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 バルセロナ 04月14日 00時00分

ユーロクラシコ イントロ

--- 前略 ----

トマス・ロンセロ(アス紙 2010年10月8日)
ラ・マシアブームだ。何かとラ・マシアの存在や、そこから育ってきた選手のデビューが話題となり、バルサのフィロソフィーに拍手喝采となる今日この頃。だが、冷静に物事を見てみると、このブームはどこかおかしい。

モウリーニョがフアン・カルロスを招集している。16才からマドリカンテラ組織に在籍している正真正銘のカンテラ選手。だが、彼のことは話題にならないかわりに、バルサB選手ノリートのデビューが話題になる。ラ・マシアブームのなせるワザである。このノリート選手、2年前に20万ユーロの移籍料を支払って獲得した、現在24才となるバルサの選手。この選手をラ・マシア育ちと持ち上げるメディアが多くあるのはどうしたことか。そう、確かにプジョーやチャビ、イニエスタ、バルデス、メッシー(注・ペドロ、ブスケ、ボージャン、ティアゴなどをお忘れではないか?)といった、正真正銘のラ・マシア出身選手、つまりカンテラ出身の選手がいることはいる。だが、ピケはマンチェスターから多額のユーロをだして買い取った選手であるし、更に多額のユーロを出して獲得しようとしているセスクなどを考えてみると、すべてがすべてラ・マシア出身ということにはならない。バルサカンテラ組織万々歳の、この作られたブームにはウンザリだ

シロ・ロペス(TVマドリ 2010年10月24日)
カンテラに注目を注ぐことはある意味興味深いことではある。ペドロの運動量に、イニエスタやチャビのワンタッチフットボールに、そしてメッシーのゴールに、これらカンテラ組織から出てきた選手たちに拍手をおくるバルセロニスタにアンチをおくるつもりはない。そう、心ゆくまでカンテラ選手たちに期待と拍手をおくればいいだろう。だが、我々レアル・マドリは違う道を行く。クリスティアン・ロナルド、イグアイン、オジル、ディ・マリア、そしてカカ、彼らクラック選手たちが繰り広げるワイルドな試合展開を、我々マドリディスタは好むのだ。

創造性のないワンタッチフットボールを続ければいい。あの見ていて退屈なワンタッチフットボールを展開し続ければいい。我々マドリディスタが好むのは、ダイレクトでスピードのある攻撃だ。それこそが21世紀のフットボールであるということに気がつかず、淡々と続く退屈なワンタッチフットボールに将来はない

ホセ・ミゲル(マドリ・バルサ・コム 2010年11月13日)
なにやらカタルーニャの方からは景気の良い大太鼓の音が響いてくるようだ。恐怖に震える者のみが発する景気の良い大太鼓の音。それは、モウマドリに恐怖を持つカタルーニャの人々。それは、地元カンプノウでのクラシコの結果を思い、頭の中はうつろで、心は恐怖でふるえる多くのバルセロニスタ。何と言っても監督はモウリーニョだ。インテルの監督としてバルサを粉砕したモウリーニョだ。バルサ攻撃陣を手に取るように把握し、その防ぎ方を身につけている唯一の監督だ。バルセロニスタがふるえる気持ちになるのは仕方のないことだろう。

したがって、普通の、ごく普通の試合展開となれば、モウマドリが圧倒的に有利な試合となる今回のクラシコ。そして、彼らバルセロニスタの唯一の希望は、彼ら有利となる笛を吹く審判の存在となる。それだけが望みの綱となる彼らだから、とてつもなく憂鬱な気分となり、それを隠すかのように大太鼓を叩き続ける。我々は栄光あるレアル・マドリ。再びクラシコの勝利(注・記憶に間違いがなければ、ここのところ3連敗という結果となっているはずだが・・・)は間違いない。

ミゲール・セラーノ(マルカ紙 2010年11月21日)
モウリーニョを批判する人々がいる。世界ナンバーワン監督の肩書きを持つモウリーニョに嫉妬する人々だ。しかも彼が在籍するクラブが20世最優秀クラブとなれば、その嫉妬は倍増する。だが、現実を見てみれば、彼を支持する人々の数が批判する人々より圧倒的に多いことに気がつくだろう。カタルーニャ州内での闘牛支持の人々の数が反対の人々より多いにもかかわらず、反対勢力の人々の叫び声が必要以上に大きいことから、より目立つことになるように、モウリーニョ支持の人々の数も批判的な人々のそれより圧倒的に多いにもかかわわらず、嫉妬に狂った下品な叫び声は目立つことになる。これらの人々は、オポルトではもちろん、チェルシーやインテルファンの人々にとっては、いまだにモウリーニョは神のような存在となっているのをどう考えているのだろうか。

多くのマドリディスタはもうウンザリしている。嫉妬に怒り狂った、我らが監督モウリーニョ批判にウンザリしているのだ。我々にとって彼は最も愛すべき人物であり、かつてのフアニートに続くマドリディスタのシンボルとなりつつ人物なのだから。

ホセ・ミゲル(マドリ・バルサ・コム 2010年11月23日)
多くの専門家が予想するところによれば、今回のクラシコはレアル・マドリ圧倒的有利となっているようだ。モウリーニョによって新たなチーム作りがおこなわれてからわずか3か月。この短い期間であるにもかかわらず、一人一人の選手がチームのために一丸となってプレーしている。個人技はすべてチームのためにあるという傾向に、ここ最近は展開されるようになってきているし、これだけの素晴らしい選手が己の輝きをすべてチームのために活かそうとしているのが現在のレアル・マドリである。

だが、このチーム力の差だけではなく、レアル・マドリ圧倒的有利という下馬評は次のことからも成り立っている。それは、今回のクラシコはバルサ側からみれば単にバルサ対マドリというクラシコではなく、バルサ対モウリーニョという構図になっていることだ。チェルシーの監督として、そしてインテルの監督として、これまでさんざん痛い目に遭わせてくれたモウリーニョ相手のクラシコ。それが、多くのバルセロニスタにとって心がふるえる原因となっている。ひたすた悲観的に今回のクラシコをとらえるバルセロニスタ。試合開始と共に、モウマドリは圧倒的な攻撃力をみせ、カンプノウ10万観衆をふるわせることになるのは間違いない。そして、試合開始から90分後、バルサはとてつもなく深く、深刻な問題を抱えることになるだろう。これまでのサイクルが閉じ、宿敵レアル・マドリが繰り広げる新たなサイクルを傍観する立場となるのだ。

クリスティアーノ・ロナルド(マルカ紙 2010年10月24日)
今のレアル・マドリの状態は昨年のそれとはまったく違っている。チャンピオンズはもとより、リーグ戦でも一度として敗北を味わったことがない。最高潮にある現在のチームだから、今回のクラシコは我々にとって素晴らしい結果を生み出すものとなるだろう。最高の瞬間に、最高の場所で、我々は試合を戦うことになる。

トマス・ロンセロ(アス紙 2010年11月26日)
モウリーニョはマヌケでもなければ、紳士を気取った謙虚な態度を好む人間(それはライバルチームの監督だけでじゅうぶんだ)ではない。オブラードに包まれたような発言をするのではなく、正しくも思ったことをそのまま口にする人間である。
「バルサはいつも10人のチームと戦っている。」
このモウリーニョの発言はまったくもって正しい。それはバルサに対する批判ではなく、まして嫌みでもなく、これまでの歴史が証明している事実であるから、まったくもって正しい発言となる。

そして彼は正しくもこういう発言を続けている。
「彼らのワンタッチフットボールが登場してくるのは、いつも相手チームの選手が10人となってからさ。」
まさにそうだ。だが、それはともかく、こんなワンタッチフットボールのどこが楽しいのだろうか。ゴールを決めるのに、なにゆえ40回、50回ものパスが必要なのか理解に苦しむのが多くのマドリディスタというものだ。我々の好むフットボールは弓の矢のような早いスピードで相手ゴールを襲う、そのフットボールスタイルにある。あの100m選手のボルトより早く疾走するようなスピードあふれる攻撃が我々の好むフットボールなのだ。バルデス相手に何回の矢を素早く放ってくれるか、みどころはそれだけに尽きる今回のカンプノウ、いや違った、カンプモウクラシコ。この試合の翌日には、世界中の人々によって、ペップ0ーモウ1の話題で盛り上がることになるだろう。

フレデリック・エルメル(アス紙2010年11月27日)
2日後の月曜日、場所はバルサの象徴カンプノウ、この文句のつけようもない素晴らしいステージで、多くのフットボールファンが新たなサイクルの誕生を目撃することになるだろう。何千年も前から暗黙の了解とされている自然の現象、それは一つのサイクルの終焉と共に、新たなサイクルが誕生すること。このクラシコという素晴らしいフィエスタで、そしてカンプノウという素晴らしいステージで、この自然の現象に遭遇することになる多くのフットボールファンは、大いに神に感謝しなければならない。2010年10月29日深夜、ペップバルサに今の季節通りの寒い冬が到来し、そしてモウリーニョマドリには季節外れの春が到来する。

11月29日月曜日22時試合開始
バルサ5−0マドリ
1−0 チャビ(9分)
2−0 ペドロ(18分)
3−0 ビージャ(54分)
4−0 ビージャ(57分)
5−0 ジェフレン(90分)

トマス・ロンセロ(アス紙 2010年11月30日)
この“暗黒の月曜日”のことを忘れる日が来るのは、遠い遠い将来となりそうだ。いや、果たしてその日が来ることさえ怪しく感じられる。5−0というスキャンダラスな試合が終わってからすでに何時間もたっているものの、多くのマドリディスタの心に突き刺さった矢はまだ抜かれていない。このスキャンダラスな試合結果もさることながら、90分の間に伝わってきたモウマドリの覇気のなさが、マドリディスタの心を更に暗いものにする結果となっている。これまで無敗だったモウマドリがマドリディスタに希望を与えてくれていたのは、その無敗という結果以上に、一人一人の選手が見せる“戦士”としての戦いの魂と、勝負をあきらめない不屈の精神ではなかったか。だが、この試合ではまったくといってその姿勢が見られることがなかった。

今は正直にバルサの優位を認めよう。旬の時期を迎える何人かの選手たちがチームを支え、現時点においては我らがマドリを越えていることを認めよう。だが、これで終わったわけではない。我々は栄光あるレアル・マドリ。これまでの歴史が示してきたように、逆境に耐えながらもいつか我々マドリディスタに笑顔が戻ってくる日が来る。その日は決して遠くない。今から5か月後の来年4月におこなわれるベルナベウクラシコ、この試合に勝利することで復讐を成し遂げ、そしてリーグ制覇を同時に決めてしまえば最高だ。

--- 後略 ---