試合終了

来年は良い年でありますように!

FC BARCELONA 0 - 1 REAL MADRID

0-1(36分) BAPTISTA

[出場選手]
VALDES, PUYOL(ZAMBROTTA 77M), MARQUEZ, MILITO, ABIDAL, TOURE YAYA, XAVI(BOJAN 82M), DECO(GIOVANI 58M), INIESTA, , ETO'O, RONALDINHO


 2007年12月23日 あと150分

バモス!バルサ!

我らがフラン・ライカー監督が考えそうなスタートメンバー11人。誰が出場することになろうと、14人すべての選手にスエルテ!そしてバルサ勝利!


 2007年12月23日 あと600分

ライカーとロナルディーニョ

2006年5月10日、国王杯ヘタフェ戦での惨めな敗戦。あの敗戦は国王杯からの敗退を決めただけではなく、大きなダメージとなって、その後のリーグ戦にまで影響を与えている。3日後におこなわれた地元カンプノウでのベティス戦、そして地元最終戦となったエスパニョール戦にも勝利することができず、最終的にリーガの優勝カップをレアル・マドリに渡すことになってしまった。そして今年の11月10日、今回は国王杯ではなくリーガの試合でのヘタフェ戦。“無能監督率いる恥知らずバルサ(チキート試合結果のタイトル)は、2−0というスコアーでやはり敗戦している。だが、昨シーズンと180度異なることは、この惨めな敗戦をきっかけとして、ライカーバルサが新たなスタートを切ることに成功していることだ。
「我々はここまで落ち込んでしまった。もうこれ以上落ちることは許されない。何か大きな変化を探すときがやって来たようだ。」
試合後に普段とは異なる厳しい表情でそう語っていたフラン・ライカー監督。

自分も含めて、ライカーのこの言葉を真に受けるバルセロニスタは、たぶん少なかっただろうと思う。これまで4年も5年も見続けてきた彼は、ドラマチックな変化を好まないことで知られていたし、事実そういうことをしたためしがなかった。
「一度ではなく、二度三度と繰り返し深く考えてから決断を下すようにしている。」
そう語るライカーは、あくまでも平和主義者であり、断固たる手段をとるよりは少しずつの変化を求めるタイプであり、選手交代のタイミングの遅さからも見られるように、判断と行動の遅いタイプ、それがこれまで見てきたフラン・ライカーという人物だった。だが、今回だけは違っていた。ドラマチックライカーは、まるで少年ジェットか仮面ライダーのように変身したのだ。これまで何が何でも絶対スタメンだったロナルディーニョを、フエラの試合に3回続けてベンチスタートとし、そして、そう、バルサは復活した。多くの選手がリアクションを起こした。ヘタフェ戦以降7試合を戦い、5勝2分け17ゴール5失点という好結果を出している。

今シーズンがスタートし、ロナルディーニョはスタメンで出場してはいたものの、途中で交代させられることが多かった。ライカーはそのたびに試合後彼個人と話し合いの場を持っていたという。なぜ交代させられたのか、なぜ交代という手段をとらなければならなかったのか、普通の選手には考えられない説明を与えてきた。
「いつも練習は真面目にやっている。彼は何と言っても世界最高クラスの選手であり、我々にとって超大事な選手であることには変わりがない。」
これまで、いかに不調が続こうが、こうロナルディーニョを評価してきている。クラブ内で、もし、ロナルディーニョを最も擁護していた人物は誰かと言われたら、それはライカー監督だっただろう。多くの批判がありながら不調のロナルディーニョを起用し続けてきた。そして途中交代させるたびに、彼のリアクションを期待し続けた監督でもある。

ロナルディーニョの態度も立派だった。これまで多く見てきたクラック選手、例えば、ロマリオやロナルド、あるいはリバルドが同じような立場となったなら、100個の爆竹を同時に点火したような騒ぎになっていたはずだ。だが、ロナルディーニョは不満の一つも漏らしていない。彼を取り巻くマフィア的(それはムンド・デポルティーボとか、身内代理人としても良い)な部分が騒ぐことがあっても、彼自身はスキャンダルの主役とはなっていない。バルサ復活の大きな要素となった誇りもあるだろうし、世界ナンバーワン選手としての誇りもあるだろうに、彼は沈黙を守っている。金曜日のようなふざけた練習態度は、彼のお茶目さとして理解しておこう。ビバ!ロナルディーニョ!

もし、ロナルディーニョがクラシコでスタメンに選ばれるとするなら、それはライカー監督が彼の“やる気”を高く評価したからだろう。決してメディアやファンのプレッシャーに負けたからではない。もし、ロナルディーニョがカンプノウでの初のベンチスタートとなるのなら、それは彼に変化が見られなかったからだろう。ロナルディーニョの復帰は、かつてのナンバーワン選手としてではもちろんなく、ナンバーファイブあたりに入るロナルディーニョの復帰を可能とするのは、誰のおかげでもなく彼自身の意欲次第となるのは明らかだ。

ロナルディーニョがスタメンにでようがでまいが、それは我らがフラン・ライカー監督の、クラシコ勝利に向けた決断として評価しよう。誰がスタメンで出場しようが、個人的に不満はない。もし、エスケロが出場するのであれば、あるいはジョルケラが出場するのであれば、それが勝利への近道とライカー監督が考えたからだろう。
バモス、ライカー!
バモス、バルサ!
スエルテ!


 2007年12月23日 あと1200分

残り20時間、1200分

●バルサ

普段の試合であれば、選手やスタッフテクニコたちの集合は試合当日。だが、クラシコのような重要で特別な試合ともなると、その習慣を破り前日からのホテル缶詰状態となる。クラシコまで24時間30分と近づいた土曜日18時30分、ライカーバルサはクラシコに向けての最後の練習に入った。本来であるならカンプノウでの練習となるが、芝の状態が悪くならないようにラ・マシア練習場での非公開練習となっている。そして練習後にはカンプノウ近くにあるプリンセッサ・ソフィア・ホテルに向かい一晩過ごすことになる。ただ、今シーズンに限って見れば、これが初めてのことではなく、10月6日のAt.マドリ戦でも前日にホテル合宿をおこなっている。だが、その時の理由は試合開始が17時と早かったためだ。したがって、試合の重要性という意味でこのようなことをするのは、今シーズン初めて。

練習後にスタッフテクニコが発表した招集選手リストは次のとおり。
●ポルテロ
バルデス、ジョルケラ
●デフェンサ
シルビーニョ、アビダル、ミリート、マルケス、トゥラン、プジョー、サンブロッタ
●セントロカンピスタ
チャビ、デコ、ヤヤ、グジョンセン、イニエスタ
●デランテロ
エトー、アンリ、ジョバニ、ボージャン、ロナルディーニョ
つまり、招集された選手は19人となるから、試合当日には誰か一人がイチヌケすることになる。果たして、それは誰でありましょうか?

練習後の記者会見では当然ながら、19人を招集した理由をジャーナリストに質問されている。
「一人だけ体調がすぐれない選手がいたから、用心のためだ。」
それでは、19人目の選手は誰になるのかと聞かれたライカー。
「ロナルディーニョではないよ。でも、誰だかは言わない。」
そして今週のロナルディーニョの練習態度はどうだったかと聞かれ、
「非常に満足している。明日プレーする可能性は大だ。」
誰もが気になるスタメン11人選手。だが、もちろんそんなことを事前には発表しない。
「練習風景を見てスタメンを予想している人がいるようだが、練習と試合とは別もの。誰がスタメンとして出場してもおかしくはない状況だ。」
もっとヒントを!もっとヒントを!“私が監督!”に密かに応募してください!

ちなみに土曜日17時、ミニエスタディでペップバルサが試合をしている。大雨の中でおこなわれたこの試合、4−2で逆転勝利。何とヤゴが初デビュー初ゴール!この勝利でペップバルサは地元では1回引き分けただけで残り全部勝利となった。クラシコに向かってさい先良し!

●マドリ

レアル・マドリAチーム登録選手はどうやら25人もいるらしいが、驚くことに今日の段階で誰一人として負傷していない。したがって、ベルナルド・シュステルはこの25人の選手の中から18人を選択し、サエタおんぼろ飛行機に搭乗させることになる。幸運にも騒音飛行機に乗らないで済んだのは、次の7人の選手。
コディナ、サルガド、メッゼルデル、1400万ドレンテ、イグアイン、バルボア、ソルダード
まあ、はっきり言って、たいした選手はいない。

そしてバルサ戦に招集された18人の選手。
●ポルテロ
カシージャス、ドゥデック
●デフェンサ
ラモス、カンナバロ、ぺぺ、マルセロ、エインセ、トーレス
●セントロカンピスタ
ディアラ、ガゴ、グッティ、バティスタ、エスナイデル
●デランテロ
ロベン、チャリンコ、サビオラ、ラウル、ニーステルロイ
まあ、なんだ、それなりの選手がいることはいる。

シュステル監督も練習後に記者会見をおこなっている。
マドリメディアはグッティ大好き族だから、当然ながらグッティのことに関して質問が飛ぶ。
「グッティはプレーできる状態にある。今日の練習でそれが証明された。」
それではスタメンで出場するかどうかというバカな質問には、当然ながら答えないシュステル。だが、そのかわり今日は特別な日だと語る。
「今日は48回目の誕生日。プレゼントはクラシコでの勝利がいい。」
バッカモン、そんなもん、やるかい!コーニョ!


 2007年12月23日 あと27時間

クラシコまで27時間

■メディア
クラシコ中のクラシコと呼んでいいバルサ・マドリ戦に、いつものことながら世界各国からメディア関係の人々がバルセロナにやって来ている。クラシコまで27時間と迫った土曜日16時現在、カンプノウ及びその周辺には、スポーツジャーナリスト、カメラマン、コメンタリスタ、テレビ関係者など、488人のメディア関係者が仕事に精を出している。16か国からやって来たメディアの数は112となっている。16か国を具体的に示すと、スペイン、イングランド、フランス、ドイツ、イタリア、スイス、ベルギー、スエーデン、オランダ、ポルトガル、セルビア、アルゼンチン、エル・サルバドール、メキシコ、中国、そして日本。

■カンプノウ
ここ何日か続いている寒波と雨の影響で、この大事な試合を前にしたカンプノウの芝の状態はあまりよくない。その芝の保護のためにこの1週間、1回としてライカーチームはカンプノウを使用することができず、ラ・マシアかミニエスタディでの練習を義務づけられてしまった。もちろん、芝管理を担当している会社は、職員を総動員して芝の手入れを休むことなくおこなっている。これまで試合開始時間である日曜日19時には、バルセロナには雨が降るという予報がなされてきたが、ここにきて試合当日の午前中には雨が止むのではないかと予報が変わってきている。是非とも、この日替わり予報が当たりますように。ちなみに今回のクラシコの試合が、カンプノウでのリーグ戦1200試合目となる。成績は897勝114敗188引き分け。ゴール数は3168,失点は1059となっている。勝利数898まであと29時間。

■サエタ
御存知、レアル・マドリが移動の際に使用しているタダ飛行機。前にも触れたが、この飛行機はかなり古い飛行機であり、使用されているエンジンは旧世紀のもの。したがって、騒音が飛び抜けて立派ときている。そのために、騒音規制がちゃんとしているヨーロッパ各国では、騒音基準を超えているこのサエタの深夜の発進を禁止している。フエラでのチャンピオンズの試合では、マドリ御一行は現地のホテルに一泊し、翌日早朝帰国としていたのはそのためだ。彼らにとって幸運にも試合開始時間は19時と早く、しかもスペイン国内であるため、試合後にはすぐにマドリッドに帰れることになっている。ただ、首をダランと落とし、沈んだ雰囲気での“快適な空の旅をお楽しみください”となる。そのサエタは土曜日20時にバルセロナはエル・プラット空港に到着し、選手御一行はアベニダ・デ・サリア通り50番にあるメリアホテルに直行する予定。

■バスのストライキ
祭日が重なり人々が移動を始める頃になると、必ずおこなわれると言っていい各種交通機関ストライキ。クリスマス休暇が近付いてきた今日この頃もまた例外とはなっていない。2日前から大がかりな市内バスのストライキが始まっている。スペインの法律ではストライキの際にも“最低限サービス”をおこなわなければならないというものがあり、このバスのストライキも11時から13時30分、17時から20時までの間は普段の50%だけの本数でありながらも動いている。そしてそれは試合当日の日曜日も同じ。つまり試合に駆けつけるにはバスを利用できるものの、帰りにはもう動いていないことになる。大きな試合ともなると必ず“特別バス’が出動するが、今回はそれもどうなるかわからない。幸運にも、わたくしめのチャリンコはストライキをという言葉を知らない。

■アモール
クラシコが近づいてきたと同時に、アモールの退院日も近づきつつあるようだ。先週の日曜日深夜に居眠り運転で重傷を負ったアモールは、すでに意識を取り戻しただけではなく、かなり普通にしゃべれるところまで回復しているという。
「睡眠不足状態が続いていたので、居眠り運転をしないように20分おきに電話していた。そして2回、3回とつながらなくなった後、最後にでたのは救急車の人だった。そこで初めて事故を知った。」
ニュースを見ていたらそう語っているアモールの奥さんだが、相変わらず美人だ。そんなことはともかく、うまくいけばクリスマス前後には自宅に戻れる可能性も出てきたという。


 2007年12月22日 あと34時間

ようこそカンプノウへ(おまけ)

レアル・マドリの監督となって初のクラシコとなる。場所はカンプノウ、ベルナルド・シュステルにとってはかつて“地元”であったこのスタジアムに、他のクラブの監督として訪れたことはあるものの、レアル・マドリの監督としては初めての経験。ガスパーの“ソシオ”として、彼が会長に選ばれるように選挙運動をおこなっていた一人であり、そしていまだにバルサソシオでもある。そのことを決して彼は隠そうとはしない。それはあくまでも個人的なことであると、中央メディアからの皮肉を込めた質問にも素っ気なくこう答える。

特異なキャラクターを持った人だ。20歳という若さで、クラック選手としてバルサにやって来ている。ドイツの代表監督と揉めたあげく、代表招集を拒否したのは有名な話だが、バルサというクラブでの8年間に及ぶ長いブラウグラーナ歴の歩みの中でも、数多くの逸話を残していった。セビージャでおこなわれたステアウア相手のコパ・デ・ヨーロッパの決勝戦で、途中交代に腹を立て、脱いだユニフォームを監督のテリー・ベナブレスに投げつけるという行為にでている。しかもそのままベンチに残ることを拒否し、試合中であるにもかかわらずタクシーを拾って一人ホテルに戻ってしまった。脈拍数が120を超えると何をするかわからない人なのだ。

この決勝戦での彼のプロ精神に欠けた行動が、最終的にクラブを去る原因となった。それまで何度も当時会長ヌニェスと問題を起こしていたが、これが決定的なものとなり、レアル・マドリへの移籍へとつながる。レアル・マドリで2年間、At.マドリで(確か)3年間プレーし、そしていつの間にか現役引退をしている。

彼の“裏切り行為”に対するソシオの怒りは、ペセテロの場合と異なりあまり長続きしていない。At.マドリの選手となってプレーしていた1991年12月、彼はバルセロナにやって来ている。“サミティエル・フォーラム”という、当時は定期的に開かれていたフットボールフォーラムに、ペップ、ラウドゥルップ、ウルッティ、クーマンなどを含めた講演者の一人としてやって来ている。その講演会で彼は次のように語っている。
「バルサという特殊なクラブについて語るには、このクラブでプレーした経験なくして可能とはならない。なぜなら、選手たちを応援するソシオたちの目の色が違うことを知るには、このチームでプレーして初めて知ることが可能となるからだ。どこのクラブのファンとも違う、燃えるような目をしてチームを応援する。彼らにとっては、我々選手はカタルーニャを代表する人間の一人であり、同時にバルサというクラブは、彼らの人生の一部となっているからだろう。かつてこのクラブで一度でもプレーした選手が、他のクラブの選手としてやって来ても活躍できない理由は何か、それは自分の場合でもそうであるように、体の中にこのクラブのカラーが残ってしまっているからだ。他のクラブのユニフォームを着て、このカンプノウで良いプレーをすることは不可能と言っていい、」
レバンテの監督となりカンプノウにやって来ても、彼に対する批判は一切わき起こらなかった。だが、ヘタフェの監督としてバルセロナを訪れ国王杯を戦ってから、少々様子が変わってきてしまった。

国王杯でのレオ・メッシーのスペクタクルな活躍に対して、試合後の記者会見でシュステルならではの爆弾発言がなされている。
「どんなことをしても、彼のドリブルを止めければならなかった。どんなことをしてでもだ!」
もちろん、元フットボール選手としての彼にしてみれば、心の中ではメッシーのプレーに拍手をおくっていただろう。しかも彼は、少なくともバルサ選手時代は、ファンタジーなプレーを特徴とする選手だった。だが、監督としてのシュステルは、もちろん違う評価となる。やられた側の監督であるに加え、脈拍数は120を超えていた。
「どんなことをしてでもだ!」
シュステルに対する反感が、少しずつバルセロニスタの間で再び広がり始めた。そしてレアル・マドリの監督に就任したことが、その反感をさらに大きなものとした。ファンは単純だから、それは自然の成り行きだ。今週おこなわれたあるTV局のクラシコ特集で、“あなたが最も嫌う人物像はモウリーニョかシュステルか?”というのを街の人々に聞くコーナーがあったが、圧倒的な差をつけてシュステルの勝利となっている。敗者はどこのクラブにも所属していない失業中の身であり、勝者は天敵レアル・マドリの監督。ファンは単純だから、これも自然の成り行きだ。

“敵のチーム”のファンから大いに嫌われる要素は、それこそモウリーニョ並にもっている。いつかの試合でも、マドリが勝利できなかった原因を“カタルーニャ出身の審判”のせいにして物議をかもしだした。水曜日におこなわれた国王杯での引き分けという結果に関しても、試合後に審判のせいにしている。マドリ出場選手の多くが日干し組であったとはいえ、相手は二部Bカテゴリーに在籍するチーム。その格下というにはあまりにも格下のチーム相手の試合でも、結果がでなかったのを審判のせいにする惨めさ。
「12人相手の試合に勝てるわけがない。」
そう捨てぜりふを吐いた天下のレアル・マドリ監督ベルナルド・シュステル。選手時代と同じように、監督という新たな職業についても“負け方”を知らない人だ。モウリーニョが敗戦のたびにいろいろと審判非難したり、相手選手や監督に対してイヤミをいったりするのが、ある意味で計算された行為だとすれば、シュステルのそれはあくまでも脈拍数の問題とキャラクターからくるものに過ぎない。

果たして23日深夜の試合後記者会見席上ではどんな言い訳をするのか。最初で最後となるかも知れないマドリ監督としてのカンプノウ訪問に、とりあえず、ようこそ!


 2007年12月22日 あと44時間

困ったもんだ

なにか、まわりの選手が迷惑しているような・・・この人、大丈夫だろうか。さすがに見かねたライカーが一言、二言、お小言。


 2007年12月22日 あと51時間

21日金曜日のバルサとマドリ

●バルサ

珍しくも天気予報が当たり続けていて、今日も朝から小雨のバルセロナ。練習はミニエスタディで約1時間半。明るいニュースとしては、2週間前から合同練習に参加してきていたエドゥミルソンに、ようやくドクター許可が下りたこと。金曜日の練習に不参加となったのは二人のみ。一人はアルゼンチンに帰ってしまったメッシー、二人目は不可思議な負傷が続いているオラゲール。

クラシコ前の公開練習は今日が最後で、明日の土曜日は非公開。だが、この日のニュースは何と言ってもチャンピオンズ1/8の抽選結果。

セルティック・バルサ ビールの売りまくり
リヨン・マンU それらしきフットボールが展開
シャルケ・ポルト 見ない!
リバプール・インテル 両方とも負けることを期待
ローマ・マドリ バモス、ジュリー!
アーセナル・ミラン 再びアディオス!セスク!
オリンピアコス・チェルシー オリンピアコス頑張りなさい
フェネルバッチェ・セビージャ フェネルバッチェ頑張りなさい

個人的な願望としては、セルティックのあとの準々決勝ではフェネルバッチェあたりと、準決勝ではシャルケあたりと、そして決勝戦はオリンピアコスあたりとの手に汗握る試合がヨロシイかと・・・。

●マドリ

バルサメディアが“ロナルディーニョスタメンか否か”で賑わっていれば、マドリメディアでは“グッティスタメンか否か”で盛り上がっている。国王杯に90分間出場したことから、クラシコでのスタメン出場の可能性が少なくなったと思われたが、試合後シュステルはそれを否定している。
「国王杯出場は、ここのところ試合出場時間が短い選手の調整の意味もある。この試合に90分間プレーしたからと言って、グッティがクラシコにでないことを意味するわけではい。」
だが、この金曜日の練習で少し様子が変わって来た。というのはグッティが右足首を負傷してしまったからだ。

いずれにしても招集選手が発表されるのは明日。今日の精密検査の結果を待って、グッティがプレー可能かどうかわかることになる。できることなら、是非とも来なさい、カンプノウに!


 2007年12月21日 あと58時間

クラシコの想い出

ルイス・フォシュという、60歳を過ぎた超ベテランジャーナリストがいる。ローマの休日という映画のほぼ終わりの方で、各国記者がオードリ・ヘップバーンの前に立ち、それぞれ自己紹介をするシーンがある。スペインからやって来た記者が「私はラ・バンガルディア紙のものです。」と自己紹介する。スペインに来る前に見た映画ながら、どういうわけかよくそのシーンを覚えていて、そしてスペインに来て本当にラ・バンガルディア紙というのがあることを知った。まあ、そんなことはどうでもいいとして、ルイス・フォシュはそのラ・バンガルディア紙所属の派遣記者として長いあいだ活躍した人だ。バルサソシオとしても超ベテラン組に入る人らしいが、その彼がかつて経験したクラシコの想い出について語っている。

1980年の2月10日、私は零下10度、1メートルにも及ぶ厚い雪が道路を覆っているカブールの街にいた。言わずもがな、アフガニスタンの首都のカブールだ。ソ連の軍事介入により誕生したアフガニスタン新政権に対し、西側諸国や近辺国のパキスタンなどが抵抗運動をおこなっていた時期に、私はガブールに滞在していた。もちろん旅行者としではなく、ラ・バンガルディア紙の取材者として。

各国からやって来た取材班は、ひとまとめでカブールのインテルコンティネンタルというホテルに宿泊していた。それほど不自由さは感じさせないホテルではあるが、常にソ連軍の目が光っていたため、精神的には疲れるところであった。ベッドーメークにやってくる人々、受付の人々、インフォメーション係、レストランのウエーター、このホテル内で働くすべての人々はソ連軍に雇われた密告者と言ってもおおげさではない。ホテルの前で列をなしてジャーナリストを待っているタクシーの運転者は、100%情報員であることはすでに暗黙の了解事項となっていたぐらいだった。

何と言っても時代はまだ1980年の初頭であり、場所はソ連軍によって占拠され報道管制がしかれているところであり、毎日の記事をバルセロナに送るのには大変な苦労がいることだった。国内はともかく国際電話がつらがらない期間も長く、そして郵便物はすべてチェックされる。もちろんインターネットなど普及していない時代の話だ。我々は“伝書鳩作戦”と呼んだ方法で各国に記事を送っていた。その方法とは次のようなものだ。各国記者団の代表一人がカブールの鉄道駅に行く。彼の手元には各ジャーナリストの記事が入った封筒が持たされている。彼の役目はこうだ。信用できそうな旅行者を捕まえ、行き先を聞く。もしニューデリーだとかモスクワだったら当たり。いくらかの金を渡して封筒を持っていってもらい、それを到着先でポストに入れてもらう。万事うまくいけば、こうして私の記事はバルセロナに到着することになる。

1980年2月10日、この日は朝からそわそわしていた。カンプノウでクラシコが戦われる日だった。もう何十回と観戦しているカンプノウクラシコを、このひどい寒さと銃弾が飛び交う街から、我がバルサを応援しなければならない羽目となっていた。そしてこの日の昼、我々が泊まっているホテルの各室に、ソ連軍関係者の手が入り捜索がおこなわれた。その結果、アメリカとカナダの記者が国外追放となり、ホテルから追い出された。私たちは無事だったが、これまで一緒に仕事をしてきた仲間が追放されるのは悲しいことだった。

夜がやって来た。すでにクラシコは終了している時間だった。BBC国際サービスを利用してクラシコの結果を必死になって探そうとするものの、まったくそのサービスにつながらない。
「ホデール!クラシコの結果を知らない生まれて初の日曜日となるのか!」
だが、そんなことには耐えられなかった。日中の電話でさえ盗聴されているのに、深夜の電話はなおさらソ連軍の注意を引くことはじゅうぶん承知していた。だが、それしか結果を知る方法はなかった。思い切ってイギリス大使館に電話をしてみた。長い間待たされたあと、深夜業務担当であろうイギリス人が電話に出てくれた。
「私は国際業務を担当しているスペイン人だが、そちらではロイターサービス施設をお持ちか?」
「イエッサー!」
「それではひとつお願いがあるのだが、バルサとマドリの試合結果を調べてもらえないだろうか?」
しばらく待たされた後、帰ってきた答えは0−2というものだった。電話盗聴スパイにこれ以上疑いを持たれないように、この答えが帰ってくると同時にガチャンと切った。
「ミエルダ!いったいなんて日だ!」


 2007年12月21日 あと75時間

20日木曜日のバルサとマドリ

●バルサ

200年は非常に雨が少なかったスペイン。バルセロナもその例外ではなく、来年の春にはほぼ80%の確率で給水制限処置がとられるだろうという。ここ何週間か、いや、ここ何か月か雨が降った日が連続してあったためしがないバルセロナであるにもかかわらず、木曜日から週末にかけて雨続きの日となるだろうと、あまりあたらない気象庁が予報をだしている。つまりクラシコがおこなわれる日曜日は雨になる可能性があるというわけだ。まいったなあ・・・、我々の陣取るプロレタリアート席には屋根なんかないんだよ〜ん。

そんな雨模様の午前中におこなわれた練習。昨日から練習に参加してきていたアンリに、ドクター許可がこの日におりている。今日の11人対11人のミニゲームで構成された“11人仮スタメン”チームは、バルデスがポルテロ、右ラテラルにプジョー、左にアビダル、セントラルにミリートとマルケス、ピボッテにヤヤ、インテリオールにチャビとグディ、左サイドにイニエスタ、右サイドにジョバニ、そしてトップにエトーというメンバー。メッシーの代わりに入ったジョバニをのぞけば、バレンシア戦と同じメンバーということになる。

ちなみに、23日の今年最後の試合が終わる翌日からバルサは冬休みに入る。だが、そのスケジュールは昨年のそれとは大きく違っている。どこのクラブよりも長い、余裕のクリスマス休暇を選手たちに与えたライカースタッフだが、今年は5日間しかない。24日から28日まで完全休暇。だが、29日の午後には練習に入ることが決まっている。そして30日は午前と午後の練習をおこない、大晦日は午前中だけ、そして元旦も午前中だけとはいえ2日の国王杯(普通の人は見に来ないこの試合に、学校が休みになっている子供たちだけでも来させようと18時試合開始)に向けての練習スケジュールが組まれている。もっとも、暮れから元旦にかけて試合をおこなう働き虫プレミアリーグのことを考えれば、この時期に休みがあることだけでも感謝しないといけない。

バルセロニスタに明るいニュース。三日間の意識不明状態が続いていたアモールに、ようやく意識が戻ってきた。手や足も反応するようになり、短い会話ながらしゃべることも可能となったようだ。見舞いに来ている家族や友人たちが誰であるかもしっかりとわかっているようで、いまだに集中治療室にいるとはいえ、順調に快復に向かっているとのこと。クラシコでのバルサ応援組の強力な助っ人が戻ってきた。

●マドリ

「我々バルサの方が勝利を必要とする試合。」
ラポルタがこう語るように、4ポイントの差をもって戦われる今回のクラシコはどう考えてもバルサの方に勝利の必要性がある。そして、クラシコの戦いは歴史的に必要性のあるチームがほぼ勝利を得ることになっている。だが、それは23日の21時近くに証明されることになるとして、レアル・マドリ内の“余裕”を示している一つの催し物がこの木曜日におこなわれている。

イケル・カシージャスのお友達チームと、テニスのラファ・ナダールのお友達チームのお遊び試合がこの木曜日の夜におこなわれる。“マラリア撲滅運動”のための資金作りを名目として、その入場売上金をカンパするための試合だ。クラシコまでちょうど72時間前におこなわれるこのお遊び試合に、カシージャスはもちろん、セルヒオ・ラモスやカンナバロ、ディアラにラウルまでが出場することになっている。そう、これは、あくまでもお遊び試合、したがって体の接触やタックルなどない試合であり、負傷する可能性はかなり低いものとなる。だが、そんなことより、問題は大事なクラシコの前に選手間の緊張感を壊すような雰囲気そのものにある。昨シーズンのどちらのスタディアムでのクラシコか思い出せないが、バルサの何人かの選手もスポンサーキャンペーンに参加していたという似たような風景が見られた。余裕を見せたバルサは、昨シーズンの2試合のクラシコで1ポイントしか獲得することができなかった。勝利を必要とするバルサ、余裕のよっちゃんのマドリ、今回のクラシコの形勢は俄然としてバルサ有利だ。

このお遊び試合に参加するように、カシージャスはエトーとイニエスタに招待状を送っている。これが普通の木曜日であるならば、もちろん彼らは参加しただろうし、クラブ側も反対をしなかっただろう。だがこの時期、もちろんクラブ理事会は彼らに不参加の命を下している。当然!


 2007年12月20日 あと82時間

ようこそカンプノウへ(その3)

●エスナイデルとぺぺ
ロベンに3600万ユーロ、ドレンテに1400万ユーロという、どこまでも懐の暖かさを強調するような驚くべき移籍料を支払ったカルデロン・ミヤトビッチ体制だが、エスナイデルとぺぺの獲得に関してもまったく同じことをしている。前者の二人とは違い、カンプノウクラシコに参加してくる可能性がある二人だが、それでも移籍料に見合った活躍をしているかというと、評価の分かれるところだろう。

エスナイデル獲得のために、マドリは2700万ユーロもの移籍料を支払っている。彼がマドリに入団するわずか3か月前、ビジャレアルの移籍交渉役フアン・マヌエルはアヤックスとの間でエスナイデル獲得の交渉をおこなっている。アヤックスが示してきた移籍料は1500万ユーロ、だがビジャレアルが最後まで提示した最高金額は1200万ユーロであり、300万ユーロの差がこの交渉を決裂させた。そしてそれから3か月後、金に糸目をつけない豪快な男ミヤトビッチとアヤックスは交渉に入っている。2日間の緊張した交渉の結果、両者間が合意に至った移籍料はなぁんと2700万ユーロにまで跳ね上がったものとなっている。

シーズンがスタートし、例年のごとく、つまりアヤックス時代と同じように好調なスタートを切るエスナイデル。いくつかのゴールを決め、マドリメディアでは“第二のディ・ステファノ登場”とまで持ち上げられることになる。だが、再び例年のごとく、負傷に倒れるエスナイデル。リハビリを終えて戻ってきてからというもの、第二のディ・ステファノどころではなく、第二のグッティという陰口まで叩かれてしまった。90分間グランドにいることはいるのだが、なぜか消えてしまう時間が多い。しかも試合によって波が多すぎる選手だということがマドリディスタの間で理解されるには、それほど時間は必要とはならなかった。

一方、ぺぺ獲得のための交渉は2月からおこなわれている。オポルトが示してきた移籍料は1800万ユーロというものだった。だが、当時のマドリ監督であるカペロは待機作戦をクラブ側に要求していた。なぜなら彼の獲得希望第一候補はキブであり、第二候補がミリートだったからだ。時間の経過と共にキブやミリートの獲得が困難となっていく。ローマがキブの移籍料を最低限1800万ユーロと定め、さらに彼の代理人はコミッションとして300万ユーロを要求。しかも契約期間はマドリが要求したものより長いものを、年俸にしてもマドリの定めたものより大きくオーバーするものを要求するキブ側。そしてミリートはいつの間にか宿敵バルサ入団を決めてしまう。この二人が絶望的なものとなった段階で再びオポルトと交渉を再開。だが、オポルト側の要求する移籍料はほぼ倍近くに跳ね上がっていた。オポルトというクラブの重要な人物の一人であり、同時にぺぺの選手代理人でもあるホルヘ・メンデスは、マルケスやモッタなどの代理人も務めており、しかもサンブロッタ獲得のためにチキのバックで動いてくれた人物だ。頭の切れる彼は、マドリの事情を読み切っており、大胆な数字を提示していた。3000万ユーロ、この額は譲れない。

オポルトという、それなりのクラブでのプレー経験も64試合と少なく、選手メルカードで大いなる話題を提供した選手でもない。1700万ユーロという移籍料でバルサにやって来たミリートと比較するなら、数字だけを見れば二倍近く活躍しなければいけない選手だ。だが、カルデロン・ミヤトビッチ体制がその移籍料を良しとしたところをみれば、その数字に値する選手なのだろう、と、他のクラブだから、どうでも良いことにしておこう。もし、こんな獲得作戦を我らがチキが展開したとしたなら、物理的に高いあの鼻をバシッと折られるだけではなく、多くのソシオから袋だたきの刑にあうところだ。

だが、つまるところ、我らがバルサの補強作戦の話をしているわけではなく、あくまでもレアル・マドリという無関係なクラブの話。彼らが満足しているのなら、それはそれで喜ばしい。
「現在の我がチームを見ていると、カカとはいえ入り込むスペースはないようだ。」
クラシコを前にして、カルデロン会長はこのようなコメントまでしている。カカも入り込めないほどの完璧と言って良いシュステルチーム。それでは、23日カンプノウでお会いしましょう。ようこそカンプノウへ!


 2007年12月20日 あと92時間

19日水曜日のバルサとマドリ

●バルサ

バレンシア戦翌々日の月曜日は完全休養だったため、クラシコに向けての練習は火曜日からおこなわれている。普段なら午前の10時半とか11時練習開始となるのだが、この日は夕方の7時から。昼間天気は良かったものの、この時間ともなると、さすがバルセロナとはいえそれ相当に寒い。いつも半袖のボージャンですら長袖ということで、この日はみんな長袖・手袋という重装備で練習参加。わけのわからない負傷が続いているオラゲールと、胃腸の調子がイマイチのエドゥミルソン、そしてメッシーは参加してきていない。アンリはグループと離れてトレーナーと走り込み。それでもボールを使っての練習までやるようになってきている。呼ばれそうなときには負傷し、呼ばれそうもないときに戻ってくるエスケロは、やはりこの日から練習に参加してきている。10人チーム同士でのミニゲームがおこなわれた。負け組攻撃選手はロナルディーニョ、エスケロ、ジョバニ。勝ち組攻撃選手はエトー、ボージャン、イニエスタ。ロナルディーニョ、エトー、イニエスタがそれぞれゴールを決めている。メディアによれば、ロナルディーニョのモチベーションの高さが目立った試合だと伝えている。

19日水曜日。普段のスケジュールに戻って午前中の練習。だが、ラ・マシアではなく、ミニエスタディでおこなわれている。この日の最大ニュースは、選手たちの拍手に迎えられてアンリが合同練習に復帰してきたこと。他の選手がロンドをやっているときにはトレーナーと走り込み。だが、ミニ試合が始まると、それに参加してきて約30分間のプレーを問題なく終了。

●マドリ

“不思議なカレンダー”を持つスペインリーグは、水曜日にアリカンテ・マドリという国王杯1回戦を組んでいる。クラシコ戦4日前の試合であることから、当然ながらシュステルは日干し作戦を展開し、クラシコ絶対スタメン選手となるであろう8人の選手が招集さえされていない。つまり、カシージャス、ラモス、カンナバロ、ディアラ、エスナイデル、チャリンコ、ラウル、そしてバン・ザ・マン。彼らはアリカンテに行くこともなくマドリ練習場で彼らだけの練習に取り組んでいる。日干し招集選手は次のとおり。
ドゥデック、コディナ、ぺぺ、マルセロ、クラック・ドレンテ、エインセ、メッゼルデル、まだいたサルガド、トーレス、ガゴ、グッティ、バルボア、ソルダード、サビオラ、イグアイン、負傷から戻ってきたぞ!ロベンの16人。

そしてマドリのスタメンはこうなった。
ポルテロにドゥデック。サルガド、メッゼルデル、エインセデ、トーレスの4人デフェンサ。セントロカンピスタとしてグッティ、ガゴ、ドレンテ、イグアイン。そしてロベンとサビオラのデランテロ。この手の試合には強いサビオラだがゴールを決められず、後半に入ってから1400万ドレンテがPKファールを犯しアリカンテ先制。そしてそのまま終了かと思われたが、途中交代で入ってきたバルバオがロスタイムにゴールを決め同点。1−1というスコアーで試合終了。ちなみに、グッティとガゴが90分間プレーしている。


 2007年12月20日 あと99時間

デコが語るレオ

レオ・メッシーが最初に合同練習に参加してきた時の驚きは強烈だった。彼のボールテクニックを見ながら自分にこうつぶやいたね。
「コイツは普通じゃない。何という才能の持ち主なんだ!」
それは、時間の経過と共に正しかったことを証明してくれた。ヤツは普通じゃない。

もう今では彼のすることで驚くこともなくなった。と言うか、普通じゃないことに慣れてしまったと言った方が正しいかも知れない。そして、毎日の練習や試合で彼のプレーぶりを見るたびに、彼が我々を驚かしてきたことはほんの一部のことであり、まだまだ多くの人々を驚かせる何かを持っていることを確信している。
なぜかって?
彼はまだ20歳のフットボール選手だ。そして着実に目に見えるように成長し続けている。あらゆる意味で大人になりつつある。そして近い将来、今よりもプレーの安定性が出てくることも間違いない。

それにしても、彼を最初に見たときのインパクトは強烈だった。合同練習に参加してきた最初の日、初めてレオという若手選手が見せてくれた練習風景、それは少なくとも自分にとっては、唯一の存在となる選手としてのイメージを残してくれた。長いことこの世界にいる自分だが、彼のすることなすことすべてが普通ではなく、新鮮そのものだった。たぶん、ロニーとロナルド(もちろんポルトガル人のロナルド)の二人のみが、彼と同じラインで評価できる選手だろう。もっともロナルドの場合は少しタイプが異なる。彼はパワーとスピードで相手をねじ伏せるタイプであるのに比べ、ロニーとレオはフットボールテクニックの神髄をもって勝負するタイプ。いずれにしても、今の自分の年齢を考えたとき、彼らみたいな選手が新たに登場して、一緒にプレーするチャンスはあり得ないだろうと思う。

彼のドリブルは凄い。ほとんどの選手がドリブルのためのドリブルをするのに比べ、つまりあまり意味のないドリブルということだが、レオのそれは凄い。何が凄いか、それは彼のドリブルはすべて相手ゴールを照準に定めてのものなんだ。マークしている選手を抜くためだけではなく、常に相手ゴールに向かうことを前提にしのドリブルなんだ。だからどこでボールをもらうかなんてことはたいした意味を持たない。相手ゴールから10メートル離れたところだろうが、30メートル、60メートル離れたところだろうが、そんなことは関係ない。ボールを受けた瞬間にすでに彼の体というか頭というか、それらの中でいかにしてシュートが可能となる場所に行くかということが組み立てられている。だから、レオがボールを持った瞬間から相手チームとしては危険なシーンとなり得る。

個人的に彼を気に入っているのは、フットボール選手としてだけではなく、一人の人間としての素晴らしさを持っているからなんだ。たぶん、彼の両親の教育がよかったんだろう。そして彼を囲む人々も彼の原点を忘れないように、いろいろと協力しているようだ。残念ながらフットボールの世界で、こういう幸運に恵まれる選手は少ないことを知っている。もちろんレオ自身も良いキャラクターを持って成長してきたんだろう思う。どこまでも素直な若者だし、しかもいつも目立たないように控えめな態度を崩さない。今でも内気なところは変わっていないが、知り合った頃は今より内気だった。いつも一人でいることが多かったせいもあて、ロニーと自分が近寄っていって話しかけることも多かったと記憶している。最初の頃は何か我々と一緒にいることが居心地悪いような印象だったけれど、そのうち心を開いていろいろなことを話すようになった。

カカとロナルドと三人で並んでいる風景を見て、自分も何か幸せな気分になった。世界最優秀選手として認められた三人の選手の中にレオがいる。いつだったか、バロン・デ・オロ受賞候補が話題になったとき、レオにこう言ったのを思い出した。
「心配することはないさ、レオ。今年もし受賞できなかったとしても、来年があるさ。来年がダメだったら再来年があるさ。いつか、君のものになることは間違いないよ。」
これまで才能ある多くの若者を見てきた自分が言うのだから間違いない。多くの才能ある選手が1年、あるいは2年で消えてしまうことが多い世界だが、レオの場合は違う。彼は本物だ。これから何年もこのフットボール世界を背負っていく選手となるだろう。だから、焦ってはいけないよ。アニモ、レオ!


 2007年12月19日 あと106時間

ようこそカンプノウへ(その2)

●ロベン
3600万ユーロという獲得資金が示すように、レアル・マドリの今シーズン最大の目玉獲得選手が、このオランダ人選手ロベンだ。モウリーニョチームの控え選手であり、放出候補リストにありながらもこの値段で売れたということは、チェルシー側にとっては歴史に残る大勝利といって良い。だが、“会長選挙公約破り”のカルデロン会長にとっては、どうしても獲得が必要とされていた選手であり、金額にかかわらず連れてこなければならない一人だった。しかも交渉に入ったマドリ側の人間は、金に関してはいまだにドス黒い噂が流れる元選手代理人にして現スポーツディレクターであるミヤトビッチ。コミッションを受け取ることで生計を立てているかつての仲間も含めて交渉に入っているから、それ相当の移籍料になることは事前に予想されたが、常人には理解できないミヤトビッチのスケールの大きさが証明された獲得交渉となった。

バルセロニスタにはかつてのオーベルとダブる選手であり、マドリディスタにとってはプロシネッキー、あるいはウッドゲートとかぶる選手となりつつある。チェルシー在籍時代にすでに負傷し、マドリにはその負傷を引きずったまま入団してきている。他の選手に遅れること26日間、ようやくデビューを飾ったロベンは6試合連続出場という、彼としては奇跡的な連続記録を作り、“もしかしたら期待通りいけるんじゃないか?”というような幻想をマドリディスタに与えたものの、だが、やはりプロシネッキー二世、あるいはオーベル二世だということが明らかになったのは10月17日。オランダ代表の試合で再び負傷した彼は、またまた37日間ものリハビリに入ることになる。そしてリハビリも終わり、ブレーメン戦、ラーシング戦、ビルバオ戦に数分間ずつプレーすることができた彼だが、ラッチオ戦で再び負傷に倒れ、今日の段階ではカンプノウにやって来られるかどうかも怪しい状態となっている。

約120日前にマドリにやって来た彼は、実に90日間前後もリハビリをおこなうことを義務づけられてしまっている。だが、カルデロンにとってはそんなことはどうでも良いことだろう。なにしろ、獲得公約が現実化できた唯一の選手なのだから。

●ドレンテ
クルイベルと同じようにスリナム出身の選手。この島の生まれの人々は誇りが高いことで知られているが、ドレンテもその例外ではない。年俸300万ユーロで5年契約というスター選手並の契約を勝ち取った彼は、すでに自分がクラック選手の一人となったという、とんでもない間違った認識を持ってしまったようだ。プロ選手としてフェイノルドで1年弱のプレー経験しかなかったにもかかわらず、オランダU21代表選手としての“瞬間的”な活躍が、ミヤトビッチの目にとまってしまったのが彼の幸運でもあり、不幸の始まりでもあった。当初600万ユーロと評価された彼の移籍料が交渉していくに従い急上昇し、なぁんと1400万ユーロという膨大な額になってしまったが、尊敬の念に値する我らがレアル・マドリは数字にはこまかいことは言わない。

彼を最もよく知る人々は、当然ながらオランダ人のフットボール関係者だ。マドリ入団が決定した際、オランダU21代表監督が次のようなコメントを残している。
「マドリに入団する前に、少なくとも2シーズンぐらいはオランダのチームで毎週プレーすることの方が、彼にとって最良のことだったと思う。」
元マドリの監督だったベンハッケルは、入団ニュースは冗談ではないかと思ったという。
「フェイノルドでのプレーを何回か見る機会があったが、非常にミスの多い選手だった。それも決定的なミスを犯すことがたびたび見られた。彼がマドリに入団?彼にとってはオフサイド行為だろう。」

2、3試合のみスタメン出場しただけで、シュステル構想から外されてしまった。今日の段階で彼の出番はコネッホ並にゼロだ。それでもスター選手気分が抜けない20歳のこの若者は、スター選手が多いクラブ内にあって、夜遊びに関してだけは王様となる。バルセロナに住む夜遊び大好き人間たちが、朝方のディスコでよくロナルディーニョの姿を見るように、マドリッドに住む夜遊び族もドレンテとは顔なじみとなっているという。早くも今年の冬のレンタル候補ナンバーワンとなっているが、年俸の高さがネックとなるのは、カサーノのケースと同じ。結局はカサーノと同じように、年俸の半分以上はマドリが持つことを条件としてレンタルされることになるだろう。バルセロニスタにはかつてのガスパー時代を思い出させてくれるケースだが、テレビ放映権前借りを伝家の宝刀とするカルデロン体制にあって、そんなことはチョロイもんだ。


 2007年12月19日 あと116時間

シルビーニョが語るレオ

レオ・メッシーを初めて個人的に知ったのは2004年のプレステージの時。自分はセルタから移籍してきたばかりで、彼はまだバルサインフェリオールカテゴリーに所属する選手だった。ほとんど何もしゃべらない青年という感じだったから、接近していったのは自分の方から。好きなんだアルゼンチンの人としゃべるのが。彼らの話すあの独特なイントネーションが何とも言えないし、何だか音楽を聴いているような気がしてくる。セルタにいたときも6人ぐらいのアルゼンチン選手の友人がいたし、アーセナルでもネルソン・ビバスという選手と仲が良かった。

知り合ったときからいかにも内気な感じがする青年だった。アジア遠征で立ち寄った中国でのこと。ホテルで休憩していたら、レオがやってきてこう言うんだ。
「両替したいから一緒に来てくれない?」
「俺は必要ないから行かないよ。受付でチェンジ!チェンジ!って言えばわかってくれるさ。チェンジ!チェンジだぞ!」
とレオに言いながらも受付まで一緒に行ってやる自分。そして彼は叫んださ。
「チェンジ!チェンジ!」

レオは内気だ。でも、それは性格的に弱いということは意味しない。いや、それどころか、彼のような年齢にしては、とてつもなく自分を持っている若者といって良い。彼にはいろいろと驚かされたことがあるけれど、しっかりとしたあの性格には特に驚かされた。17歳にして、すでに自分のしたいことがはっきりしているようだったし、フットボール以外のことについても、それなりに自分の意見も持っていた。バルサとはどういうクラブか、フットボールの世界とはどんなものであるか、マスコミとはどういうものであるか、そういうことを助言する必要がまったくない若者だった。
「うん、うん、うん、わかった。」
誰かが何かを助言すると決まってそう答えるレオ。
「そんなことはわかってるよ。」
ひねくれたガキならそう答えるだろう、わかりきったことに関しても、彼は素直に耳を傾けそう答えるんだ。

普段は淡々としている若者なのに、これは怒ってるな、と初めて思ったのは、パリでのチャンピオンズ決勝戦に招集外となっていることを知ったときの彼だ。もう本当に怒り狂っているという感じだった。もっとも、それは誰でも理解できることさ。この試合に出場するために、一日も休まず毎日リハビリをやって来た彼をすべての選手が見てきている。こんなに一生懸命やってきたのに、という悔しい思いでいっぱいだったのだろう。それでもレオの良いところは、優勝が決まった瞬間に、同僚たちと一緒に喜びを共有する“仲間意識”を見せたことだろうね。もっとも、最初のリーグ優勝の時の喜び方とは比べものにならなかったけれど。レバンテとのフエラの試合でリーグ優勝が決まった後の彼の喜びようってなかったよ。

彼と知り合ってから3年と半年。この期間に彼をとり囲む状況がずいぶんと変わった。今では世界に知られるクラック選手だし、バロン・デ・オロの受賞候補にも入るような選手だ。でもね、彼の偉いところは、彼自身は何にも変わっていないことさ。ロッカールームでは知り合った頃と同じような彼だし、相変わらず内気なところも変わっていない。いつも自然なんだ彼は。その理由は彼の家族にあると思う。両親の教育がしっかりしていたこともあるし、今でも自由な時間の時はいつも親族関係の人々と一緒だと聞いている。兄弟や親戚の人々が、常に原点を忘れないように気を使っているのだと思う。どんなに周りがチヤホヤしようが、しっかりと地に足をつけて、思い上がった所などコレッポチもない若者だ。もちろんフットボール的には大いに変化している。学習能力もしっかり身につけていると思う。

ロッカールームでも、グランドの中でも、いつも動き回っているんだけれど、それが目立たない若者。人の注意を引くような目立った動きをしないんだなレオは。彼の控えめなキャラクターがそうしているのかも知れない。ロッカールームの中にいないかと思うといるし、いるかと思うといない。そして選手間の輪の中に突然やって来て一言なんかつまらない冗談を言って、いつの間にか消えてしまう。グランドでも同じだろ。いないかと思うと突然現れて、そして試合を決めるようなプレーをしてしまう。

一人で主役となることを嫌っているようだ。我々仲間と一緒の時も同じさ。ヘタフェ戦でマラドーナ並のゴラッソを決めた後でさえ、そしてクラシコでハットトリックを決めた後でさえ、嬉しい表情こそ見せることはあっても、態度には何の変化もない。そこにはいつものレオがいるだけさ。自分が思うに、素直な性格のなせるわざであると同時に、こんなことはこれからも何回も繰り返せるさという、そいういう自信があるのだろうと思う。そして自分も彼にはそれが可能だと信じている、何と言ってもまだ20歳だ。クラシコの試合はこれから数え切れないほど経験できるさ。アニモ!レオ!


 2007年12月19日 あと123時間

ようこそカンプノウへ(その1)

12勝2敗2分け38ポイントを稼ぎ、我らがバルサに4ポイント差をつけて今週末カンプノウにやって来るレアル・マドリ。監督もカペロからシュステルとなり、どうやら昨シーズンの同じ時期より少しだけ良い成績となっている。だが監督が変わっても変わらないものがある。スペクタクルもなし、ファンタジーもなし、超攻撃的なチームでもないにもかかわらず、他のどのチームより試合巧者であり、勝利を得る効率のよいチームであること、それらのことには変わりがない。その変わらないものがチームカラーというものだとすれば、マドリソシオでもファンでもない第三者が“つまんねえ〜チーム”などと、そのチームカラーをからかうのはいいとしても、批判するのは不都合と言うものだ。かつてのマドリ監督ホルヘ・バルダーノが、次のようにマドリとバルサを比較している。
「歴史的にバルサは勝利を得るためには、良いフットボールを展開することが要求されるチーム。それに対しレアル・マドリは、そういうことが一切要求されないチームだ。」

勝ってナンボの勝負の世界、醜く勝利しようがそれはそれで賞賛に値すること。したがって、“メレンゲのクソったれ野郎”という思いはひとまず心の中にしまい込み、それなりの尊敬の念を持って宿敵レアル・マドリのことについて触れてみよう。とは言っても、ほぼ2、3試合しかテレビで見たことがないので、ここではシュステルチームそのものには触れない。カンプノウクラシコに初めてやって来る新しい選手たち、つまり今シーズン加入してきた選手たちについて触れてみよう。ようこそ、カンプノウへ。

レアル・マドリは20世紀最優秀クラブという名誉を得ているだけではなく、今世紀に入ってからも、世界的なスケールでの栄光を背負っているクラブでもある。弁護士ラモン・カルデロンがソシオをおちょくっての怪しげな選挙でベルナベウ会長席に陣取ってから、世界的名声を持った優秀選手を獲得するために、クラブ理事会がつぎ込んだ資金は何と2億3千万ユーロにのぼる。一昨年の夏から今日に至るまで、日本円にして約400億年の資金をつぎ込んで作られた夢のチーム、それが今週末カンプノウにやって来るレアル・マドリだ。

そのカルデロン理事会が、世界的クラック選手を獲得するために、今シーズン無駄遣いした額は1億1900万ユーロ、もちろんスペインの長きリーガの歴史にあって最高額となる。ラモン・アブラモビッチがチェルシーを買い取ってから、最初の13か月(2003年6月〜2004年7月)に浪費した選手獲得資金は2億8000万ユーロ、この資金は原油の売り上げで賄われたが、カルデロン理事会の場合は、テレビ放映権料の前借りという手段を使ってのものだ。かつてのマドリ会長であったフロレンティーノ・ペレス時代の数年間にしても、このカルデロンの“財布の大きさ”にはかなわない。ペセテロ、ジダーン、ロナルド、ボダフォーンなどを代表する選手を獲得しているが、獲得資金合計となると1億9000万ユーロとなる。そう、カルデロンの偉大なところは、わずか1年半近くの期間でフロレンティーノ数年間時代を4000万ユーロも抜いたことにある。

ちなみに、レアル・マドリのようなクラック選手ばかりがいるクラブと比べると地味な存在となる我らがバルサは、今シーズンの選手獲得資金は約6600万ユーロだけであり、ラポルタ新会長が就任してから今日に至るまでのすべての獲得資金を合計しても、1億7000万ユーロという貧乏クラブだ。だが、それはいい。ここは敵を知るコーナーであり、敵に味方を知らせるためのものではない。

それでは、大胆にも1億1900万ユーロも無駄遣いして今シーズン獲得したクラック選手たちには、どのような選手がいるのだろうか。一覧にしてみると次のようになる。

●ロベン・・・・・3600万ユーロ
●ぺぺ・・・・・・3000万ユーロ
●エスナイデル・・2700万ユーロ
●ドレンテ・・・・1400万ユーロ
●エインセ・・・・1200万ユーロ
●ドゥデック・・・0
●コネッホ・・・・0
●メッゼルデル・・0

さすが1億1900万ユーロも使うと、すべてバロン・デ・オロ候補というような凄い選手が獲得できるものだが、次回は具体的に何人かの選手に触れていくことにしよう。