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| 彼がにわかに注目を浴びるようになるには、いくつかの偶然が必要だった。 パリス・サン・ジェルマン(PSG)が国内リーグ戦においても、チャンピオンズリーグにおいても不振が続いていること(リーグ戦27試合経過した段階で9勝12敗6分けの12位)、シーズン途中でチーム再建のためにスペインの選手事情に詳しいルイス・フェルナンデス(元ビルバオ監督)が選ばれたこと、そしてバルサの首脳陣がこの若者に一流チームでの経験を積ませたかったこと。 これらの要素が重なり、アルテッタはスペインリーグ2部のBからフランスの1部チームPSGへの、今シーズンだけの貸し出しが実現されることになった。
地方からスカウトされた多くの少年達が過ごす「LA MASIA」に、アルテッタは1997年7月に入寮する。彼は、スカウト陣、クラブ首脳陣の期待に応え、97−98はバルサCADETE、98−99にJUVENIL(LA MASIA フェレール編参照)と順調に上がっていき、同時にCADETEスペインチャンピオン、JUVENILスペインチャンピオン、そして2年前セレクション・アンダー16のヨーロッパチャンピオンのタイトルを手にする。このナショナルチームにはレイナ、ナノも一緒だった。 99−00のシーズンでBarcelona Bに昇格したアルテッタは、今シーズンに入って何回か1部の練習に参加している。だが彼のプレーする場所は2部であり、しかもBからAにチームを引き上げなければいけない重要なシーズンでもあった。そんな時PSGの新監督ルイス・フェルナンデスから声がかかる。「おい、ミケル、うちのチームに来ないか?」。この時点で、クラブ間同士では条件面も含めてすでに合意に達していた。後はアルテッタ当人のOKを待つだけだ。彼は迷った。フランスの1部リーグの、それも名門PSGではあったが、彼の目標はあくまでもバルサでプレーすることだった。だが、今シーズン限りの貸し出しということを知った時、その迷いも消えた。それだったら、スター選手がたくさんいる強いチームで成長して帰って来ればいい。 Barcelona Bで最後にプレーした日から約3週間後、アルテッタはサン・シロースタディアムでミラン相手にチャンピオンズリーグを戦っていた。翌日のフランスの新聞「L' Equipe」が彼のプレーを評して次のように語っている。 彼はこの試合、ユニフォームに4番をつけていた。そのことは、彼の最も尊敬するグアルディオーラに、ほんの少しではあるが近づけたという自信を与えてくれた。その喜びは、フランスのプレスが彼のプレーを賞賛してくれたことや、ファンの人たちが彼の名を連呼してくれることより大きなものだった。 マシアは伝統的に「4番」を生み出してくるフットボール学校だ。アモールに始まり、ルイス・ミージャ、グアルディオーラ、セラーデス、ジェラール、チャビ、そしてアルテッタ。また、ついこの間話題になった16歳のアンドレス・イニエスタも皆を追う。 専門家の中には、グアルディオーラを継承する選手はチャビではなく、アルテッタだという人までいる。確かにスケールの大きさという点では、チャビを上回っているような印象を受ける彼だが、レイナの例を見るまでもなく、「幸運」という誰もが計算できないものに将来が左右される事が多いのがフットボール社会だ。このチャンスを逃してはならない。 アルテッタ、18歳。限りない希望と夢を膨らませて、いま冒険の真っ最中。 |
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