27 暗黒の60年代 

歴史が、常に時代の要請する人物を登場させるように、FC.バルセロナ会長の椅子に座る人物も時代の要求する人物となっていた。カンプノウ建設以来の膨れあがる借金を抱えるFC.バルセロナにとって、この経済危機を救うことができる人物、エンリック・ラウデがミロ・サンスの後を継いで1961年から会長となっている。

自他共にフランコ崇拝者を認めるラウデは、代々繊維業を営む実業家としてその人生の大半をおくってきていた。家の関係でFC.バルセロナとは関係があったものの、フットボールにそれほど興味があったわけではない。「倒れかけている会社の再建」に自分の才能をかけてみたい、それだけの人物である。そして彼が会長として任期を収めた7年間で、徐々にその「再建」には成功する。

だがフットボールクラブとして一番肝心なもの、つまり好成績は残していない。タイトルに見放された60年代となるFC.バルセロナである。50年代後半から活躍していたスター選手は年齢的に衰えを見せてきており、新たなスター選手の獲得が必要であった。しかし、それも経済的基盤の再構築という名目の下で、国内、国外にかかわらずスター選手の獲得さえ行えない状態だった。

幸いなことに60年代の中盤には、カンテラから二人のスター選手が登場してきている。しかも二人ともバルセロニスタのアイドルとなる要素をもつ典型的なカタラン人選手であった。つまり、控えめで、力強く、チームカラーのためにはすべてをかける、典型的なカンテラ育ちのカタラン人選手。それが彼らだった。ジョセップ・フステ(現クラブ関係者)とカルラス・レシャック(現監督)である。だが彼らの登場も決してチーム事情を上向きさせるのに十分ではなかった。もともとカンテラ上がりの選手は、国内あるいは国外の大スター選手と絡んで初めてその輝きを放つのが常だった。だがその大スター選手は、残念ながら60年代のFC.バルセロナにはいない。

リーグ戦では2位か、どんなに悪くても常に翌年のヨーロッパ大会参加への権利を得るポジションにつけてはいたもののレアル・マドリは快進撃を続けており、「かつての」ライバルとなってしまった。そう、国内では快進撃を続けていたマドリだが、ヨーロッパ大会では以前のマドリの勢いは消えかけていた。

1966年にコパ・デ・ヨーロッパ6回目の制覇と遂げるマドリだが、すでにプスカスやディ・ステファノはいない。ヨーロッパでの圧倒的な強さを誇ったマドリにも、いよいよかげりが見えてきていた。そしてこの優勝を最後に、ヨーロッパを征するのはラテン諸国(スペイン、ポルトガル、イタリア)から北ヨーロッパ諸国(ドイツ、オランダ、イギリス)へと移っていく。

1968年6月11日、この二人のカタラン人選手にとって忘れられない試合がおこなわれた。サンティアゴ・ベルナベウでの国王杯の決勝戦である。しかも相手は地元と言っていいレアル・マドリである。

サンティアゴ・ベルナベウは立錐の余地もなくメレンゲたちによって埋められていた。相手は「分離主義者」カタランチームである。そう、この60年代後半に入っても、メレンゲにとってFC.バルセロナはいまだに「分離主義者」として認識されていた。スペインからの独立を要求するカタルーニャ。それがマドリを中心にした、カタルーニャへの認識であった。バルサに勝利することはスペインが勝つことであった。

ディフェンスはフステを中心に、攻撃はレシャックを中心に組み立てられているFC.バルセロナ。FC.バルセロナの先制点はマドリ選手のオンゴールでやってくる。その後、マドリの総攻撃が始まるもののフステを軸に守備陣は堅い守りで点を許さない。FC.バルセロナも何回かのカウンターアタックが決まりそうになるが、追加点はとれないままほぼ終了時間を迎えようとしていた。観衆は試合開始と共に、FC.バルセロナ選手に汚いヤジとあらゆる表現を駆使してのブーイングをしていた。そして一人二人とガラス瓶をグランドに放り込むのがきっかけとなって、大勢の観客がガラス瓶を投げはじめた。この試合が、後に「ガラス瓶の決勝戦」と呼ばれるゆえんとなる。

FC.バルセロナの会長はナルシス・デ・カレーラスという人物に代わっていた。彼は前会長のラウデとは違い、ファシズムを敵とする民主主義思想を持つ人物だった。その彼がフランコやその閣僚と一緒にサンティアゴ・ベルナベウの貴賓席に座っている。試合は0−1でバルサの優勝となった。フランコが死亡し民主主義がやってきた時代に、次のように当時の状況を振り返っている。

「フランコ政権のある閣僚が奥さんと一緒に来ていた。彼女はマドリ会長のベルナベウの知り合いらしくて、彼の隣に座っていたんだな。審判の笛が吹かれたときベルナベウに大声で言うのが聞こえた。『ベルナベウ、私たち負けちゃったじゃないの、悔しい!」。それを聞いた亭主が、つまり政府閣僚が女房に『私達は政府の一員として来ているんだ。少し口をつつしみなさい!』って言ってるのも聞こえてきた。その後、私のところにやって来てこともなげにこう言うんだ。『会長さん、優勝おめでとう。バルセロナもスペインでしたわね、ホッホッホッホ」。そして私は笑顔を作って答えた。『売女!』ってね。もちろん聞こえないようにだが。」

タイトル獲得数ではレアル・マドリに大差をつけられているFC.バルセロナだが、この両チームの確執には何の影響も与えない。常にライバルであり直接対決で相手を倒すことが重要なことであることにも変わりない。そしてその対決で常に問題となるのが審判の判断であった。その象徴的は事件となるのが「グルセッタ事件」である。