Guillermo Amor
アモール


1967年12月4日生まれ
1988ー89シーズン、20歳でデビュー

マシアの象徴として、やはりアモールから始めよう。マシア誕生以来カンテラから一部チームに上がってきた最初の選手というわけではないが、最初に一部チームに定着した選手であるし、その後続いて上がってくるチャッピーやグアルディオラなどの目標となった選手であることからマシアのシンボル的存在と言える。12歳でバルサに入団し20歳で一部チームデビューをかざり、1998年夏にあの憎々しくも態度のでかいバンガールに追い出され、イタリアはフィオレンティーナに移籍するまで実に20年近くもバルサに在籍した選手。

彼は悲劇が似合う選手だと思っている。クライフ1年目のレコパの決勝戦では、それまで常時スタメンで出場していたのになぜかこの試合には招集さえされず、クライフ3年目のマンチェスター相手のレコパ決勝戦にはカード制裁をくらっていて出場できず、そして翌年のウエンブリーでのコパ・デ・ヨーロッパ決勝戦にもカード制裁で出場できず、やっと出場できたミラン相手のコパ・デ・ヨーロッパ決勝戦では4−0という怒濤のスコアーで涙もでない敗戦。これを悲劇と言わず何と言おう。

一人で勝負を決めるクラック選手では決してなかったし観客席を沸かせる派手なプレーもなかったが、チームの中で重要な駒となって働く貴重な選手だった。デビュー当初は4番としてピボッテ的存在だったが、ミージャやグアルディオラと一緒に出場する試合では右と言わず左と言わずインテリオールとしてプレーすることが多かった。ラポルタ政権となってからはシウダー・デポルティーバの最高責任者となっている。