Gabriel Garcia de la Torre
ガブリ


1979年2月10日生まれ
1999−00シーズン、20歳でデビュー

サバデルというクラブのカンテラ組織からバルサに入団してきたのが13歳の時だから、ガブリもまたチャビと同じように生粋のバルサカンテラ育ち組と呼べるだろう。その彼がピカリと光る才能を見せ始めたのは、フベニルカテゴリーに上がってきてからだ。

スペインU17代表選手として、そしてバルサBに昇格する頃には、スペインU20代表選手として大活躍している。もともと右インテリオールというポジションを得意とする選手だったが、彼の特徴の一つに、どこのポジションでもそれなりにこなしていくオールマイティーさがあげられるだろう。その器用さを当時のバルサA監督バンガールが目をつけたのは不思議なことではない。彼のシステムにおいては、一人の選手がいくつかのポジション変更をしてくことが、基本の一つとなっていたからだ。

1999−00シーズンのプレステージの最中、ルイス・エンリケとバンガールが衝突する。開幕戦こそルイス・エンリケはスタメン起用されたものの、それから数試合にわたって干されることになった。1999年8月15日におこなわれた地元でのスペインスーペルコパでデビューしたガブリは、開幕戦にルイス・エンリケと交代して出場し、リーグ戦デビューを飾っている。そしてルイス・エンリケに対する“お仕置き”が解けるまで、彼のスタメン出場が続くことになる。

セントロカンピスタでありながら、ゴール前への進出が多く見られる選手であり、しかもチームプレーを優先する精神に富んだ選手でもあった。ただ、残念ながら、カンテラ時代から負傷の多い選手だった。バルサBに上がってきたシーズンでも、半年ほど負傷でリタイアしている。そして、彼にデビューチャンスを授けたバンガールのもとでも、そしてその後のセラ・フェレール、レシャック時代にも大怪我さえしなかったものの、各シーズンに一度は負傷に泣くことになる。ライカーバルサ時代にいわゆる“半年病”に倒れたガブリだが、負傷による現場リタイアの多さが、最終的にバルサを離れる原因の一つとなったのかも知れない。

2年連続リーグ優勝、そしてクラブ史上2度目のチャンピオンズを制した2006年を最後とし、ガブリはバルサを離れ、テンカテが新監督となったアヤックスへと冒険の旅に出ることになった。