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ロナルディーニョ
(08/09/27)

カナル+というテレビ局の番組の中に、不定期ながらなかなか興味深いテーマを扱うものがある。題して“インフォルメ・ロビンソン”。かつてリバプールやオサスナでプレーしたマイケル・ロビンソンという、すでにスペイン人化しているイングランド人がディレクター兼司会者となって進められるスポーツ関係番組。今回はロナルディーニョをテーマに取りあげ、なにゆえ若くしてこんなに落ち目となっちまったのかいな、その謎を追究するドキュメント。9月24日22時25分から1時間番組。予告編のような番組紹介によれば、出席者がラポルタ、チキ、ソリアーノ、ルセー、カスティージョなどという人物となっていた。前者の3人はともかく、ルセーとカスティージョというのはロナルディーニョの親友とされている人物であるから、ロナルディーニョ擁護のためにラポルタ批判やチキ批判が登場するのかと思っていた。が、そうではなかった。

ホアンマ・カスティージョというのは、ルセーと共にバルサにいた頃、選手担当というセクションの親分であり、特にモッタやロナルディーニョ、デコなどの付き人のようなことをしていた人物。よくテレビやラジオにも登場していたし、スポーツ新聞にもコメントを載せていた。どんなにモッタやロナルディーニョに当たる風が冷たい時期であろうと、どんなにメディアからの批判が雨嵐のように襲ってきている時期であっても、彼らを唯一擁護してきたのがこの人だ。その彼が語る。
「ある瞬間から、彼は自分の人生が自分ではコントロールできるものではないことを自覚したんだと思う。自分のスケジュールが、50人もの関係者や10社前後のスポンサー企業の人々によって絶え間なく埋められていく状況が生まれ、がんじがらめの生活になってしまった。そして、次第に性格まで変わっていってしまう。それまで彼のためにと思い助言を与えてきた友人たちから意識的に離れるようになり、彼と常に一緒にいるのはイエスマンだけとなってしまった。彼のやることなすことに笑顔を見せ、彼の思うままに行動するイエスマンが、24時間にわたって彼を取り巻くようになってしまったんだ。」
そして続けるカスティージョ。
「確かに夜遊びは昔から好きな人だった。あれだけプレッシャーを浴びる生活になっていたんだから、夜遊びが気分転換になっていたのだろう。だが、それもある瞬間から変わってしまった。夜遊びの回数が驚くほど増え、気分転換という意味合いではなく、それが生活の重要な要素になっていく。もちろん、フットボール選手としてのロナルディーニョに、肉体的にも精神的にも大きな打撃を、徐々に徐々に与えていく結果となっていったのだろう。あれだけの才能ある選手が、いや、本当に残念なことだと思う。」

ロナルディーニョの友人であり、彼をバルサに連れてきたサンドロ・ルセー。彼はこう語っている。
「こうなってしまった最大の原因は、彼にあることは間違いないだろう。もちろん彼だけではなく、彼の周りにいた人物たちにも責任はあるさ。だが、それでも彼に最大の原因があることは確かだ。走ったり、ジャンプしたり、シュートするのは彼であって他人じゃあない。それが過去のようにできなくなった原因はひとえに彼にあるだろう。」

仕方ないから嫌々ながらラポルタ談にも触れておこう。
「去年の春頃におこなわれたサラゴサ戦(注・この試合の終了後、ロナルディーニョとデコは帰路につくためにクラブが用意したバスに乗ることを拒否し、それぞれ自家用車で友人たちとバルセロナに向かっている)を契機として、行動がおかしくなったように感じている。」

バルセロナはそれほど大きい街ではない。夜遊び好きの選手たちが通う場所などそれほど多いわけでもない。クラブ関係者はもちろん、メディアにしても、彼の夜遊びのことに関して知っていても沈黙を守ってきたのは、この世界での“エチケット”なのかも知れない。それでも多くの人々が彼や彼の取り巻き連中が夜な夜ないろんなところで飲み歩き、踊りまくっている姿を目撃している。夜遊び好きの個人的な知り合いや、カンプノウの自分の席の周りにいる夜遊び好き連中も、何回かその現場の目撃者となっているから、いまさらカスティージョの言葉を待つことなく、ロナルディーニョがどのような生活をしてきてか、大体の想像はつくというものだ。だが、そうであっても、仲間内による“街の噂”が、関係者の生の言葉で“真実”となると、やはり受けるインパクトが違う。

エドゥミルソンが語る。
「クラブ会長、クラブ理事会員、監督、我々選手たち、そしてもちろん彼の個人的な友人たち、そのすべての人々がもっと彼を助ける必要があったのではないだろうか・・・。彼は限りなく独りになってしまたのではないかな。」
まったくだ。まったくそのとおりだ。ルセーが語るように、最大の原因は彼にあるとは言え、友人と称する人々がなにゆえもっと彼を助けなかったのか、と思いつつ、あんら、こりゃマラドーナの時とよく似ていると気が付いた。

時の経過と共に、徐々に徐々にゼニの臭いをかぎつけた人々に取り囲まれてしまう。それまで彼にとって本当の友人であった人々が、いつの間にか近づけない存在となってしまう。彼に助言をしたくとも、取り巻き連中がそれを拒絶してしまう。度重なる負傷からたまるフラストレーション、毎日のように受けるプレッシャー、それから逃れる道はお決まりコースだ。女と酒とドラッグ。それがマラドーナだった。そして、取り巻き連中の数が増えれば増えるほど、その真ん中にいる人物は孤独になっていく。きっとロナルディーニョもこんな感じなのだろう。と、まあ、一度は経験してみたい魅力的な世界。

でもまあ、いいいんだ。個人的には、ロナルディーニョという選手はしっかりと脳裏に焼き付いている、これまで見てきたバルサの選手の中で最高の1人だと思うこの選手のイメージは、あのカンプノウデビュー戦となった“真夜中のセビージャ戦”での新鮮なプレーとゴラッソ。これを見せていただいただけだけでもグラシアスだ。


メルセの祭日
(08/09/25)

9月24日、この日はバルセロナ最大のフィエスタと言っていいメルセの祭日。100年以上の歴史を持ち、この日の数日前からバルセロナの街中はフィエスタ状態となる。そして古きバルセロニスタにとっては、ビルバオの“屠殺人”アンドニ・ゴイコエチェアがマラドーナに大怪我を負わした、忘れようにも忘れられない日ともなっている。1983年9月24日、今からちょうど25年前のこの日、バルサは前年度リーグチャンピオンであるビルバオをカンプノウに迎えて対戦している。この試合はビデオの世界でその切れっ端を見ただけなので、どんな様子だったのかまったく知らない。そこで“エル・パイス紙(2008年9月22日付)”の助けを借りることにして、ほんの一部だけ紹介。

メルセの祭日ということもあり、25年前のこの日の午前中、バルサの選手たちは市内のとある病院に“お見舞いイベント”をおこなっている。そのことを"Yo, el Diego de la Gente"というタイトルが付けられた伝記の中で、マラドーナは次のように回顧している。

“大怪我をしている子供が入院しているという部屋に向かった。どうやら車にひかれてしまった子供のようだ。ドアをそっと開けて部屋に入る。すると、私の顔を見るなり、ベッドに横になっていた彼の顔が光り輝いたように思えた。彼に話しかけ、元気づけのキスを頬にしてあげた。彼のそばにできるだけ長い間いてあげたかったが、その日はカンプノウでの試合がある日だった。もう行かなくてはならない。サヨナラの挨拶をしてドアを開けた瞬間、その子は振り絞るような声で私に語りかけてきた。
「ディエゴ、気をつけて!お願いだから気をつけて!あなたに怪我をさせようと企んでいる人がいるような気がするんだ。だから、気をつけて!お願いだから・・・。」”

“シュステル!シュステル!シュステル!”
12万人の観衆で埋まったカンプノウ観客席から大きな声援が飛ぶ。2年前におこなわれたサンマメスでのビルバオ・バルサ戦でシュステルはゴイコエチェアの強烈なタックルに襲われ、9か月の大負傷を負っていた。そしてこの試合の前半、シュステルはそのゴイコエチェアに厳しいファールを見舞う。審判はそのファールに対してカード制裁なしに済ませていた。その瞬間、カンプノウでシュステルコールがおこる。
“シュステル!シュステル!シュステル!”
多くのバルセロニスタは2年前のことを忘れていなかった。だが、ゴイコエチェアもまた、3−0というスコアでバルサが一方的に勝利しているにもかかわらず、今受けたばかりのシュステルのファールのことを忘れていないかのようだった。

スコアのわりには激しい試合展開が続いていく。そしてマラドーナがパスを受けた瞬間、“屠殺人”ゴイコエチェアが後ろから強烈なタックルを見舞う。グランドの真ん中で倒れて動かないマラドーナ。左足のかかとを両手で押さえ、痛みに耐えながら何か叫んでいるようだ。静寂、まったくの静寂。負傷具合を心配しながら見守る12万の人々の静寂がカンプノウを包む。バルサの半数の選手たちはマラドーナの様子を見に駆け寄り、他の半数の選手たちはゴイコエチェアに詰め寄っていく。カピタンのミゲーリはマラドーナに近づいていった1人だ。ゴイコエチェアに向かってイエローカードを右手にあげる審判を横目に、マラドーナの手をつかんで起きるのを助けようとするミゲーリ。
「ノー、ノー、ノー、ミゲーリ!足首が壊れてる!」

バルサのセントロカンピスタだったビクトル・ムニョス(現ヘタフェ監督)が、当時のバルサ・ビルバオ戦の雰囲気について語る。
「若きクレメンテが監督だったビルバオは、非常に激しいプレーを特徴としていた。それはグラウンドの中だけではなく、試合前後におこなわれるクラブ関係者による発言も常に挑発的なものだった。しかもビルバオの全盛期と呼んで言い時代だったし、彼らとの試合は、現在のクラシコのような盛り上がりを見せていた。今のバルサ・ビルバオ戦からは想像もできない雰囲気の中で戦われていたんだ。」

翌日の9月25日、スペインフットボール連盟は、ゴイコエチェアに対して18試合の出場停止処分を科した。そして28日の水曜日、ビルバオでは地元にレッヒ・ポスナンというクラブを迎えるコパ・デ・エウロッパの試合が開催されている。超満員に埋まったサンマメスのスタディアム。それはコパ・デ・エウロッパの試合だからというだけではなく、彼らの英雄ゴイコエチェアを讃える試合ともなったからだ。フットボールの中央機関がバスク人である彼に対し、18試合出場停止処分という、彼らにとってはまったくもって不当な処分を科したことに対する抗議の意思表示ともなった試合だった。試合が終了し、選手たちに肩車された彼は、ゴイコエチェアコールを全身に浴びながらグランドを一周する。その彼が履いているシューズは、つい4日前にマラドーナを傷つけたのと同じものだった。そしてこの試合を持って“現役引退”したそのシューズは、その後ガラスケースの中に大事に収められ、ゴイコエチェア家の中に飾られているという。

さて、今年のメルセ祭にはベティスがやって来る。ここ何年か、メルセの日が近づくと天気が崩れるバルセロナとなっているが、今年もその例にもれず数日前から雨の毎日。試合当日の今日は朝から太陽が見える日になっているが、果たして20時頃にはどうなっているか。オープンでテレビ中継もあるこの試合、カンプノウ6万の大観衆で埋まれば良しという感じだろう。


比較するのは愚かなこと
(08/09/23)

と、題された今週月曜日のクライフ定例コメント。このエル・ペリオディコ紙に掲載されているクライフのコメントは、彼がこれまで出版した本や他のスポーツ紙でのコメントと同じように、彼自ら書いたものではなく、いわゆる口述筆記というやつだ。彼のマネージャーであり、元ジャーナリストでもあるジョアン・パッチという人が実際は書いている。ちなみロナルディーニョやデコの“バルセロニスタに送る手紙”はモッタの時と同じようにホアンマ・カスティージョという人が代筆しているし、この世界ではこういうことは珍しいことでもなんでもないようだ。まあ、そんなことはどうでもいいとして、久しぶりに、そのクライフコメントを訳してみよう。

ヒホン相手の試合でようやく納得できる勝利を得たペップバルサ。これまでの試合で見せてきたものと同じように、時として3−4−3というシステムを採用している。そう、かつてのドリームチームと同じように、3人のデフェンサで戦っている。だが、数字で示すと同じシステムとなるものの、その内容を見てみると、我々が実践したものとペップバルサのものとはまったく違うことがわかる。

例えば、スポルティング・ポルトガル相手の試合を見てみよう。ペップが配置した3人のデフェンサはすべてセントラ選手(ピケ、マルケス、プジョー)だった。私たちの時代、3人のデフェンサを形成していたのは、2人のラテラル(チャッピー、セルジ)と1人のセントラル(クーマン)というメンバーを例に挙げることができるだろう。そしてアルベス、ケイタ、チャビ、イニエスタという4人のセントロカンピスタ選手が一つのラインを形成。ここでも、ラインではなくロンボを形成していた我々の4人セントロカンピスタとスタイルが違うことが見て取れる。バケロがメディアプンタとして頂点に位置し、その底にはペップがおり、左右にはインテリオール選手を配置して形成されるロンボスタイル。このスタイルが生かされるかどうかは、多くの場合バケロの存在にかかっていた。身長はそれほどなかったにもかかわらず、ヘディングによって生まれるゴールは非常に多かったし、もちろん右足から生まれるゴールも大量に記録されている。つまりこのロンボのシステムは、メディアプンタの選手にゴールの嗅覚があるかないかで、うまく機能するかどうかがかかってくる。だが、ペップバルサのメンバーを見る限り、バケロのようなタイプの選手は見つからない。ペップはチャビにそこらあたりのことを期待しているのではないかと思われるが、そしてここ最近はゴール前への突出がよく見られるようになったが、それでもバケロとチャビでは本質的にプレースタイルが異なる選手だろうと思う。

だが、こまかいことを抜きにして、チームそのもののプレースタイルやフィロソフィーに関しては一致することが多いようだ。グランドを可能な限り広く使うこと、そのことによって生まれるであろう空いたスペースを有効に支配すること。

それではいったいどこに空いているスペースを見つけることができるか。それはエストレーモの位置しかない。我々のチームと違って、ペップバルサには本格的なエストレーモ選手がいないとしても、発想は同じだ。つまり、両サイドを開くこと。そのためには一対一の勝負も時として必要となる。そう、それは“常に”ではなく“時として”とするのが正解だ。ドリブルやフェイントでマークする選手を抜いていくのは、確かにスペクタクルな光景だ。だが、そんなことをしなくても単純な方法でマークを外すこともできる。ワンタッチでの壁パスや、走り込んできた選手への簡単なパスによってスペースは開かれることになる。いつも同じ事をしていては相手の意表をつくことはできない。“時として”の一対一の勝負、それはスペクタクルであると同時に、自分の懐には何枚ものカードが隠されているということを相手に示すことにもなる。イマジネーション豊かにプレーすることが大事だ。

4−3−3であろうが3−4−3であろうが、最終的にそのチームが抱えている選手のプレースタイルがシステムを生かしたり殺したりする。その意味で、非常に攻撃的なラテラル選手アルベスがいるということを考えれば、3−4−3システムというのも面白いかも知れない。だが、4−4−2というシステムはペップバルサではうまく機能しないだろう。このチームの特徴での一つであるボールの走るスピードが落ちることになるし、そもそも選手間の相互理解を深めていくのに、多くの時間が必要となるだろう。決して4−4−2というシステムが悪いというのではない。それが似合うクラブではそのシステムを採用すればいい。だが、ペップバルサにはそのシステムは似合わないし、しかも機能することもないだろうと思う。

リーグ戦が3試合終了。これまでヌマンシア、ラーシング、ヒホンというチームを相手にして戦ってきたが、270分間のほとんどが、ゴール前に置かれた相手チームの作る大型バスを乗り越えることに苦労する時間だった。これからも、真っ正面からやって来て勝負してくるチームは数えるほどしかいないだろう。ラーシング戦が引き分けとなったことで、ペップバルサの戦い方にいくつかの批判が生じたようだが、ペップは気にすることなく今のまま戦い続ければいい。試合を支配し続けることと、ボールを支配し続けること、それが勝利への近道だと信じるのであれば、今のまま進めばよい。今から3年前、こうして我々はヨーロッパを制覇したのではなかったか。

運というやっかいなものが勝負を左右することがある世界だけに、最終的に勝利するかどうかは神のみぞ知ることになる。だが、その勝利に向けての姿勢に誤りがないことだけは確かだ。ペップバルサはこのまま進めば良い。

domingo, 21 de septiembre de 2008 23:44
Johan Cruyff
El error de comparar equipos


カピタン
(08/09/20)

クライフ監督時代、各シーズンのカピタンを決めるのはクライフ自身だった。バンガールの時代も同じように監督がカピタンを任命している。それがフラン・ライカーの時代となってから、チームを構成している選手たちの投票によってカピタンを決めるという“民主主義”の時代に突入している。ペップが監督となった今シーズン、そのスタイルは継承されているようだ。

プレステージの最中だったか、9月に入ってからだったか、クライフがバルサの“カピタン問題”について語っている。
「外側にいる我々にははっきりしたことはわからないものの、昨シーズンのバルサにはロッカールーム内に問題があったと聞いている。もし、それが本当のことであったとしても、それを監督の責任とするのは間違っているだろう。ロッカールーム内を取り仕切るのは、あくまでもカピタンたちでなければならないからだ。したがって言われている通りにロッカールーム内に問題があったとするなら、今シーズンこそカピタンの選択は慎重にしなければならないと思う。」
毎回この人の言うことをそのまま受け止めてしまうと、頭の中が混乱する不健康な状態になるので、軽く聞き流すのが正解というものだろうが、ロッカールーム内の問題は監督ではなくカピタンが仕切るものというのは、この世界においてはそうなのかも知れない。

昨シーズンのカピタンに選ばれた選手は3人いる。第一カピタンがプジョー、第二カピタンがロナルディーニョ、そして三番目がチャビ・エルナンデス。果たしてプジョーが、どれだけ頑張ってロッカールーム内をコントロールしようとしたのか知るすべもないが、外側から見られる雰囲気から察すると、それなりに努力したのだろうと推測できる。だが、第二カピタン、第三カピタンまでが真剣に対処したかどうか想像すれば、彼らから感じる雰囲気からして、それはゼロではなかったのだろうか。ロッカールーム内の問題の1人となったであろうロナルディーニョは問題外として、これまで10年間見てきたチャビから発せられる雰囲気を考察するに、この選手はそういうややっこしいことを自らするような人にはとても思えない。

ユーロ08最優秀選手として選ばれた選手らしいが、それでもチャビは他の選手と同じように、普通の人間であってロボットではないのだから、毎試合毎試合活躍を見せる義務はない。そんなことは不可能なことぐらい誰でも知っている。毎試合、毎月、毎シーズン活躍しろとは誰も要求しないが、彼の持つ才能をもってすれば、90分間の試合の流れでチームがアップアップ状態になっているときに、その流れを変えるプレーを見せることは可能なはずだ。だが残念ながら、そういうマイナス状況で彼が光ったところを見たことがない。彼が活躍するシーンは、チームの流れがうまくいっている時にしか見られない。仲間に激しい檄を飛ばすシーンも見たことがないし、選手間同士で揉め合いになったシーンで、相手選手に激しく詰め寄ることもない。しかも負傷を恐れず足を突っ込んでボールを取りに行くというシーンにもお目にかかったことはない。審判のようにボールのそばに必ず位置しているというポジショニングの良さを見せながらも、危険を犯してボールを取りに行くということはほぼ皆無といって良い。300試合もの出場回数を誇り、チームのリーダーとなってもおかしくないベテラン選手チャビ・エルナンデス。だが、カピタンマークは似合わない。

それが彼のキャラクターと言ってしまえばそれまでの話となる。当然ながら、人の持つキャラクターを第三者が批判する権利はない。でも、才能があるからと言って、自動的にカピタンマークを付けることにはならない。カンテラ育ちだろうが、どんなに長い間バルサに在籍していようが、持っているキャラクターがカピタン向きではない選手なら、カピタンになる必要もない。

ロッカールーム内を取り仕切る能力を、観客席から判断することはかなり難しいことだし、そんなことにはあまり興味がない。カピタンとして相応しい選手を個人的に決め込んでしまうなら、
チームがどうにもこうにも困っているときに、
チームがまったくもってイジイジしているときに、
チームになんとなく暗い雰囲気が漂っているときに、
そして見ている方が「こりゃあ、ダメじゃないかい?」と感じ始めたときに、
「諦めちゃあいけません!」とばかり、頑張っちゃってくれる選手だ。ドリームチーム以降で言うなら、それは例えばルイス・フィーゴのような選手であり、フィリップ・コクーのような選手であり、そして例えば、ルイス・エンリケみたいな選手、それが自分にとってもカピタン。そして、今のバルサにはそういう選手が見つからない。

それにしても、アホメディアはなにゆえ“ボージャン問題”などで騒いでおるのか。今は、アンリ、エトー、メッシーがその年俸分の仕事をすることを義務づけられている時期。これから徐々にボージャンは出てくるのは間違いない。ガタガタ騒ぐでねえ!


チュータ!
(08/09/18)

9月13日土曜日20時試合開始ラーシング相手カンプノウ開幕戦。
観客数約5万5千人。
土曜日の20時試合開始であること、おふざけコンビはもうチームにはいないこと、ペップが監督に就任したこと、そして何よりもカンプノウ開幕戦であること、これらのことを踏まえれば、あまりにも少ない観客数。その原因と思われることをいくつか無理矢理探す。

1.この週の木曜日が祭日であり、金曜日に休みをとって4日間の連休とし、バルセロナを離れているソシオが多かったこと。
2.これまで駐車できたディアゴナル通りがこの試合から駐車禁止区域となり、自家用車で来る習慣となっているソシオに打撃を与えたこと。特に地方から来ているソシオには大打撃となったこと。
3.天気予報では試合中に雨が降る可能性が大となっていたこと。

9月15日火曜日20時45分試合開始スポルティング相手チャンピオンズ・カンプノウ開幕戦。
観客数約5万8千人。
チャンピオンズの初の試合であること、相手はグループ内で最も興味深いチームであること、バルサの勝利が必要とされる重要な試合であること、これらのことを踏まえれば、あまりにも少ない観客数。その原因と思われることをいくつか無理矢理探す。

1.試合開始時間が遅い上に平日でもあるため、地方から来ている人々には駐車問題が大きなネックとなっていること。
2.・・・・・・思い浮かばない。

と言うのは真っ赤な嘘。これこそが最大にして唯一の理由ではないかと思っているものがある。それは今シーズンのバルサに、多くのソシオが希望を抱いていないことだ。いや、もっと正確に言えば、ここ2年間のダメバルサがソシオに与え続けたきた、きついボディーブローがかなりのダメージとしていまだに残っていること、そしてラポルタ一味に対する不満が不信任案事件終了後も収まっていないことだ。

いかにこまかい障害があったとしても、いかに前のシーズンがひどいものであったとしても、シーズン最初の試合には少なくとも7万人は押し寄せるというのがこれまでの常識。同じように、チャンピオンズの最初の試合、それもグループ内最強の相手ときたら、少なくとも8万人入るのが常識というものだ。だが、多くのソシオは足を運ばない。ボディーブローのダメージは時間と共に効いてくる。10年以上の付き合いを持つ自分の席の周りの仲間もやって来ない。テレビ観戦を決め込んだ知り合いたちの密かな楽しみ、それが超難しいスタメン選手をあてること、ペップ監督がどのような服装でベンチに立つか、この二つだけというのはチョイと寂しい。

8万人でカンプノウが埋まろうが9万人で埋まろうが、よほどのことがない限りカンプノウは騒々しくならない。特にチャンピオンズの試合ではいつも5千人前後の相手チーム応援組がやって来るから、そして彼らは常にうるさく元気であるときているから、相手チームの応援コールが目立つことになる。それでもポルトガル人はおとなしい。トルコやギリシャやイングランドのインチャに比べれば、彼らはおとなしい。であるにもかかわらず、この試合は普段以上にスポルティング応援の声が耳に入ってくる試合となった。そして我らがソシオがやっと大声をあげるのは、シュートしない選手に対する叱咤。
「チュータ!チュータ!チュータ!ホデール!」
シュートしろ!シュートしろ!

ハンドボールの試合のように、いつものように相手デフェンサを囲みながら相手ゴール前に三日月型を作るバルサ攻撃陣。イニエスタがボールを持つ。
「チュータ!」
だが、シュートはゴール枠内にいかないことを悟ってしまったから、彼はなかなかシュートしない。しゃれたループパスをゴール前に出す。だが、味方選手は誰もいない。どうにかこうにかチャビがボールを拾う
「チュータ!チュータ!」
シュートなんかしないよん、とばかり横パスを出す。エトーにボールがわたる。
「チュータ!チュータ!チュータ!」
自信がないのか、彼もまたシュートしない。シュートするふりをしてアンリにボールをおくる。
「チュータ!チュータ!チュータ!ホデール!」
シュートしようとして転んでしまうアンリ。そこにメッシーが登場。
「チュータ!チュータ!チュータ!ホデール!コーニョ!」
メッシーがやっとシュートを放つ。3人のデフェンサの壁に向かって打たれた1mシュートは当然ながら3人城壁に衝突し、ボールは明後日の方向へと向かうのでありました。
まったくイライラするぜ、コーニョ!

それでも、いかにイライラした試合でも、勝利という美しい包み紙がイライラとした気分を包み隠してくれる。試合内容がどうこう言っている場合ではない。勝利こそがソシオを自分の席へと連れ戻す唯一の妙薬。その一歩がこの試合。二歩、三歩と進むうちに、カンプノウの観客席は徐々に埋められていく。だが、もし一歩進んで二歩下がったとしたら、それはもう、巨大なコンクリートに蟻さんが一匹、蟻さんが二匹と、それだけが目立つカンプノウとなってしまうのだ。


スポルティング
(08/09/16)

こちらのメディアではスポルティング・デ・リスボアと呼んだり、あるいはスポルティング・デ・ポルトガルと呼んだりしているが、果たしてどちらが正しいのか、そんなことは調べればわかることだろうが、まあ、どうでもいいことなので調べていない。オポルト、ベンフィカに続くポルトガルのチームというイメージであり、しかもコパ・デ・ヨーロッパで彼らが活躍したのは記憶にないから、例えてみればAt.マドリ程度のチームなのだろうと勝手に想像。

このクラブから育ってきた選手を見てみると、なかなか下部組織が充実しているようだ。なにやら、ルイス・フィーゴというトンマな選手もここのカンテラ組織で育ったらしいし、シマオやクアレスマ、ロナルドやナニ、そしてそのうちバルサにやって来るかも知れないモウティーニョという将来を期待されている選手もいる。だが、アヤックスと同じように、大事に育ててはみたものの、いずれは他のクラブに移籍させることを余儀なくさせられているクラブだけに、カンテラ選手を中心としてリーグ戦やチャンピオンズを戦い抜くということはできない。いや、それはこのスポルティングだけではなく、ヨーロッパのほぼすべてのクラブでは無理なことだ。したがって、それを可能としてしまうところがバルサの大きな魅力となる。土曜日のラーシング戦。ペップバルサはバルデス、プジョー、ピケ、イニエスタ、チャビ、ブスケ、メッシー、ペドロ、ボージャンという9人のラ・マシア育ちの選手を出場させている。カンテラ組織で育った選手を中心にバスク人だけでチーム構成しているビルバオより、圧倒的に多いカンテラ育ちの選手によるチーム構成だ。

彼らが子供の頃からプレーしているのを見ているだけに、個人的にはとてつもなく嬉しいニュースには違いない。だが、それでもなお、これは何かおかしい“事件”だ。約9千万ユーロもの移籍金を支払って選手の補強をした今シーズンのチームが、なにゆえこれほどの数のカンテラ選手を起用しなければならないのか、当然ながらその疑問が浮かび上がってくる。そして個人的に見てきたバルサの歴史にあって、これほどの数のカンテラ選手が登場して来るというのは、あまりヨロシクないことを意味する。

クライフの終焉時期がまさにそうだった。アテネで痛い目にあった翌年、クライフバルサはそれまで“ドリームチーム”を構成していた重要な選手を次々と放出し、たいした資金を使わなかったにもかかわらず、多くの選手を新加入させている。アベラルド、エスカイチ、エスクーサ、ホセ・マリ、ロペテギ、ハジ、コルネイエフ、バルサBからジョルディ、ルジェー、サンチェス・ハラといったメンバーが昇格してきているが、アベラルドをのぞき誰一人としてシーズンを通して活躍できた選手はいない。そしてその翌年、つまりクライフバルサ最後のシーズン、クライフはカンテラを中心としたチーム構成でシーズンにのぞんでいる。いわゆる“キンタ・デ・ミニ”という、デ・ラ・ペーニャやセラーデス、モレーノ、キケ・アルバレス。トニーなどの選手を起用し続けることになる。

その典型的な試合が確か1995年だったか、とにかくベティスを相手の試合で見て取れる。
スタメンに登場してきたのは次のような選手だった。ブスケ(もちろん親父の方)、チャッピー、セルジ、オスカー、カレーラス、ルジェー、トニー、モレーノ、途中から入ってきたのがセラーデス、ペップ、デ・ラ・ペーニャ。外部からきた選手はアベラルド、ナダール、そしてフィーゴの3人だけ。この試合はスペクタクルに勝利しているが、シーズンを制覇するまでのパワーは当然ながらなかった。一人一人の選手には確かに才能はありながらも、彼らを中心として一つのチーム構成をするのは明らかな誤りだった。そして誰もが知っているように、結果的にクライフバルサの終焉を早めることになってしまう。

そのクライフが語るようにラーシング戦は「この何シーズンかで最高の試合内容だった。」とまで言い切る“プロの目”はもっていないものの、そしてこれまでのリーグ戦2試合で好結果がでていないとはいえ、ペップバルサから伝わってくる雰囲気はそれほど捨てたものではないような気がする。ほんの少しの幸運と、ほんの少しのゴール運さえあれば、これまでの2試合ともまったく違う結果となっていたかも知れない。勝利の女神さえ目覚めてくれれば、けっこう快調に飛ばしていきそうな気さえしている。できることなら、そういう好調の波に乗ってからカンテラ選手のオンパレードとなるのが理想的。彼らに大いなるプレッシャーがかかる、どうしても勝利が必要な場面でのカンテラオンパレードは、どうもいただけない。そもそも、円にして何億という年俸を稼いでいるエトーやケイタ、あるいはチャビやプジョーなどが光らなければならない存在であるのに、3万ユーロ程度の年俸しか与えられていないブスケやペドロが最優秀選手となってしまうのは、考えようによってはヤバイことだ。

あくまでも状況のなせるわざだったのかも知れない。代表戦があったため多くの選手が疲労気味であったこと。試合前にろくな練習時間がとれなかったこと。3日後にはこのスポルティング戦が控えていたこと。地元カンプノウでの試合であり、相手はラーシングということも含めて、あれがベストメンバーとなったのだろう。だが、チャンピオンズのような大事な戦いでは、年俸の高い連中が試合を決める義務がある。なにゆえ彼らがバルサに入団してきているのか、それを示す義務がある。プロ精神の固まりシルビーニョにチャンスを、そして頑張ってみよう、超高給取りアンリさん。この試合は“名のある選手”の出番です。


シーズンのスタート!
(08/09/14)

あくまでも個人的に、シーズンの開始はカンプノウの開幕戦をもって始まるという気分となっている。しかもここ数年、リーグの開幕戦が8月の末におこなわれ、2週間の空白期間をもってリーグ戦第二試合がおこなわれるスケジュールとなってしまっているし、偶然のことながら、この第二戦がいつもカンプノウ開幕戦となっているシーズンが続いている。フエラでの開幕戦をテレビ観戦し、そしてしらけた2週間がやって来るから、どうも気分的にはシーズンが始まったという感じにならない。したがって、カンプノウ開幕戦がやって来て、そこで初めてシーズンがスタートすることになる。だから、2週間前にやっていたヌマンシア戦などは、個人的にはプレステージでの練習試合の続きみたいなものであり、負けようが何しようが全然気にならない。そしてやって来ました今シーズンの開幕戦、それはラーシング戦。

代表戦に出場していたメッシーのプレースタイルに関してマラドーナからの批判。曰く「周りを見ないで独りよがりのプレーが目立つ。あれではまるで自分のためのみにプレーしているようなものだ。」とのこと。

だが待てよ、メッシーのプレースタイルがここ最近変わったわけではない。アルゼンチン時代の子供の頃の動画をどこかで見たが、そのプレースタイルはバルサインフェリオールカテゴリー時代とまったく同じであり、そしてライカーバルサに登場してきても変わってはいない。そのメッシーを、かなり前から高く評価してきたのがマラドーナではなかったか。わずか3年ぐらい前には「自分の後を継ぐのはメッシー」とまで公言し、つい何週間か前におこなわれたオリンピックの時にも、彼はメッシーのプレーを絶賛していたのではなかったか。それなのに、なにゆえ今、メッシーを批判し始めたのだろう。同じような疑問を持つ、意地の悪い一部のアルゼンチンメディアが一つの推測をする。それは“義理の息子クン”をアルゼンチンの星にしたいというマラドーナの願望からではないか、というもの。まあ、それが真実かどうかは別として、メッシーが己のプレースタイルにいくつかのバリエーションを付け足さなければならないのは明らかだ。そう、基本的にプレースタイルを変える必要はない。だが、選択肢を増やさないとこのさき行き詰まってしまう。

個人的にはペップ監督の登場がメッシーの更なる成長の助けになると予測してきた。ペップがセビージャのカペルをお気に召さないのは、そのプレースタイルがメッシーの小型だからだと言われている。ドリブルしながら頭を上げない選手のプレースタイルは、ペップバルサの中にあって孤立してしまう。したがって、メッシーが学ばなければならないこと、それは頭を上げること。それだけで彼の選択肢が増えてくるというものだ。

アンリ、シルビーニョはこの試合に必要ありませんとして招集落ち。試合前日になってやっとバルセロナに戻ったきたマルケスはお休み。前日にすらバルセロナに到着していないカセレスも当然ながら呼ばれない。だが、やはり試合前日に帰国し午後の練習1回しか参加できなかったメッシーは招集。これでスタメンで出場させ体がもつまで、なんて発想で彼を起用したら、それこそいつもの負傷パターン。気をつけましょう。

■勝利あるのみラーシング戦招集メンバー
バルデス、ピント、アルベス、プジョー、ピケ、アビダル、ヤヤ、ケイタ、チャビ、グジョンセン、イニエスタ、フレブ、メッシー、ボージャン、エトー、そしてV.サンチェス、ブスケ、ペドロのピッタリ18人。

と言うわけで今シーズン初のスタメン予想。


理事会の健全
(08/09/12)

独自のいろいろなアイデアを持った人々が集まり、自らの意見を主張し合い、クラブにとって最も最善といえる政治を遂行していくのが、健全な指導体制だとすれば、理事会リーダーの提灯持ちのようなナァナァ族が、リーダーのイエスマンと化してしまう集団は、不健全と言わざる終えない。そこには徹底した論議を煮詰めることによって最善の手段を選択することが放棄され、三角形の頂点に立つリーダーのアイデアのみが自動的にクラブの声となってしまう。現在のラポルタ内閣はまさにその典型的なものと言える。そう、かつてのヌニェス政権末期のように。

2003年夏、ラポルタ政権の樹立。今考えてみると、この組織には大きな影響力を持つ三つの“派閥”から構成されていたようだ。一つはラポルタ派。もちろんかつてのエレファン・ブラウというヌニェス批判集団を形成していた人々が中心となっている。二つめはサンドロ・ルセー派。これはナイキ関係者が中心であることは間違いない。そして三つめがフェラン・ソリアーノとマーク・イングラ派。この派閥は彼らが共同経営していた会社関係者メンバーを中心としている。つまり、三つの派閥がそれぞれ意見を出し合って、クラブ再建のために最善の政治をおこなっていたことになる。そのバランスが崩れるのが2005年、サンドロ・ルセー派の人々の辞任が相次いで起こってからだ。

彼らの抜けた穴を埋めたのは、ラポルタ派とソリアーノ・イングラ派の関係者となった。つまり、新しい派閥が誕生することなしに、二つの派閥が更に強力な形となり、新たなラポルタ理事会が構成されることになる。三つあった意見が二つとなり、少々不健全な形となったのは明らかだ。

それから3年たった2008年7月、ソリアーノ・イングラ派が大挙してクラブを去ることになる。ラポルタ会長に向けられた不信任選挙の結果を正しく受け止めたソリアーノとイングラは、ラポルタ会長に辞任を要求した。だが、それを受ける意思がまったくないとこを察した彼らは、それではと、彼ら自身の退陣を断行。彼らを中心とした8人のグループが退陣することになるが、それでも当然ながら彼らの息のかかった関係者がクラブに残っていた。その“残党”どもに対し“粛正の嵐“が吹き荒れ始めたのは9月に入ってからだ。

ソリアーノ・イングラ派の息がかかった各セクション責任者や従業員に対し、一方的なクビ宣告が恐ろしいスピードで展開されている。最初の犠牲者となったのは、クラブスポークスマンのジョルディ・バティアだった。警備担当主任エリアス・フラデ、チケット主任ルイス・ゴヤネス、マーケティング部門担当のダニエル・スコーセル、マーチャンダイジング部門担当のハビエル・ムノア、不動産部門担当のダビ・フォルク、テクノロジー部門担当のグスタウ・ナバーロ、そしてクラブジェネラルマネージャーのアンナ・チコイ、これらの人々が9月に入ってから辞任宣告を受けているが、彼らのほとんどがソリアーノ・イングラ派の関係者となっている。

この中で最もメディアの注目を浴びたのが、クラブジェネラルマネージャーのアンナ・チコイの更迭であったと言える。もともとソリアーノの右手として、経済部門の現場責任者の立場で活躍してきた人物らしいが、彼女の放出に関してはソリアーノ一派としてだけではなく、他の理由があるという。それをカタルーニャ一般紙バンガルディアが説明する。
“ラポルタ会長の独断で、ウズベキスタンのKuruvchi FC(発音がわからん)というクラブとの提携が正式にサインされたのが8月7日。だが、アンナ・チコイは最後まで経済部門の責任者の1人として、この契約書サインに反対した人物だ。彼女がクラブを去ることを余儀なくされた理由の最大のものは、このことであるのは間違いない。”
Kuruvchi FCというクラブは、5年前にはこの世に存在していない、まだ生まれたてピカピカのクラブだ。この国の鉱山とガスを独占する大金持ちがオーナーとなっているらしいが、フットボール的な意味合いで考えれば、クラブ間の提携などバルサにはまったく必要のない存在である。したがって、経済的な観点からの意味合いでのクラブ提携としか考えられないが、それでもアンナ・チコイは猛烈な反対をしている。彼女はクラブの財政を豊かにするための提携ではなく、ラポルタ(関係者)のみが利益を有するものだと理解した・・・のかも知れない。

このクラブ間提携交渉には、クライフのマネージャーであるジョアン・パッチという、怪しげな人物がが中心となっていることはすでに知られている。エトーやイニエスタ、そしてプジョーが、夏休みの間にフットボールクリニックに参加するため、このクラブを訪れているが、その1日のギャラが1人当たり30万ユーロだったと言われている。忙しい身であるラポルタも再三このクラブを訪れている。クライフやラポルタなどの個人ビジネスがこの国で展開されているという噂を、肯定する材料もないが否定する材料もない。クラブと無関係となったアンナ・チコイが事の経過を説明すればはっきりすることだが、そういうことはあり得ない。フラン・ライカーが1年間の沈黙を条件に、今シーズン分の年俸も受け取って辞めていったように、彼女もまた沈黙を条件に100万ユーロの退職金を受け取っているという。ゼニのパワーは絶大だにぃ。

さて、ソリアーノ・イングラ派の人物が抜けていった穴を埋めているのは、もちろんラポルタ関係者となっている。彼のビジネス関係の友人やエレファン・ブラウ時代の知り合い、そして極端な例で言えば、バルサ基金最高責任者には、親戚のマルタ・セグという女性を任命するという、何ともアットホームでなことまでしている。したがって、超不健康な体制であることは否定できないものの、非常にわかりやすい指導体制ができあがったことになる。ラポルタのつまらないジョークに笑わない人間はもういないし、右を向けと言われて左を向く人間もいない。クラブ理事会定例会議はラポルタの発言だけで終わることになるだろう。だが、世の中良くできたもので、こういう体制にも賞味期限があるのだ。あと2年、それが彼らの寿命。それでも、もし、相手ゴールにボールが突き刺さらない試合が続いたとしたら、賞味期限前にゴミ箱へと捨て去られる運命だ。組織が1人の独裁者で構成されているわかりやすいものであると同時に、ファンにとっても批判の対象を誰に向ければいいのか、それも非常にわかりやすくなった。もし良いシーズンとなれば、それはペップバルサのおかげ、もし悪いシーズンとなれば、それはラポルタのせいだ。うん、単純明快。


ヤゴ・ファルケ放出の謎
(08/09/10)

アレックス・ボラーニョス、アンリック・バージェス、フラン・メリダ、ボージャン・ケルキック、そしてヤゴ・ファルケという選手たちは、カデッテBカテゴリー時代(2004−05シーズン)から、1990年世代の代表的な選手と考えられていた。そして、もちろん、彼らの中でもピカピカに光り輝いていたのは、ボージャンとヤゴの2人だ。だが、足並みそろえてみんなが一緒に成長していくことは難しい、というか、そんなことは不可能なことなのだろう。

キラキラ星ヤゴ・ファルケの将来に、個人的に少々暗いものを見始めたのは、2006−07シーズンからと言える。このシーズン、ボージャンとヤゴはフベニルA選手扱いとなりながらも、シーズンを通して大きな違いを見せ始める。シーズンが開始されてから2か月近くたった11月、ボージャンはバルサB監督キケ・コスタスに招集されるようになる。だが、彼はヤゴを招集することは一度足りとしてなかった。そのヤゴの方といえば、ボージャンがフベニルAを離れるまで、ほとんどフベニルBでプレーさせられている。フベニルA監督のアレックス・ガルシアが、ヤゴを招集に値しない選手と判断したからだ。そのヤゴがフベニルAで確固たるスタメンを勝ち取るのは、年が明けてからの1月のこと。そしてこのシーズン、カデッテAでプレーし始めたヤゴより年下のガイが、シーズン途中にフベニルBでほんの少しプレーしたあと、最終的にフベニルAに上がってきている。ということは、ボージャンはバルサBで、ヤゴとガイはフベニルAでプレーして、このシーズンが終了していることになる。ちなみに、フベニルA監督アレックス・ガルシアは、シーズン当初ヤゴをフベニルBチームへ送り込んだり、あるいはフベニルAに上がってきても途中交代させることが多かったため、“ヤゴを正当に評価していない監督”として批判された時期がある。

そして2007−08シーズン。ボージャンとヤゴとの間に更に大きな違いが生じることになる。すでにボージャンはバルサフィリアル組織にはいない。なぜならライカーバルサの選手の1人として扱われるようになったからだ。ペップバルサBが誕生したこのシーズンこそ、ヤゴがバルサ二部チームで活躍するのかと思われた。だが、シーズンを通してペップ監督に招集されプレーしたのは一試合だけだった。他のすべての試合はフベニルAチームでの出場となっている。ガイが本格的にペップバルサの一員となり、ボラーニョスまで招集されるようになり、そして若きティアゴまで試合出場を勝ち取ったというのに、ヤゴはフベニル選手にとどまっていた。

フベニルA監督アレックス・ガルシアに続き、ペップという、2人目の“ヤゴを正当に評価していない監督”が昨シーズン登場し、そして今回三度目、彼を突き放した監督が登場してくる。ルーチョ監督その人だ。つまり、現在のバルサ・アトレティク監督が最初の“突き放し”人物ではないことになる。

バルサのほぼすべてのカンテラチームで脚光を浴びてきた選手が、そしてスペインアンダーカテゴリーでも光るところを見せ続けている選手が、なにゆえバルサ二部チームで活躍する場が与えられなかったのか。それはシロウトにとって、不思議なことに思える。なにゆえ3人もの監督が彼を起用することを躊躇したのか、それもシロウトには理解できないことだ。そしてさらに不思議なことは、まだクラブとの契約が残っている選手を、しかも他のクラブからは評価が高い18歳という若き選手を、なにゆえタダで手放してしまったのか。なにゆえレンタルという手段をとらなかったのか、完全移籍させるなら、なにゆえ買い取りオプションを付けなかったのか、誰しもが感じるであろう疑問は尽きない。
「テクニコが計算外とした選手であり、その選手の将来をつぶすような真似はしたくない。したがって、彼の望むクラブに自由に行けるように自由契約とした。」
そうしたためるクラブ公式発表など誰が信じるものか。

いずれにしても、この不可思議な放出の影に、第三者には知られていない何かの事情があるのだろう。フベニルAの監督はバカでもシロウトでもない。バルサBの監督も同じようにシロウトでもバカでもない。そしてバルサ・アトレティクの監督にしても同じだろう。セスクやピケ、あるいはメリダのケースとはまったく無関係な今回の放出事件。いつの日か、その真実を知る日が来るだろう。1年後、あるいは2年後、この“ヤゴ放出の謎”が解けるかも知れない。

スエルテ、ヤゴ!