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![]() 私、カンス・カンペルはバルセロナにてフットボールのチームを作りたいと思います。このスポーツに興味のある方は、火曜か金曜の21時〜23時の間に連絡をください。 カタルーニャ名としてジョアン・ガンペルと自ら名付けたこのスイス人によって、このような呼びかけが“ロス・デポルテス”紙に掲載されたのが1899年、そしてそれからすでに100年経過し今は1998年。彼がこの世に誕生させたバルサというクラブは10万人以上のソシオと10万人収容のカンプノウ・スタディアムを擁し、世界最大のフットボールクラブの一つとして知られるようになっている。それも他の多くのクラブと比較して非常に“特殊”なクラブとしてフットボールファンに知られている。 1998年11月29日21時、カンプノウは異様な雰囲気に包まれていた。10万人のバルセロニスタが観客席を埋め尽くしているカンプノウ、だがスタディアムの照明は落とされ真っ暗闇に包まれている。そしてクラブ会長のヌニェスと国王次女のインファンタ・クリスティーナの二人がパルコの席についたその瞬間、セレモニーの開始を告げるオープニング音楽と共に、とてつもなく明るいレーザー光線がカンプノウスタディアムを照らしはじめた。待ちに待ったクラブ創立百周年記念セレモニーの開幕だ。レーザー光線によって照らしだされたグランドでは各種の催し物、それはかつてバルサに在籍した選手たちの行進や、多くのバルサセクションの選手たちの行進、そしてこの日のためにバルセロナにかけつけた世界各地に点在するバルサファンクラブの人々の行進などが続く。バルサというクラブの“オーナー”である10万ソシオも観客席からこのスペクタクルを眺めているだけではなかった。彼らもまたこのフィエスタに参加すべく、巨大なモザイク模様のアスールグラーナカラーを観客席に作り出していた。 30分以上続いたこの百周年記念セレモニーのハイライト、それはジョアン・マヌエル・セラーがグランドの真ん中に登場しバルサイムノを歌う瞬間だった。バルサイムノ、それはバルサの試合には絶対に欠かせないものだ。そしてこの日も大事な主役の一つとなったバルサイムノ。そのイムノを歌うのが「生まれた時からバルセロニスタ」と自称する、カタルーニャが生んだ最大の歌手であるセラーだ。クライフ派を自称する彼はこのセレモニーを前にしてこう語っている。 ジョアン・マヌエル・セラー、フランコ独裁政権時代に反体制歌手として各ステージでメッセージソングを歌い続けただけではなく、街頭での反体制デモにも参加する行動的な歌手として知られていた。特にフランコ独裁政治から逃れ中南米へと移民生活を強いられた人々にメッセージを送るために、何回もアルゼンチンなどでコンサート活動を続け、中南米ではすでに抵抗詩人歌手として有名となっていた歌い手でもある。またフェスティバル・ユーロビジョンというヨーロッパ各国を代表する歌手が集まっておこなうフェスティバルでも、カタラン語で歌うことを禁止したフランコに抵抗し、出場を辞退したことでも知られている。その彼がクラブ百周年セレモニーでイムノを歌うのは、クラブの歴史的性格からしてごく自然なことであり象徴的なことでもあった。
カンプノウの上空高くあがる何発ものアスールグラーナ色の花火でセレモニーは締めくくられた。そしてこのあとすぐに試合が開始される。リーグ戦第12節となるAt.マドリ戦、その試合がこのセレモニーの後に用意されていた。時間はすでに22時をすぎている。 バルサとAt.マドリの対戦は歴史的に見て常にスペクタクルな試合展開を披露している。攻撃的な試合展開を試みるバルサに対し、素速いカウンターアタックでゴールを狙うAt.マドリ、それがお互いのクラブの歴史的なカラーというものだった。したがって百周年セレモニーのあとの試合としては最適なカードと言って良かった。だが、セレモニーで沸いた10万のバルセロニスタが、わずか2時間後に白いハンカチを振る羽目になるとは誰が想像しただろうか。 このリーグ戦第12節に入るまでのバルサは5勝2敗4分けという成績で、バルサとしては決して満足できるものではなかった。だがそのリーグ戦の成績よりもさらに悲惨なことに、まだ11月の末であるにも関わらずチャンピオンズリーグでは早くもグループ2位以内に入ることが絶望視された状態だったことだ。そう、2年続いてのチャンピオンズリーグ一次グループ戦での敗退が決定していた。クラブ創立百周年ということもありカンプノウが決勝戦会場として予定されていたチャンピオンズリーグであるにも関わらず、バルサは最初のグループ戦で敗退することになる。 一次グループ敗退を決定づけた試合はこのAt.マドリ戦がおこなわれるわずか4日前にカンプノウで戦われている。相手はマンチェスター・ユナイテッド、バルサには勝利の3ポイントのみが一次グループ戦に勝ち残る可能性を持たせるものであり、引き分けも敗北も許されない試合だった。7万人のバルセロニスタと3千人のイングランド人の見守る中、3−3という引き分けで終わる試合でありながら、このシーズンの最もスペクタクルな試合の一つとなった。リバルドの2得点ゴラッソがありながらも勝利することができなかったバルサ。この地元での引き分けという結果が一次グループ戦敗退ということを決定づけることになる。それでも“これこそフットボール”という試合内容に遭遇したフットボールファンたちの熱い拍手が試合後にも沸き続けた試合だ。大事な試合に勝利できなかったものの、雰囲気的には上昇気流に乗ってきたのではないか、そう匂わせた試合から4日後のAt.マドリ戦だった。 At.マドリはこのシーズンからアリゴ・サッキを監督に迎えていた。デランテロにはイタリア人クラックのビエリがいる。故障のリバルドをのぞいて、バルサはほぼ4日前と同じメンバーを用意した。10万バルセロニスタが期待するもの、それは百周年セレモニーという特別な行事のあとにおこなわれるこの試合をステップとして、さらに上昇気流に乗っていこう、そういうものだった。 だがこの日のバルサはこのシーズン最悪の試合展開を見せることになる。マンチェスター戦以前のように、バルサの試合展開はスペクタクルの欠片も見られない非常に“緩い”ものだった。パスは前へ前へとは行かず、ボールは常に横這い状態で走っていく。それも多くの場合がディフェンス同士のパスだった。この前のシーズンにも、そしてこのシーズンにもよく見られる風景が展開されていく。そして試合は0−1という、スペクタクルはおろか結果さえでない悲惨なものだった。 わずか2時間前には10万バルセロニスタの興奮した“バルサ!バルサ!バルサ!”という絶叫が見られたカンプノウに多くの白いハンカチが咲くことになる。 そう、好むと好まざるに関わらず、やはりバンガールのことについても触れておかなければならないようだ。 |
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