Carlos Busquets
ブスケ


1967年7月19日生まれ
1990−91シーズン、23歳でデビュー

マシア寮が誕生してからの最初のマシア出身ポルテロ。もっとも子供の時からポルテロだったわけではなく、1981年に14歳の時にバルサインフェリオールカテゴリーに入団してきたときはデランテロセントロというポジションだった。最初のカテゴリーとなったインファンティルでもデランテロとして多くのゴールを記録している。だがその上のカテゴリーでプレーするようになった時、スタメンポルテロと控えポルテロが負傷したことによりブスケ急造ポルテロが誕生することになる。それ以来、彼のポジションはゴールポスト下となり、1991年にバルサAチーム選手としてデビューをかざっている。当時のスタメンポルテロはスビサレッタ。だがレコパの決勝戦にはカード制裁で出場できずマンチェスター相手のこの試合でいきなりのデビューとなった。もっとも彼にとって嬉しい記憶として残るものとはなっていない。元バルサ選手だったマーク・ヒュークスに2点を奪われての敗戦となった決勝戦だからだ。

1995年アテネでおこなわれたミラン相手のコパ・デ・ヨーロッパの決勝戦で大敗をくらうことになるバルサだが、アテネ空港に向かう帰りのバスの中でヨハン・クライフは残酷にもスビサレッタに対しサヨナラ通告をしている。決してスビサレッタのミスで負けた試合ではなかった。だが、この大敗を境にクライフはチームの大改造を始めたのだ。そして翌シーズンからこのブスケが正ポルテロとして誕生することになる。元デランテロだけに足技に関しては他のどのポルテロにも負けないテクニックを持っていたが、手を使っていいポルテロとしての才覚には残念ながら少々欠けていたブスケだった。1999年、契約切れとなった彼にバンガールは“グッドラック”を告げる。現在のブスケはバルサインフェリオールカテゴリーのポルテロコーチとして働いている。