス、エドゥミルソン、ジュリ、そしてもちろんロナルディーニョ。そして彼らを取り巻くのは心をブラウグラーナに染めるラ・マシア産の選手たちだ。バルデス、プジョー、オラゲール、そしてイニエスタ。後半に入ればモッタやチャビという、やはりラ・マシア産の選手が登場するかも知れない。 ラポルタ政権誕生と共に“影の指導者’となっている人物が望んだように、もしマルケスではなくアヤラを、エドゥミルソンではなくアルベルダを、そしてロナルディーニョではなくアイマールを獲得していたとしたら、果たして現在のバルサがあったかどうか、それは誰にもわからないとしても、疑問符を付ける人々も多いだろう。 |
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2006年5月13日 あと106時間 | |||
No! no! no! no nos vomos a Paris!
サンドロ・ルセーと共にクラブを去ったバルトメウが8日の月曜日に各メディア、そしてラポルタ会長宛に一通の手紙を送っている。それは前日のラジオ深夜番組でラポルタが次のように語ったことに関してだ。 そしてその翌日、バルトメウの公開手紙が発表される。簡単に説明するとこんな感じとなる。 残りの7千枚、それはバルサファンクラブに3千枚前後、理事会構成員1人30枚、各選手20枚、そして残りはクラブ関係者やスポンサー関係者の手に届くことになる。なにゆえ理事会構成員1人当たりに30枚も配分があるのか、なにゆえ各選手1人当たりに20枚も配分があるのか、そこら辺は微妙に意見の相違があるからどうでも良いとして、いずれにしてもソシオを含めた一般ファンに対する配分が少ないのは明らかだ。そして元をたどれば、バルサとアーセナルに対するUEFAが決めたチケット配分数が少ないことも大きな問題となっている。彼らの持ち分チケットが両クラブのそれと大して変わらない数字というのが驚きだ。 いつの決勝戦でも必ず論議を醸しだすチケット配分問題。今回も例外とはならなかった。いや、例外とならなかっただけではなく、バルサ公式旅行代理店のRACCから発生したチケット問題はいまだに尾を引いていた。そもそも“公式”と名乗るところほど胡散臭いところはないが、このRACCの売り出した“チケット+飛行機”パックは非常に胡散臭い。クラブから6千枚のチケットを配分されたこの旅行社は、3日の朝9時からパックを売り出している。カタルーニャ州に48支店、スペイン全国となると80店舗近いオフィスを持つこの旅行代理店はすべての支店で同時に“ソシオ専用”に売り出すことを公表していた。前々日、あるいは前日からオフィス前に並んだソシオたち、だがそのパックを手にしたのはほんのわずかなソシオだった。その日の午後には各メディア間で問題となり、いったいどこでどれだけのパックが売れたのか調べようとしたようだが、その数は発表されなかった。ただ、確かなことは、例えばマドリッドのある支店ではわずか1人が買っただけで“売り切れ”の看板がでたり、最高の数のソシオが手に入れた支店でも20人程度だったと発表されていた。 RACCの職員組合がつい先日公開文書を発表している。 RACC職員が組織上層部の透明性を要求したように、ここでもクラブ理事会の透明性を要求しよう。つい先日、ラポルタがユニフォームに広告を入れないことを発表したが、こればスポンサー探しに失敗したことを意味すると理解するのが正しいだろう。これまで3年間も必死になって、時として中国関係の美味しそうなスポンサー話を胸を張って説明していたラポルタだが、つまるところスポンサーを見つける能力に欠けていた理事会ということになる。このことをもって“伝統を守る”だの“世界で唯一のクラブ”などと話を曲げてはいけない。ユニフォームが汚れずに済んだのは彼らの無能さのおかげであり、そして多くのソシオにとって結果オーライとなっただけのことだ。話がそれた。 そして12日金曜日、バルサ副会長のアルベルト・ビセンと旅行代理店の責任者がチケット問題に関する記者会見を開いている。彼らの告白により、なにゆえ旅行代理店の“パック売り切れ”看板があれほど早く出現したのか、発売日から8日もたってから事の詳細が明らかになった。 エスパニョール戦でリーグ優勝の喜びとチャンピオンズ決勝戦に胸をふくらます多くのソシオがいっせいに叫んでいた。 そしてその叫び声を上回るほどの違うコールがされた。 ミエルダ!、テレビ観戦だ! |
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2006年5月13日 あと117時間 | |||
12日金曜日のバルサ
クラシコやチャンピオンズの大事な試合が先に控えていようと、我らがフラン・ライカー監督の次の試合にかける慎重さは、彼の度重なる発言から読み取れる。 まず対戦相手となるセビージャの現地に向かう方法がこれまでと違う。試合前日に現地に飛ぶのが常だが、今度の試合だけは当日試合前ギリギリに到着予定で駆けつけることになる。少しでもラ・マシアでの練習時間を増やしたいからだ。そして試合に招集されたメンバーを見ると、このセビージャ戦にかける“意気込み”が伝わってくるというものだ。招集されたのは普段より1人少ない17人の選手。バルサAチームから13人、バルサBから3人、そしてバルサCから1人となっている。それは次のようなメンバーだ。 したがって、ロナルディーニョ、エトー、デコ、プジョー、マルケス、エドゥミルソン、ジオ、ジュリーという8人の選手が居残り組となったわけだが、彼らは土曜日にはバルセロナ居残りの1人となるテン・カテの指揮の下に練習に励むことになる。ちなみにエトーとジュリーの居残りの関してライカーが次のように説明している。 |
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2006年5月13日 あと124時間 | |||
アテネ決戦との違い
チェルシー戦に比べれば何と気が楽な試合だろうか。ミラン戦と比べても比較にならないほど楽観視できる決勝戦ではないだろうか。昨シーズンのチェルシー戦でのモヤモヤや、12年前のアテネでのミラン戦での敗北がいまだに脳裏に残っているファンにとって、今回の決勝戦はとてつもなく気楽なイメージを受けることは否定できない。だが90分一本勝負の決勝戦では何が起きるかわからないのも確かなことだ。30回のゴールチャンスを逃したバルサが、92分に審判だけが見たペナルティーで負けることだってあり得る。だからいかにバルセロニスタが楽観視しようと、多くのフットボールファンの間での前評判がいかに高かろうと、そして実力的にどんなに差があろうと、結果は90分たってみないとわからない。 だが一つだけ確かなことがある。例えバルサが敗北しようが、その敗北の可能性は果てしなく少ないとしても、もしバルサが敗北したとしても12年前のアテネ決戦後のような悲惨な状況は生まれないということだ。悲惨な状況、それはバルサ当時監督であったヨハン・クライフがシーズン前に約束した「タイトルを一つでもとれば誰一人として選手の放出はあり得ない。契約切れとなる選手は新たな延長契約を手にすることができるだろう」という約束を反故にし、ドリームチームを形成した何人かの選手を追い出したこと、そして一つのサイクルに早すぎる終焉をうったこと、更にその後多くの誤った補強選手の獲得をおこなったことでチームの再建に失敗したこと、エトセトラ、エトセトラ。そう、もし今回の決勝戦に何らかのアクシデントで敗北したとしても、そのような悲惨な状況は起こらないだろう。予想される状況、それは上昇気流にのっているバルサというチームに一時的なストップがかかることのみであり、それは決して下降を意味する状況とはなり得ないことだ。更なる強固なチーム作りを目指して来シーズンからの戦いを、という状況が生まれるだけに過ぎない。 14年前のウエンブリーでの決勝戦を経験しているバルセロニスタであれば、現在のバルサの状況が当時のそれにどことなく似かよったものであることに気がつくだろう。1992年、その年はクーマンやラウドゥルップ、そしてウリストなどのクラック選手が入団してきてから2、3年たった時期であり、彼らがチーム編成上重要な役割を担いながら、一つのサイクルが煮詰まってきた時期だった。そしてチームカラーを体に染めたカンテラ育ち選手、つまりチャッピーやグアルディオラなどが一丁前の選手として成長してきた時期でもあった。そのチーム状況は現在のそれと似ている。ロナルディーニョ、デコ、エトーなどのクラック選手が加入してきて3年目であり、そしてカンテラからはプジョー、チャビ、イニエスタ、オラゲールなどの選手が大成長を見せている。似かよった状況はバルサチーム事情だけではない。決勝戦の相手となるチーム、14年前はサンプドリアというコパ・デ・ヨーロッパに初めて決勝戦進出してきたチームであり、したがってチャンピオンズのタイトルとは、そのクラブの歴史において無縁のチームだった。そして今回バルサが対戦するアーセナルというチームもまったく同じような歴史を持っている。 ついでにスタメン予想までしてしまおう。フラン・ライカー監督はこれまでの重要な試合で起用してきたオーソドックスタイルでいくことは間違いない、バルデス、プジョー、マルケス、そしてエドゥミルソンのダイヤモンドスタイルは絶対維持していくだろうし、左右ラテラルもジオとオラゲールで決まり。エドゥミルソンをのぞいた2人のセントロカンピスタのうち1人は誰が考えてもデコとなるが、もう1人をチャビにするかモッタにするかボメルにするか、あるいはイニエスタにするか。これまでの信頼度を考えればイニエスタとするのが普通だろう。前の3人のうちロナルディーニョとエトーはもちろんスタメン。もう1人がラルソンとなるかジュリーとなるか、それだけが意見の分かれるところとなるが、ジュリーの好調さやフランス人であることがよりスタメンに近づけている。 ●控え選手 |
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