やったぜ、ベイビー!
REAL MADRID 1 - 3 FC BARCELONA1-0(01M) BENZEMA
1-1(30M) ALEXIS
1-2(53M) XAVI
1-3(65M) CESC
[出場選手]
VALDES, ALVES, PIQUE, PUYOL, ABIDAL, BUSQUETS, INIESTA(PEDRO 89M), XAVI, CESC(KEITA 79M), MESSI, ALEXIS(VILLA 83M)
この試合前まで15連勝中という絶好調のモウマドリだから、中央メディアが語るような“サイクルの終焉に近づいている”ペップバルサに敗れてしまうということの総括は、いったいどのようになされるのか、それは非常に興味あることだった。
ポルケ?
それは、試合スケジュールのせいなのか、
ポルケ?
それは、審判の誤審のせいなのか、
ポルケ?
それは、相手が強すぎたからか、
いやいやそうではありませんでした。ただツキがなかったからであります。
「実力的にはお互いにたいした相違が見られない試合だった。ただ、我々に欠けていたのは運だったと思う。彼らはそれを持ち、我々には一欠片の運もなかった試合だった。」
試合後にそう語るモウリーニョ世界最優秀監督。
そう、世界最優秀監督がこう語るのだから、それはそれで少々マジに分析してみる価値はあるだろう。ツキの違い、フムフム、なるほど、確かにマドリとバルサの間には、いくつかのツキの違いがあるじゃないか。
一発目、こんなツキがあるぞ!
バルサには世界最高選手のメッシーという怪物がいる。試合を決めるゴールをぶちかますだけではなく、他の選手がゴールを決められるような華麗なパスを出すメッシーという選手がいる。この試合ではゴールを決めることはなかったものの、ペップチームの一員として文字通り素晴らしい活躍を見せてくれた。だが一方、ツキのないモウマドリには“俺が!俺が!俺がゴールを決めるんだぜ!”選手Cロナルドのでき次第で試合の行方が決められてしまう。このクラシコの試合、俺が、俺がという自己プレッシャーに負けてしまうCロナルド。いや、このデランテロの差だけではない。ツキのあるバルサは世界最優秀のセントロカンピスタを有しているじゃないか。ブスケ、チャビ、イニエスタ、セスク、そしてティアゴ。残念ながらツキのないモウマドリには、我々のような素晴らしい視野とテクニックを持つセントロカンピスタは見あたらない。頭をちょん切られたニワトリのようにわけもなく走り回るラスや、相手選手吹っ飛ばし専門業のケディラなどは、我がバルサの選手とは比較の対象ともならない。しかも我々セントロカンピスタの後ろにはピケとプジョー、あるいはカピタン・マスチェラーノというずば抜けたデフェンサがいるのだぞ。
二発目、こんなツキもあったぞ!
セスクとアレクシスという、今シーズンたった2人だけの新加入選手ながら、その彼らがすでにチームにとけ込んで見事に大活躍している。この試合ではその2人がゴールを決めてしまうというとんでもないツキがあった。ところがどっこい、カジェホン、アルティントップ、バラーネ、サヒン、コエントラオという大補強作戦をとったはずのモウマドリだが、この試合に出てきたのはコエントラオだけで、しかも3千万ユーロ+ガライ選手という値段にはほど遠い活躍しかしていない。もっとも、この試合に限ったことではなく、このクラック移籍値段の選手以外は、ほとんど試合出場していないというツキのなさも認めなければならないだろう。
三発目、さらにこんなツキもあるぞ!
自家製造カンテラ組織がうまくいっているツキのあるバルサは、このクラシコという大事な試合に、なんと8人ものカンテラ選手がスタメン出場している。途中からでてきたペドロも含めると90分間で9人ものカンテラ選手が登場している。悲しいかな、カンテラ作戦にツキのないマドリは、例年のごとく一昔前にデビューをかざったカシージャスのみだ。もっとも、運がなかったと試合後に語るこの監督にとってはカンテラなんかたいして意味のない存在でもあるのだろう。このクラシコの試合まで多くのマドリカンテラが一部デビューをかざっているが、彼らのすべての選手の合計出場時間がバルサ選手クエンカ1人のそれより少ないのだから。
四発目、そして、何と言ってもこのツキだ!
世界最優秀監督よりも更に優れた監督がバルサにはいるじゃないか。その名はペップ・グアルディオーラ。相手のチームを試合前にしっかりと研究するだけじゃなく、試合展開の分析も的確に素早くおこなっちゃう素晴らしい監督だ。思わぬ失点を喰らってすぐにシステムを変更する勇気を持った監督でもある。1回だけのシステム変更ではなく、展開次第でそのたびに変えていくアイデアも持っている。こんな監督を持つバルサには、とんでもないツキがあるとしか言いようがない。それに比べ、世界最優秀監督の称号を持つモウリーニョが、いかに同じポルトガル出身の選手とはいえ、右ラテラルという慣れない位置にコエントラオをプレーさせるという、バルサ側のツキも加えておこう。しかも、逆転されてからこの監督がおこなったことは攻撃的なシステムに変えることではなく、選手をただ単に交代することしかなかった。そして試合後の総括は「ツキのなさ」ときている。ああ、悲しいかな、マドリには確かにツキがなかったのでありました。
あと6時間
泣いても笑っても、シエスタをしてもシエスタをしなくても、今から6時間後にはクラシコの試合の笛が吹かれる。前日の練習が終わったマドリ選手は、その夜からホテルに缶詰状態となって今日の試合に備えているが、バルサの選手たちは練習終了後には自宅に帰り普段通りの生活をし、試合当日、つまり今日の午前中にカンプノウに集合し、その後マドリッドへと向かう。この1週間の練習スケジュールの違いといい、ここらへんがそれぞれ監督のキャラクターが見られて面白いところだ。
さて、ペップバルサ御一行は試合当日午前11時のシャトル便でマドリッドへと向かったが、その中にティト・ビラノバの姿はない。だが、それでもベルナベウに馳せ参じないということではなく、彼だけは新幹線に乗ってマドリッドに向かっている。手術してからまだ時間がそれほど経過していないこともあり、ドクターたちのすすめにより、飛行機ではなく鉄道での旅となったようだ。いずれにしても、ベルナベウのベンチにペップの隣に座るティトの姿が見られることになるだろう。ひょっとしたら、モウリーニョの秘技から逃れるためにガードマン役となったストイチコフの姿も見られるかも知れない。
さて、いつものように勝手にスタメン予想をしてみよう。
スエルテ!バルサ!
バモス!
マドリ選手をよく知らないバルセロニスタにおくる選手紹介
カシージャス
バルデスには及ばないものの、このポジションでは2番目に優れたポルテロ。どこのクラスにも必ず1人はいる、外面が良くて生徒に人気がありながら陰に隠れて告げ口をするタイプの好青年。この試合でもブツブツと独り言を言う得意のシーンが見られるだろう。
ラス
例えテクニックなどなかろうと、例えフットボールセンスなどなかろうと、90分間走り続けるフィジカルさえあればナントカなるだろうということを証明してくれている貴重な選手。エリート選手とはいえ、彼らもまたすべてのことで恵まれているわけではないのだな。
ラモス
かつてロナルディーニョやアンリに左サイドからケチョンケチョンにされたことがいまだに忘れられず、セントラルのポジションへと移動。真ん中にいれば左右の助けがあるから大丈夫。ところが、裏を抜かれてしまうところは同じということに気がつかなかった。
脱獄囚
名をぺぺと変えポルトガル当局の目から逃れようとしていたが、ヘタフェ相手の試合中に刑事事件となってもおかしくないハレンチプレーをしたことで、包囲網が狭まってきている。シャバでの最後の試合となるかも。
マルセロ
スピードもあるしテクニック的にも優れているし、ダイナミックなプレーを特徴とするが、いかんせんオツム回転の速さがチグリンの足より遅い。つまり幼児並みの回転と言える。ペドロとは親友の仲だが、残念ながら今回は彼の仕事を助けられない。
ケディラ
ゲルマン民族としてのフィジカルの強さを武器とするだけに、バルサカンテララテン系選手など軽く吹っ飛ばしてしまう。ただ問題は、吹っ飛ばしたのは良いが、その後ボールをどうすればいいのかわからないのが、数少ない弱点と言える。
アロンソ
父親がバルサ選手だったことから、子供の頃はカンプノウ観客席常連組だったが、今では仕方なくベルナベウでプレーしている。平気な顔して非常識な蹴りを入れてくるが、それほど悪気はないようだ。
コエントラオ
3000万ユーロ+ガライという、超クラック選手に相応しい移籍料をベンフィカに支払って獲得しているが、彼の代理人であるメンデスにどのくらいのコミッションが入ったのかという話題だけが盛り上がった。この試合、メンデス関係選手5人が出場する可能性。
ディ・マリア
別名ディ・ピスシネロとも言う。いや、実はこっちの方が本名ではないかと疑う人々もいるようだ。相手選手とすれ違う時の空気を少しでも感じたらバタッと倒れてしまう癖がある。まるで我が家のネコのようだ。
ベンセマ
リーガの試合相手がラーシングだとかラージョだとかマジョルカあたりのみであったなら、間違いなくバロン・デ・オロ候補の1人となるであろう弱小チーム相手クラック。大勝負となると消えてしまうのが最大の特徴。
Cロナルド
自らを“色男・金持ち・クラック選手”と称するだけに、ちょいとエグイ彼女を持ち、各国に豪邸を有し、おまけにフットボールまでしている。ただこのコメディアンにも同情すべき悲劇がある。それはメッシーと同じ時期に生きていること。ご愁傷様です。
試合前日記者会見
チャンピオンズグループ戦の最後の試合となったアヤックス・マドリ戦で、1人のマドリカンテラ選手がデビューをかざっている。ペドロ・メンデスというポルトガル人選手で、昨年の夏にマドリ下部組織にやってきているから、正確にはカンテラ育ちとは呼べない。だが、それはいい。中央メディアも触れるこの選手のデビュー疑惑問題は、チョイと違うところにある。この選手はマドリ二部チームではほとんどが控えとなっている選手で、試合にはほんのわずかしか出場したことがないらしい。そして彼の代理人はかの有名なやり手ホルヘ・メンデス。Cロナルドをはじめ、ぺぺ、カルバーリョ、ディ・マリア、マルセロ、コエントラオ、そしてモウリーニョという、そろって一癖も二癖もあるような人物の代理人を務める。モウリーニョが監督となってから、マドリをエサにして肥えてきた代理人と陰口を叩かれてもおかしくない人物だ。ここらへんから胡散臭い話となる。なにゆえペドロ・メンデスより素晴らしい選手がカンテラチームにいるのに、彼だけがデビューをかざることができたのか。それは、来年の夏には他のクラブに放出される可能性が大と言われている選手だけに、代理人メンデスが受け取るコミッション料を少しでも多くするための策略ではないのか、という疑惑らしい。この前日にはチャンピオンズの試合で大量のバルサカンテラ選手が出場し、トップチームと同じようなプレーをして話題となったが、同じカンテラの話題でもこうも違うものか、と思ってしまう疑惑問題。その疑惑問題にかんする質問から逃れるために、というわけではないだろうが、このクラシコ前日の記者会見にモウリーニョは出席していない。彼の代わりに顔を出してきたのはモウ小番頭アイトール・カランカ。非常に長い歴史を持つクラシコ戦だが、試合前日の記者会見に監督自ら出席しないというのはあり得ないことだった。だが、昨シーズンのクラシコ週間で、このモウリーニョが初めてその伝統を破る怪挙を演じている。そして今回が二度目だ。だが、前回と同じように、この小番頭の語ることは面白くも何ともない。モウリーニョからの指示はいっさい受けてないと語るものの、予想された質問に対する答えを暗記しているかのように、内容のないことをペラペラと口から出しているだけ。あのどこまでも不愉快そうな顔をしたモウの記者会見を見るのも嫌なものだが、魅力の欠片もないこのキャラクターゼロ小番頭は話にもなりません。
クラシコ前日の練習時間はモウマドリが午前11時から開始、ペップバルサの方と言えば午後の18時からとなっている。前日の木曜日は完全休養日だったから、かなりのフリーな時間が選手に与えられている。そして、練習終了後の記者会見場に、モウと違って一度たりともズル休みなどしたことがないペップが登場。多くのカメラマンがフラッシュをたく中、最初の質問がおこなわれた。
どのような試合展開となると予想しているか?
彼らは彼らなりの方法で勝利するために戦ってくるだろうし、我々は我々の最善と思う方法で勝つために戦う。試合開始と共に大いなるプレッシャーをかけてくることが予想されるが、あらゆる状況に備えていかなければならないだろう。彼らに勝利するためには多くのことに注意しておかないとならない。効率的な攻撃が必要だろうし、ミスのないデフェンサシステムも必要だろう。彼らの多くの選手はスピードあふれるプレーをしてきているから、それに対応できるようなインテリジェンスも必要だ。もっとも、クラシコとはいえ選手たちには特別なことは要求しないつもりだ。いつもの試合のように想像力豊かにプレーし、状況判断を常に怠らないプレーをしてくれれば、おのずと結果はついてくるだろうと信じている。
先シーズンから数えると8回目のクラシコとなるが・・・。
そう、去年カンプノウで1回、今年に入ってすでに合計6回のクラシコを戦っている。それでも、それぞれのクラシコにかんして新鮮な映像が脳裏に残っている。今年の夏におこなわれたクラシコでは、彼らが我々よりフィジカル的にだいぶ優っていたという印象も忘れられない。その時の状況と今回のクラシコは無関係であるとはいうものの、マドリという強敵を相手にすることには変わりがないわけで、非常に厳しい戦いになることは間違いない。我々がどれほど完璧に近い試合展開ができるか、それが勝利できるかどうかの重要なキーポイントとなるだろう。
3人デフェンサで戦うのか、あるいは4人を起用するのか?
3人にするか4人にするかということはそれほど重要なことではないと思っている。良い試合展開を可能とするのは、それぞれのラインでいかにバランスのとれた戦いができるかどうかにかかっている。そのバランスを保つのは、1人1人の選手の創造性が重要な要素ともなる。いつものように、決してビビることなく大胆なプレーを選手たちに望んでいる。
今のレアル・マドリは昨シーズンより強敵となっていると思うか?
同じ監督のもとでほぼ同じ選手がプレーしているのだから、昨シーズンより理解度は深まっていることは間違いないだろう。素晴らしいポルテロがいて、固いデフェンサシステムを持ち、セントロカンピスタやデランテロは各国の代表選手で構成されているチームだ。つまるところマドリは我々にとって常に強敵であり、その意味では昨シーズンも今シーズンも変わりがない。我々はその強敵の地元で戦うことになるが、試合が始まって90分後にはどちらのチームが優っていたか、その結果がでるだろう。
6ポイント差(3ポイント差だい!)でベルナベウでのクラシコとなるが・・・
ポイント的に下にいるチームは、常に必要性という意味で言えば、上にいるチームより勝利することが義務づけられることになるのはしかたがない。だが、季節はまだ12月だ。勝とうが負けようがリーガを決めるのはまだまだ先の話となる。いずれにしても、我々が首位にいようと2位にいようと、戦いのフィロソフィーに変わりはない。ボールを可能な限り支配すること。ゴールチャンスを効率よくいかすこと。これまですべてのグラウンドでやってきたことと同じことを、我々はこれからも追求していくだろう。
試合前日
フト気がつけば、今年に入ってから7回目のクラシコ。12か月の間に7回っちゅうのは恐ろしくも多い数だ。思い起こせば、4月から5月にかけてリーガ・ベルナベウクラシコをスタートにコパ・フィナールクラシコ→チャンピオンズ・ベルナベウクラシコ→チャンピオンズ・カンプノウクラシコと続いたクラシコオンパレード週間。さらに今シーズンに入ってから、ベルナベウから始まりカンプノウで幕を閉じたコパエスパーニャ・クラシコシリーズ。さらにさらにしつっこくも明日戦われるリーガ・クラシコ。これで2011年7回目のクラシコ。まったくもって常識を越えた数のマドリ・バルサ、バルサ・マドリ戦。ちなみに、ここまでのチャンピオンズの結果を見ていると、なにやら来年に入ってからも再びクラシコ週間というのが訪れるような雰囲気だ。年に何回あろうと、それでも今世紀最大の催し物と明日のクラシコをとらえるメディア。いや、メディアだけではなくファンにしても同じだ。この今世紀最大の催し物を敵地に乗り込んで直に見ようとする勇気ある7932人のバルサソシオがいる。もっとも、カンプノウでのクラシコと同じように、ベルナベウでもそれほどの数の席を開放してはくれない。可能な限りマドリディスタで埋めようとするマドリは、バルサに対し701枚のチケットしか割り当てていない。このうちクラブスポンサーやペーニャに割り当てるチケットが出てくるので、ソシオに割り当てられるのはたったの477枚。そう、たったの477枚。いつものごとく抽選で幸運ソシをが選ばれることになったが、当選確率16分の1というプラチナチケットだ。
いつものことながら、モウマドリ圧倒的有利という大キャンペーンが中央メディアから吐き出され続けたこの1週間。まあ、それは理解できないことでもない。このクラシコ前までリーガ10連勝中、チャンピオンズの結果まで付け加えれば何と15連勝中という快進撃を続けているモウマドリだ。しかも、ペップバルサはついこの間ヘタフェに負けたばかりだ。ポイント的にも彼らが3ポイント(1試合少ないながら、彼らがセビージャに勝利するという保証もない)上をいっているし、これまで6回のクラシコで90分間の試合(コパ決勝戦では延長戦で勝利)ではまだ1勝もしていないモウマドリなれど、3か月前のコパエスパーニャ2試合での健闘ぶりが中央メディアは忘れられない。それまでは、地元の試合でありながらも固く固く守り続け、機を見ての得意のカウンターアタックを武器としてペップバルサを相手にしてきたのが、この2試合では大いなるプレッシャーを武器としてバルサ選手を窒息させるかのような試合展開ができたのが、彼らには忘れられない光景なのだ。だから、今シーズンはあらゆる意味で昨シーズンとは違うモウマドリととらえられている。少なくとも、我らがバルサと対戦する明日のクラシコまでは、という条件付きだが・・・。
明日のクラシコ、果たして両チームはどのような戦い方をしてくるのだろうか。ということには、個人的にはあまり興味がない。ペップバルサは3人ディフェンスか、あるいは4人ディフェンスでくるのか、はたまたアレクシスがでるのかビージャなのか、あるいはペドロがでるのか、それもどうでもいい。ディフェンスの数がどうであれ、デランテロが誰であれ、ペップバルサの戦いのフィロソフィーに変わりはないし、いつものようにボール支配を心がけて攻撃的な戦い方をしてくるのも間違いない。バルサ戦となるとカメレオンマドリとなり、明日の試合ではいったいどのような色で登場してくるのかわからないが、負けなければ良しとするであろうモウマドリは、これまでのクラシコの戦いと同じように引きこもり作戦にでることもじゅうぶん考えられる。地元ベルナベウでの試合でありながらその仮面を投げ捨て、かつてのようにボールはあげますからご自由にお使い下さいませ作戦にでる可能性はじゅうぶんある。あるいは、まともに対戦しても勝てますよとばかり、正面切っての戦い方をしてくるかも知れない。カウンターアタックだけが武器ではなく、ボール支配を試みての試合もちゃんとできるのだよと戦ってくるかも知れない。だが、そんなこともクラシコの試合にかんしては本当はどうでもいい。試合展開がどうであれ、試合内容がどうであれ、クラシコはパッションそのものなのだ。ワクワクと胸が弾むと共にどうしようもなく血が騒ぎ、やたらと息がつまる緊迫した空気に囲まれ興奮状態となり、ハラハラドキドキと我を忘れるのがクラシコの戦い。こましゃくれた戦術論など、フットボールをネタにメシを喰っている人たちに任せよう。
レアル・マドリという伝統あるチームと、バルサという現在世界最優秀チームの戦い。その戦いまで残るは32時間。ああ、たまりません。
メディア
一般紙を含めスペインメディアの中で最多の発行部数を誇るという、とある中央メディアオフィスの床の間に、まるで宝物のようにかざってあるらしい“栄光のモウリーニョ監督史”によれば、これまでの12年間の監督経験において、3ポイント以上の差をつけて首位にたったリーグ戦では一度たりとも優勝を逃したことがないという。彼のプロとしての初の監督経験は2000−01シーズン、9試合だけながらポルトガルのベンフィカから始まる。そして、監督プロ生活3年目となる2002−03シーズン、オポルトを監督としてポルトガルリーグの優勝チームに導いている。それ以来、チェルシーやインテルでリーグ優勝をかざり、監督としては6回のリーグ優勝経験を持つらしい。つまりその6回のリーグ優勝において、シーズン途中の3ポイント以上の差を逆転された経験がないというわけだ。11月の初め、水球の試合のように戦われたビルバオ戦でバルサは引き分け、首位マドリとの差が3ポイント差となった翌日の中央メディアが、ここぞとばかり嬉しそうにこの統計を発表している。
もっともこの中央メディアから発生するニュースには、かつて次のような素晴らしい比較記事があったのも記憶に新しい。
ロビーニョ=ペレの再来
エスナイデル=ディ・ステファノの再来
フンテラー=バン・バステンの再来
ロベン=メッシーを越えるクラック
ラス=世界最優秀セントロカンピスタ
Cロナルド=エアージョーダンの再来
これらはイノセンテ記事のような冗談世界のものではなく、多くのマドリディスタにマジに受け入れられたマジなニュースだった。
そして同じ街にあるライバル紙の編集長ビジャラットおじさんもまた、同じような時期に次のような社説を垂れ流している。
ここ何週間のモウリーニョの言動や行動を見る限り、彼はすでに昨シーズンのような彼ではなく、まるで別人のようになっているという印象を受けている。それは、この何週間かの彼の行いを見れば誰でも理解できることだろう。スキャンダルとなるような問題はいっさいおこしていないし、ジェントルマンクラブであるレアル・マドリの監督として相応しい節度ある言動や行動が見られるからだ。個人的には、バルサ相手のスーペルコパでの反省からきているのではないだろうかと思う。ティトへの暴力的な行為は、彼としても行き過ぎであったという、そういう自己批判から、今日のモウリーニョの本来の姿が見られるようになったに違いない。去年の今ごろ、ヒホン監督のプレシアードと揉めたモウリーニョとは、あるいはムルシア戦で退場となった彼とは、まったく違うモウリーニョの姿が我々の前にある。
これらの素晴らしいニュースが流れてから2週間後の11月末、フエラの試合としてはこれまでの相手に比べると最も強敵といっていいバレンシアと戦うモウマドリ。シーズン開始以来、サラゴサをはじめ、レバンテ、ラーシング、お得意さんエスパニョール、マラガ、そしてソシエダなどを相手にしてきたモウマドリだから、バレンシアへ行っての試合は最も難しいものだったと言える。ロスタイムでポルテロのイグアインが倒れながらも右手でシュートを防ぐというファインプレーがあり、最終的に2−3というスコアでモウマドリは勝利するが、これまでにないピリピリとした緊張感あふれる90分間の試合だった。そしてこの試合から数日後にカタルーニャの首都にある、とある一般紙のスポーツ欄に次のようなコメントが掲載されている。
メスタージャでのバレンシア戦を見るだけで、モウリーニョはなんにも以前と変わっていないことが証明されている。ビジャラットおじさん、あなたもこの試合を見ていたに違いない。バレンシア選手ジョルディ・アルバに対して、試合中5回も6回も“パジャッソ!(ピエロ)”と暴言を吐き続けただけではなく、マドリ不利の笛が吹かれるたびに、ライン際まで近づいて猛烈な抗議をし続けたり、あげくの果てに、ベンチに座り続ける控え選手たちに対し、自分と同じような行動にでろと指示までしている。ビジャラットおじさん、Cロナルドのゴール直後のモウリーニョの行動を見ただろうか。カジェホン選手の背中に飛び乗り、まるで自分がゴールを決めたかのようなパフォーマンスをし、メスタージャ観客席の人々を挑発している。これが、かつてのモウリーニョであり、同時に今のモウリーニョではないか。行動がこうであるなら、試合後の言動もいつものモウリーニョだ。
「バレンシアニスタは誇りに思っていいだろう。私があのようなパフォーマンスにでたのは、バレンシアという超強敵相手の試合だったからだ。とてつもなく難しい試合だったからだ。したがって、あのような興奮した私が見られたことは、バレンシアの選手にしてもファンの人々にしても、大いに誇りに思うべきことなのである。」
この理屈が通るならば、モウリーニョもマドリ選手も、マドリディスタも、中央メディアも、クラシコ5−0の試合でのピケの“マニータパフォーマンス”を批判することはできない。マドリという強敵が相手の試合だったこそ、あのようなパフォーマンスが生まれたのだから。
スペインでは大事な試合になるに従い、90分だけの試合時間とはならない。試合の数日前からメディア間での応酬が始まり、試合が終わってからも何日にもわたって余韻が楽しまれる。日々の行動や言動そのものがフットボールニュースとなるので、スポーツ日刊紙は売れても、スポーツ週刊紙や月刊誌は売れない。売れるものがあるとすれば、選手の自叙伝とか写真集ぐらいなものとなる。そして、その日刊紙に新鮮な素材をいつも提供し続けてくれるモウリーニョは、とてつもなくメディアクラックだ。メディアにとっては、まるで宝物のような素材だ。だからスペシャルワン。ペップが非常に短い監督経験で盛りだくさんのタイトルを獲得しても、スキャンダルな発言も行動もないから、彼はスペシャルワンとはならない。だが、それで良いのだ。
いまから10年後、あるいは20年後、世界中のフットボールファンの人々が、フットボール史においてもっともスペクタクルな試合展開を見せてくれたペップバルサを懐かしがるだろう。ペップがいかに素晴らしい監督だったかということを回顧するだろう。自分の子供たちに、お父さんはこのペップバルサの時代を生きてきたのだよ、と自慢げに語るだろう。そしてスペシャルワンと呼ばれていた監督のことも時たま思い出すかも知れない。どんなフットボールをしていたのかまでは覚えていないだろうが、傲慢で高圧的でおごり高ぶりあくまでも自己中心的な態度をとり続けた、あ、そうそう、同じようにタイトルもとり続けていた監督として、時として思い出す存在となるかも知れない。
アレックス・グリマルド
本名はアレハンドロ・グリマルド・ガルシア、これでは長すぎるからしてアレックス・グリマルド、さらに呼びやすくするために単にグリマルド、そう、親しみやすいこの呼び方がいい。グリマルドは1995年9月20日バレンシア生まれの少年で、バルサには2008年の夏インファンティルAチーム(ラポルタの右手が肩に置かれている、やたらと座高が高く見える少年がグリマルド)に入団してきている。スピードを武器とする左エストレーモ選手だったが、カデッテカテゴリーに入るとテクニシャンな左インテリオール選手に変貌、そして翌年にはフベニルBチームにひとっ飛びし、ポジションも左ラテラルとなっている変わり身の速い選手だ。フベニルBの監督を務めていたのは、かつてのバルサ選手セルジ・バルジュアン。彼もまたインフェリオールカテゴリーでは左エストレーモから左インテリオールへ、そして最終的には左ラテラル選手として成功した経歴を持つ。カデッテチームでプレーしていたグリマルドにかつての自分を見たのかどうか、カデッテカテゴリーを早めに卒業させ、己のチームに昇進させてしまった。ポジションはもちろん左ラテラル。ほぼひとシーズンを通じてフベニルBの絶対スタメン選手となるグリマルドだが、シーズン終わり頃には更に階段を上って、オスカー監督のフベニルAチームでプレーしている。そしてその翌シーズン、つまり今シーズンだが、フベニルAでの絶対スタメン左ラテラル選手として活躍するに至っている。
そのグリマルドが、そう、まだ15歳のグリマルドが、公式試合ではないものの、すでにペップバルサの選手としてエスパニョールを相手にしてのコパカタルーニャ決勝戦に出場している。そしてバルサBの選手としてスタメン出場してきたのが第3節のカルタヘナ戦。ムニエサは負傷中、プラーナスはアンダー21代表に招集されていた事情があってのグリマルド出場となったわけだが、それにしても15歳の選手とは思えない落ち着きのあるプレーをこの試合で見せている。バルサでは、セルジ以来なかなか出てこない左ラテラル選手だが、年上の選手に混じりながらも決してビビることなく、物怖じしないところが大物風だ。今のところ非常に小さい。まだ170センチもないのではないかと思う。確かに小さい選手ではあるがとても気になる選手でもある。それは多分、かつてバルサのユニフォームを着て活躍を見せていた、やはり背の低かったジョルディ・アルバと感じがダブルからだと思う。
この年代でフィジカル面のことを問題にすることは時として誤りを犯すことになる。例えば、オリオル・ロメウはエスパニョール選手時代に背が低すぎるということで計算外選手となりバルサにやって来たが、入団以来急激な成長を見せていたし、今では天下のチェルシーの選手だ。エスパニョールと同じ誤りを、やはりバルサもまた犯してしまっている。現在のグリマルドとほぼ同じ年代だったジョルディ・アルバという少年を、フィジカル的な成長が見られないとして放出したのは今から5、6年前のことだ。確かに小さい選手だったが、他のクラブを渡り歩くなかでそれなりの成長を見せ、今ではスペイン代表選手にまでなっている。
そのジョルディ・アルバは2004−05シーズンでのカデッテBチーム(これまたラポルタの前に座っている)を最後にバルサから離れている。このチームではボージャンやヤゴ、あるいはメリダという選手たちと一緒にプレーしているが、その前のシーズンも同じカテゴリーでプレーしており、数少ないカテゴリー“居残り組”となってしまった。1歳年下のカテゴリーでプレーするジョルディ・アルバだが、それでも誰よりも背の低い選手だった。そしてこのシーズンが終了するとともに、計算外選手として放出される運命となる。当時のジョルディ・アルバの試合を何試合かこの目で見ているが、プレー場所は左インテリオール、あるいは左エストレーモ。スピードとテクニック、そして視野の広さが売り物の少年で、外野席からでもかなり目立つ選手だった。ただ、本当に小さかった。小さいだけではなく、相手選手とすれ違った際におこる空気の動きだけで吹っ飛んでしまうような感じの細さだった。
その後、吹っ飛びながらもコルネヤのチームでプレーし、そしてバレンシアに移籍。それ以降の活躍は多くの人が知るところとなる。彼もまた左エストレーモから左インテリオール、そして左ラテラル選手となった経歴を持つし、身長もいまだに170センチあるかないかだろう。だが、小さいからといってバカにしてはいけない。かつての誤りの総括を正しくおこなったのかどうか、やはりとてつもなく小さいグリマルドがバルサフベニルチームで活躍しているのは嬉しいことだ。ひょっとしたら今から2、3年後、トップチーム平均身長をさらに下げてくれる選手がカンプノウに登場してくるかも知れない。
メッシー本
一昔前であるならば、1年に一冊程度出版されればみっけものだったバルサ本だが、時代は変わった。というのはここ最近、本屋をのぞくとかなりの数のバルサ本が店頭に並んでいる。ピケやボージャンやイニエスタなどの自叙伝もどきのものであったり、クライフからペップまでの歴史を分析したものであったり、あるいはバルセロニスタとはなんぞや類のものまである。その中に、すでに何冊か出版されているであろうメッシーに関する本も店頭に並んでいた。タイトルは“メッシー”とそっけないものだが、アルゼンチンジャーナリストのレオナルド・ファチオという人が書いた本らしい。その彼がその本の内容に関してある日刊紙に長いコメントを書いているので、それをかいつまんで紹介しよう。南アフリカムンディアル。この大会にアルゼンチン代表の1人として出場するレオ・メッシーのガードマン兼世話役係を務めたのはベロンだった。35歳のベテラン選手だった彼が、代表チームの主役として活躍することが義務づけられていた、この若きクラックの保護者まがいの役目を買って出た。そのベロンが語る。
「これだけの大きな期待が自らの背にかかっているというのに、彼はまったくもって落ち着いたものだった。アルゼンチンメディアが大騒ぎして1人の選手に注目し、批判と期待の入り交じったコラムが紙面を埋め尽くし、テレビやラジオ関係者が彼に大きく焦点を当てているにもかかわらず、外から眺める彼はまったくもって普段の状態だったと言っていい。8時間も9時間も寝たというのに、1時間以上のシエスタまでを彼だけがやっていた。ある日、室外の騒音にビックリして目覚めたことがあるが、ヤツはビクともしないで寝込んでいるんだ。まったく何事もなかったかのように寝続けている。ヤツは普通じゃないと思ったよ。」
フットボール界で活躍する超エリート選手は、大事な試合前日となると大体4時間か5時間の睡眠時間しかとれない、と統計にでているらしい。普通の生活をしている人は8時間睡眠というのが普通でだが、試合とは関係のない通常の日であるならば、彼らは9時間の睡眠をとるというのも統計に出ているらしい。ちなみに、バルサインフェリオールカテゴリーのドクターが持つ各選手にかんするメモの中には次のようなものがある。
“2003年の夏、メッシー16歳の時の体重は62.7キロ。毎晩10時間の睡眠をとり、シエスタを1時間とっていた。”
彼の睡眠時間が多いのは今に始まったことではないようだ。
さらにベロンが語る。
「ムンディアルというドデカイ舞台で主役扱いされたことがない自分には、それがどんなものかは理解できないことだが、これだけ外野席が騒いでいるというのに、ヤツはいつも落ち着き払っていた。たぶん、バルサというビッグクラブでも同じような感じなのだろう。ロッカールームでは端っこにチョコンと座り、周りの選手たちが足にテープを巻いたり準備運動しているというのに、彼はじっと座ったままというのが多かった。大事な試合がすぐ目の前にきているというのに、まるでどこかの村の広場でやる子供たちの試合に出場する前のような感じといえばいいのか。自分の今までの常識ではちょっと計れないのがメッシーという、選手としても人間的にも素晴らしい若者だった。」
メッシーにとって23歳の誕生日が控えている何日か前、アルゼンチン代表はギリシャとの戦いを控えていた。彼はこれまでゴールこそ決めていないものの、代表の顔としてチームを引っ張る役割を立派に果たしていたと言える。そんな彼に、マラドーナ監督がカピタンマークを付けるように命じている。
「ギリシャ戦前の2、3日、初めてメッシーが神経質になっているのを見た。今までの彼とは違い、何か落ち着かないようだった。それが一時的なことじゃないと気がついたとき、メッシーにどうしたんだと問いかけたんだ。そして何ていったと思う?彼は俺にこう語ったんだ。
『試合前にいったいどんなメッセージをだせばいいのか、この2日間そればかり考えていたんだ。』
彼はカピタンとしての責任の重要性にビビッていたわけではなく、試合前のロッカールームで、選手たちにカピタンとして何を言わなければいけないのか、その答えがでなくて神経質になっていたんだ。
『素直に感じていることをそのまま言えば良いんだよ。難しく考えることはないさ。』
困ったような顔をしている彼に俺はこう言ってやった。」
まだ23歳にもならない若者だ。しかも周りにいるのはこの世界ではベテランの域に入ろうとしている選手ばかりだ。果たして、初のカピタンマークを付けることになったギリシャ戦直前のロッカールームで彼は何を語ったのだろうか。それをベロンが明らかにする。
「何かしゃべろうとしていたが、聞いている我々には何を言っているのかまったく理解できなかった。言葉が言葉にならず何かしゃべり始めるとすぐに途切れてしまう。だが、最後に語ったセリフはすべての選手が理解できたさ。最後に彼は、自分はいまとても神経質になっている、そう言ってメッセージは終わったんだ。そして我々は、さぁーいくぞ!といってロッカールームを後にしたんだ。」
ムンディアリート
ペップバルサ年内の最大の目標、それはムンディアリートを制覇すること。スーペルコパエスパーニャでもなく、スーペルコパヨーロッパでもなく、そしてこのクラシコの戦いでもなく、最大にして最も重要なことは、このムンディアリートを制覇することだ。
毎シーズンの目標は、もちろんリーガとチャンピオンズの制覇。この二つのタイトルはどんなシーズンであれ最優先事項となる。そして、もしムンディアリート制覇に挑戦するチャンスがあるシーズンとなれば、このタイトルは3番目の目標となる。国王杯やスーペルがつくカップ戦以上にこのタイトルは重要なものだ。何と言っても、いちおう世界一を争う戦いであるし、毎シーズン参加できるものでもないし、世界中メディアの注目度もとてつもなく高い。かつて、勝てばクラブ単位世界一なれど負ければトヨタカップ敗退と、少々おちょくってきたタイトルながら、この戦いに対するバルセロニスタの評価は最近変わってきている。非常にマジなタイトルであるという認識に変わりつつある。まあ、どんなことでも時代と共に変化はあるものだ。闘牛の国として有名なスペインであるにもかかわらず、バルセロナでは来年から闘牛はおこなわれないし、永遠の工事現場と思われたサグラダファミリアにしても、今から17年後の2028年に完成と公式発表されている。そう、時代は変化していく。いつまでたっても変わらないのは、モウリーニョのイメージぐらいなものだ。
クラブがマジにこの大会をとらえているのに比べ、スペインフットボール協会の年寄り連中は相変わらずトロトロとしていて、いっさいの便宜を計ってくれない。8時間もの時差があるというのに、時間的余裕をもって現場に到着することができず、試合日まで4日あるかないかという時期に日本に到着し、時差ボケと戦いながらの試合となる。しかも今回はクラシコという激しい試合を終えてからの大会参加だ。クラシコの試合が始まるのが土曜日22時。試合が終了するのが24時近く。そして01時40分発の成田行きの飛行機に乗り込まなければならない。彼らと同行するファンの人々は、搭乗手続きの問題で選手たちより早く飛行場へと向かわなけらばならず、この試合の前半しか観戦することができない。マドリッドバラッハス空港から成田空港まで13時間のフライト。現地に到着するのは日曜日の22時30分。横浜のホテルに到着するのが00時30分。彼らが睡眠に入るのはすでに月曜日ということになるが、その日の11時には最初の練習がおこなわれる。
南米から参加してくるクラブは、いつも準備万端という感じのスケジュールで大会会場に乗り込んでくる。今回もその例にもれず、サントス御一行はバルサより数日前にはすでに日本に到着し、時差との戦いを早めに終了することを可能としている。だが、こんなことは言い訳とならないのがペップバルサ。ほぼひとシーズンを通じて週2回の試合をこなすことが多いのだから、超エリートスポーツ選手である我らがバルサの選手たちは疲労を抱えての試合など日常茶飯事のことだ。
リーガの試合となるクラシコとはまったく無関係なムンディアリートだが、やはりクラシコに勝利して気分良く飛行機の乗り込みたいものだ。そして“ぺぺ”にも負けず“ラモス”にも負けず、強い子となって怪我をしないで成田空港到着できれば最高だ。
ムンディアリート招集選手
ビクトル・バルデス
ダニ・アルベス
ジェラール・ピケ
セスク・ファブレガス
カルラス・プジョー
チャビ・エルナンデス
ダビ・ビージャ
アンドレス・イニエスタ
アレクシス・サンチェス
レオ・メッシー
ティアゴ・アルカンタラ
マヌエル・ピント
ハビエル・マスチェラーノ
セイドゥ・ケイタ
セルヒオ・ブスケ
ペドロ・ロドリゲス
マクスエル・アンドラーデ
アドリアーノ・クラーロ
エリック・アビダル
アンドレウ・フォンタス
そしてバルサBから
オイエル・オラサバル
ジョナタン・ドス・サントス
イサック・クエンカ
合計23人。
スエルテ!バルサ!
異色カンテラ、イサック・クエンカ
1991年4月27日生まれのイサック・クエンカ少年は、11歳の時にバルサインフェリオールカテゴリーにやって来ている。アレビンA、インファンティルB、インファンティルAと1シーズンごとにカテゴリーを上げていくものの、困ったことにシーズンごとに出場試合数が減っていってしまった。例えば、3シーズン目にはインファンティルAチームに在籍しているが、このチームには91年世代の超優秀な選手が集まっていた。モントヤ、バルトラ、テロン、プラーナス、オリオル・ロメウ、リベロラ、テージョ、パチェッコ、ガイ・アスリン、ロチーナといった選手によって構成されているチームだ。特に、同じポジションとなったガイ・アスリンの活躍が彼の出番を非常に少ないものとしてしまった。ちなみに、チャンピオンズのバテ戦には、このクエンカに加え、モントヤ、バルトラ、リベロラが出場していたし、チェルシーではロメウもまたスタメン出場している。いかにバルサという憧れのクラブではあっても、プレーする時間が与えられないならいる意味はないという、いかにも単純にして明快な理由で彼はクラブを自ら離れている。生まれ故郷のレウスに戻り、地元のクラブでプレーする3年間。16才になったときには、このレウスというクラブのトップチームに入り、大人たちに混ざりプレーするところまで来た。そして、ダムというカタルーニャの名門クラブに移籍した後、再びバルサに戻ってきたのが2009年の夏だ。出戻り場所はガルシア・ピミエンタ監督が指揮をとるフベニルAチーム。それまでインテリオールというポジションでプレーすることが多かった彼を、ガルシア・ピミエンタ監督はエストレーモに配置し、ほぼシーズンを通してスタメン起用している。フベニルAチームにとって大成功となったこのシーズンが終了し、翌シーズンは当然のごとくバルサBチームの一員となるはずだった。だが、試合出場は1回もない。バルサB監督ルイス・エンリケが彼を計算外選手として宣告し、二部Bカテゴリーに在籍していたサバデルへとレンタルしてしまうからだ。
せっかく出戻りしてきたのに、しかも期待通りの活躍をしたにもかかわらず、再びバルサを離れる運命となったイサック・クエンカ。これじゃあ、あなた、もう二度と出戻りなどということはないと考えるのが普通。だが、彼の場合は普通じゃなかった。
サバデルの監督を務めていたのは、かつてペップとラ・マシアでの同窓生だったルイス・カレーラス、そしてコーチもまた元バルサ選手のルジェー・ガルシア。彼らはクエンカを左エストレーモ選手として起用し、彼もまたその期待に見事に応える活躍をみせる。シーズンが終了してみると、サバデルは二部Bカテゴリーから二部Aカテゴリーへと昇進することに成功。カレーラス監督はペップと親友の関係にあるというから、当然ながら彼らはクエンカのことで話し合っていただろう。翌シーズンは二部Aリーグで戦うことになるサバデルだから、カレーラスにとってもクエンカはどうしても必要な選手の1人となると考えていたのも想像できる。それでも、もしバルサからの誘いがあれば、クエンカの将来を考えて手放すのも致し方なし、となるのも予想できる。いずれにしても、クエンカは1シーズンだけサバデルでプレーし、再びバルサへの出戻りという快挙を演じてしまう。
ペップバルサのプレステージには参加しているものの、彼のプレー場所はバルサB。そのバルサBで、てっきりスタメンが用意されている彼だと思ったら、そういうわけではなかった。エウセビオ監督はほとんで彼を起用せず、このカテゴリーでは高額といっていい移籍料を支払って獲得したキコ・フェメニアとか、ロドリという選手を優先してプレーさせている。だが、そうこうしているうちにペップバルサの様子が変わってきた。アフェライが長期負傷したあと、アレクシスまで負傷し、アラアラと思ううちにペドロまで負傷に倒れてしまう。エストレーモ不足となったペップバルサ。そんな状況でペップ監督がバルサBから練習に呼び出した選手はキコでもロドリでも、そしてテージョでもなかった。出番がほとんどなかったクエンカを毎日の練習に参加させ始めたペップ監督。
ビクトリア相手のチャンピオンズの試合に途中出場したクエンカは、1週間後におこなわれたグラナダ戦ではいきなりのスタメン出場となった。そして次のマジョルカ戦も試合スタートからプレーし、トップチームでの初ゴールまで決めている。まったくもって、思わぬ選手がでてきたものだ。もちろん、アレクシスやペドロが本格的に戻ってきたら、彼の居場所は再びバルサBとなるのかも知れない。それでも、困ったときには彼を計算に入れられるという見通しがついたことには変わりがない。セスクやピケという例外があるものの、ペップバルサでプレーしているカンテラ出身選手は他のクラブにお世話になることなくミニエスタディからカンプノウという道のりを歩いてきているが、このクエンカのようにジグザグ路線をたどって来た選手も個性的というか、風来坊的というか、異色的というか、何か他のカンテラ選手と違っているところがいい。
これまでの彼を見る限り、とてつもなく学習能力の高そうな選手だし、試合ごとに成長し続けているように見える。いかにもバルサ顔しているところもよろしい。もし、いま彼に与えられているチャンスを大いに活かすことに成功すれば、異色カンテラ的存在からトップチームでの貴重な選手へと変貌していくかも知れない。
バルサB
ルーチョ監督が去り、今シーズンからエウセビオが監督に就任している。ところが、このエウセビオはバルセロニスタには人気のない監督でもある。コーチ業としてはライカーバルサ時代に見られたように、テンカテに比べるとキャラクター不足という感じがしていたし、セルタ時代の監督としても、やはり大いなるキャラクター不足という印象が残っている。強烈なキャラクターを発散してバルサBチームを指揮していたルーチョ監督とは雲泥の差であり、しかもなにか魅力に欠ける監督なのだ。なにゆえ若くて活きの良いオスカー・ガルシアやルイス・カレーラスあたりにしなかったのか、そこらへんが良く理解できない。そうとは言え、ここまでの成績だけを見れば予想以上によくやっているじゃないか、という感じがする。16試合戦って6勝6敗4分け22ポイント獲得。カテゴリー降格ラインまで8ポイントの余裕がある。ルーチョ監督以上に多くのハンディー状況を抱えて今日までやって来ているバルサBだから、この成績はそれなりに良しとしなければならない。
そう、バルサBの監督というのは他の二部リーグに所属するチームの監督に比べると、とてつもなく困難な状況を抱えることが多い。チーム内で将来が期待されるような選手は、ペップチームの練習や試合に招集されることが多いのに加え、大事な試合があるというのに、スペインアンダー代表に招集されてしまう選手も多く見られることになるからだ。最近のある試合などでは、クエンカとドス・サントスがペップチームに招集され不在となっただけではなく、モントヤ、バルトラ、ムニエッサ、プラーナス、セルジ・ロベルト、テージョなどというバルサBチームのスタメン選手までもが、スペインアンダー代表に持っていかれ、彼らなしでの試合を準備することを余儀なくされている。彼らの不在を埋めるためにフベニルAチームから選手を招集したりするわけだが、そうするとフベニルA監督のオスカーにしても大変といえば大変だ。プレステージにかんしても例年以上に大変だったことが予想できる。始まるのがいつもより遅かったペップバルサのプレステージに多くの選手を持っていかれ、長い期間、主要となる選手を欠いてのプレステージをおこなっている。さらに付け加えるなら、昨シーズンのルーチョバルサでの半分近くのゴールをたたき出したノリート(ベンフィカにタダで移籍)やソリアーノ(長期負傷)を欠いているチームを指揮しなければならない状況があった。
予想されたように、シーズン開始当初はチームそのものはうまく機能していない。バルサBチーム史上最高の成績を残した昨シーズンのルーチョバルサにしても、スタート直後は散々な成績だった。今シーズンのバルサBも同じような道を歩んでいるようで、試合を重ねるごとに少しずつ順位も上がってきている。ただ、ルーチョバルサとの違いは、試合内容が成績ほど良くなってないことだろう。リーグ戦三分の一を過ぎた今でも、リードしたときに更なるゴールを目指すというよりは、ひたすら守りに走ってしまうことがしばしば見られるし、試合途中での選手交代やシステムの変更で試合の流れを変えるというシーンにもお目にかかったことがない。いったい監督は何をしているのかと思ってしまうが、監督がエウセビオなのだからしかたがないということでかたづけよう。
ルーチョバルサに在籍していた9人の選手が今シーズン開始前にクラブを離れている。
アブラン・ミネロ(サラゴサに移籍)
エドゥ・オリオル(サラゴサ)
ベンジャ(ジローナ)
サウル・ベルホン(アルコルコン)
ノリート(ベンフィカ)
ビクトル・バスケス(ブルッハス)
オリオル・ロメウ(チェルシー)
ロチーナ(ブラックバーン)
ダルマウ(バレンシア)
この移籍選手リストの中に入るべきだったドス・サントスはロメウの移籍が決まった直後に、すでにほぼ合意に達していたサラゴサへの移籍を解約している。そして彼らとは別に、ティアゴとフォンタスがペップチームに合流したことにより、かなりの数の選手がバルサBチームを離れることになった。
そして外部からやって来たのは次の3人の選手。
キコ・フェメニア(エルクレス)
昨シーズンすでにエルクレストップチームデビューをかざっているデランテロを、200万ユーロという移籍料を払って獲得。シーズン開始直後には出番を与えられたものの、試合を重ねるごとに顔を見せることも少なくなった。
ロドリゴ・リオス“ロドリ”(セビージャ)
彼もまた150万ユーロという移籍料を支払って獲得したデランテロ。キコよりは出番が多いとは言え、ここまで絶対のスタメン選手とはなっていない。
クリスティアン・ロバト(オスピタレ)
タダで来た選手。左エストレーモ選手ながら、最近は左ラテラルとして起用されるようになった。それでもプラーナスの控えという印象だ。したがって、彼もまた絶対のスタメン選手ではない。
いつものことながら、外部からの加入選手が活躍しているという風景は見られない。だが、“内部”からやって来た選手たち、つまりフベニルAから上がってきた選手たちは、それなりの活躍を見せている。7人もの選手が下のカテゴリーから上がってきたのは珍しいことだが、その中でもラフィーニャやデウロフェウ、そしてエスピノッサには合格点があげられるだろう。バルサBを構成する25人の選手の平均年齢は20.3歳。二部Aカテゴリーのチームとしてはダントツの若さを誇るチームであり、試合によっては平均年齢20歳を下回ることもしばしば見られる。
バルサB監督の使命は二つある。ひとつは若手選手の成長を助け、可能な限りトップチームへの道が開けるようにすること。そして二つ目は、二部Aというカテゴリーを維持する成績を残すこと。今のところ二つ目の課題は、不思議なことにそれなりに合格、若く、しかも新しい選手によって構成されているチームであるうえに、トップチームとかアンダー代表に選手を持っていかれてしまうというハンディーを考えれば、合格点をあげないとならない。だが、一つ目の使命にかんしてはまったくもって未知の世界。セルジ・ロベルトやムニエサ、そしてドス・サントスなどが明らかに伸び悩み続けている感じだし、特にセルジ・ロベルトはここのところひどい状態だ。しかも、トップデビューする前のクエンカをベンチ生活させていたことも気に入らない。勝っても負けても同じように困った子ちゃん顔しているのも気になるが、やはり、彼にもルーチョ監督と同じように時間をあげないといけないだろう。フレブやチグリンにはあげられなかった時間を、仕方がないから彼にあげよう。今シーズン限りの辛抱だ。
カンテラ大集合チャンピオンズ
クラシコ前の最後の試合となるバテ戦。これが週中のリーガの試合だったり、チャンピオンズグループ1位をかけた戦いであるなら、これほどの手抜き招集選手とはならなかっただろう。いかにクラシコが4日後に控えているとは言え、ペップ監督はこれまで常に“一番大事なのは次の試合”としてきたからだ。だが、幸運なことにリーガの試合でもなく、グループ1位を争う試合でもなく、単なる金稼ぎの消化試合。トップチームから招集された選手はピント、ピケ、マクスエル、ティアゴ、フォンタス、ペドロの6人だけ。そしてバルサBからオイエル、モントヤ、バルトラ、ムニエッサ、セルジ・ゴメス、ラフィーニャ、ジョナタン、リベロラ、セルジ・ロベルト、デウロ、キコ、そしてクエンカの12人。ちなみに招集外となった13人のトップチームの選手たちは、クラシコを控えているにもかかわらず2日間の完全休養が与えられている。試合前日の月曜日、17時半近くに始まったバテチームのカピタンと監督の記者会見をバルサTVで拝見。最初にカピタンに対する質問を、ということで始まったが、質問するジャーナリストが1人もいない。あちらのお国からもジャーナリストが来ているであろうに、それはチョイと可哀想な風景だ。質問もないのにいてもしょうがないということで、カピタンはサッサとカンプノウグラウンドでの練習に集合している仲間のもとへと走っていく。そして次は監督に対する質問。ところが質問内容と言えばクラシコ関係のものばかり。そんなことは彼にとってどうでも良いことであるわけで、何ともはや、彼らはとんでもない時期にとんでもないところにやってきて、バルサの消化試合の相手をする羽目となりました。
18時半にペドロが記者会見場に登場。
「クエンカは与えられたチャンスを見事にいかしていると思う。あまり知らない選手だったので、個人的には彼のレベルの高さに驚いている。我々のチームに必要な本格的なエストレーモ選手だし、これからもトップチームでプレーしていければいい。アレクシスも負傷から戻ってきて期待通りの活躍を見せているし、彼らのプレーは自分にとっては非常に良い刺激となっている。もっとも、これまで常にライバル選手はいたし、それはチームにとってとても良いことだろう。彼らはライバルといっても同僚なのだし、お互いに励まし合ってチームを勝利に導くことが、我々すべての選手の最終的な目的。個人的にも負傷から帰ってきてから徐々に調子が戻ってきているし、今の自分には満足している。」
というような当たり障りのないことを語って終わり、次はペップ監督の登場だ。
チャンピオンズの試合とはいえ、バルサBの選手が主体となっているようだが?
バルサBの選手とはいえ、彼らは素晴らしい才能とやる気を持っている選手たち。その彼らがプレーするところを間近で見るチャンスが得られるということは、個人的にも嬉しいことだ。そしてもちろん監督としても、彼らの活躍が見られることは幸せなことだと思っている。例えバルサBの選手たちが主体となるといっても、試合に出場すれば立派なトップチームの選手たち。こういうチャンスをいかして、彼らの夢であろうトップチーム昇進の道が開かれればそれにこしたことはない。国王杯のルール(4人までしか下のカテゴリーの選手を起用できないルール)は見直す必要があると思う。
13人ものトップチームの選手は休養を与えられているのに、クラシコを前にしてなにゆえピケが招集されているのか。ピケとはなにか個人的な問題(注・ピケがわざと5枚目のカードをもらったことをペップが不満に思っているという、いつもの中央メディアの嫌らしい記事から来ている)があるのか?
できることならソリアーノも招集したかったが、チャンピオンズ出場登録人数制限が理由で彼を呼ぶことができなかった。そんなこともあって、レバンテ戦には休養しているピケを招集することにしただけだ。ピケ問題?何の問題を言っているのか理解できない。
なぜバルサの選手はロングシュートを打たないのか。特に試合状況が難しくなったヘタフェ戦などでは、その必要があったように思うが?
我々の選手たちは小さいのが多いから、遠くからだとゴールまでボールが届かないからさ(笑)。だから、常にゴールに近いところまで入り込んでシュートを打つことが多い。
ケイタがアフリカンカップに出場して不在中は、ジョナタンが彼の変わりを務めるのか?
まず最初にケイタと話し合わなければならない。いつから不在でいつ頃から戻ってこられるのか、それを確認してからの話だ。彼の不在中は、いずれにしてもバルサBからの選手に応援を頼むことになると思うが、幸いにも多くの候補選手がいる。例えば、セルジ・ロベルトとかね。
もしクラシコに負けるような事態となったら、サイクルの終焉という大惨事になると思うか?
そんなおおげさなことを言ってはいけない。いま最も重要なことは、ドイツとフランスの首脳陣が9日に集まってユーロの将来を救うことができるかどうか、そういうことだ。大惨事とか言う言葉はフットボールの試合には事故以外あり得ない。
ミラン・バルサ戦の試合内容をモウマドリが分析して、今回のクラシコに備えていると言われているが?
今日はバテ戦にかんする記者会見だ。マドリのことは明日以降に考えればいい。いずれにしてもミラン戦なんか分析しなくとも、彼らは我々の戦い方を知っているはずだ。ミラン戦だけではなく、我々の戦ってきた試合すべてをすでに見ているはずだからね。すでに我々には彼らに隠すような秘密はいっさいない。
3−4−3とか3−5−2か、あるいはオーソドックスな4−3−3というシステムで戦うだろうと各メディアが予想しているが。
最後の最後の瞬間までどのようなシステムで戦うかは決められない。我々の各選手がどのような状態にあるのか、モチベーションはどうなっているのか、詳細を決めるのはどのような試合であれ、最後の最後の瞬間だ。いずれにしてもティトと話し合って決めることだ。
こうして記者会見を終えたペップは、選手たちの集まるグラウンドへと走っていった。モントヤやムニエッサ、ラフィーニャ、リベロラ、デウロ、キコなどがすでに軽い運動をしているが、彼ら1人1人と握手しながら挨拶するペップ。テレビに映るその表情はいつもの彼よりリラックスしているというか、いかにも楽しそうに見える。かつてバンガールがカンテラ選手だけでチャンピオンズを戦ってみたいものだと語っていたが、バテ戦はそれに近いものになりそうだ。なんだか、こっちも楽しみになってきたぞ。
元バルサ会長処刑から75年
再びレバンテ戦。この試合が始まる前に、今から75年前にフランコ軍によって処刑された元バルサ会長スニョール氏への追悼セレモニーがおこなわれている。約10分弱という短いセレモニー中に、チキート百年史をスペイン語に翻訳したかのようなスピーチが流れていた。そこで、チョイとばかりスニョール氏に触れている百年史の一部分をコピーしてみよう。ジェセップ・スニョール・ガリーガ。砂糖の輸出入業を営む大富豪の父と、カタルーニャ愛国運動家の叔父をもつ一家に生まれ、市民戦争勃発後、ファシスト軍に暗殺されるFCバルセロナの会長となる人物でもある。
スニョールは1925年にバルサソシオとなっている。プリモ・デ・リベーラが軍事クーデターを起こしてから2年後、つまりアンチ・カタラニスタの激しいキャンペーンが起きていた時代である。27歳になっていたスニョールは、ソシオになることにより政治的自己表現をしたということであり、父の事業を継ぐよりは、叔父の持つ思想の方を選んだ。そして1930年、“ラ・ランブラ”という週刊誌の創設者となる。この“ラ・ランブラ”はスポーツ記事を一般のニュースとほぼ同等に扱い、サブタイトルとして、『スポーツと市民意識』と名付けた、当時としては初めての試みといっていいほどの新鮮なものであったという。事務所をランブラス通りの一角(現在のレストラン・ヌリア)に設置し、FCバルセロナがアウエーの試合の時は事務所前に大きな掲示板を掲げ、そこに集まった大勢の人々に刻々と試合の展開をアナウンスしていった。ちなみに現在バルサファンが優勝の度にランブラスに集合して喜びを分かち合う習慣は、ここから来ているという。
スニョールは創刊に関して次のように語っている。
「我々がスポーツと言うとき、それは民族、熱望、楽観主義、健康な戦いを意味する。そして市民意識と言うとき、解放されたカタルーニャ、自由主義、民主主義、寛容さ、そして熱狂的な魂を指す」
1935年、スニョールはクラブ会長に選ばれた。ガンペルが1925年に会長を辞任してから6代目の会長となる。会長就任挨拶で彼は次のような言葉を残している。
「政治的立場がはっきりしている人物、例えば私のようなものがFCバルセロナの会長に就任することは、クラブにとって非常にデリケートな事だということはわかっている。でもこれだけは約束しよう。私のおこなうことは、クラブの会長として、あくまでも純粋にクラブの現在と将来を考えたものであろう、ということだ。」
スニョールは、すでに政治家であった。カタルーニャの行政府ジェネラリタの大多数は共和主義左派政党(エスケラ党)によって占められていたが、スニョールはエスケラのリーダーであった。
1936年6月28日、FCバルセロナはラーシング・サンタンデールとの親善試合をラス・コーツスで行いシーズンを閉じる。翌日からは夏休みである。一方バルセロナの街は7月22日から26日までの人民オリンピックの準備に余念がなかった。この人民オリンピックは、その年ベルリンで行われるヒットラー総統のもとの世界オリンピックに対抗して催されるものであった。7月16日人民オリンピック組織委員会は全世界に向けて宣言する。
「バルセロナで開かれる人民オリンピックは、平和実現のために全世界の若者の団結を表明するものです。」
左翼勢力の台頭に危機感を抱いていた右翼的な将校達によって作られたスペイン軍人同盟は、密かにクーデター計画を練っていた。この計画には王制派、伝統主義派などが直接関与し、ムッソリーニの援助も受けていた。左右両陣営の闘争により混沌とした状況の中、左翼系警察官が殺された事に対する報復行為として、右翼王制派の大物カルボ・ソテーロが左翼によって暗殺された。クーデター計画を実行に移す絶好の機会であった。
1936年7月17日、軍事クーデターがスペイン領モロッコで起こる。親と子がイデオロギーの違いによって殺し合いになる、最も悲惨な同国人同士による内戦。スペイン市民戦争の悲劇が始まった。
17日にモロッコで、18、19日本土各地で起こった軍事クーデターは、市民の武装した抵抗により内戦へと突入していく。モロッコ軍を指揮していたフランコにとって、スペイン首都のマドリッドをいち早く陥落させることは非常に重要なことであった。何故ならこの反乱に協力体制をとっていたドイツ、イタリアにフランコ政府を承認させるのに首都を獲ることが必須条件となっていたからだ。だがマドリッドは人民の武装をもって応え、侵略を許さない。内戦は長期化の様相をたどっていく。
すでに夏休みに入っていたFCバルセロナの理事会員達は内戦突入後、クラブとしての対応を急がなければならなかった。クラブ職員、ソシオへの参加を呼びかけ、7月31日にFCバルセロナ理事会を招集する。ちなみにバルセロナの街は圧倒的な人民軍によって守られ、まだ戦渦にはみまわれてはおらず、各地区最前線に応援軍を送っているような状態であった。
大多数のソシオの参加をみたこの理事会で、次の事が承認された。まず、前シーズンに選出された理事会員の再承認、そして自国に戻っている外国人選手を一時休職にして自国に留まらせる。来シーズンに向けて新たに契約した選手に関しても、当分のあいだ自国に留まってもらう。国内の選手は、戦渦の前線となっている地方の選手はそこに留まらせる。フットボールクラブとしての活動を状況が許す限り、平常通りおこなっていく、という事であった。
理事会が開かれた後、クラブ会長スニョールはマドリッドに向かった。このマドリッド行きの理由に関しては歴史家によって意見が分かれる。クラブ会長として、ある選手の契約交渉のために行ったという説と、マドリッドの周りの防衛に当たっているカタラン人民兵への激励という説。状況からみれば後者の方がもっともらしいといえるかも知れない。いずれの理由にしても、彼はマドリッドでの用事をすませた8月6日、カタルーニャ旗を付けた公用車に乗りマドリッドを出発する。だがマドリッド郊外のグアダラマ山脈に向かう途中、突然フランコ軍による検問に出会ってしまう。彼の持っていた情報によれば、この辺は未だフランコ軍によって占拠されてないはずではないか。しかし、検問は明らかにフランコ軍のものであった。彼は有無を言わず拘束され、その場で銃殺される。
8月11日のラ・バンガルディア紙にスニョール氏が消息不明という記事が掲載され、少しでも彼の行方の情報があれば協力して欲しいと訴えている。カタルーニャフットボール協会も「一時も早く、私たちの友人であるスニョール氏が元気な姿を現し、政治、スポーツの世界での活躍を期待したい」と危惧を表明した。
市民戦争が終了した1939年9月28日におこなわれた“政治犯の処刑”に関する軍事法廷で、スニョールの死亡について語られている。
「左翼のリーダー格であったスニョールは、1936年の8月の初め、マドリッド付近においてグアダラマ国民軍によって拘束され、即時に開かれた裁判によって死刑判決を受け、処刑された」
この2か月後、バルセロナの警察本部が発表した“解放後のバルセロナ”の報告書にもスニョールの名が出てきている。
「スニョールは何年間にもわたって、FCバルセロナの会長を務めた人物である。そしてそのクラブを政治的に利用して、カタルーニャ分離主義を唱えようとした彼の責任は重大である」
フランコ独裁政権時代はもちろん、フランコの死によって迎えた民主主義の時代に入ってもしばらくの間は、スニョールに関する話題はタブーであった。スニョールの死から、実に60年たった1996年、ようやく彼の死に関する詳細な情報が初めて公開されている。
この時代を生きた祖父や祖母を持つ仲間が自分の席の周りに何人かいる。両親といつも一緒に隣の席に座っていた小学生ぐらいの少年も、今では彼女を連れてくる青年となっている。そいつがスクリーンに写るスニョールの姿を見ながらこう話しかけてくる。
「この人はね、マドリに殺されたんだ。」
もちろんそんなことを信じているわけではないだろう。なかなかインテリの好青年なのだ。マドリの人間による犯罪は、せいぜい目つぶし技、ということくらい知っているに違いない。それでもこのジョークの裏には、マドリ=ファシスト政権によって援護されたクラブ、バルサ=ファシスト政権によって弾圧の目に遭ったクラブ、という歴史からくる思いが隠れていることも間違いない。市民戦争の犠牲者となり、行方不明となった肉親が埋められているであろうと思われる土地を探し回り、ここはという場所を見つけては掘り起こしているということが未だに続けられているスペインのことだ。過去を過去として単純に、そして簡単には清算しない人々がここにいる。
「このクラシコとという戦いは、単なるフットボールの試合じゃないということがわかった、これは、カタルーニャとスペインの戦争なんだと。そして今自分はカタルーニャ軍の兵士の一人に過ぎないとね。」
初のクラシコの試合後にこう語ったリネッカー。この言葉が的を射ているかどうか、それは外国人である我々が判断することでもないだろう。いずれにしても彼らは彼らなりの思いでクラシコを迎え、我々は我々なりの思いでその試合を迎える。
“クソッタレモウリーニョ一派をグチョングチョンにしてしまえぇぇぇぇぇっ!”
とりあえずバルセロナに長期滞在してしまっている1人の外国人としては、これぐらいの軽い感じでヨロシイのではないかと・・・。
クラシココーナー スタート
ベルナベウクラシコ前のリーガ最後の試合となるレバンテ戦。例年のような単なるレバンテ戦であるならば、カンプノウに足を運ぶソシオの数はかなり限られてしまう。失礼ながらこんな相手の試合なんぞはテレビ観戦にしちゃおうかな、と思う人々が多いのはいたしかたないことだ。だが、今シーズンのレバンテ戦はチョイと違う。マドリッドへ向かう前の最後のペップバルサの試合だからだ。火曜日にチャンピオンズの試合があるとはいえ、それはすでに消化試合であり、クラシコとは関係ない多くのカンテラ選手がメインとなって戦われると予想できる。だから、このレバンテ戦に足を運び、試合開始5分前に作られるバルサ選手円陣に拍手を送るように、この試合が始まってから90分後の彼らに“頑張ってこいよ!”という激励を送るためにソシオが集まってきている。そう、バルセロニスタは義理人情に厚いのだ。普段はこんな試合には来ない周りの常連連中もほとんどそろってやって来ている。冷たい風がドヒャーと吹くこの夜、しかもこんな相手の試合(失礼!)になんと8万人ものソシオが集まってきた。さて、この試合に至るまでの今シーズンのペップバルサの試合結果を見てみよう。リーガ、チャンピオンズ、コパ、スーペルコパエスパーニャ、スーペルコパヨーロッパとこれまで合計24試合を戦ってきているが、16勝1敗7分けという数字をだしてきている。マドリとミランを相手にしてそれぞれ2試合ずつ、しかもポルトやバレンシア、ビジャレアル、アトレティやセビージャを時手にしてのこの成績、しかも獲得可能なタイトルをすでに2つ懐に入れている。したがって期待通りの成績と言いたいところだが、リーガに限って言えばペップがバルサの監督となってから最少の獲得ポイント数らしい。引き分けの試合数が多いことがその最大の原因であることは間違いないが、特にフエラでの試合が問題だ。6試合戦って2勝1敗3分けと、しかもゴール数が8というのはペップバルサとしては少々寂しい数字だ。
だが、例年のペップバルサと比べても、決して試合内容が悪いわけではない。シロウトにはこれといったはっきりとした理由はわからないものの、とにかくそういう試合結果となっているんだからしかたがない。相手ゴールエリア内で2回もメッシーへのファールがありながらペナルティーとならなかったバレンシア戦や、相手選手が蹴ったボールであるにもかかわらずオフサイドゴールとされたヘタフェ戦などの審判判定のツキのなさもあるが、そこはそれ、ライカー監督以来ジェントルマンクラブとなっているバルサだから、そういう不満を言うのはやめておこう。
そんなバルサを相手に6ポイント(あるいは3ポイント、これは考え方次第だ)も差をつけて首位を走っているモウマドリもそれなりに褒めておかなければならない。今シーズンもまた、これまでペップバルサ相手に1敗1分けという結果しかだしていないし、タイトルも我々に持っていかれた彼らだが、やはりそれなりに褒めておこう。負け試合濃厚となると暴力的なプレーをし続けたり、カップ授与セレモニーを無視してロッカールームに戻ってしまう彼らとは違い、バルセロニスタは勝ち方を知っているいるだけではなく、負け方も知っているジェントルマンなのだ。したがって、ここまでは彼らもまあまあよくやっているじゃないかと、それなりに褒めておこう。バルサにはたったの2回、マドリには6回もペナルティーが与えられているなんてことも、もちろん、ジェントルマンであるバルセロニスタであるからブツブツ言わない。
いずれにしても、レアル・マドリというチームは毎シーズンのようにバルサの強敵であることは歴史が証明している。あのフアンデ・ラモス監督の時も、あのペレグリーニが監督だった時も、そしてポルケ・メツブシ監督の現在でも、マドリは常にバルサの強敵であることは間違いない。何と言っても、数多いヨーロッパ強豪チームの中でも三本指に入るマドリだ。そして同時に、そんなライバルチームがいるにもかかわらず、ここ3年間でペップバルサが獲得してきた栄光のタイトルを見てみると、それはそれは、凄いことに気がつく。
2008−09シーズン 獲得可能タイトルはリーガ、コパ(国王杯)そしてチャンピオンズの3つ。そしてメデタクもすべてのタイトルを制覇。
2009−10シーズン 獲得可能タイトルはリーガ、コパ、チャンピオンズ、スーペルコパエスパーニャ、スーペルコパヨーロッパ、クルブムンディアルの6つ。そしてコパとチャンピオンズ以外の4つのタイトルを見事に獲得。
2010−11シーズン 獲得可能タイトルはリーガ、コパ、チャンピオンズ、そしてスーペルコパエスパーニャの4つ。そしてコパ以外の3つのタイトルを堂々と獲得。
2011−12シーズン 今日に至るまでに獲得可能なタイトルはスーペルコパエスパーニャとスーペルコパヨーロッパの2つ。そして秘技目つぶしワザにあいながらも両方とも獲得。
結論 ペップバルサ3シーズン+今日に至るまでの4シーズン目に獲得可能なタイトルは15個あり、そのうちパンパカパ〜ンと12個も獲得していることになる。さらに、個人的に付け加えるとすれば、三部リーグ所属のバルサBを率いたペップ監督誕生となる最初のシーズンにもリーグ優勝を果たしているから、16個中13個のタイトルを獲得していることになる。
例え今のところ、モウマドリより獲得ポイントが少ないとは言え、そんなペップバルサを疑ってはいけない。例え、モウマドリが3ポイントだか6ポイントだか知らないが先を行っていようが、あるいは、ここ最近のペップバルサの試合運びがギクシャクした感じになっていようが、ペップバルサを疑ってはいけない。そう、昨シーズンのペップバルサの状態を思い出してみよう。11月末のカンプノウクラシコの試合まで、やはり今と同じようなギクシャクした試合が続いていた。中央メディアはペップバルササイクルの終焉と期待し、モウバルサの圧倒的有利説を流していた。だが、その結果は、マドリディスタであろうがバルセロニスタであろうが、誰もが彼もが忘れられないマニータの試合だ。そしてこの試合以降、ペップバルサは快調の波に乗っていくことになる。
ペップバルサを信じよう。これまでこれだけの喜びと興奮を与えてくれたペップバルサを疑うことはない。今回のクラシコもまた、ペップバルサらしい試合を見せてくれることを期待しよう。これまで、時として羊の皮をかぶった狼のように振る舞っているモウマドリが、その暴力的な正体をかいま見せ狂ったように我らが選手に襲いかかり、ことあるごとに審判に詰め寄るシーンがみられる試合展開となれば、この日もまたバルセロナの上空にでっかい花火がズドォ〜ンと打ち上がるのだ!
クラシココーナー イントロ
昨シーズンのリーグ最終戦が終了した翌日、つまり2011年5月23日、マドリ監督1年目のジョセ・モウリーニョがクラブ公式ウエッブサイトに次のようなコメントを載せている。我々は再び7月11日に戻ってきます。レアル・マドリという偉大なクラブの名声を更なるものとするために、今シーズンと同じような情熱とモチベーションを抱えて我々は戻ってきます。そして今、この偉大なるクラブの監督を務めた最初のシーズンを終わるにあたり、次のような希望を胸に抱いて、新たなシーズンを迎えたいと思います。誰しもが決して忘れてはいけないことであり、我々プロスポーツ界に生きる人間にとって基本となることです。
それは、単純にして明快なこと、つまり、フットボール世界の中で最も基本となるフェアープレーの精神を取り戻し、相手選手や相手クラブに対する尊敬を常に失わないこと。同じように、人種差別に対し決然たる態度もってあたり、それは決して言葉だけではなくグラウンドの中でも表明していかなければならないということです。こういう大事なことを忘れてしまったかのような何人かの選手、あるいはある特定のクラブが今シーズン見られたことは非常に残念なことだと思います。フットボールという世界において、決して忘れてはならないこれらの基本的なことが、次のシーズンには守られるようにと、そう願うばかりです。それでは、7月にお会いしましょう!
これまでのモウリーニョという人の行動やおこないを知らない人が読んだとしたら、
「はぁ、なんと立派なことをおっしゃられる方ではないかい!」
という、とんでもない誤解をしてもおかしくはない。
反省という単語がモウ辞書にのっていないことを知らない人間が読んだとしたら、
「これはひょっとして今シーズンのマドリを自己批判しているのかも」
という、オッチョコチョイな総括をだすかも知れない。
だが、今シーズンだけでもモウリーニョという恐れを知らぬ監督の言動や行動を見てきた人なら、いや、それでも驚きの発言となるかも知れないが、いずれにしても厚顔無恥にして超ナンセンスなものだと理解するに至だろう。昨シーズンの何回かのクラシコの試合で、フェアープレー精神に反する“ピスシーナ”をしたとするバルサ選手(ペドロ、アルベス)や、あるいは人種差別的発言をしたとする選手(ブスケ)に対しての批判的発言であることは明らかだ。もちろん、フェアプレー精神とはほど遠い“ピスシネーロ”の見本となるようなディ・マリアや、暴力的と言ってもおおげさではないプレーをしてきたぺぺやマルセロを批判する発言ではないことも明らかだ。
この発言から約3か月たった8月17日、今シーズン最初のタイトルをかけたスーペル・コパ・エスパーニャのクラシコ第2戦がカンプノウで戦われている。この試合の4日前にベルナベウで戦われた第1戦では、2−2というスコアで引き分けという結果に終わっている。
マドリという“フェアープレー精神と相手チームに対しての限りのない尊敬をモットーとする”このクラブの監督に就任してきた昨シーズン、モウマドリは国王杯の決勝戦でペップバルサに勝利することができたものの、リーグクラシコ2試合、チャンピオンズクラシコ2試合で1試合も勝利という結果を味わうことができなかった。しかもその直接対決での否定的な試合結果がリーグ制覇を失うことになり、同じようにチャンピオンズの戦いからも退くことになってしまった。その悪しき傾向をシーズン開始と共に打ち破ること、それがモウマドリの今シーズン最初のドデカイ目標となってプレシーズンを過ごしてきたのは間違いない。ペップバルサのプレステージ開始のスタートは彼らより1週間も遅く、しかも全員がそろってきたのはこの試合が始まる1週間前という状況だ。モウマドリにとってスーペルコパを制覇する条件はしっかりとそろっていた。そう、今シーズンの最初にして最も重要な課題として、彼らが“スーペルコパ制覇”をとらえていたことは明らかだ。
ベルナベウの試合にしても、そしてこのカンプノウの試合にしても、前シーズンのクラシコのようなペップバルサ圧倒的有利な試合展開とはなっていない。それどころか、試合運びとしてはモウマドリの方が押している感じさえあった。まだまだプレステージ真っ直中という感じのペップバルサに対し、モウマドリの方はこれ以上なく準備万端という体制で臨んだ試合だから、当然といえば当然のことだった。それでも、ああ、それでもペップバルサに勝てないモウマドリ。ベルナベウでの引き分けという結果に続き、3−2というスコアで敗戦してしまう。夢のスーペルコパ制覇という祈願は桜の花のごとく、パラパラ、パラパラ〜と散ってしまった。シーズン開始当初からヘゲモニーをとろうとした計算高いモウリーニョの目論見は、いつものごとく捕らぬタヌキの皮算用となってしまった。モヤモヤとした怒りをモロに表すモウリーニョ。秘技目つぶしワザの登場だ。
試合中にはマルセロをはじめ多くのモウマドリ選手が審判に抗議し続け、優勝チームに対するトロフィー授与の前には、すでにロッカールームに引き下がるという悪態を演じ、試合後の監督記者会見では審判の判定に不服をもらし、そして翌日の中央メディアもまた同じように“アンチマドリ”傾向に批判の矢を投げつけるという、昨シーズンのクラシコとまったく変わらない風景がそこにあった。試合終了間際のセスクに対するマルセロの暴力的なファールに対しても。「セスクはピスシネーロだ!」と批判するでっち上げ好青年カシージャスの姿が見られたし、バルサ側の度重なる挑発があったからこそモウリーニョの秘技目つぶしワザがったのだと、あたかも場外乱闘劇を正当化する中央メディアまであらわれている。
前シーズン終了後にいかに綺麗事を並べようが、モウマドリはこれっぽちも変わっていない。中央メディアがいかに“モウリーニョは変わった”というキャンペーンを張りまくろうが、彼はこれぽっちも変わっていない。そのことに感謝するバルセロニスタ。敵はそうじゃなくちゃいけない。こんな相手だからこそ、このクラシココーナーもやる気がおきるというものだ。しかも今シーズンは、カンプノウからではなくベルナベウから始まるクラシコ。ポイント的にはバルサがマドリを追いかける形となっていることも魅力といえば魅力だ。いつも彼らの先を行っているばかりじゃ面白くない。さあ、モウリーニョの鼻をバシッとばかりへし折ってやるであろう12月10日まで、またまたしつっこくもクラシココーナーの誕生!
※とある縁によって、クラブムンディアルの大会に向けてのワールドサッカーキング“バルサ特集本”のお手伝いを、今回だけ特別にすることになりました。こちらカピタンが臨時出張しております。12月9日あたりの発売になるようですが興味ある方は是非のぞいてくださいませ。