悪夢のクラシココーナー終了
FC BARCELONA 2 - 2 CHELSEA1-0(35M) BUSQUETS
2-0(44M) INIESTA
2-1(45+1M) RAMIRES
2-2(90+2M) TORRES
[出場選手]
VALDES, PUYOL, PIQUE(ALVES 26M), MASCHERANO, BUSQUETS, XAVI, INIESTA, CESC(KEITA 74M), CUENCA(TELLO 67M), ALEXIS, MESSI
グラシアス
ビスカ バルサ!
4月21日クラシコ試合前、バルサはすでに三つのタイトルを獲得することに成功したヨーロッパ唯一のクラブであり、リーガ・国王杯・チャンピオンズというトリプレッテの可能性のあったヨーロッパの唯一のクラブだった。そしてクラシコ試合後、リーガ制覇はサヨナラとしても、すでに獲得している三つのタイトルに、国王杯・チャンピオンズを加えれば五つのタイトル獲得を可能とするヨーロッパ唯一のクラブであることには変わりがない。こんなことはそうそうあるもんじゃない。最終的にどういうことになろうと、シーズンの最後の最後までこういう夢をファンに与えてくれることに感謝しなくちゃいけない。今日の試合は2年連続チャンピオンズ決勝進出がかかった歴史的な試合。付け加えれば、ここ4シーズンで3回目、ここ7シーズンでは4回目の決勝進出がかかっている試合でもある。だが、もちろん簡単な試合とはならないことが予想される。チェルシーが作るどこまでも固い甲羅を、粉砕することができるかどうか、ひたすらそれにかかっている。そして同時に、カンプノウでの今シーズン最後のフィエスタとなるであろう試合でもある。ロンドンでのチャンピオンズ準決勝前半90分間にまったく登場しなかった幸運の女神が、今日の試合ではその美しき姿をあらわしてくれるように祈って。
スエルテ!バルサ!
すべてのバルセロニスタへ!
というのは嘘で、本当は女性バルセロニスタだけに贈るブラウグラーナ色のバラの写真。そう、今日はサンジョルディの日。女性は一冊の本を男性に、男性は一本のバラを女性に贈るサンジョルディの日。
クラシコの結果がどうであれ、リーガタイトル獲得が不可能となろうとなるまいと、そしていまだにモヤモヤムカムカする悔しさが残っていようと、そんなこととは無関係に、朝の7時頃には太陽が顔を出し、職安の前には仕事を探す長蛇の列ができ、キオスコには新聞を買う人が押し寄せ、バールにはオフィスに行く前にコーヒーを飲む人が集い、そして、街の至る所でバラを売る花屋さんがテーブルをだし、ランブラス通りには所狭しと本屋さんのテーブルが並び、いつもと変わらないサンジョルディの日がやって来た。国籍がどこであろうと、仕事があろうとなかろうと、フットボールカラーが何色であろうと、すべての人々にやって来るサンジョルディの日。
カタルーニャの人々を苦しめてきたドラゴンをやっつけた若き騎士サン・ジョルディ。そして明日は、バルセロニスタをいじめるウジウジ亀の子を我がペップバルサが退治する日。どこまでも固い甲羅で身を守り、機を見てはチクチクしてくるあの亀の子チェルシーを退治する日がやって来る。いまだに消えない悔しさを一本の槍に託し、あの固い甲羅をぶっ壊してやろう!
スエルテ!バルサ!
ぐやじいのう!
FC BARCELONA 1 - 2 R. MADRID0-1(17M) KHEDIRA
1-1(70M) ALEXIS
1-2(73M) C.RONALDO
[出場選手]
VALDES, PUYOL, MASCHERANO, ADRIANO(PEDRO 73M), ALVES, BUSQUETS, XAVI(ALEXIS 69M), THIAGO, TELLO(CESC 81M), INIESTA, MESSI
地下鉄の駅からカンプノウに向かう途中、多くのバルセロニスタが街角のバールのテラスに座り、バルサイムノを歌っている。あっちの角のテラスでも、こっちの角のテラスでも、バルサユニを着こんだ人々がバルサイムノを高々と歌い続けている。その脇を通り過ぎてスタジアムに向かう人々もそれに合わせてイムノを歌い始める。まるで、ウエストサイドストーリーだとかグリースなんかの撮影風景の中を歩いているようだ。20数回観戦しているであろうクラシコだが、こんな風景にお目にかかったことはない。モチベーションやフィエスタ気分満載のバルセロニスタ。ハーフタイムにラジオを聞いていると、9万9200人の観客数だという。立ち見席がなくなりすべて椅子席となってからの最多数だそうだ。だが、得てして、こういう空気が入りすぎている試合に限って良いことが起こらない。あの、モウリーニョ・インテルを迎えての試合でもそうだった。こりゃあ凄い雰囲気だぞ!というときに限ってろくなことが起こらないカンプノウ。
ここ最近のチャビがそうであるようにこの試合中にもまったく消えていたり、観客受けするプレーをするたびにドジを踏むイニエスタや、頭がちょん切れた鶏のように走り回りながらも目がないから簡単にボールを奪われてしまうアルベスや、ゴール前ではなくハーフライン近くをうろうろする困惑状態のメッシーが何気なく目立つ試合だったが、それでも、そう、それでも、バルサはバルサらしく戦ったという印象が残ったことも付け加えておこう。テレビでの再放送を見ることは決してない試合だろうから、試合観戦中の印象が事実と異なることも考えられるが、それは仕方がないことだ。
こういう試合後の仲間との別れ方はいつものことながら難しい。下を向き、目がうつろになり、何もしゃべることはないよ、という感じの仲間との別れかたは難しい。ただ、今回の救いは、2週間後のリーグ戦を待つことなく、3日後の火曜日にはチャンピオンズの試合があることだ。
「じゃあ、火曜日ね!」
「うん、火曜日だ!」
すべての勝負に勝てるわけがないとは知りつつ、このぐやじさは火曜日まで続く。そして幸いなことに、このぐやじさ状態から今シーズン最高の幸せ感を感じることができるかも知れない火曜日が待っている。
オラー!火曜日!
バモス!バルサ!
残り6時間
もしバルサが勝利すれば、“まだ1ポイント差でレアル・マドリが首位”と中央メディアが打ち出し、カタランメディアは“10ポイント差から1ポイント差へ!”とうたうだろう。もし引き分けたりマドリが勝利したりすれば、“ペップバルササイクルの終焉”という中央メディアとなることが予想されるし、カタランメディアの方は“今シーズンはマドリが優勝するように仕組まれていた”となることも容易に想像できる。だが、そういう試合後の騒ぎは別として、今回のクラシコ前のメディアは、少なくとも前回のそれと比べれば静かだった。クラシコ前にチャンピオンズ準決勝の試合をそれぞれ抱えていたことと、モウリーニョが記者会見場に姿を現さなくなったことなどがその理由として考えられる。そしてこのクラシコが終われば、再び両チームにとって重要なチャンピオンズの試合がすぐそこにある。試合そのものに対する緊張感に変わりはないものの、バカなことでピリピリさせてくれなかったこの試合スケジュールに感謝しよう。
ついでにもうひとつメディア話を。
今年の2月14日付のアス紙の記事を見てみよう。
4月21日、レアル・マドリはリーガのカンピオンとして、カンプノウでバルサ選手たちによるパシージョによって迎えられる可能性が大だ。これまで22節を消化した段階でバルサとの差は10ポイントある。カンプノウクラシコまでには9試合残っており、10ポイント差から16ポイント差までひろがることはじゅうぶん考えられる。クラシコ前に16ポイントの差ができるということは、すでにレアル・マドリのリーガ優勝が決定していることを意味する。
なぜその可能性が大きいか、それはカンプノウクラシコまでにいたる両チームのスケジュールを見てみればわかるだろう。レアル・マドリは地元で6試合戦えるのに対し、バルサの方は一試合少ない5試合となっている。しかもバルサはセビージャやビルバオに出向いての難しい試合が待っているのだ。ちなみに今回予想されるバルサ選手によるパシージョは、歴史的に3回目となる。1987−88シーズン、カンプノウでのパッシージョが最初で、2回目は2007−08シーズン、ベルナベウでのパッシージョ、奇しくも今回と同じように第35節での出来事だった。
ハッハッハ、脳天気な記事だわい。
思い出してみよう。バルサが2−6という歴史的なスコアでベルナベウクラシコに勝利した時のことを。
試合後プジョーは何を語ったか。
「もしこの試合に負けるようなことがあったなら、我々はリーガを失うかもしれないという不安のもとに戦った。負けたとしても1ポイント差で首位を保つことができるが、追いかけてくるマドリには勢いがつくし、我々としては残りの試合で大いなるプレッシャーがかかるだろうと思っていた。」
地元ベルナベウにバルサを迎えるレアル・マドリは首位のバルサに4ポイントの差をつけられていた。地元クラシコに勝利すれば首位に1ポイント。チーム名を変えれば今とまったくおなじ状況を抱えてのクラシコだった。
プジョーと同じような不安感を抱いてンプノウにやって来るであろうマドリの選手たち。もし負けるようなことがあったら・・・リーガ制覇はとてつもなく厳しいものになる。そうです!とてつもなく厳しいものになってしまうのです!
バルサが今日の試合に予想どおり勝利することができれば、リーガ制覇に限りなく近づくことになるのだ。ペップチームのモットー”新たな歴史を作る”ことを信じて!
バモス!バルサ!
それでは恒例の予想スタメンを。
バモス!マスチェラーノ
いつの間にか、メッシーがハットトリックを決めてもそれほどニュースとしての輝きを見せなくなったように、ペップチームでプレーするカンテラ選手の数の多さもまた、ニュースとしては取りあげられることもなくなってきた。メッシーのゴール数の多さが当たり前のように、カンテラ選手の出番の多さも、今では不思議な現象ではないからだ。例えばつい最近のヘタフェ戦では、試合終了時にはアレクシスをのぞいて10人の選手がラ・マシア出身だったが、それほどニュースとはなっていない。
ペップと一緒に三部リーグから上がってきたブスケやペドロがすでにカンテラ“ベテラン”選手化しつつあると思っていたら、今シーズンは彼らに加えて新たな三人の顔が見られるようになった。セントロカンピスタのティアゴ、エストレーモのクエンカとテージョだ。彼らは来シーズンもペップチームの一員となってプレーするだろうが、さらにデフェンサのバルトラとムニエサ、そしてラテラルのモントヤもまたトップチーム昇格が決まっている。セントロカンピスタのジョナタンの将来は未知と言っていいだろうが、セルジ・ロベルトはバルサBとトップチームを行ったり来たりするシーズンとなると予想している。
「バルサというクラブの素晴らしさのひとつは、トップチームと同じフィロソフィーとシステムでカンテラチームがプレーしているということだと思う。なぜなら、下から上がってきた選手たちが我々と一緒にプレーしても、とけ込むのにほとんど時間がかからないからだ。チャンピオンズのバテ相手の試合を見てみれば、そのことが容易に理解できるだろう。」
こう語るマスチェラーノ。2011年12月6日におこなわれたチャンピオンズグループ戦バテ相手の試合に、ペップバルサはピントとマクスエルをのぞけば、すべてがラ・マシア出身の選手をスタメンにしている。しかもゴールを決めたのはペドロ、セルジ・ロベルト、そしてモントヤというおまけつきの試合となった。
確かに、バルセロニスタとしてはカンテラ選手がトップチームに顔を出してきてくれるのは嬉しいニュースだ。だが、同時に、外部から加入してきた選手たちが、期待通りの活躍を見せてくれるのも嬉しいニュース。ここ何年かのアビダルやアルベス、ケイタ、そしてマスチェラーノなどの活躍は誰ひとりとして忘れることはできないだろう。彼らにとってペップバルサでプレーすることは非常に難しいはずだ。かつてカンテラ組織に所属していたセスクの今シーズンのプレーを見ればそれは良く理解できる。彼でさえ、なかなかとけ込むことができないでいる状態だ。これまで所属してきたいかなるチームでも、ペップ監督が要求するような内容を経験してきていない彼らだから、学習能力の高い選手のみが生き残れることになる。その典型的な例が、ハビエル・マスチェラーノだと思う。
ブスケと同じポジションであるピボッテの位置でプレーするために、バルサに入団してきた彼だが、チーム事情によりセントラルに回されたのはかなり前のこととなる。かつてリーベルやコリンティアンス、あるいはリバプールでプレーしてきた彼は、一度としてセントラル選手としてプレーした経験はないとも語っている。
その彼が、バルサというチームの一員としてデビューしたのがエルクレス戦だった。ポジションはもちろん親しみ慣れているピボッテという位置だった、そして試合開始19分、さっそく黄色い紙を審判から示されている。彼にとって最初の学習事項が登場してきた。これまでアルゼンチン、ブラジル、そしてイングランドでプレーしてきて、こんなファールでカードをもらうことはなかった。スペインリーグでの審判のカード傾向を学んでいくマスチェラーノ。
ピボッテのポジションより、圧倒的にカードをもらう可能性の高いセントラルのポジション。しかも容赦しない彼のプレースタイルは、得てしてカード制裁を受ける可能性の高いものだ。だが、ここ最近のリーガ3試合、つまりサラゴサ、ヘタフェ、そしてレバンテ戦、彼は1枚のカードをもらわないどころか、ひとつのファールさえしていないと記録に残っている。多くのデフェンサ選手を並べてガチガチに守るチームではなく、相手デランテロと一対一のシーンがよく見られるペップバルサのセントラルというポジションで、3試合続けてファールさえしていないというのは、ひょっとしたら凄いことではないのだろうか。
「これまでと同じように、マスチェラーノがキーポイントとなった試合だった。アビダルが欠けた部分を確実に埋めること全うしてくれた。集中力、マスチェラーノはこの一言に尽きる。」
レバンテ戦後にペップがこのように語っている。アルベスはボールと相手選手を追いかけ走ることに集中しているが、周りの様子を見ることへの集中心はない。ピケは時としてコロンビアのことを考えてしまうし、もともと集中力を武器とする選手ではない。アドリアーノはまだ自分のことだけで精一杯で周りを見る余裕もそれほどない。相手選手の前をとり、空いたスペースを埋める集中力を持った選手はプジョーとアビダルだった。そして今、そのアビダルが抜けた穴を、ポジションが違うとはいえ、このマスチェラーノが確実に埋めつつある。
「彼の凄いところは、集中力の持続力だけではなく、我々バルサというチームのプレースタイルを見事に演じているところさ。バルサというチームでのセントラルというポジションで、まるで10歳ぐらいからラ・マシアで育った選手かのようにプレーしているところさ。彼がいるからこそ、3人デフェンサというのも可能となるんだ。」
そうも付け加えるペップ監督。
さて、クラシコ前日の金曜日。やはり大嘘つきモウリーニョは記者会見に顔を出さず、小番頭にして小嘘つきのカランカがしゃしゃり出てきている。
「これまでのカンプノウクラシコの試合のように、我々は攻撃的な姿勢でプレーしていくだろう。ひたすらゴールを狙い勝ちに行く。それが我々のいつもの姿勢だ。そしてまたいつものように、我々の選手はプロとしての模範的な態度でプレーしていくに違いない。ただ残念ながら、カンプノウでは我々レアル・マドリがコントロールできないことが起こることだ。」
コントロールできないこと、それはもちろん審判の笛のことだ。親分がああだからして、この小番頭もまったく嫌みな野郎だ。ここはひとつマスチェラーノさん、コヤツにビシッと強烈なタックルを悲鳴が出るまで決めておくんなさい。
アビダルへの手紙
「アビダルの肝臓にできたものと同じものが頭の中に見つかったんだ。明日お医者さんがそれを取る手術をするんだ。」手術の日、息子はアビダルのユニフォームを手に持って手術室へと向かった。手術中は頭の近くに置かれていたアビダルのユニフォーム。いや、手術中だけではなく彼が入院している間には常に置かれることになった。まるでお守りのように彼の頭の近くに置かれ続けたアビダルのユニフォーム。
手術がおこなわれてから1週間後のある日、神様のいたずらとしか思えないことが起きた。とあるお店にはいると、アビダルもまた買い物に来ていたのだ。生まれて初めてこの目で見るアビダルが目の前にいた。私は図々しくも息子のことを彼に伝えた。携帯に写っている彼の入院中の写真も見せた。息子が、あなたの精神的な強さに憧れているとも伝えておいた。息子のところに行きそのことを話すと、自分もアビダルに会いたい、ぜひ会ってみたいと私に語った。
再び神様の恩恵を受けることになるのは、手術してから5か月後のことだ。1月5日の木曜日、忘れもしないこの日、バルサの選手たちが息子の入院する病院を訪ねてきたのだ。毎年1月になると、バルサの選手たちがバルセロナ市内の病院に出向いて、入院している子供たちを見舞うということは知っていたが、今回は息子の入院している病院もそのひとつに選ばれていたようだ。訪れてくれたバルサの三人の選手。プジョー、アレクシス、そしてなんと!アビダル。看護婦さんにソッと、アビダルが息子の部屋にやって来るように頼んでみた。
そしてそのアビダルが、笑顔で息子のベッドに歩み寄っているではないか。アビダルが息子を抱擁している。感激した息子はもう我慢できなくなったようで、大声をだして泣きじゃくっている。あの手術をしなければならないと伝えた日にも、手術中にも、そして長い間続く辛い療養生活中にも一度たりとも涙を見せたことがない息子が、大粒の涙を流して泣きじゃくっている。
「オイ、オイ、兄弟!泣くんじゃないよ!元気を与えるために来たんだから、そんなに泣かないでくれよ。自分だっていまだに君と同じ病気と闘っているんだぜ。だから俺たちは兄弟みたいなもんだ。そして、俺たちみたいに苦しんでいる人々を助けたり元気づけたりするために、こんど基金組織を作ろうと思っているんだ。」
なんと人間的で、すてきで、優しさにあふれた人なのだろう。アビダルは息子との抱擁を続けている。そして約束の10分がやって来た。彼は自分の腕につけていた腕時計を外し、息子の手首にはめようとしている。ロレックス・デイトナという時計のようだ。
「この時計の裏に自分の名前が彫ってある。ぜひとも君にもらって欲しい。幾らするものかなんて問題じゃないさ。君に元気が出ればそれでいいんだ。」
そして最後の抱擁をし、彼は次の部屋へと向かっていった。いままで見たことのないような息子の幸せそうな顔を、私は決して忘れることはないだろう。
アビダルの優しさと気遣いに対して、私たち夫婦はどのようにお礼を伝えればいいのかわからない。そんな私たちが思いついたことは、彼への感謝の気持ちを込めた“アビダルへの手紙”を新聞社へ送ることだった。
どのような素晴らしい薬よりも、あこがれの選手たちが直に訪ねてきてくれることが、病気に苦しむ子供たちへの治癒になるようだ。息子は以前と比べると驚くほど元気になっていた。私たちはペップ監督を尊敬しているし、メッシーやチャビ、イニエスタやプジョーのファンではあるけれど、そして彼らがいかに素晴らしい選手で、そして素晴らしい人たちであろうと、私たち家族のアイドルはアビダル以外にいない。バルサがクラブ以上の存在と言われるように、私たちにとって、彼は単なるフットボール選手以上の存在となってしまったのだから。
最後に、同じように病気で苦しむ子供たちとその両親たちに、できる限り早く元気が戻ってくることを祈って。
今年の1月15日、カタルーニャの新聞ラ・バンガルディア紙に“アビダルへの手紙”と題された投稿が掲載された。当時、それなりの話題を呼ぶことになる投稿だったが、多くの人々はアビダルはすでに順調に回復に向かっていると思っていた。だが、どうやらそうではなかったようだ。
3月15日、“近いうちにアビダルの肝臓移植手術がおこなわれる予定”というショッキングなニュースがバルサから発表された。もうすでに順調に回復していると思っている人が多かっただけに、驚きのニュースであった。それでも毎日の練習中の元気そうなアビダルの姿がテレビ画面から流れ続けていた。そして4月10日、ヘタフェ戦の当日に延々12時間にもわたる肝臓移植手術がおこなわれた。手術後、会長のサンドロ・ルセーやアビダルの奥さんのアイエットさんが順調な回復を遂げていると語っているが、具体的な公式発表は今日の段階でまだ一度もおこなわれていない。
間違いなく、病室のテレビでクラシコを見るであろうアビダル。医薬品よりも憧れの人の来訪が子供たちを元気にしたように、クラシコの勝利がアビダルにエネルギーを注入してくれることを祈って、バァ〜モス!バルサ!
審判技術委員会
クラシコを担当する審判には、ウンディアノ・マレンコが任命されている。あのメスタージャで開催されたレアル・マドリ相手の国王杯決勝で笛を吹いた審判だ。アルベロアやぺぺ、ラモスなどの非常識なタックルに対しファールを取らなかったり、明らかなタルヘッタ・ロハと思われるファールを黄色い紙だけで済ました審判で、個人的には気にくわない任命だが、まあ、それは良しとしよう。さて、この審判の任命は誰がするのか、それは、スペインフットボール連盟に属し、スペインリーグの試合を担当する審判の最高組織にあたる審判技術委員会となる。簡単に言ってしまえば、審判の養成をおこなったり、各試合の担当審判を選出したりするのが主な仕事となる。常識的に考えれば、どこのクラブカラーを持つことなく常に公平な立場であることが要請されるが、約100年の歴史を持つこの委員会を構成する人物や会長たちの履歴を見てみると、とてもとてもそういう望ましい傾向があるとは思えない。初代会長から現在の二十六代会長までの歴史をのぞいてみよう。
アルフォンソ・アルベニス・ホルダナ
(初代会長 1921)
これから登場してくる多くの会長と同じように、この初代会長もまたマドリソシオであり、元マドリ選手でもあった。1913年から8年間にわたりマドリ理事会員という経歴も持つ。
カルロス・ディエステ・ベガ
(二代目会長 1921〜24)
1914年から1年だけマドリでプレーし、現役引退後は7年間にわたりマドリ理事会員を務めている。
ルイス・コリーナ・アルバレス
(三代目会長 1926)
1924年から2年間にわたり事実上この委員会は活動していない。1926年新たな組織編成の元に復活した委員会の会長に就任したのがこの人物。もちろんマドリソシオであり元マドリ選手でもある。
アントニオ・デ・カルセル
(四代目会長 1926〜28)
この人もまたマドリソシオであると共にマドリ理事会員のひとりでもあった。彼の兄弟のひとりはマドリの最初の監督に就任しており、もうひとりの兄弟は1940年代のサンティアゴ・ベルナベウ会長時代のクラブ理事会会員でもある、ということで、家族そろって大のマドリディスタ。
ルイス・イグレシアス・ガルシア
(五代目会長 1928)
決断力に欠けるとして、わずか2か月でクビになっている。
フリアン・ルエテ・ムニエサ
(六代目会長 1928)
彼もまたわずか2か月で辞任に追い込まれている。元マドリ選手でありクラブの理事会員でもあった。
アルフォンソ・アルベニス・ホルダナ
(七代目会長、1928〜30)
人材不足のためか、ここで初代の会長の出戻りだ。彼の復帰と時期を同じくして、この年からいわゆるスペインリーグがスタートしている。
アントニオ・デ・カルセル
(八代目会長、1930〜36)
彼もまた出戻り会長だ。前回は2年間会長を務めているが、今回は6年間という長い就任期間となっている。もし1936年にスペイン内戦が勃発していなければ、更に続いていたと思われる。
エウロヒオ・アレンゲレン・ラバイル
(九代目会長、1939〜46)
3年間続いた内戦が終わり、戦後初の会長となったのがこの人。もちろんマドリソシオであり元マドリ選手でもある。
マヌエル・アルバレス・コリオイス
(十代目会長、1946)
マドリソシオとか元マドリ選手、元マドリ理事会員ではなく、審判技術委員会という名にふさわしく、この委員会誕生以来初の元審判が十代目にして会長となった。だが、マドリカラーを持たないこの人は1年もたたずに辞任に追い込まれている。
エミリオ・スアレス・マルセロ
(十一代目会長、1946〜47)
マドリソシオにして、マドリ理事会で経済部門を長年担当してきた人。再びマドリカラーの登場。
ラモン・エチャレン・サンスマガライ
(十二代目会長、1947〜48)
マドリソシオでも中央出身でもなく、オサスナの地元であるナバラ出身の人。と同時に、オサスナのソシオでもあったようだ。
ペドロ・エスカルティン・モラン
(十三代目会長、1948〜51)
レアル・ソシエダでプレーした後、審判業を務めている。自他共に認めるマドリファンで、会長職を辞任したあとマルカ紙のコメンタリスタを務めている。
ルイス・サウラ・デル・パン
(十四代目会長、1951〜52)
50年以上のマドリベテランソシオ歴を持ち、マドリでは9シーズンにわたりプレーしている。また、スペインフットボール協会の会長も務めている。
エウロヒオ・アレンゲレン・ラバイル
(十五代目会長、1952〜53)
彼もまた40年間以上マドリソシオであり、10年間に渡ってマドリでプレーした経験を持つ。
エミリオ・アルバレス・ペレス
(十六代目会長、1953〜56)
3年間にわたって会長を務めた人物ながら、彼に関する資料は残っていない。
ニバリオ・デ・ラ・グルス
(十七代目会長、1956〜61)
この会長もまた数少ない元審判出身の経歴を持つ。そして審判現役時代からマドリに対するシンパ感を隠そうとしなかった人物でもある。
マヌエル・アセンシ・マルティン
(十八代目会長、1961〜67)
50年代後半から元審判の経歴を持つ人物がこの委員会の会長を務めるようになる。そしてその中でも現役時代もっともエリート的な存在だったのがこの人物。国王杯の決勝戦や国際試合の審判も務めた経歴を持っている。
ホセ・プラサ
(十九代目会長、1967〜70)
現在の会長であるビクトリオ・サンチェス・アルミニオと共に、最も長期にわたって会長職を務めたひとりであり、誰よりもスキャンダルに包まれた人物でもある。会長就任後3年目に“グルセッタ事件”が発生し、多くの批判を浴びて辞職しているが、2年後に復職し18年間にわたって会長を務めている。
「私が会長である限りバルサがリーグ優勝することは一度としてないだろう」
という有名なセリフを吐いた、アンチ・カタランの固まりのような人物でもある。もっとも彼の“決意声明”に反して、その18年間にバルサは2回!もリーグ優勝を遂げている。プロ選手としての経験はないが少年時代はマドリのカンテラ組織に属していた。
ホセ・フェルナンデス
(二十代目会長、1970〜71)
アンダルシア地方出身の元審判であり、ホセ・プラサの辞任により急きょ会長職についている。だが、1シーズンのみの任期だった。
フランシスコ・パルド・イダルゴ
(二十一代目会長、1971〜72)
彼もまたわずか1シーズンだけの会長職となるが、現役審判の年齢制限を決めた人物でもある。
ホセ・プラサ
(二十二代目会長、1972〜90)
バルサの敵が会長職に戻ってきた。それも延々と18年間も続く独裁政権を構築することに成功している。
フェルナンド・デ・アンドレス
(二十三代目会長、1990)
元審判出身の会長ながら、特に彼に関するエピソードはない。ただ、1980年代に現役審判だったラモス・マルコスの友人だったことで知られている。このラモスという審判は笛を吹いている現役時代からマドリシンパとして自他共に認められていた人で、クラシコで笛を吹くときには、マドリのユニを審判服の下に着こんでいたとも噂されていた人物だ。引退後はメディアに登場することも多く「私はマドリディスタだったし、今でもそうだ」と図々しくもくっちゃべっている。
ペドロ・サンチェス・サンス
(二十四代目会長、1990〜93)
第二十四代目会長職はこのマドリッド出身のペドロ・サンチェス・サンスとカタルーニャ出身のアルベルト・ヒメネスによって争われたが、後者が突然の候補取りやめ発言をしたことで話題となった。20年以上たった今でもその取りやめ理由は明らかになっていない。この会長は元審判ではあるものの、地方リーグでの経験しかない。
ロペス・エスピノサ
(二十五代目会長、1993)
前会長辞任後に、新会長就任までのわずかな期間の隙間を埋めるための“臨時会長”的な存在ながら、一応二十五代目会長として記録に残っている。長年にわたるマドリソシオでもある。
ビクトリオ・サンチェス・アルミニオ
(二十六代目会長、1993〜2012現在まで)
サンタンデール出身の元審判。1993年から現在に至るまで会長をしているから約20年間の長期政権となっている。スペインフットボール連盟会長のビジャール会長の親友でもある。
これまでこの委員会の会長を務めた人物を見てみると、ほとんどがマドリディスタであったことがわかる。だが、それだからといって、これまで多くのリーガタイトルを獲得してきたマドリが、審判のおかげだけでそれを達成できてきたとは思いがたい。ここ30年ぐらいの時代を総括してみると、キンタ・デ・ブイトレの時代だとか、ガラクティコの時代などに見られるように、良い選手によって構成された素晴らしいチームが誕生していたひとつのサイクル時期に実力でタイトルを獲得してきている。ただ、この委員会会長の歴史を見れば、マドリというクラブとこの委員会ははこれ以上ないほどの“良好の関係”を持っていることは一目瞭然だ。バルサが好調となると中央メディアから飛び出す“ビジャラット”キャンペーンがいかに嘘っぽいものであることかがわかる。
ペップの思惑
2月11日、オサスナ戦に敗れて首位レアル・マドリとの差が10ポイントとなった試合後、ペップ監督は次のように語っている。だが、歴史にない幸せな季節を過ごし続けているバルセロニスタの多くは、これを降参宣言とは受け取らなかった。カンプノウでの知り合いたちの多くもまた、これを降参宣言とは受け取らず、選手に対するペップ風のメッセージと理解していた。
“タイトル獲得のことなんか考えなくて良い。これからはすべての試合が決勝戦という気持ちで勝つことだけを考えていけばいい。歴史を作り続けているチームとしての誇りを見せると共に、さらに新たな歴史を作ろうじゃないか。”
10ポイント差というハンディを乗り越えて、さらに新しい歴史を作り上げよう!そんな感じでこの言葉が受け取られていた。そう、チームを取り巻く雰囲気が順風満帆のホンワカ状態の時はすべてのことがポジティブに受け取られる。もし、例えば、セラ・フェレールが監督の時にこんな発言がなされたら、それこそ大騒ぎとなっていただろう。
「まだ15試合も残っているのに、バルサの監督ともあろうものが何を言うか!さっさと辞めてしまえ!コーニョ!」
セラ・フェレールさん、例にだしてゴメンナサイ。
確かにペップの言うように、レアル・マドリとの10ポイント差を縮めるのは大変なことであり、新たな歴史を作るための大挑戦と言っていい。リーガの近代の歴史を見てみよう。2003−04シーズン、つまりライカーの最初のシーズン。ラファ・ベニテス監督率いるバレンシアが、レアル・マドリを追い越してリーガ制覇を果たしているが、これは8ポイントの差を追いかけてのものだった。このシーズン、ライカーバルサもまた15ポイントもあったレアル・マドリとの差を逆転し、彼らを追い越すことに成功しているが、リーグ優勝にまでは至っていない。
このメッセージが功を奏したのか、はたまた単なる偶然のなせる技か、ペップバルサはオサスナ戦以降今日に至るまで、リーグ戦10連勝と快進撃。クラシコを含めて残り5試合となったところで、首位まで4ポイント差まで来ている。サラゴサ戦に勝利しマドリとの差が4ポイントとなったところで、ひとりのジャーナリストがしつっこくもペップに質問する。
「10ポイント差の時にはリーガ制覇は不可能と語っていたが、4ポイント差となった今も同じ意見か?」
「かなり不可能に近い。」
ペップの答えは以前と比べても大した変わりはない。
そしてクラシコの前の試合ヘタフェ戦に勝利した後のペップは、記者会見で新たに次のようなメッセージをおくっている。
「笑顔を少なく、走り続けることを心がけよう。」
やっとポイント差を縮めることができたことで、必要以上に喜び続けていたり浮かれていたりする選手に対する“警告”のメッセージではない。これは我々の原点に戻れというメッセージであり、そのことを誰よりも知っているのがペドロとブスケだっただろう。三部リーグでペップ監督のもとでプレーしたこの二人が、誰よりもこの言葉を理解しただろうと思う。
2007−08シーズン、三部リーグに落ちていたバルサBの監督就任要請を引き受けたペップ・グアルディオラ。もちろん彼にとって初の監督経験だった。プレステージを通じて少しずつ選手たちのことを理解していくペップだったが、ラ・マシア出身の選手が多いだけに、才能的には素晴らしい選手があふれていることを確認していく。プレステージでの練習、そして練習試合を通じて選手たちに執拗に要求したのが「笑顔を少なく、走り続けることを心がけよう」ということだった。テクニックだけではダメだ、フィジカル的に強くなくても、必要な時には常に走り続けることを心がけなくてはいけない。相手選手に加えるプレッシャーはその精神があって初めて可能となる。ボールテクニックに優れた才能ある者でなければペップバルサの選手にはなれない。だが、その才能に加えて、必要な場面では相手選手と同じように、いやそれ以上に走り続けるのを怠ることは許されない。
「笑顔を少なく、走り続けることを心がけよう。」
それはペップ監督にとってフットボールの原点でもある。今考えてみれば、期待されたマーク・クロッサスが、最終的にペップ監督に評価される選手とならなかったのは、このへんの事情かも知れない。
チャンピオンズ準決勝ロンドン編。まるでハンドボールの試合展開を試みるチームと、ラグビーのそれを試みるチームによって戦われたかのような準決勝前半90分間の試合は、ラグビーチームの勝利に終わった。負けたとは言え、どこかのチームの監督と違って、ペップ監督からいっさいの言い訳がましい言葉は聞かれない。
「フットボールの試合に公平な結果も不公平な結果もない。相手チームより多くのゴールを入れたチームが勝利する、それがフットボールのルールだからね。彼らは少ないチャンスをものにし、そして我々は多くのチャンスをいかすことができなかった。それだけのことさ。それでも、チャンピオンズの準決勝という試合で、24回ものシュートを放つチームはこの世界ではなかなか見つからないと思う。ここでそれができたのだから、我が家(カンプノウ)でそれができないわけがない。決勝進出はじゅうぶんに可能だし、これでまた新たな挑戦が増えたことになる。」
クラシコも終わり、このチャンピンズカンプノウ編も終わりとなると、いよいよペップの契約更新発表だ。
マドリ選手の密会
ディエゴ・トーレス記者(エル・パイス紙3月24日)1−1というスコアで引き分けに終わったビジャレアル戦。試合後、モウリーニョはロッカールーム内で今か今かと選手たちの到着を待っていた。選手たちがぞろぞろとロッカールームに入ってきて全員が集合すると、ドアは閉められた。だが、そのロッカールームから聞こえてくる怒声は、通路にいるものにまで聞こえてしまうほどの興奮したものだった。
「さあ、みんなこの部屋から出ていったらこう言うんだ!審判のせいで我々は勝利できず2ポイントを失ったってな!プレスの人間にインタビューされたら間違いなくこう言うんだぞ!」
もちろん、それはモウリーニョの怒鳴り声だ。興奮している彼の様子がその声から伝わってくる。だが、ロッカールーム内の選手たちは(といってもロナルドとぺぺとコーチ陣はのぞいての話だが)いつものように監督のアジ演説に聴き入ると言うよりは、着替えを続けたり、シャワーを浴びる準備をし続け、まるで聞く耳を持たないかのように無視していたという。いや、無視するだけではなく、まるで監督に反抗するかのような声まで聞こえてきた。
「それじゃあ、いつもと同じじゃないか!俺たちがしなければならないのは可能な限り良いフットボールを心がけることじゃないのか!」
興奮で顔を真っ赤にしたモウリーニョが、カランカと共にロッカールームから出てきた。彼らの姿が通路から消えてから間もなく、クラブは次のような公式メッセージをメディアに送っている。
「試合後の監督記者会見には応じることなく、選手たちもいっさいのコメントを自粛することに決定。」
つまりメディアを前にしてはレアル・マドリの監督・選手たちはいっさい口を開きませんよ、という沈黙宣言であった。
選手たちはもちろんメディアを前にして沈黙を守った。そのかわり、このビジャレアル戦以降、選手たち同士の話し合いが頻繁におこなわれるようになった。例えば、試合の翌日木曜日、チームのカピタンであるカシージャスとラモスは、話し合いをもつために選手全員を招集している。監督やコーチ陣にはいっさい声がかけられず、クラブ職員の出席も拒否してのものだった。つまり、選手だけによる会合。この“秘密集会”と呼んでもおかしくない会合に参加した選手のひとりが語るところによれば、昨シーズンの間違いを再び犯さないことを誓い合ったという。それはどういことか、監督モウリーニョ方針による審判攻撃は、試合中の作戦ミスについて、メディアからの批判を避けるものにしか過ぎないし、それは対戦する相手チームのモチベーションを逆に高めてしまう結果を生むことになる。そして監督からの意向とは別に、これからも必要に応じて選手同士で話し合って、戦い方そのものを改善していくことを誓い合ったという。
モウリーニョはもちろんこの会合があったことを知ることになる。クラブ内のことならどんな些細なことまでコントロールしようとしてきた彼のことだ、彼の知らないところで選手同士が勝手に話し合いを持ったことを不快に思ったのは間違いない。
週末におこなわれたレアル・ソシエダ戦後も、監督はもちろんすべての選手たちは沈黙を守っていた。フロレンティーノの飼い猫ブトラゲーニョがメディアを前にして語る。
「ビジャレアル戦では不可思議な出来事が多かったからね、選手たちが何も発言しない方が良いと監督が判断したのだろう。我々レアル・マドリはいっさい審判に関してはコメントしないのがクラブの伝統となっているし、選手たちが興奮した状態で余計なことを質問されたりするのは危険なことだ。ただひとつ言いたいこと、それは、残っている9試合ではできる限り審判がミスしないことを期待したいということだ。」
ブトラゲーニョは、彼の同僚であるミゲル・パルデサの発言を忘れてしまったのだろうか。レアル・マドリのスポーツ・ディレクターであるバルデサがビジャレアル戦の翌日にアス紙、マルカ紙、そしてムンド紙のインタビューに応じ次のように語っている。
「これまでのバルサが戦う試合での審判の判断傾向と、我々レアル・マドリの試合でのそれの違いに、我々は不快感を抱いている。」
そしてやはりマルカ紙にレアル・マドリ名誉会長ディ・ステファノが次のようなタイトルで審判批判のコメントを載せている。
“もう我々から何も盗むな!”
モウリーニョの沈黙
ディエゴ・トーレス記者(エル・パイス紙4月16日)
モウリーニョがこれ以上にない幸福感に浸れる理由はたくさんある。バルサを押さえてリーガの首位を走っていること。2年連続チャンピオンズ準決勝に進んでいること。この大事な時期を迎えて選手層はこの上なく厚いこと。そして何よりも、監督としての年俸はこのフットボール界で群を抜いて一番ときている。それにもかかわらず、モウリーニョがここのところ非常に不機嫌であり、妙によそよそしく、時として挑発的な態度にでることがある、と選手たちは感じている。特に、スペイン人選手に対しての態度が変わりつつあることに気がついている。
最近、モウリーニョは試合前後におこなわれる監督記者会見にはいっさい出席せず、コーチであるカランカに任せっきりだ。だが、チャンピオンズ準決勝戦前の記者会見には顔を出してきた。ひとりのジャーナリストが次のような質問をしている。
「これまで拒否してきた記者会見に、なにゆえ今日は出席しているのか?」
いつもの不愉快そうな顔でその質問に答えるモウリーニョ。
「UEFAのルールで、チャンピオンズの試合前には監督が顔を出すのが義務づけられているからだ。それ以外の理由はない。」
なぜ、リーガの試合前後には記者会見に出てこないのか。その答えは選手たちにしてみれば簡単明瞭のことのようだ。彼ら選手の多くが監督の命令に従わず、そのことを非常に不愉快に感じているからであり、チーム内の統制がとれなくなったことに怒りさえ感じているからだ。
10日前におこなわれたバレンシア戦で、ビジャレアル戦後と同じもめ事が再び起きている。地元ベルナベウでバレンシアと引き分け、バルサとの差が6ポイントから4ポイントと縮まってしまった試合だ。
「いいか、メディアにつかまったらこう言うんだぞ!審判の誤審で我々はポイントを失うことになってしまった、とな。これが今からメディアを前にしてしゃべらなければならないことだ!」
その場にいた選手によれば、その要請に対して真っ向から反対する意見を表明した選手がいたという。モウリーニョがなぜだと聞き返す。
「例えば、ベティス戦のことを思い出してみればいい。決勝点となったロナルドのゴール、あれは明らかにケディラがオフサイドだったから、無効になってもおかしくないゴールだった。だが幸いなことに、審判のミスで我々は勝利することができた。そのことには誰も触れないし、あなたにしても触れたことはないだろう。そう、だからこそ、審判攻撃はしないほうがいいのではないだろうか。」
クラブのプレス責任者がモウリーニョに助言する。
「ミスター、あの試合を実況放送したTVの試合後の分析では、確かにオフサイドとして確認されていました。」
これを聞いたモウリーニョは、手にしていたペットボトルを床に投げつけて、その場から去っていったという。
ビジャレアル戦後事件の再来だ。再び、選手たちが監督の命に背いて審判批判を拒否したのだ。かつてバルサ戦で、彼らしくもなく審判批判したカシージャスは、今後いっさいあのようなことはしないと仲間に語ったという。
このような動きに出た選手たちを見て、モウリーニョは彼なりの行動にでた。もし選手たちが監督の意向に背くのであれば、そしてクラブの背広組がそれを許し続けるのであれば、今後いっさい監督記者会見には出席しないことに決めたのだ。選手たちが審判にプレッシャーをかけ、同時に監督が記者会見で審判にプレッシャーをかけることで次の試合を有利に運ぼうというアイデアは、監督・選手間の足並みがそろってはじめて成功するのだから。
ここ何試合か、リーガの試合前後ではカランカがモウリーニョの代わりを務めている。それは一時的なものだろうか。いや、そうではないようだ。スタッフテクニコたちは、今シーズンが終了するまでモウリーニョの出番はないだろうと考えている。さらに、モウリーニョに最も近いスタッフのひとりによれば、10ポイントもの差をつけていたこのリーガをもし失うような悲劇が起きれば、モウリーニョという監督のイメージに大いなる打撃を与えることを恐れているという。
チャンピオンズの試合が続く限り、モウリーニョは記者会見場に顔をださなければならない。それがUEFAのルールだからだ。バイエルン戦を前にしてその試合の担当審判ハワード・ウエブのことを質問されるモウリーニョ。
「彼は良い審判だし、こういうハイレベルの試合で多くの経験を重ねてきている。我々レアル・マドリは審判とはいっさい問題を起こしていないし、この試合でも彼にとって良い仕事となることを期待している。そしていつものように、我々の選手たちは審判の仕事を複雑にするような行動にでることもないだろう。もちろん審判も人間だから間違いを起こすこともあるだろう。う〜ん?う〜ん?という感じのペナルティーをもらって3ポイント得てしまうこともあるさ。」
それはもちろん、レバンテ戦でのバルサが得たペナルティーのことを示していた。
とりあえず、チェルシー戦
「我々にとって今の段階で最も大事なことはチェルシー戦であり、決してクラシコのことであってはならない。もしそのことを認識できないのであれば、我々は大きな間違いを犯すことになるだろう。」これで、5シーズン連続チャンピオンズ準決勝進出。個人的にもこれまで何回か遭遇してきたバルサ暗黒期のことを考えると、まるで夢のようであります。セラ・フェレールさん、レシャックさん、そしてガスパーさん、本当にまあ、素晴らしいクラブになったもんです。
チェルシー戦準決勝は18日水曜日であるにもかかわらず、スペイン国内での“クラシコ雑音”を避けるかのように、ペップバルサ御一行は、試合2日前の月曜日にロンドンに飛び立っている。しかもバルセロナに戻ってくるのも試合後すぐではなく、その翌日の木曜日になるので、三泊四日のロンドン滞在となる。
そのスタンフォード・ブリッジ、かつてモウリーニョ監督率いるチェルシーと対戦したときは、芝もなにもないお粗末なグラウンドだった。しかもこの名将監督は、芝よりはドロが目立つそのグラウンドに試合当日朝から9時間にわたって水まきを命じていた。スタンフォード・ブリッジというよりは“スタンフォード・ビーチ”と陰口を叩かれたのは記憶に新しい。だが、つい最近テレビで見た試合では、真っ青な芝生がまるでジュータンのように敷かれた一丁前のグラウンドだった。したがって、普通に水さえまいてくれれば、バルサは何の問題もなく、素早いボール回しができそうだ。
だが、グラウンド面積と同じように容れ物自体も小さいスタジアム。いったいどのくらいの観客収容数なのかと調べてみたら、4万2000人しか入らない。カンプノウの半分以下の収容人員。やはり小さい。たびたびチャンピオンズに顔を出してくるようなクラブとしては小さ過ぎる。そこはそれ、大金持ちのアブラモビッチさん、やはり容れ物を大きくすることを考えているらしい。金ならあまり余るほどある。改装費ぐらい銀行に行かなくても財布の中からだせるんだから。だが、金では済まないことが世の中にあるようだ。
このスタジアムは住宅街の中にあり、しかもスタジアム脇には鉄道が走っている。したがって、デッカイ容れ物にするための改装工事には、肝心の市役所の許可がおりないだろうと言われている。それではどうするか、それは簡単。他の場所に彼の望むような近代的なスタジアムを作ればすむこと。なんたって、金はあるんだから。かつてマンチェスターやアーセナルなどにできたことが、ロシアの大金持ちにできないわけがない。だがそれでも、やはり金では済まないことが世の中にあるようだ。
まだアブラモビッチという名を、チェルシーファンの誰ひとりとして知らなかったであろう1990年代、クラブは経済的な大窮地に陥る。当時の会長はケン・ベイツという人物。それこそ選手に給料さえ払えないような状況を迎えた時期があったようだ。ひょっとしたらスタジアムそのものを、スポンサーとなる企業に売らなければならない状況に陥る可能性があると恐れたチェルシーの金持ちファン。わけのわからない他人に売るぐらいなら我々が資金を出し合ってスタンフォード・ブリッジを買ってしまおうとなった。まったくもって美しい話です。彼らが作ったグループの名はチェルシー・ピッチ・オーナズといい、この彼らがスタジアムを買い上げそれをチェルシーに貸し出す方式をとった。貸出期間は何と199年間というからチョイと長い。だが、それにはひとつの条件があった。もしいつの日か、チェルシーがこのスタジアムを出ていく時があったら、チェルシーという名は持っていかないこと。つまりクラブ名を変えないといけないという条件だ。この人たちのチェルシー愛、半端ではありません。
金さえだせばどうにかなるだろうと、昨年の10月、アブラモビッチさんは、このグループにスタンフォード・ブリッジの買い戻しオファーをおこなっている。いったいどのくらいの資金を提供したのか、そこまでは明らかにされていないが、かなりのゼロが続くポンドであったことは想像できる。この提案を受けるかどうか、さっそくグループメンバー全員による投票がおこなわれた。答えはノー、ノー、ノー、とんでもありません、私たちはこのスタジアムを売りません、という解答だ。まったくもってご立派。ちなみに、このグループの会長名はジョン・テリーという。そう、チェルシーのカピタンであるジョン・テリー。この方がスタンフォード・ブリッジの筆頭持ち主だったんですね。バルサに例えれば、カンプ・ノウの持ち主がバルサではなくカピタンプジョーということにになったら、いやいや、笑えます。
そんなことはともかく、とにかくチェルシー戦。誰がスタメンにでようが誰がゴールを決めようがそんなことはどうでもいいが、できることなら、このスタンフォード・ブリッジの試合で決勝戦進出の可能性が大になりました!という結果に終わってくれることを期待。
バモス!バルサ!
ベルナベウからカンプノウへ
「昨シーズン、名将モウリーニョ監督指揮の下、我がレアル・マドリは歴史的な飛躍を遂げたと言ってもおおげさではない。結果的にはリーガ2位に甘んじたとは言え、リーガ最多のゴール数を記録したのは我がレアル・マドリであり、同時に我らがクラック、クリスティアン・ロナルドは、リーガの歴史を塗り替える最多のゴール数を達成し、我らが監督にしても、FIFAの選ぶ最優秀監督という名誉ある賞を獲得することができた。さらに、8年ぶりのチャンピオンズ準決勝進出を成し遂げただけではなく、最も重要なこととして、国王杯を制覇することができた。まさに、国王杯の歴史に残るであろう素晴らしい決勝戦に勝利できたことは、クラブ史上にさんさんと輝く足跡を残したことになるだろう。」昨年の暮れ、ベルナベウクラシココーナーを閉じてから数日後におこなわれたフロレンティーノ会長主催“クリスマスパーティー”での、中央お抱えメディアを前にしての発言だ。2011年12月10日に地元ベルナベウで戦われたクラシコは、1−3というスコアでバルサが勝利した。それから数日してのこの発言、いかにお抱えジャーナリストばかりとはいえ、その中には我が耳を疑う人がいてもおかしくはなかっただろう。多くのマドリディスタがいまだに“コーニョ!”と叫びたくなるような、あの苦々しいクラシコからまだ数日しかたっていなかったのだ。何とも複雑怪奇な発言ではないか。コパ・デ・ヨーロッパのカップを9つもマドリ博物館に展示しているであろうクラブが、国王杯獲得ごときで“歴史的飛躍”とするのは、現在のフロレンティーノマドリ、いやモウマドリというクラブの置かれている状況の複雑怪奇さをそのまま表したものだろう。だがそんな余計なことはよそに、フロレンティーノ会長はマジな顔でマジにしゃべり続ける。
「レアル・マドリの会長として、これまでとり続けてきたいくつかの重要な決断の中で、これ以上になく素晴らしいものをひとつあげろと言われれば、それは間違いなくモウリーニョを監督に選んだことだ。これまで多くの偉業を遂げてきた監督だからでもなく、FIFAによる最優秀監督賞をとったからでもなく、私にとって、そしてすべてのマドリディスタにとって、モウリーニョは我がレアル・マドリの監督として最も相応しい人物であるからだ。単なる名将ではなく、どんな逆境を迎えようと常に勝利することに成功してきた、これまで我がクラブに欠けていた“勝利者”魂を持った監督である。」
長年一緒にやってきた現場の最高責任者バルダーノを、モウリーニョ監督と気が合わないからと辞任に追い込み、これまでのレアル・マドリの監督には考えられなかったできる限りの権力をモウリーニョに預けたフロレンティーノだから、当然といえば当然なコメントなのかも知れない。筋が通ろうが通るまいが、マドリディスタが納得しようがしまいが、いかにバルセロニスタの笑い声が聞こえてこようが、そんなことはかまわない。どんなことがあろうが監督を擁護しなければならない。例え、相手チームコーチの目に指を突っ込む暴漢監督であろうと、試合後に地下駐車場で審判を待ち受けて暴言を吐き散らす無法監督であろうが、あるいは、監督の義務といっていい試合前後の記者会見を拒否する滅茶苦茶監督であろうと、少なくとも結果だけをだしてくれれば、会長席を他人に譲ることは避けられるのだ。何と言っても、最悪のライバルであるバルサに3シーズン連続リーガタイトルをとられているだけではなく、ヨーロッパフットボール界のヘゲモニーそのものも持っていかれてしまっているレアル・マドリなのだ。ジェントルマン精神?そんなものはクソ食らえだ。結果だ!結果だ!とにかく結果が欲しい!
選手獲得費用5億ユーロという投資のおかげか、度重なる審判のミスによるおかげか、はたまた負傷者が続出したバルサのおかげか、今から約2か月前、レアル・マドリは2位に10ポイントも差をつけて首位にたった。あのバルサに10ポイント差、これはもうウハウハ状態のマドリファミリーとなったことは誰にも理解できる。そこで中央お抱えメディアに登場したアンケートが次のようなものだった。
“カンプノウクラシコではバルサの選手にパシージョを作らせるのを期待するか?”
“バルサに勝利することでリーグ優勝を決めることを期待するか?”
何とも他愛のないアンケートではある。いずれにしてもレアル・マドリのリーガ制覇は暗黙の了解事項となっているウハウハマドリファミリーだった。ひょっとしたら、今シーズン彼らにとって、最も幸せに満ちた時期であったと回想されることになるかも知れない。
というのは、、ここ2か月ちょいで、それとなく8ポイント差となり、あらあら6ポイント差となり、クラシコが近づけばアッと驚く4ポイント差となってしまったのであります。ホンワカドリーム状態から厳しい現実に戻されてしまった多くのマドリファミリーは、カンプノウクラシコで勝てるなどと本気で信じているわけじゃない。つまり、残り4試合で1ポイント差というところまで来てしまったのだわい、プン、プン。
いかにお抱えメディアとはいえ、ビジネスとしてジャーナリズムが成り立っていることを忘れるほどバカじゃない。あまりにも現実離れした提灯記事だけで紙面を埋めていては、本来のビジネスとしてやっていけないことはもちろん知っている。マドリ・カルデロン会長体制に疑問符を投げかけるマドリディスタがでてきたことを察知したマルカ紙は、ここぞとばかり反カルデロンキャンペーンを突如として流し始めた。結果として、マルカ紙の売り上げが伸びただけではなく、カルデロン体制の崩壊と共にフロレンティーノ会長の誕生を生むことになった。そしてここ最近、アス紙が徐々にモウリーニョ批判を開始しつつある。
例えば、3月27日アス紙のビジャラットおじさんによる社説は次のようなものだ。
“UEFAが毎年発表する各国リーグランキングというのがある。発表年から5年前までさかのぽり、UEFAの大会でどの国のクラブが活躍しているかを統計的にまとめたものだ。スペインはバルサの活躍があるとはいえ、チャンピオンズでのマドリの不振がたたって、プレミアリーグに抜かれてしまっている。スペインリーグが1位となっていないのは、9つのカップを持つ20世紀最優秀クラブであり、ヨーロッパ最大の年間予算を誇るクラブであるレアル・マドリの責任であることは疑いのないことだ。だが、幸いなことに、モウリーニョが監督に就任して以来、シーズンごとに本来のレアル・マドリとしての結果をだしてきている。ひとりのスペイン人としてこれほど嬉しいことはない。だが、と、もうひとつ“だが”をつけなければならないことが残念ではある。それは、あまりにも多くの代償を支払わなければならなかったことだ。レアル・マドリはジェントルマンとして知られたクラブだった。先週のブトラゲーニョの発言(注・ビジャレアル戦で引き分けたあと、モウリーニョは試合後の記者会見を拒否しただけではなく、すべての選手に対し沈黙をまもることを要求していた。そこで背広組のブトラゲーニョがTVインタビューに応じ、ビジャレアル戦では不可思議な出来事が多かったから、選手たちが何も発言しない方が良いと監督が思ったのだろう、という発言をしている。)を理解するのは苦労することだ。昨日のモウリーニョの発言(注・沈黙を命じたのは私ではない。)に至っては怒りさえ感じる。これまでも何回か見られたように、自ら問題を起こしておきながら知らんぷりする彼の態度は、決してレアル・マドリの監督がするものではない。フットボール的には、ここ何年間にわたって歴史的な活躍を見せているバルサを追い越すことが可能だと思われるモウ・マドリだが、個人としての彼を見る限り、とてつもなく醜く、多くの人々に反感を抱かせているのは非常に残念なことだ。レアル・マドリの監督としては、彼の言動や行動は相応しくないところが見られるが、今はただかつてのジェントルマンクラブとしてのレアル・マドリに戻る日が来ることを祈るばかりだ。」
バルサとの差がわずか1ポイント差となるであろう土曜日の22時。ただでさえ面白くも何ともない試合を続けているレアル・マドリに結果がでなくなり、タイトル獲得に疑問符が付くようになったとき、それはそれは面白いことが起こりそうだ。
ワクワクドキドキのこの1週間の旅にビエンベニード!
クラシココーナー イントロ
クラシコの戦いまであと1週間。だがその“今世紀最大”の戦いを前に控えて、バルサはチェルシー相手のチャンピオンズの戦いを経なければならないし、マドリの方といえばミュンヘンでのチャンピオンズの戦いが待っている。短い期間のクラシココーナーとはいえ、あまり先を急いではいけない。時間の経過と共に徐々に盛り上がってくるであろうバルセロニスタに贈るこのコーナーのイントロは、クラシコとはまったく関係のない話題ながら、横浜で開催されたクルブ・ムンディアルを観戦するために、初の日本旅行を試みたひとりのカタラン人の“旅行記”としよう。帰国後、とあるバルサブロッグに掲載されたものだ。
“Japo es BlauGrana”、横浜日産スタジアムの南ゴール裏にこのように書かれた大きな垂れ幕が見られる。Penya Barcanik de Tokioという、バルサファン組織の人々によるものだ。“Japo es BlauGrana”それはちょっと大げさじゃないかい?、とスペインのバルセロニスタは思うかも知れない。だが、そうじゃないんだな。短いながらも今回の日本という国の滞在で、それが決して大げさでも何でもないことを知ることになるんだ。
まず最初にそのことを経験するのは、都内名所観光のツアーバスに乗り込んだ時だった。このツアーに参加しようと思ったのは、各名所をバックにバルサの旗をひろげた自分の写真を撮りまくること、それが理由だった。ツアーバスだから、ほとんどが我々みたいな外国人だと思ったら、なぜか日本人ばかりだったのには驚きだった。だが、こんなことで驚いていてはいけないと気がついたのは、最初の観光名所でバスが止まった時だった。
バスを降りてさっそくバルサの旗をひろげ、同行している彼女に写真を撮ってもらおうとした。「Barsa daaaa !!!!」そんな感じの声が聞こえたと思ったら、何人かの人々がVサインをしながら周りに走り寄ってきたのだ。当初の予定では自分ひとりでクールな感じの“バルサ写真”を撮るはずだったのに、こんな思いがけないことになってしまった。なんと楽しい人々なのだろう。自分の周りに寄ってきたのは一緒にバスに乗っていた人々だけではなく、偶然その場を歩いていた人々もいるじゃないか。何か所目かの観光名所では、テレビ局かと思われる人も近づいてきて 、短いインタビューまでされてしまった。“Japo es BlauGrana”、いやいや、それは決しておおげさなことじゃないと思い始めている自分がそこにいた。
「なんか私たちは、ここでは特別扱いされている感じね。この人たちはひょっとしたらあなた以上にバルセロニスタかも知れないわよ。」
彼女が笑いながらそうささやく。
バルサ対アル・アサドによる準決勝の試合。日産スタジアムはほぼ満席だ。しかも驚くことに(驚いているばかりのようだが・・・)ほとんどの人々がバルサカラーに身を包んでいるじゃないか。ユニを着こんでいるのはもちろん、バルサの旗やマフラーまで用意している人がほとんどだった。しかも驚く(また驚きだ!)ことに、ほとんどが日本人と思われる。“Japo es BlauGrana”、これはチットも大げさじゃないぞ、もうそう信じ込んでいる自分がいる。
「でもブラジル相手の決勝戦では、こうはならないわよね。ブラジルには多くの日本人移民がいると聞いているし、サントスの地元サン・パウロには100万人の日本人移民が住んでいるらしいわよ。」
俺の彼女はいつからこんな物知りになったのだろうか・・・。
だが、そんなことはよそに、“Japo es BlauGrana”が決して大げさでも何でもないことを知ることになる日がやって来た。決勝戦の前日、日本人バルセロニスタが主催するというパーティー、渋谷という繁華街にあるバーでのバルサパーティーに、ツアーガイドのフィデルの推薦で、参加することになったのだ。
「でも何か心配よね。彼らはカタランはもちろんカステジャーノもしゃべらないだろうし、私たちは日本語がわからないし、ただひたすらビールを飲みまくっているだけ、ということにならないかしら。何だか不安だわ。」
「たぶんそんなことはないさ。何たって“Japo es BlauGrana”なんだから。」
昼間は鎌倉というところに行って観光をし、そのあと電車に乗って渋谷に到着。そしてさっそく目的地へ。場所はすぐに見つけられた。ビルの階段を下りて、いかにも日本的と思われる引き戸の入り口から店内に入っていく。中にはいくつかの長いテーブルが配置され、たくさんの人々がすでに飲み物を口にしていた。時間より遅れてくるのは我々の得意技だからしかたがない。店内を観察すると、みんな足を曲げて座っているように見え、一瞬不安がよぎった。だがよく見ると、テーブルの下に足を伸ばす場所があり、その心配はないようだ。我々は店内の観察をすませると、係員と思われる人の案内で空いている場所に移動した。
みんなが不思議そうに我々を見守っている感じだった。
「私たちはここでは不似合いな外国人ね。」
「いや、そうじゃないと思うよ。我々は日本人バルセロニスタに混じったカタルーニャのバルセロニスタのひとりに過ぎないだけだよ。」
ほとんどすべての人がバルサのユニを着こんでいる。中にはカタルーニャ代表のユニを着ている人もいた。それを見た瞬間、涙がチョチョギレてしまうのではないかと思ってしまった。みんな楽しそうに飲み物やつまみを口にして、静かにしゃべりあっている。タバコを吸っている人もいるのには驚き(まただ!)だった。
違和感を感じたのはほんの数分のことだった。我々が席に落ち着くと、さっそく話しかけてくる人々が押し寄せてきたのだ。それもカステジャーノでだ。我々が外国人だといって英語で語りかけてくる人はひとりもいなかった。みんな、苦労しながらも、カステジャーノで語りかけてきてくれた。
「あなたが言ったように、我々はバルセロニスタのひとりなのね。」
ふだんはあまりビールなど飲まない彼女が嬉しそうに飲み始めた。
そうこうしているうちに、最初のカンティコが流れ始めた。
“O , le, le, o la , la , ser del Barca es el millor que hi ha”
“O , le, le, o la , la , ser del Barca es el millor que hi ha”
俺を見ながら彼女が驚いたように語りかける。そう、彼女でも驚くことがあるのだ。
「みんなカタランでカンティコを唄っているけれど、これは私がトイレに行っている間に、あなたがみんなに教えたの?」
「まさか、そんな時間があるわけがないだろ。それにしても、こんな素晴らしくも楽しい人々とビールを一緒に飲んだことは、これまでない気がしてきたよ。」
代わる代わる日本人バルセロニスタが我々に声をかけに来てくれる。日本滞在中の感想をたずねる人もいれば、バルセロナに旅行したさいの記念ショットを見せてくれる人もいる。カンプノウでの試合観戦時の写真や、パリやローマでのチャンピオンズ決勝戦の時の写真を見せに来てくれる人もいた。中にはソシオカードを見せてくれた人もいたし、ペップの延長契約はどうなるのだろうかとか、はたまたバルサBチームの中で来シーズントップチームに上がってくる選手候補を知りたいとか、まったくもってコアな質問をしてくる人もいた。それにしても、バルサに関して彼らは多くの情報と興味を持っているようだが、果たしてこれらの情報はどこから手に入れているのだろう。
楽しい時間があっという間に過ぎていく。そして、最後にバルサイムノの登場だ。カンプノウで聞くイムノとは違い、日本語アクセントと思われるバルサイムノ。これも決して悪くない。ただ、ほとんどの人は一番の歌詞しか覚えていないようだ。そこで我々の登場となる。1万1000キロの旅をして来た我々が、チョットだけ役にたつ瞬間だ。いろんな意味で、ここにやってきて良かったと思われる瞬間でもあった。
「あなた泣きそうな顔をしているけどどうしたの?なにか変なものでも飲んだの?」
「いや、タバコの煙が目にしみただけさ。」
「なんだか、映画のセリフみたい。」
全員が立ち上がって、“Japo es BlauGrana”と描かれた20mはあると思われる垂れ幕をひろげ始めた。翌日、日産スタジアムの南ゴール裏に登場するはずの垂れ幕だ。このスローガンが決して大げさでも何でもないことを知った4時間のとてつもなく素晴らしいパーティーの幕が閉じられた。
サントスファンによって埋め尽くされるだろうと予想した物知り彼女の思惑は見事に外れて、決勝戦は多くのバルサユニを着こんだ日本人バルセロニスタが目立つ試合となった。バルサの一方的といっていい試合内容で勝利し、我々の目の前でバルサは世界チャンピオンとなった。と同時に、我々の短くも充実した、エキゾチックな旅もまた終わったことを意味していた。